日本看護科学会誌
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資料
薬を飲むこと,やめることの意味
―HIVとともに生きる人の語りをもとにした事例研究―
首藤 真由美鈴木 勝己野村 亜由美辻内 琢也
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2022 年 42 巻 p. 588-594

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Abstract

目的:「HIVとともに生きる人」の人生や,社会や文化との関係性に着目し,抗HIV薬を飲むこと,やめることの意味を明らかにする.

方法:治療を中断した経験のあるHIV陽性者1名にインタビューを行った.医学的・道徳的観点で「正しい」現代社会のコンテクストを相対化し,社会文化的状況と照らし合わせて当事者の語りを医療人類学の観点から分析を行った.

結果:当事者にとってHIV感染症は【自分を内に押し込める病い】だった.抗HIV薬は《生死を意識させないための薬》《生活を乱す薬》という2つの意味を持ち,彼は《生活を乱す薬》を目の前から消し,《病気じゃない人みたいに生きる》ことで【生きる価値を取り戻】していった.

結論:薬は生命を支える重要なものであるが,人々が個々に価値を置く多様な〈生〉の一部である.HIV陽性者のケアは,個人だけでなく,地域や文化・社会の背景との関係にも着目して行うことが重要である.

Translated Abstract

Objective: This study aimed to understand the implications of life for people with HIV stopping their medication of anti-HIV drugs, through their narratives and focusing on their relationship with society and culture.

Methods: This study is based on an interview of an HIV-positive person who had discontinued his treatment. The context of what is “correct” from a medical and moral point of view in modern society was relativized to analyze the interviewee’s responses from the perspective of medical anthropology considering socio-cultural situations.

Result: To the interviewee, HIV infection meant a “disease that pushed him into a closed way of thinking and acting.” HIV drugs showed him two meanings: “drugs that prevent awareness of life and death” and “drugs that disrupt his life.” By eliminating these “drugs that disrupt his life” from his life and “living as if he was not sick,” he “regained the value of life.”

Conclusion: Although drugs are important to support human life, they form only a small part of the lives of the users. It is important to provide care for HIV-positive people not only considering the individual but also focusing on the relationships between neighborhoods and backgrounds of culture and society.

Ⅰ. はじめに

ヒト免疫不全ウイルス(HIV:human immunodefi­ciency virus,以下HIV)感染症は抗HIV薬の服薬率を95%以上に保つことで,ウイルス量を検出限界未満まで下げることができるようになった.いまやHIV感染症は「死の病い」ではなくなったといえる.そのため,HIV治療においてはHIV陽性者が治療を継続できるようにアドヒアランスをいかに向上させるかに焦点が当てられている.アドヒアランス(adherence)とは,「人の行動(薬を飲む,食事療法を行う,ライフスタイルを変えるなど)が,医療者の提案にどの程度合致しているか」(世界保健機構,以下WHO,2003)である.患者は積極的に治療に参加し,医療者の提案に同意していることが重要とされる.HIV陽性者の知識不足や認識不足(野々山,2000)といった患者側の要因だけでなく,スティグマ,貧困,医療システム,感染初期の専門職やパートナーのサポートなど患者を取り巻く周囲の社会的要因(WHO, 2003栗山ら,2012Kim et al., 2016)がアドヒアランスに影響を与えることが明らかになっている.このように,アドヒアランスに影響を与える個人的要因と様々な社会的要因は明らかになりつつあるが,臨床現場で役立つ知見を探索するためには,個人的・社会的な複合的要因がどのように個人に具体的に作用しているのかという,個別事例におけるアドヒアランスの詳細な分析の蓄積が欠かせない.

国連合同エイズ計画(Joint United Nations Programme on HIV and AIDS; UNAIDS, 2015)はHIVに感染した人は「患者」であるだけではなく,物事や価値を生み出し,発展を促す生活を送ることができる事実を反映し「HIVとともに生きる人(People living with HIV)」とした.HIVとともに生きる人を患者である前に一人の生活者として捉える必要があることがわかる.

Ware et al.(2009)は医療現場を超えて日常生活に参与観察し,HIV陽性者を「生活者」としてみる人類学的研究を行っている.この研究では,周囲の人々がHIV陽性者の治療を継続させるために協力し,それに対してHIV陽性者がその対人関係における責任を果たそうとしてアドヒアランスを良好に保ち,健康と社会活動への参加が維持されるという陽性者と周囲の人びととの社会関係のループを報告している.抗HIV薬の内服は,個人の身体に関わる医療行為であるだけでなく,他者との関係や社会や文化と相互に作用し合う行為であるといえる.このような個々人に着目した日常生活の場における調査は,HIVとともに生きる人にとって抗HIV薬がどのような意味を持ち,薬を飲む行為とは何かを実際に抗HIV薬を飲む人の視点で理解することを可能にする.

本研究では,すべての人の知恵と経験をどのように生きるかという問いに注ぎ込む(Ingold, 2018/2020)とされる人類学の特性を生かして,HIVとともに生きる人の〈生〉を全人的に理解し,医療者の推奨に準じた行動が前提となっているアドヒアランスを,HIV陽性者の視点から明らかにしていく.

Ⅱ. 研究目的

本研究では,「HIVとともに生きる人」の人生や,HIV陽性者を取り巻く社会や文化との関係性に着目し,抗HIV薬を飲むこと,やめることにはどのような意味があるのかを,語りをとおして明らかにする.本研究は事例を相対化することによって多元的な理解を深め,看護の視点を増やす意義がある.

Ⅲ. 用語の定義

本研究における「文化」とは,「特定の集団メンバーによって学習され共有された自明かつ極めて影響力のある認識の仕方と規則の体系」(Peacock, 1986/1993)である.医療人類学では,「病い」は病者が経験している苦痛やそれに伴う苦悩を指す.

Ⅳ. 研究方法

1. 研究デザイン:質的記述的研究

本研究は治療を中断した経験のあるHIV陽性者1名にインタビューを行った事例研究である.単一の事例から一般化を目指すものではなく,インタビューによって生み出された知見を「他の関連状況に転用」(Kvale, 2007/2016)することを目的とする.

2. 研究対象者

治療を中断したことのあるHIV陽性者を選定条件とした.HIV陽性者をサポートしているNPO団体に研究対象者の選定条件を伝え,紹介を受けた.

3. データ収集内容及び方法:インタビュー

研究対象者には研究の目的を説明し,同意を得たうえで非構造化インタビューを行った.インタビューではHIV感染前,感染時,感染後の思いや行動,それらの変化,そして,HIV治療やHIV感染症そのものが生活にどのように影響していたのかを中心に語ってもらった.インタビューは2019年6月から10月まで合計4回,一回あたり1時間から1時間半程度行った.プライバシーに関わる話であるため,個室において1対1で実施し,承諾を得てICレコーダーへ録音を行った.インタビュー後,研究対象者に,研究者が語られた内容を正しく解釈できているかどうかをメールで4回,分析結果が妥当であるかどうかをメールで2回確認した.インタビューは,研究者がHIV診療に関わる職場に身を置いている看護師であることを説明した上で行った.

4. データ分析方法

本研究は小田(2010)の質的分析方法に準拠している.Helman(1984/2018)の医療人類学の視点に基づき,「健康や病気に関する信念や実践が,人体の生物・心理・社会的な変化とどのように関連するか」「人びとが苦悩をどのように語り,どのように対処していくのか」という観点をもとに,インタビューの逐語録が何度も読み直され,変化する思考や感情,そして対象者と対象者の周囲で起こった事柄に着目し,一つひとつに小カテゴリー名がつけられた.この段階で,HIVとともに生きる人の〈生〉を理論的テーマとして読み取ることが出来た.次に,理論的テーマを軸に小カテゴリー間の関係性が吟味され,まとまった概念として中カテゴリー名《 》がつけられた.さらに抽象度を上げた上位の大カテゴリーが【 】として導き出された.研究の全過程において,常に語りデータの内容と概念のカテゴリー名を反復的に確認し,医療人類学の専門家にスーパーバイズを受けることで分析の妥当性と信頼性を高めた.

5. 倫理的配慮

研究対象者には,本人の精神的苦痛を感じることは無理に語らなくてよく,不安がある際はいつでも問い合わせることができ,辞退することも可能である旨を伝えた.データ収集から公表に至るまで,プライバシー,匿名性,個人情報を保護する旨を説明し,研究参加に対する文書による同意を得た.

本研究は,首都大学東京大学院荒川キャンパス研究倫理審査委員会にて承認を受けた(承認番号:19052).

Ⅴ. 結果

本事例の分析から,表1に示したように17個の中カテゴリー及び,6個の大カテゴリーが抽出された.6個のカテゴリーは後天性免疫不全症候群(Acquired immune deficiency syndrome;以下AIDS)発症の前後で二つに分けられた.本論文では,HIVとともに生きる人の〈生〉の姿が顕著に表れているAIDS発症前の治療中断にまつわる大カテゴリー【〈1〉自分を内に押し込める病い】と大カテゴリー【〈2〉生きる価値を取り戻す】を詳細に検討した.この2個のカテゴリーに着目した理由は,抗HIV薬によって命を長らえる〈生〉だけではない,HIVとともに生きる〈生〉の意味を理解する上で重要だと考えられたからである.本事例ではAIDS発症後に抗HIV薬の内服を再開しており,抗HIV薬中断の意味を明らかにするためには,AIDS発症前の語りに着目することが必要だと考えられた.AIDS発症以降の4個のカテゴリーは,本研究の目的である治療中断の意味を解釈するための参考として使用した.カテゴリーの番号は名称の前に〈 〉で記した.語られた内容はイタリック体で表記した.

表1  本事例の語りから抽出された概念
No. イベント 大カテゴリー名 No. 中カテゴリー名
1※ AIDS発症前 自分を内に押し込める病い 1-1 「自業自得」の病い
1-2 社会の中で生きる価値の喪失
2※ 生きる価値を取り戻す 2-1 生死を意識させないための薬
2-2 生活を乱す薬
2-3 病気じゃない人みたいに生きる
3 AIDS発症後 他人に救われた命を生きる 3-1 HIVを乗り越えようとする母
3-2 見返りを求めない関係性
3-3 壊したくない居場所
3-4 目に見えない恐怖への共感
4 自分の中でぬけたもの 4-1 「とりあえず」踏み出す
4-2 他者を求める
4-3 病いを「受け入れる」難しさ
4-4 同じ立場の陽性者の存在
5 理解と承認されない孤独 5-1 世間に理解されていない感覚
5-2 日常を生きる難しさ
6 希望と期待 6-1 承認されることで確かめる〈生〉
6-2 他者に伝える必要性と残存する恐怖

※本論文で詳細に検討された大カテゴリー

1. 事例の紹介

マコトさん(仮名)は都心近郊の街に生まれ育った40代前半の男性である.20歳頃男性同性愛者であることを自認し,周囲にもカミングアウトしていた.小さいころから大きな病気に罹ったことはなかった.仕事も私生活も順調だった2000年代前半の20代半ばにHIV陽性が判明した.その頃パートナーとは別れていたため,はっきりとした感染源は不明だった.感染が判明してから半年後,抗HIV薬は開始され,2000年代前半から治療を4年間継続したが,その後2年間受診を中断すると同時に抗HIV薬も中断した.AIDS発症を機に入院して抗HIV薬を再開し,インタビューした当時は体調も良好であった.

2. 【〈1〉自分を内に押し込める病い】

1) 《〈1-1〉「自業自得」の病い》

1980年代,マコトさんが小学生の頃,TVや新聞などでAIDSの世界的な感染拡大が報じられた.その報道を見て「死の病気」「性の病気」「ゲイの病気」という3つのイメージが植え付けられた.

1990年代,20代前半にマコトさんが「ゲイの街」と呼んでいたA町は「絶対的」な存在だった.AIDSの流行をきっかけにA町では店のトイレに性感染症予防のパンフレットやコンドームが置かれるようになった.街全体でHIV予防に取り組む「意識の高さ」に感化されて,マコトさんは定期的にHIV検査を行っていた.HIVに対する恐怖心があった一方で,どこか他人事である病気だったと感じていた.

20代半ばの頃,検査所の医師にHIV検査が「陽性」だったことを告げられた.告げられた後のことは覚えていない.遠方から駆けつけてくれた友人たちに「何やっても意味がない」と夜な夜な泣きながら話した.感染前にマコトさんがHIV陽性者に持っていたイメージは「ふしだらな人,Sexに溺れている人,遊びまくってる人,意識の低い人」だった.自分の感染がわかった時は,HIVを感染させた相手に対して責任を求めず,怒りも湧かなかった.むしろ自分を責め,感染したのは「自業自得」だと捉えた.

2) 《〈1-2〉社会の中で生きる価値の喪失》

マコトさんは海外で洋服の買い付けをしていた.多忙であったが仕事が生きがいであり,友人からも一目置かれる存在で,地位や名誉を意識して「闘いのよう」に生きてきた.「キラキラしていた」自分は,感染が判明したことにより「生きる価値がない」自分へ一転した.ウイルスが「全部自分の中にいる」ことと,「ウイルスの感染源」になった自分の身体に嫌悪感を覚えた.HIV陽性が判明してすぐに勤めていた会社の社長に電話し,会社を退職した.

3. 【〈2〉生きる価値を取り戻す】

1) 《〈2-1〉生死を意識させないための薬》

マコトさんは家から近い大病院を紹介され2週間ごとに通院した.医師から「60歳くらい(まで)しか生きられない」と言われて衝撃を受け,これまで意識をしてこなかった生死を初めて目の前にした.しかし「薬さえ飲めば『普通に』生きられる」と看護師から抗HIV薬の飲み方,生活の仕方など詳しく説明を受けた.そのことで気持ちは「とにかく治さなきゃいけない」と変化した.医療者が考えるように薬は「治す」=「生きながらえる」といったものではなく,マコトさんにとって薬は「死を先延ばしにする」というイメージだったと解釈できる.

HIV陽性が判明してから半年後,20代半ば(2000年代前半)に抗HIV薬治療が開始された.毎日抗HIV薬を決められた量で決められた時間に飲んでいた.しかし,これは「決して前向きに生きていこうとしていたわけではなかった」「流されるまま生活をしていた」とマコトさんは語った.

2) 《〈2-2〉生活を乱す薬》

30代の頃独立してA町で店を持った.営業中は忙しかったが体調も良好で,お酒をみんなで飲みながら楽しい時間を過ごした.何よりも会社に自分がHIV陽性者であることが発覚してしまうかもしれないという恐怖から解放された安堵感で日常生活を送ることができた.しかし,この頃から「薬を飲む行為が嫌」になった.徐々に抗HIV薬を見ること,思い出すことも嫌になり,外来に行かなくなった.その日は病院に行かなかった後ろめたさ半分と,でも自分は「健康だ」という気持ちが半分だった.ますます「なんでこれずっと飲み続けなくちゃいけないの」という怒りに近い感情が湧き出た.「『この薬のせいだ』っていう感じ.『病気のせいだ』じゃないんですよ[…]薬が,僕の生活を乱してる」.抗HIV薬は飲み切ったのか隠したのかは覚えていないが,4年間飲んだ抗HIV薬は「徐々に徐々に」自分の目の前から消えた.

HIV陽性を診断された後,自身を「感染源」と思っていたマコトさんは,特定の人と付き合うことを避けていた.交際できない理由を相手から問われ,相手の思いに応えられない,そしてその理由を答えられない自分に腹がたった.「まっとうに生きる」「嘘をつかない」という信念を持っていたが,自身がHIVに恐怖やスティグマを抱いていたため,相手に拒否され逃げられることを恐れてHIV陽性であるとは伝えられなかった.これまで「ずっと押し殺していた自分があって.やっぱ,愛されたい欲があった」にもかかわらず,他者と親密になろうとすればするほど,自分の内にあるHIVがありありと認識された.「HIVと向き合わなきゃいけない.自分がHIVっていうのを認識するのがいやだった」.マコトさんは消えてしまいそうな声で「忘れたくって」と語った.

3) 《〈2-3〉病気じゃない人みたいに生きる》

ある時,マコトさんの店に来た客がHIV陽性者であると話してくれた.しかし,自分も陽性者であると伝えることも相手の気持ちに共感することすらもできなかった.自分の反応から相手に自分がHIV陽性者であることを悟られないようにすぐに会話の場から離れ,自分には関係ないかのように振舞った.

抗HIV薬を止めてからは「病気じゃない人みたいな,それに近いような意識ですよ」と薬を飲んでいないことを意識しない状態であったことを語った.深く酔うほどに酒を飲み,ハッテン場に行く回数も増えた.体内のウイルスがいないわけではない事実をマコトさんは認識していた.その反面,薬を止めてからも,自分の体調は変化がなく,「意外と普通じゃん」「別に生きていけるし」と思った.「健康」「普通」「生きていける」という語りは,マコトさん自身を生活に再度馴染ませていくための言葉だったと推測される.あたかもHIVとは無関係であるように振舞うことで作られていった日常だった.

Ⅵ. 考察

1. 自分の内に押し込める病い

1) 病いの内在化

1990年代の日本において「同性愛者」がエイズ政策に積極的に関与することで,同性愛者が主体性を持った存在として国から認められる(新ヶ江,2013)きっかけとなった.マコトさんは,ゲイ・コミュニティの中でリスクを認知し,「僕たち」の習慣として,予防行動を内在化していったのである.

浮ヶ谷(2005)は糖尿病患者の事例から,近代社会や予防医学が前提とするのは,血糖だけでなく食事や運動といった生活習慣など,自分自身をコントロールできる自己像であると述べる.マコトさんが自主的にHIV予防に取り組む姿勢は「意識が高い」と位置付けていたことからも,自己コントロール可能な自己像を持っていたといえる.裏返せば,マコトさんはHIV感染を自己コントロールができなかった結果として受けとり,自分が《〈1-2〉社会の中で生きる価値の(を)喪失》したように感じた.HIV感染症は自分の中で完結すべき病いと受け止められたため,他者に助けを求めづらくさせてしまった可能性がある.先行研究では,HIVのスティグマが他者に病気であることを伝えづらくし,治療中断や医療機関への受診を阻む(Sianturi et al., 2019)ことが明らかになっている.本事例では,差別や偏見を他者から受けるだけでなく自らの内部へと向け,自己と他者との関係性を切断し,苦悩を自身の内部だけで完結させようとする自己が認められた.

2) 病いに向けられた責任

マコトさんにおける《〈1-1〉「自業自得」の病い》とは,主体的,積極的に自己の行為の帰結に向き合う「責任」を負うべき病いであった.マコトさんは向き合うことで《〈1-2〉社会の中で生きる価値の喪失》に歯止めをかけることが可能だと捉えていたと推測される.マコトさんはアドヒアランスを良好に保ち,他者に感染させない患者の責任を果たしていた.自ら毎日薬を飲む行為は,HIV陽性であること,《〈1-1〉自業自得の病い》であることをマコトさんに繰り返し認識させた.しかし,浮ケ谷(2000)が指摘するように,生活習慣の変容を可能にするのは個人の責任や決定であるとする言説は,一生治らない病気の場合に病気の自己責任化を要請し,その人の人生を『病気であること』に呪縛することに結びつけていくことにもなりかねない.

2. 生きる価値をとりもどす

1) 病いに抗う道具

アフリカのアザンデの人びとが人間と不運な出来事との関係を「妖術のせいだ」と語ることに対して,人類学者のEvans-Pritchard(1931/2001)は妖術が「人間が不運に対処できる既存の手段を提供してくれる」と説明している.《〈2-2〉生活を乱す薬》という意味づけは,説明のつけられないやり場のない思いや,自分の生活がうまくいかない不条理に理由を与え,説得力を付与する方法だったと考えられる.自らが薬をコントロールし,薬を飲まないことは,自分の〈生〉を妨げ自分を支配する病いに対して抗うことのできる,マコトさんにとっての唯一の道具だったと推測される.

2) 〈生〉を獲得するための悪戦苦闘

マコトさんが抗HIV薬を止めることは,生や死だけでなく身体に注意を払わず生きてきた感染前の自分への回帰であり,現在の身体への挑戦であり,「健康」である自分の証明でもあった.「健康」「普通」「生きていける」といった言葉からは,身体の変化がないことを確かめながら,病いに支配される生活に抗い,生きる価値を取り戻そうと悪戦苦闘している姿が読み取れる.

また,《〈1-2〉社会の中で生きる価値の喪失》をした自分に希望を与え,認めてくれたのが恋愛対象となった他者だった.他者と親密になればなるほどHIVを意識せざるをえない状況の中,《〈2-3〉病気じゃない人みたいに生きる》ことで,周囲にいる人々に自分への過度な不安や違和感を与えないようにした.自分の生活から病いを排除するだけでなく,他者の生活からも自分の病いが完全に排除されることで,感染前と同じような生活が完成したのである.

3. 看護実践への示唆

HIV治療を受けることはノーマライゼーションであり,HIV感染者が市民権を得るための新たな基準(Persson et al., 2016)として位置付けられているが,治療に乗ることができなかった場合に「逸脱」という意味が個人にもたらされる.医療の現場でHIVとともに生きる現実についてほとんど考慮されない(Patton, 2011)ことが指摘されているように,医療の実践ではHIVとともに生きる個々が持つ多様な価値観を尊重し,権利を擁護することが必要である.

美馬(2020)はCOVID-19の感染拡大下において,感染予防の重要性をふまえたうえで,「人間が生きていく上でそれだけが唯一の価値というわけではない」と述べる.《〈2-1〉生死を意識させないための薬》は死を遠ざけ,感染前までのようにマコトさんにとって「普通」の生活を可能にする意味を持つ.そして,マコトさんの〈生〉は,自分の信念や自己像を貫くことに加え,誰かに愛され自分が生きている感覚をつかむ等多様であり,他者との関係性の中で流動的に作られていったと考えられる.

看護師は病いとともに生きる人の世界から個々が持つ価値を捉える視点を持ち,その人の行為に内包される多義性に気づくことが重要である.患者が薬を飲まないという事象だけを切り取って身体に悪影響を及ぼすリスクを捉えるだけでなく,病いとともに生きる人の心の動きや,病いや薬がその人を取り巻く社会の中でどう位置づけられ,その影響をその人がどう受けているかなどを理解し,あらゆる角度から捉えた全人的な看護が重要である.

Ⅶ. 研究の限界と今後の展望

全人的に「HIVとともに生きる人」を理解するためには,その人を取り巻く生活世界の全体像を通して〈生〉を理解していく必要がある.今後は,本人の語りだけではなく,パートナーや友人の語りにも耳を傾け,生活世界の情報を得るためのフィールドワーク調査を行っていく必要がある.

付記:本論文の内容の一部は,第40回看護科学学会学術集会において発表した.本研究は,首都大学東京大学院人間科学研究科に提出した修士論文に加筆・修正を加えたものである.

謝辞:首都大学東京社会人類学の先生方とゼミの皆様,多くのご指導を賜りましたことを感謝致します.本研究は,JST 次世代研究者挑戦的研究プログラム JPMJSP2128 の支援を受けたものである.

著者資格:MSおよびANは研究の着想およびデザインに貢献;AN,KS,TTは原稿への示唆および研究プロセス全体への助言.すべての著者は最終原稿を読み,承認した.

利益相反:本研究における利益相反は存在しない.

文献
 
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