日本看護科学会誌
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原著
ナースコールが頻回なALS患者に関わる看護師の経験:解釈学的現象学的記述
長谷川 幹子小林 道太郎
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2022 年 42 巻 p. 614-622

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Abstract

目的:ナースコールが頻回なALS患者への関わりを肯定的に捉えていた看護師の経験を中心に,コールが頻回なALS患者への関わりが看護師にどのように経験されているかを記述する.

方法:ALS患者に関わる看護師4名に非構造化インタビューを行い,そのデータを,解釈学的現象学的方法を用いて記述,分析した.

結果:頻回にコールするALS患者への看護について,困難を感じる看護師と肯定的に捉える看護師がいた.肯定的に捉える看護師からは,これを病気によるものと捉え,その人はどうしてほしいかと考えること,また,その都度のコールに対して,目先の具体的な要求に応えるだけでなく,同時にその患者の不安や呼びかけに対して応答することが可能な場合があることが語られた.

結論:本研究結果は,頻回なコール等により困難と捉えられがちなALS患者に対する看護の可能性について,ひとつの示唆を与えるものであった.

Translated Abstract

Objective: This study aimed to describe the experiences of nurses working with ALS patients with frequent calls, focusing on a nurse who regarded caring for such patients affirmatively.

Methods: Unstructured interviews were conducted with four nurses working with ALS patients, and the data were described and analyzed using hermeneutic phenomenological method.

Results: Some nurses had difficulty in caring for ALS patients with frequent calls, while others tried to take an active role in nursing. A nurse who was actively engaged in nursing stated that it is possible to view this as a result of the illness and to think about what the patient would like them to do from his or her point of view. These nurses also stated that it is possible to respond to each call in such a way that it is not only a response to the immediate specific request but also a response to the patient’s anxiety and call.

Conclusion: These findings suggest a possibility for nursing care for ALS patients, who are often regarded as difficult due to frequent calls.

Ⅰ. はじめに

神経難病は,筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis,以下ALSと略す),多発性硬化症,パーキンソン病などの難治性神経変性疾患の総称である.これらの疾患は原因が不明で根治的な治療法がなく,多くは指定難病に指定されている.神経難病患者に対する看護についての先行研究では,他の疾患の患者と比較してケア量や費やす時間が多いこと(安東,2015安東ら,2009bBarreca & Wilkins, 2008Yatomi et al., 2016),神経難病患者に特有な関わりの難しさがあること(安東,2015安東ら,2009bEdwards & Scheetz, 2002渡辺,2005)が示されている.こうした神経難病患者へのケアの特性や関わりの困難さが看護師のバーンアウトに影響すること,神経難病患者をケアする看護職全体の精神的健康が悪いことも報告されている(安東,2015安東ら,2009b, 2013).

このような関わりの難しい神経難病患者への看護は,より具体的には看護師たちにどのように経験されているだろうか.筆者らは,神経難病患者への看護について示唆を得るため,神経難病患者に関わる看護師へのインタビューに基づく現象学的記述研究を行っている.この研究プログラムは,一般的な要素や共通点を見出すよりも,具体的な個々の語りの文脈の中で経験を捉えることを目指している.ここで経験とは,さまざまな人やもの,出来事,自分の行為などの経験であり,それらがどのような意味をおびて捉えられているかということを含む(Cf. 榊原,2018).解釈学的現象学的アプローチを用いて看護師の語りを分析することで,神経難病患者の振舞いや,神経難病患者に対する日常的な看護師の関わりが看護師にどのように意味づけられ,どのように経験されているかを明らかにすることができるだろう.看護師がどのような考えや意味づけのもとで神経難病患者への看護を行っているかを明らかにすることは,神経難病患者へのよりよい関わり方を検討するための手がかりとなりうる.また,神経難病患者に対するケアの困難さをより具体的に理解することや,それらが看護師のストレスやバーンアウトにつながる理由を理解することにもつながるだろう.その成果の一部はすでに長谷川(2020)で発表された.

本研究は,この研究プログラムの一部として,ナースコール(以下,引用文以外はコールとする)が頻回なALS患者に関わる看護師の経験を取り上げる.ALS患者の頻回なコールは,次に示すように,神経難病患者への看護で多く経験される困難のひとつであり,本研究プログラムでも複数の看護師のインタビューの中に関連する語りがみられた.これは,注入食中止の意思表明をした患者と関わった看護師の経験を論じた長谷川(2020)では論じられなかった部分である.

ALS患者の頻回なコールについてはこれまで次のように報告されている.ALSは,通常,感覚は正常を維持したまま四肢麻痺や球麻痺,呼吸筋麻痺をきたし,重度の身体症状を伴う.病気が進行するとベッド上での生活を余儀なくされ,ほとんどの日常生活行動を他者に依存しなければならない(Haahr et al., 2011牛久保ら,2005).そのため,離れた場所にいる看護師に自分の意思を伝える手段としてのコールは「命の次に大事な物」となる(曽根・黒見,2007).また,ALS患者には「自己の身体部位の位置調整に執着するがために,ナースコールによる頻回の依頼要求」(南雲・前田,2011)があると言われる.これは,病気の進行により,不眠など日常生活のリズムが乱れることによって発現する情動制止困難症状のひとつであるという見解がある(日野,2016).他にも,身体に対して極端な興味や関心,意識の集中と過敏な反応,一般的に些細と思われる事柄に固執するなどの症状も要因だと考えられている(南雲・前田,2011山田ら,2010).

ALS患者は球麻痺により発語が困難になるケースが多く,コミュニケーション方法の工夫が必要となることからコールの対応には時間を要する.ALS患者が多い病棟では,複数のコールが重なり業務にも支障が生じる可能性がある(関・高山,2010).しかしこのような場面において,看護師が具体的にどのように考え,関わっているのかを示す実証的な先行研究は見当たらない.頻回なコールは,ALS以外の神経難病(安東ら,2009a千葉ら,2019直井,2013)や認知症(伊東,2020)などでも問題となるが,上にみたALSの特徴からすると,ALS患者への看護と認知症の人への看護を同様に論じることは難しいかもしれない.

本研究では,コールの頻回なALS患者への関わりについて詳細に語った4名のインタビューから関連する部分を取り上げ,その経験を記述する.中でも,この関わりを肯定的に捉えていた看護師の経験については,今後の実践への示唆を含む可能性があるものとしてより詳しく検討する.

Ⅱ. 研究目的

インタビューで得られた看護師の語りに基づき,コールが頻回なALS患者への関わりを肯定的に捉えていた看護師の経験を中心に,コールが頻回なALS患者への関わりが看護師にどのように意味づけられ,どのように経験されているかを記述する.

Ⅲ. 研究の意義

コールが頻回なALS患者と関わる看護師の経験,中でも,このような患者に対する関わりを肯定的に捉えている看護師の経験の記述からは,関わりが難しいとされるALS患者に対するよりよい関わり方について示唆を得ることができる.またALS患者に関わる看護師のバーンアウトの予防に貢献することが期待される.

Ⅳ. 研究方法

1. 研究デザイン

本研究は,Bennerの解釈学的現象学的アプローチを参考にした質的記述的研究デザインである.この研究方法は「研究者が研究参加者との対話を通して,研究参加者にとっては高度に磨かれ,かつ当然のこととして受け止められており,日常的にはほとんど意識されていない実践の意味を解釈し記述することができる」(Benner, 1994/2012).この方法により,日常的なケアの実践場面で看護師が患者をみるときの捉え方や,意識的あるいは無意識的に「当たり前」のこととして行っている患者への関わりが,どのように意味づけられ,どのように経験されているかを明らかにすることが可能になる.

2. 研究参加者

解釈学的現象学では,解釈が可能となるだけの豊富な語りを得ることが必要である.そのため,Benner(2001/2005)が示した「熟練(達人/Expert)」の看護師を参考に,臨床経験年数が10年前後を有する熟練看護師で,患者との関係の中で生じた体験を詳細に語ることができる者を病棟看護師長から推薦してもらった.研究参加者は,近畿圏で神経難病患者が多数入院する4病院において,直接,神経難病患者に関わる熟練看護師で,研究の趣旨を理解し同意が得られた8名のうち,コールが頻回なALS患者との関わりについて詳細に語った4名であった.

3. データ収集期間

データ収集は2018年11月より2019年2月までの4ヶ月間行った.

4. データ収集方法

研究参加者に非構造化インタビューを実施した.ALS患者との関わりで印象に残っているエピソードについて,また,患者との関わりの中で大事にしていることについて自由に語ってもらった.インタビューは1人につき1~2回実施し,面談全体で2~3時間程度とした.インタビュー内容は同意を得て録音し,それに基づいて逐語録を作成した.

5. データ分析方法

本研究は,Benner(1994/2012)が提唱する解釈学的現象学の方法を参考にした.分析は以下の手順で行った.録音したインタビュー内容をケースごとに逐語録にして繰り返し読み,コールが頻回なALS患者と関わる看護師の経験についての語りを抽出しノートを作成した.抽出したノートの諸部分とテクスト全体を行き来し,そこでの看護師の関わりを明らかにすることを意識して解釈し,内容に従ってそれらを整理した.データには,ケアの困難さを示す語りが多く見られたが,特に1名のインタビューでは,それらとは違いケアを肯定的に捉える語りが見られたため,関連する部分の内容についてより詳しい解釈を示した.解釈の妥当性を高めるために,繰り返しテクストを読み込み吟味し,著者らの間で解釈の違いが生じた場合にはデータを参照して議論を行うことでよりよい解釈に至るよう努めた.また研究参加者に結果を提示した.

6. 倫理的配慮

本研究は大阪医科大学研究倫理委員会の承認を得て実施した(No.看-1022406).研究参加者には,文書と口頭で研究の目的と方法,自由な選択の保障と同意撤回が可能であること,研究協力の諾否は紹介者には伝えないこと,個人情報の取り扱い等について説明した上で,研究参加の同意を得た.また,研究参加者や語られる事例の匿名性が守られるよう配慮した.

Ⅴ. 結果

コールが頻回なALS患者との関わりについて詳細に語った研究参加者は4名であった(表1).看護師たちのインタビューには,コールが頻回なALS患者への関わりの困難さを示す語りが多く含まれていた.他方,参加者の中でもB看護師からは,患者への関わりを肯定的に捉える語りが聞かれた.以下では,まずコールが頻回なALS患者に関わる看護師たちの困難について示し,次にB看護師の語りの特徴的な部分について詳しい分析を示す.逐語録からの引用は全て斜体太字で示し,面接の回数と各看護師の逐語録の頁数を( )に示した.

表1  研究参加者の概要
名前 性別 年齢 看護師経験年数 所属施設
A看護師 女性 40歳代 23年 E総合病院
B看護師 女性 20歳代 8年 F大学病院
C看護師 女性 30歳代 15年 G総合病院
D看護師 女性 30歳代 10年 F大学病院

1. コールが頻回なALS患者への関わりの困難さ

1) 看護師たちの感情

看護師たちは,患者からの鳴り止まぬコールと非常に細かで多様な訴えに戸惑い,時には苛立ち,怒りさえ覚えていることを語った.

ALSの患者さんって細かい要求が多いんです.その患者さんも足の位置が,手の位置が,頭の位置が違うって…….何回も何回もナースコール鳴るんですよ.さっきはそれでいいって言ったのに,数分後にはもう違うって.ほんなら,どうしたらいいのーってなるんです.でも,どうしてもこうしても,またすぐ呼ばれるんです.ほんまに,あのー,コール攻撃に悩まされます.(A看護師1回目,6頁)

この方の対応に滅入っていたスタッフもいました.後輩,特に2,3年目の子たちですかね.もうそこに行きたくないってなってしまって.(C看護師1回目,9頁)

また,頻回なコール対応により大勢の患者を待たせることにジレンマや無力感を感じていた.

それに,まあ,何回もそんなこと繰り返してたら,その患者さんの対応が,雑い,うん,雑になるんですよ.仕方ないんかなって.楽しようと思ってるんじゃなくて,他の患者さんも看ないといけない状況なので.まあ,それも看護師の都合なんですけど.(A看護師1回目,6頁)

やっぱり,どうしても仕事してる限り,ずっとそこにはいれないし,時間に応じてこう,他の患者さんの,ほ,他の検査とかの予定とかもあるんで,それに応じて,準備とかもしていかないといけないんで,ちょっとずっとはいれないよっていうのは毎回言ってるんですけど….(D看護師1回目,8頁)

2) 患者への関わり方

コールが頻回なALS患者への看護師たちの関わり方は,前項で示した感情によってそれぞれ異なったものとなっていた.A看護師は「腹立つし『なんで?』と思いますけど我慢して笑ってケアするようにしてます」(1回目,6頁)と述べ,C看護師は「だからナースコール押さないでねとか,まあ,はっきり言ってたので」(1回目,9頁)と患者にコールを押さないように言った経験を語った.また,D看護師は「あれこれ考えずに,できる限りのことはしますけど」(1回目,4頁)と述べ,淡々と患者の依頼内容をこなしていることを語った.しかし,このような看護師たちの関わりにおいては,例えば,D看護師が「部屋出てすぐにこう,ナースコール押して,それの繰り返しで….止まないんですよね」(1回目,8頁)と述べるように,患者はコールを押すことを止めず,状況が変化することはなかった.

2. コールが頻回なALS患者への肯定的な関わり

B看護師は,他の看護師たちとは違い,コールが頻回なALS患者に対してそれほど困難に感じることなく関わっていることを語っている.以下,B看護師の語りからポイントとなる箇所を引用し,その解釈を示す.

1) 患者の「わからん」状態に対して,「わかってるよ」と応答する

B看護師は,夜間にALS患者がコールを頻回に鳴らす理由について,また,そのような患者に対して自身がどのように関わっているかについて,次のように語った.

まあALSの人って寝れないんですよ.やっぱり,こう,ずっとベッド上にいて,で,なんか昼間もずっとうとうとしてる.じゃあ夜にしっかり寝れるかっていったら寝れへん人が多くって,気になる,寝れへん,焦る,寝たいのにどうしたらいいかわからん.この悩みをどこにぶつけていいかわからんからめっちゃナースコールが鳴るんですけど,そのときに,あの,うまく,こう,してあげるっていうか.患者さんのことわかってるよって,私が一番わかってるからねって.じゃあ今日は何時に眠剤使って,じゃあこれ使ってみようねって.じゃあ足が痛いから,先に痛くなる前に薬塗っとこうかとか,そういう,なんかこう,わかってるよ,安心して大丈夫って,なにもそんな怖いこと起こらへんからっていうのを常にやってくれると,私の日に寝てくれたりとか.そういう,なんやろうな,こう,うーん,やってきたことが,こう,報われた感じはあります,いつも.(2回目,35頁)

ALS患者は病気の進行に伴い,終日ベッド上で過ごすことを余儀なくされるがゆえに夜間睡眠が妨げられることが多い.そのため患者は「寝たいのにどうしたらいいかわからん」「この悩みをどこにぶつけていいかわからん」状態であるがゆえに,何度もコールを鳴らすのだとB看護師は捉えている.

B看護師は,このような状態にあるALS患者に対して「うまく,こう,してあげる」という.それは言い換えると,「患者さんのことわかってるよ」「私が一番わかってるからね」と応答することである.この「わかってる」は,患者が「わからん」状態にあることに対する応答になっている.「わかってる」ということは,具体的には,B看護師が,「何時に眠剤使って」「足が痛いから,先に痛くなる前に薬塗っとこうか」と提案し,それらの援助を行うことによって示される.「じゃあ」という言い方からは,これらの提案が,眼の前の患者の状態に応じたその都度のものであることがわかる.B看護師の「わかってる」は,言語で伝えられるのではなく,その時々の患者の状態や状況を考慮した援助という行為によって示されている.

「そういう,なんかこう」に続く部分は,それらの具体的な行為を通じて伝えられる全体的な意味を示している.つまりそれらの行為は,「わかってるよ」「安心して大丈夫」「なにもそんな怖いこと起こらへんから」という語りかけとしての意味を持つ.単に不眠や疼痛への薬剤の使用による対症看護だけでなく,それが同時に患者の訴えに対する応答でもあるとB看護師は認識している.

ここで「やってくれる」という言い方は,これが患者の視点での受け止め方として語られていることを示している.このような応答は,その都度のさまざまな行為が繰り返されることを通じて「常に」なされているものと受け取られる.患者が「寝てくれたり」する,すなわち,患者がその間コールを鳴らさなくなるのは,こうした受け止め方のひとつの結果である.

B看護師はこの時,自身が「やってきたことが,こう,報われた感じ」がするという.ここでは,患者が寝ることだけが重要なのではなく,B看護師にとって,「いつも」「報われた感じ」があるということが重要である.B看護師は,コールが頻回な患者への具体的な対応策,および,夜間にコールが頻回な患者に対する入眠・睡眠の援助だけについて語っているのではない.それらを含んだより大きな枠組みとしては,関わりが困難とされるALS患者に対してどのように肯定的に看護ができるか,について語っていると理解することができる.

2) 性格やからまた押してるじゃなくて,いったん自分の中で飲み込む

B看護師は,頻回にコールするALS患者についてどのように捉えているのか,そして,どのように関わるべきかについて,次のように自身の考えを語った.

今一人ちょっとALS発症して2カ月ぐらいで,もう呼吸器つないでる患者さんがいるんですけど,あの,その患者さん,まあ,ナースコールもほんまにもう3分に1回ぐらいずっと鳴ってるんですけど.で,そのときは,いや,みんな,なんでこんな鳴らすんみたいな.もうそんなずっとは行かれへんって言うんですけど,まあ私もそれは思いますけど,ほんまになんで何回も鳴らすんかって.(2回目,37頁)

その,3分ごとに押すから行って,はいはいって言って出るとか,それってなんの看護でもないし,じゃあそうなってること自体がもう病気じゃないですか.それをなんかこの人の性格やと思って接するんじゃなくて,ああ,今この人は,こう,ALSっていう病気にかかって,押したくない,でも,不安がある.なんかもう息がしんどい気がする,どうにかしてほしいと思って押してる気持ちを,最初に性格やからまた押してるじゃなくて,いったん自分の中で飲み込んで,じゃあ自分やったらどうしてほしいんかなっていうのをやっぱ考えるのが,まあ当たり前やと思うんですけど,なかなかその当たり前ができない現状がある.どこの病棟でもあると思うので,その,それを思ってるか,思ってへんかで全然違うと思うんですよ.なんか,うーん.そういうふうに思わんと,あんな性格やから,またナースコールばっかり押して,みたいなじゃなくて,病気やからねって.その人自体のじゃあなにが不安で押してんのか1回聞いてみよっていうふうに思ってほしい,みんなに.(2回目,39頁)

B看護師は,一人の重症ALS患者の例を出している.この患者は,日常生活行動は全介助で,呼吸器装着による失声や言語障害の悪化によりコミュニケーションが図りにくい状況であった.その患者のコールは「3分に1回ぐらいずっと鳴ってる」.この患者に対する看護師たちの疑問は,「なんでこんな鳴らすん」「ほんまになんで何回も鳴らすんか」ということだ.看護師は「もうそんなずっとは行かれへん」のであり,患者が看護師の事情を無視して鳴らすのは「なんで」なのか,ということだ.この疑問に対する一つの答えは,その人の「性格やから」というものだ.

これに対して,B看護師は,ALS患者が「そうなってること自体」「病気」だと捉えている.「そうなってること自体」とは,「押したくない,でも,不安がある.なんかもう息がしんどい気がする,どうにかしてほしいと思って押してる」状態,すなわち,患者は「押したくない」けど押さざるを得ない状態にあることを指している.これを性格と捉える場合は「この人」「性格」が直接結びつけられるのに対して,病気によるものと捉えることによって,3分ごとに押すことは「この人」から区別されている.

「最初に性格やからまた押してるじゃなくて」「いったん,自分の中で飲み込んで」は,対比の形で語られている.「最初に」という言葉があるように,「性格やからまた押してる」とは,患者の頻回なコールに対して“瞬時に”反応した看護師の捉え方である.B看護師によると,その捉え方を抑えて,「いったん自分の中で飲み込」むことが必要である.そうすることで,「じゃあ自分やったらどうしてほしいんかなっていうのをやっぱ考える」ことが可能になる.

考えることなしに対応する仕方は,3分ごとに「押すから行って」「はいはいって言って出る」と言われていた.しかし,それは「なんの看護でもない」とされる.このこととの対比で言われる「当たり前」とは,看護師として当然やるべきこととしての「当たり前」である.

しかしB看護師は,この「当たり前」「できない現状」「どこの病棟でもあると思う」と言う.この現状の背景や理由などについて具体的なことは語られてはいないが,B看護師は「それを思ってるか,思ってへんかで全然違うと思う」と述べている.「それ」とは,ALS患者が何度もコールするのは「性格」の問題ではなく,「病気やからね」と捉える見方のことだ.ここでの語りからすると,頻回なコールが病気だからだと捉えることは,「その人自体のじゃあなにが不安で押してんのか1回聞いてみよ」と思うことにつながる.

Ⅵ. 考察

神経難病患者への看護に関する困難についてはさまざまな要因が指摘されているが(安東,2015安東ら,2009bEdwards & Scheetz, 2002渡辺,2005),患者からの頻回なコールはその要因のひとつである.本研究でも,患者の頻回なコールへの対応は,特に困難を感じる場面として語られた.そのような場合に看護師は,患者に対する怒りを覚えたり,無力感を感じたりしていた.このような看護師の反応は,先行研究にも示されている.畠山ら(2016)は,自記式質問紙により,看護師が怒りを感じた場面と患者に対する行動,怒りを抑制した理由等を調査している.これは特に看護師や患者を特定した調査ではないが,怒りを感じた場面で多かった項目に「同じ患者からの頻回なナースコール」があり,頻回なコールが看護師の怒りにつながりうることが示されている.千葉ら(2019)は,筋ジストロフィー患者を看護する看護師へのインタビューから,困難のひとつとして【看護師が部下のように扱われ自分の思い描く看護ができない葛藤】を挙げ,その中で,意思疎通の難しい患者に目を向けなくてはならないのに,そうではない一部の患者のコールが多いことに対する葛藤を述べた語りを示している.

コールの頻回な神経難病患者に対し,どのようにして積極的な対応が可能かを示した文献は少ないが,直井(2013)は,頻回なコールのある患者(頚椎後縦靭帯骨化症・多系統萎縮症)への看護実践事例を示している.直井は,頻回なコールや細かい訴えにスタッフが不満や行き詰まりを感じていたある患者について,患者の思いを知りそれに沿ったケアを心掛けたことで,スタッフにも患者にも変化があったとしている.具体的には,コールで訴えの多い内容を把握し,時間を見計らって声をかけてそれらのケアを実施する「先回りのケア」等により,良眠が可能になりコール回数が減ったという.

本研究のB看護師の語りでも,コールの頻回なALS患者への肯定的な関わりによって,「私の日に寝てくれたり」する,つまり,その間に患者はコールを鳴らさなくなることがありうることが述べられている.ここではさらに新たな論点として次のことが示唆される.すなわち,(1)患者の気持ちより前に,看護師がその人をどう捉えるかが問題となりうること,また(2)看護ケアが患者の状態への対応であると同時に患者の呼びかけに対する応答でもあるという二重の意味を持つものでありうること,である.以下これらの点について検討する.

1. 患者からの頻回なコールを病気によるものと捉え,どうしてほしいかを考えること

B看護師は,頻回にコールするALS患者について,それが“「性格」の問題”と捉えられることがあるとしていた.高橋(1991)は,「私たちが患者の性格を口にするのは,どちらかといえば,否定的な状況でのことが多いのではないだろうか.患者の不可解な行動を解しかねているときに,『患者の性格』の問題として処理してしまいやすいように思う」と述べているが,コールが頻回な場合にもこのようなことは起こり得ると考えられる.

行動の不可解さの認識は,「なんで」という疑問を引き起こすが,これに対してB看護師は,頻回なコールを「病気」だから仕方ないものとしている.これは患者の行動をその人自身ではなく外部に帰属させることだ.外部帰属は,その行為や出来事の責めをその人に完全には負わせないことを意味する(Heider, 1958/1979).そしてこの場合,患者の行動は,その人の性格によるのではなく,病気という前提を置くことによって理解可能なものとなるはずだと考えられている.「性格だから」と言ってしまえば,患者は自分とは違うものとして切り離され,理解できないままになるが,「病気だから」はそれとは逆に,病気だったらどうなるかという理解の可能性が開かれる.

直井(2013)は,コールの頻回な神経難病患者に対する「先回りのケア」について,考察で「A氏〔患者〕の訴えは決して特別ではなく人間として当然と思われる要求であり,その事を理解し先回りのケアを提供した」として,患者の要求に対する捉え方の変化が前提にあることを示唆している.本研究の結果も同様に,患者の要求をどのようなものと捉えるかが看護師のケアの姿勢に関わっていることを示しているが,その捉え方の違いは「性格」「病気」という形で示されている.つまりこれは患者の思いや要求だけでなく,その人をどう捉えるかということにつながっている.

2. 患者からの具体的な要求の対応と同時に呼びかけに対しても応答すること

B看護師は,「病気」ということを踏まえて捉えた患者の気持ちを「悩み」「不安」「どうしたらいいかわからん」「どうにかしてほしい」等と表現している.コールは普通,こうしてほしいという具体的な要求があって押されるものだと思われるが,ここでコールはそれに加えて,患者の気持ちの表現としても理解されている.このような気持ちで鳴らされるコールは,文字通り看護師への呼びかけであり訴えであると言える.頻回なコールを単に「性格だから」と見ることは,コールが看護師への訴えであることを無視することになり,それに応答し損ねることであるだろう.看護師は,単にコールのたびに病室に行くだけではなく,自分だったらどうしてほしいかと考えなくてはならない.

「どうしたらいいかわからん」「どうにかしてほしい」という呼びかけに対して,B看護師がしていたのは,「わかってるよ」「安心して大丈夫」「なにもそんな怖いこと起こらへんから」と応答することであった.このときB看護師の患者への応答は,単に言葉で返されるのではなく,睡眠剤の提案や足に塗る薬の提案など,具体的に患者に働きかけることを通じてなされていた.したがってこれらの行為は二重の意味を持つ.すなわち眠れないことに対する個々の提案や働きかけであるというだけでなく,それらが同時に,患者の呼びかけに対する「大丈夫」等の応答としての意味を持つのである.

これらの具体的な提案は,看護師が実際に日々患者のことをよく見て,患者のことやそのニーズが「わかってる」ことを前提としてはじめて可能なものであるだろう.患者にとってその都度必要と思われる提案をしたり具体策を講じたりすることなどを通じて,看護師は本当に「わかってる」「安心して大丈夫」ということを患者に伝えることができる.

先にみた直井(2013)は,神経難病患者の思いを知ることと,その上で行われた具体的な行為レベルでの対応について示しているが,それらのケアがどのような意味を持ちうるかについては述べていない.具体的なケアの行為が同時に患者の呼びかけに対する応答でもあるということは,他の先行文献でも指摘されておらず,本研究が現象学的アプローチにより看護師の経験に焦点を当てたことによって明らかにされたものと言える.

看護師の応答が患者に伝われば,「私の日に寝てくれたり」ということが起こるかもしれない.これは「私の日に」と言われる通り,患者が毎晩眠れるようになるという変化ではなく,個々の看護師との「対人関係」を前提として,その安心感の中で起こるのではないかと考える.早坂(1991)は「対人関係(interpersonal relationship)」について,「手段化できないそれ自体が目的にしかならない関係」,「そこでの人間のありようは,決して一般化や定型化のできない具体的な特定の人間であり,かけがえのない人格(person)としての人間である」(早坂,1991)として,「人間関係(human relations)」と区別している.B看護師は患者の一側面や看護問題だけを捉えるのではなく,患者を具体的なこの人として,人格においてみているのではないだろうか.したがって,結果で示したB看護師の関わりは,必ずしもそれ自体が,患者が眠れない等の問題を一気に解決すると期待されているわけではないだろう.むしろそれらが応答でもあるということが,B看護師においては重要なこととして意識されている.

本研究におけるB看護師の語りは,ひとつの例にすぎず,ここで示されたような看護がすべての場合に可能であるかどうかはわからない.しかしここで示されたのは次のことである.すなわち,頻回なコールをするALS患者に対して,これを性格の問題とみるのではなく病気によるものと捉え,その人からみた場合にどうしてほしいかと考えることができるということである.またコールに対して,目先の具体的な要求に応えるだけでなく,同時にその患者の不安や呼びかけに対して応答することが可能な場合があるということである.これらは,頻回なコール等により困難と捉えられがちなALS患者に対する看護の可能性について,ひとつの示唆を与えると考えられる.

Ⅶ. 結論

コールが頻回なALS患者への関わりが看護師にどのように経験されているかを記述した.頻回にコールをするALS患者に対する看護について,困難を感じる看護師と,肯定的に捉える看護師がいた.肯定的に捉える看護師は,頻回なコールはその人の性格によるものではなく病気のために仕方ないこととみて,そこで自分だったらどうしてほしいかを考えることが必要だとしていた.この看護師は,患者がどうしたらいいかわからないからコールを押していると捉え,その呼びかけに対する応答として,具体的なケアを通じて,患者にわかっている,大丈夫だと伝えるという看護を行っていた.

謝辞:本研究にご協力頂きました看護師の皆様に感謝申し上げます.

利益相反:本研究に関する利益相反は存在しない.

著者資格:MHは研究の着想から論文作成まで研究全体に貢献,MK は研究デザイン,データ解釈・分析の実施,論文への示唆および研究プロセス全体への助言を行った.すべての著者は最終原稿を読み承認した.

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