日本看護科学会誌
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原著
妊娠期にがんと診断され,出産・子育てをする女性の体験
吉田 みつ子遠山 義人谷口 千絵喜多 里己
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2025 年 45 巻 p. 258-266

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Abstract

目的:妊娠期にがんと診断された女性のがん治療,育児の体験について明らかにする.

方法:2023年3月~7月に女性2名にインタビューを行い,ナラティヴ分析を行った.

結果:Aさんは乳がんのため妊娠中に抗がん剤治療を受け〔不安・疎外感・孤独感の中でお腹の子どもを心配し続けた〕.出産後は〔子どもの世話とがん治療・通院の綱渡り〕のような毎日だった.数年を経て〔今の日常がある幸せをかみしめる〕毎日である.Bさんは軟部腫瘍のため妊娠中に手術を受け〔不安・疎外感・孤独感の中で自分のがんよりも子どもを産めるのかが心配〕だった.出産後も体調がすぐれず〔子どもの世話を毎日こなすことに精一杯で自分の身体は二の次〕で,少しずつ〔子どもとの時間を大事にしながら自分の人生に目を向ける〕ようになった.

結論:がん治療による心身の不調や,通院と授乳や育児といった母親役割を担う困難は大きく,出産後の育児支援が必要である.

Translated Abstract

Purpose: The purpose of this study was to find out what women diagnosed with cancer during pregnancy experienced in their cancer treatment and childcare.

Methods: Narrative analysis was conducted in March-July, 2023 after interviewing two women who had been diagnosed with cancer during pregnancy.

Results: The following themes (in quotation marks) were identified. Ms. A underwent anticancer drug therapy during her pregnancy for breast cancer and “kept being worried about her fetus, feeling anxiety, sense of being alienated and loneliness.” After giving birth, she “struggled every day and barely managed to take care of her baby while continuing hospital visits for cancer treatment.” After several years, she “is happily enjoying ordinary daily life, which she appreciates.” Ms. B underwent surgery during her pregnancy for a soft tissue tumor. She “felt anxious, alienated, and lonely, and was more worried about whether she would be able to give birth to her baby than about her own cancer.” She did not feel well after giving birth and she “could only manage daily care of her baby, neglecting her own body as secondary importance,” but gradually began to “pay attention to her own life while cherishing time with her baby.”

Conclusion: It is extremely difficult to assume the role of mother, including breast feeding and childcare, while at the same time being an outpatient with poor physical and mental condition due to cancer treatment. A support system needs to be established for such women and their families.

Ⅰ. 緒言

晩婚化,晩産化が進行する中,第一子出生時の女性の年齢は年々上昇している.一般的に高齢出産と呼ばれる35歳以上の妊娠・出産の増加は,妊娠合併症だけではなく,妊娠と同時にがんと診断される女性の増加の背景にもなっている(北野ら,2018).妊娠中または出産後1 年までに診断されるがんは妊娠関連がんと呼ばれる(日本がん・生殖医療学会,2024).妊娠期にがんと診断された女性は,強い心理的ストレスを体験しており,妊娠の継続,がん治療の不確実さに直面し,意思決定に葛藤していること(Kozu et al., 2020)があると明らかにされている.Ives et al.(2012)は妊娠初期に乳がんと診断された流産した女性1名,妊娠中後期以降に乳がんと診断され出産した女性3名,出産後1年以内に乳がんと診断された11名の体験についてインタビューし,中絶の選択をしたことへの後悔,妊娠中の放射性検査やがん治療の胎児に与える影響への不安について明らかにした.また,Faccio et al.(2020)は,妊娠中に乳がんと診断された女性4名及び5年以内の乳がんの既往後に妊娠した女性11名を対象に,妊娠初期の妊婦健診時にインタビューを行い,治療が子どもの健康と発育に及ぼす影響に対する恐れ,自身の健康や生存に対する不安を感じていることを明らかにした.妊娠期にがんと診断された女性に対する支援においては,妊娠を中断しがん治療を行う女性,がんが進行している状態で妊娠を優先し出産する女性に対する心理社会的支援(枷場,2018),妊娠後期にがんと診断された夫婦の事例のがん治療方針と妊孕性温存についての意思決定支援のプロセスに関する事例検討(堀・泊,2023)が報告されている.また,妊娠から出産までの意思決定支援においては,医療従事者自身も葛藤を体験する中で,女性と家族,医療従事者がそれぞれの役割と責任を明確にしながらチームで共同意思決定を支援することが重要であるとされている(Hori & Suzuki, 2021).

北野(2020)によると,近年では胎児への不利益を最小限にしながら母親への最善のがん治療を行い,可能な限り出産を支援するようになってきたが,妊娠,出産,育児とがん治療を並行することの身体的,精神的な負担が大きく,療養環境や育児環境の整備が必要であると言われている.しかし,これまで妊娠期から出産までの時期に焦点が当てられている事例報告や研究が多く,出産後の育児や治療も含めて,女性がどのような体験をしているのかについては,ほとんど明らかにされていない.妊娠期がんと診断された女性にとって妊娠,出産,育児とがん治療は連続した経験であり,妊娠期からの経過,文脈も含めて捉えることによって出産後の育児や治療の経験の意味が明確になると考える.そこで本研究は妊娠期にがんと診断された女性の治療,出産,出産後の育児についてどのような体験をしているのかについて当事者の体験を明らかにすることを目的とする.妊娠期にがんと診断された女性に対する出産後の支援を検討するための資料となると考える.

Ⅱ. 研究方法

1. 研究デザイン

ナラティヴ・アプローチ(Riessman, 2008/2014)に基づく質的研究デザインとした.本研究の対象となる人はがん種や診断時期など個別事例ごとの背景が多様で,彼らの体験は文脈依存性が高い事象である.また女性にとって妊娠,出産,子育てという人生において大きなライフイベントにがんの診断,治療という現実がどのように意味づけられその後の人生を紡いでいこうとしているのかということについて,個々の体験に基づいた知を知ることは,支援に関わる医療者にとって非常に重要である.「『意味づけの行為』とは日々の出来事や自己の行動を解釈づけてまとめていく行為であり(秦ら,2017)」,当事者が語ることと深くかかわっている.「それによって生成されるナラティブは,我々が現実を自分との関連において理解する方略(秦ら,2017)」であり,本研究において当事者の体験を明らかにするにはナラティヴ・アプローチが妥当であると考えた.

2. 研究参加者

妊娠期にがんと診断され,出産,治療,育児の体験をもつ女性2名.インタビューによるネガティブな感情の想起による負担を考慮し,出産後5年以上経過し,産後うつの治療を受けていない人,インタビュー時にがん治療を受けていない人を患者会代表者等の紹介により募集した.

3. データ収集方法

非構造化面接を行い「妊娠とがんがわかるまでの経過から聞かせてください」という質問から始め,治療や出産,育児体験について自由に語ってもらった.インタビューにおいては,研究参加者に妊娠期がんの女性の支援につなげるために当事者の体験を教えてもらいたいという姿勢で問いかけるように心掛けた.データ収集は2023年3~7月に実施し,インタビューの音声はICレコーダーに録音し,一人1回90分程度であった.

4. 分析方法

分析方法はナラティヴ分析(テーマ分析)(Riessman, 2008/2014)を用いた.研究参加者個々の語りについて,1)語り全体を何度も読み,語りを意味の区切りごとに要約,2)研究参加者ごとに,何が語られたのか,ストーリーを維持したまま,出産前,出産後のがん治療,育児の体験に焦点を当てて,文脈を維持しながら小テーマをつけた.小テーマ間の関連,文脈を検討して中テーマへと集約し,さらに妊娠中と出産後の体験を表すテーマへと集約した.研究メンバーは若年成人期のがん看護,助産・母性看護学を専門とし,各々の専門性からデータの解釈を議論し,研究メンバー間で妥当性を検討した.

5. 倫理的配慮

体調不良等によるインタビューの中止/中断の保証,保育体制を整える必要がある場合には研究者が負担することを説明した.日本赤十字看護大学研究倫理審査委員会の承認を得た(承認番号2022-097).

Ⅲ. 結果

表1に研究参加者ごとのテーマを示した.文中の〔 〕はテーマ,《 》は中テーマ,【 】は小テーマ,「斜字体」は生データを表す.

表1 妊娠期にがんと診断された女性のがん治療・出産・子育ての経験のテーマ

Aさん Bさん

1.〔不安・疎外感・孤独感の中でお腹の子どもを心配し続ける〕

《妊娠中のがん治療可能な病院を求めて孤軍奮闘する》

《外見からは理解されないがん治療を受ける妊婦の辛さ》

《とにかくお腹の子どもが心配で,不安から逃れるようにして過ごす》

1.〔不安・疎外感・孤独感の中で自分のがんよりも子どもを産めるのかが心配〕

《自分のがんのことよりも子どもを無事に産めるのかが不安》

《妊娠とがんの両方を相談できるところを探し求める》

《普通の妊婦に紛れて出産する不安・疎外感・孤独感》

2.〔子どもの世話とがん治療・通院の綱渡り〕

《がん手術後の痛み,創部離開のリスクの中での必死の授乳》

《思うように新生児の面倒をみてあげられない思いを持ちながらがん治療を受ける》

2.〔子どもの世話を毎日こなすことに精一杯で自分の身体は二の次〕

《手術後の体力が戻らない中での一人の子育て》

《長時間かけて通院しても,小さな子ども連れでは検査が受けられない》

《毎日をこなすだけで精一杯,自分の身体を考えた生活はできない》

3.〔今の日常がある幸せをかみしめる〕

《自分の経験を伝えることを大事にしたい》

《子どもと喧嘩できる幸せを忘れかけている自分》

3.〔子どもとの時間を大事にしながら自分の人生に目を向ける〕

《病気にならない健康的な生き方ができることを仕事にするしかない》

《がんになった経験を生かして仕事にチャレンジしたい》

*〔 〕大テーマ,《 》中テーマを表す.

1. Aさんの体験

Aさんはインタビュー時40代前半で,小学生の子どもと夫と3人暮らし.30代前半の時に妊娠と同時にトリプルネガティブの乳がん診断とされた.妊娠中抗がん剤治療3クール,出産3週後にも再開し,出産後5か月目から放射線療法を受けた.

1) 〔不安・疎外感・孤独感の中でお腹の子どもを心配し続ける〕

(1) 《妊娠中のがん治療可能な病院を求めて孤軍奮闘する》

Aさんは,がんと診断された時,がんの告知と同時に妊娠中は抗がん剤治療ができないこと,子どもをあきらめて治療に専念することが最善であるから,次の診察までにどうするか決めてくるよう医師から言われた.「頭が真っ白」だったが,これまでに2回の流産を経験し「今度こそは(産みたい)」という思いがあった.一方で「親戚や周りは諦めたほうがいい,どうするのか」というばかりだった.「色々調べて手を尽くしてもやっぱりそんな情報もっている人もいないし,医療関係者も知らない」状況で,誰からも手助けを得ることが出来なかった.周囲から【ネガティブなことばかり言われたが,不思議と子どもをあきらめるということは考えなかった】.Aさんは妊娠中のがん治療について色々調べたが,なかなか見つからなかった.治療方針を決めるタイムリミットが目前に迫っていたある日【妊娠中にがん治療を受けて出産したブログにたどり着】いた.ブログの記事に出会わなかったら,今の自分,子どもはいないと思う.

(2) 《外見からは理解されないがん治療を受ける妊婦の辛さ》

やっとの思いで探し当てた病院では【「妊娠おめでとうございます」からがん治療がスタート】した.医師から「赤ちゃんのために,まずあなたが治療をがんばらないと」と言葉をかけられ,うれしかった.妊娠5か月から抗がん剤治療が始まり,妊娠8か月までに2~3週間おきに通院した.治療日に妊婦健診を設定してもらい,がん治療科で体重測定をして点滴の針を刺し,そのまま産科を受診した.健診で子どもは元気だと言われても「本当は喜ばしいはずなのに喜べない自分がいた」.産科の待ち時間の間,周囲の妊婦を見て,「周囲が幸せそうに見え,どうして自分ばかりがこんな思いをしているのか」と【点滴していない妊婦に対するうらやましさと疎外感】を感じた.「辛かったのは母親学級とか,みんな楽しそうだったんです.すごくなんか疎外感を感じたことがあって,離乳食づくりとか色々やってるんだけど,なんとなくすごく寂しい気持ちに逆になったことが」.Aさんは妊娠中も会社務めを続け,同僚は「普通に接してくれていた」が,電車などで席を譲られ,「知らない人から “これから幸せですね” と声をかけられると,自分は “抗がん剤やってる” のに」という思いがこみ上げ【はたから見たら幸せそうですねと言われるのが辛】かった.

(3) 《とにかくお腹の子どもが心配で,不安から逃れるようにして過ごす》

妊娠中の3か月間の抗がん剤治療中は,「普通,妊娠中は解熱剤さえ飲んではダメと育児書に書いてあるのに,抗がん剤をやって,お腹の赤ちゃんは大丈夫なのか」「しびれ止め,吐き気止めも飲み,痛みもあり」,【何をどう心配していいか分からないくらいお腹の赤ちゃんは大丈夫か不安】だった.Aさんは,妊娠8か月まで仕事をし,「ぼーっとしてるとなんか不安になっちゃう」ため【不安から逃れるために出産ギリギリまで予定を入れて過ごす】毎日だった.幸いにも妊娠中の抗がん剤の副作用は,2~3週間すると抜けた.主治医の紹介で同じ境遇の女性に出会い「結構,心強かった」「もともと好奇心旺盛」で,脱毛も「ウイッグで違うアレンジができるのを楽しんじゃおう」と【暗くなっても仕方がない,むしろ逆手にとって楽しんだもの勝ち】と先の見えない不安の中でも脱毛している今の逆境を敢えて利用して楽しもうとしていた.

2) 〔子どもの世話とがん治療・通院の綱渡り〕

(1) 《がん手術後の痛み,創部離開のリスクの中での必死の授乳》

Aさんは妊娠中の抗がん剤が効き,腫瘍が縮小した.妊娠36週頃に帝王切開で出産し,同時に乳がんの手術を受けた.手術・出産後に産科病棟に入院し,母児同室だった.胸と帝王切開の傷の痛みが強かったが,出産後の抗がん剤治療開始までは母乳育児を行う予定だった.ドレーンからは「ミルクっぽいのと血みたいななんか赤白みたいな感じ」のものが出てきて,「眠れないくらい痛くて,一晩中冷やしてもダメ」だった.Aさんは,「ギリギリまで我慢した」が,眠れないくらいの痛みとなった.産科の病室には母乳育児推進のポスターが貼ってあり,Aさんは母乳を止めたくなかったため,【痛み止めの点滴を受けながら授乳】した.しかし【傷口が開く危険があり,母乳育児を諦め】た.

(2) 《思うように新生児の面倒をみてあげられない思いを持ちながらがん治療を受ける》

出産後5日で退院し【子どもを実家に預けながら,出産後3週間目から抗がん剤治療を開始】した.親戚も身近にはおらず,生後2か月では保育園にも入れられず,預かってくれるところはなかった.遠方に住む実母に子どもを預け,治療のたびに実家との間を行ったり来たりした.「思うように新生児の面倒をみてあげられない辛さも重なって,毎晩泣いていた」.抗がん剤治療終了後に,放射線治療が開始すると,生後5か月の子どもを「連れていくしかない」状況だった.【真夏に子どもを連れて,毎日放射線治療に通院するつらさ】は「本当にしんどかった」.通院の電車の中で,「こんな暑い日に赤ちゃんを連れてきて」と乗客から咎められたこともあった.病院に到着すると,スタッフや患者の皆が優しかった.【子どもを病院のスタッフにみてもらったり,一時預かり施設に預けて放射線治療を受けた】.「看護師さんに抱っこされても人見知りせずににこにこ」する子どもに救われた.あまりにも自分の体調がきついときには,友達が子どもの世話に来てくれたり,生後3か月を過ぎると一時預かり施設に預けた.しかしそこは3時間くらいしか預かってくれず,走って病院を往復した.放射線治療が終了する頃に保育園への入園が決まった.

3) 〔今の日常がある幸せをかみしめる〕

(1) 《自分の経験を伝えることが大事》

Aさんは出産後1年程度経過した時に,同じ境遇の女性が立ち上げた妊娠期にがんの情報発信の場を作る仕事を手伝うことになった.自分はある女性のブログがきっかけで出産することができ,自分の経験を伝えることが大事だと思っている.

(2) 《子どもと喧嘩できる幸せを忘れかけている自分》

Aさんは子どもが小さい頃からがん関連のイベントに連れて行き,出産を諦めるように周囲から言われても産んだことも子どもに話してきた.しかし親子喧嘩になった時息子から「存在しなきゃよかった」「生まなきゃよかったと思ってるんでしょう」と言われた言葉が心に深く刺さり,「本当に,泣くほど怒って.どんな気持ちで産んだ」のかを子どもに話した.同時に「今こういう喧嘩ができる幸せというのを忘れかけている」「すごくいいことがあるのにそれを見失っちゃってる日常」があった.

2. Bさんの体験

40歳代の女性.子どもと二人暮らし.30代後半の妊娠2か月の頃,前腕部の軟部肉腫と診断された.安定期に切除手術を受け,その後治療は受けていない.

1) 〔不安・疎外感・孤独感の中で自分のがんよりも子どもを産めるのかが心配〕

(1) 《自分のがんのことよりも子どもを無事に産めるのかが不安》

安定期に入るまで切除を待った方がいいと医師から言われていたが,しこりが急激に大きくなり,早めに切除し,生検で悪性と判明した.他県の大学病院を紹介され,転院手続きや検査のやり直しや手術日の調整に時間がかかった.その間に腫瘍が目に見えて大きくなり,【このまま助からなかったらどうしよう】と不安だった.

手術前日に大学病院に入院し,手術後1週間くらいで退院した.退院後は1カ月に1回程度大学病院に通院した.出産後に抗がん剤治療を受けることを勧められたが,Bさんは子どもを預け,遠方の大学病院まで通院するのは経済的にも厳しかった.【出産後の抗がん剤治療は受けないと決め,お腹の子どもにがんが影響しないことだけを願い】ながら妊娠中を過ごした.妊娠中のBさんは,がんの進行や病状も心配だったが,それよりも「子どもに影響したらどうしようということのほうが多くて,どっちかっていうと子どもに対するものを調べているというか.何か月までお腹にいれば間に合うんだろうかとか,最悪の事態を考えるというか,がんのことというよりは.赤ちゃんがなんとか出産できるところまでがんが影響しないかとか」が心配だった.

(2) 《妊娠とがんの両方を相談できるところを探し求める》

Bさんは,手術後の抗がん剤治療は行わないと決めたことで,その分,がんに効果があるものを自分で調べ,「前向きになることは重要だなと思って」食事療法に取り組んだ.ただ,家族もいる中で自分だけの食事を変えるわけにもいかず,値段も高いため,厳密な食事療法まではしなかった.また手術の影響で腕が使えず,調理ができなくなった.がんに良い食事について相談できるところはあっても,妊娠とがんの両方を相談できるところはなく,「身体にいいもので,かつ赤ちゃんにもよくて本当に簡単にというのは,まずない」「それが多分一番苦労したかもしれない」と思った.

(3) 《普通の妊婦に紛れて出産する不安・疎外感・孤独感》

腫瘍を摘出した左腕は「腕の厚みが半分になるくらいまで」切除され,【かろうじて半分残った腕のリハビリをしながら出産を迎え】た.皮膚移植のために切り取った腹部の傷が,妊娠後期になるにつれてどんどん薄く伸びて広がり,痛痒かった.腕は,今でも力が入らず,感覚がない部分もある.Bさんは当時のことを「経験がある方とつながれたらもっと楽だった」「当時はSNSもしてなかったし本当に社会から隔離されてる状態」だったと振り返った.医師から手術後は安静に過ごすように言われ,「妊娠中の時から家族以外とほとんど会うこともなくなってしまったので,それが一番ちょっと孤独だったなと思います.あのときに誰かとしゃべれてたり,ちょっとでも誰かと話せる機会とかがあればもう少し気持ちも楽だった」と思った.

手術後,1カ月に1回程度高熱が出ることがあり「ずっと体力が戻ってきていない中での出産」を迎えた.医師からは大学病院での出産を勧められたが,家庭の事情もあり地元の個人病院で出産した.【地元の病院でがんであることを伝えるが何も触れられない】まま,「(がんと妊娠は)別々のもの」として対応され.「ただの普通の妊婦さん」と区別されることなく出産し,自宅に戻った.

2) 〔子どもの世話を毎日こなすことに精一杯で自分の身体は二の次〕

(1) 《手術後の体力が戻らない中での一人の子育て》

Bさんは出産後も高熱が出ることがあったが,子どもを預けるところがなかった.当時は,子育て支援に関する行政の情報を探すことすら思いつかなかった.がんの「手術をしたからということではなく,子育てに悩む」ことがあったが,頼るところはなく「一人で,結構,育てていた」.初めは母乳育児をしていたが,母乳が出なくなり粉ミルクに変更した.Bさん自身は「ただちょっと,それは多分病気(がん)とは関係ないと思うんですけど,ちょっとストレスで母乳が出なくなって」しまったと思っている.子どもの健診時に保健師が話を聞いてくれたが,「こんなものだと言われたら皆さん(子育てを)やってるからこんなものなのかなって」思った.しかし,今から思うと「もうちょっと相談できたり,物理的に助けてもらえるようなことがもうちょっと分かっていれば,私もあのとき大変じゃなかったかな.」と語った.

(2) 《長時間かけて通院しても,小さな子ども連れでは検査が受けられない》

Bさんは,出産後,月1回から3カ月に1回のペースで片道2時間かけて大学病院に通院しなければならなかった.子どもを連れて自家用車や電車とバスを乗り継いで通院した.「せめて保育園にいけるくらいの年齢になっていればよかった」が,生後3カ月までの子どもを預けることは難しかった.子どもを病院につれていくと,MRやCT検査を受ける間に子どもを見ていてくれる人がおらず,検査を受けられなかった.医師に事情を話して,地元の病院で検査を受け,検査結果を大学病院に持参するようにした.しかし,かかりつけの地元の病院では,大学病院の医師が指定する検査ができず,病院を変更しなければならなかった.

(3) 《毎日をこなすだけで精一杯,自分の身体を考えた生活はできない》

Bさんは子どもが1歳の時に離婚し,子どもを保育園に預け,パートタイムで事務職として働き始めた.ますます【子育てにも余裕がなく,自分のことに割ける時間がなく,どんどん検査に行きづらく】なった.感染症の流行も重なり,子どもを連れて病院にいくこともできないため,約2年間は定期的な受診をしなかった.検査を受けに行かなければと思うものの,どんどん行きづらくなってしまった.手術の影響で,一人で子どもをお風呂に入れたり,調理もままならず,「野菜を1個切るのも大変だった」「本当に時間がない」ので【自分のからだを考えた食事なんてまず取れない】.「本当に一番お昼ご飯がおろそかになったりとか,家族がいない分,日中子どもと2人きりだと本当にお昼ご飯って正直な話カップラーメンを食べるのが精いっぱいのときもある」.Bさんは,感染症の流行が落ち着いた時期に久しぶりに大学病院を受診し,以後は受診はやめ,「自分で管理」することにした.「今は子どもが(保育園に)行っている間に(大学病院に)行けなくはないけれども,やっぱりちょっと,子どもと離れて受診するのは気持ちが落ち着かなかった.」

3) 〔子どもとの時間を大事にしながら自分の人生に目を向ける〕

(1) 《病気にならない健康的な生き方ができる仕事をするしかない》

Bさんは離婚後,住むところも探さねばならず,育児を考えると正社員として働くのは難しかった.「子どもを見ながらなるべく子どもとの時間を取りながら長く保育園に預けなくてもできる仕事を模索」した.そして,結婚前までの経験をもとに「もし自分ができることがあればやってみようかなという決断」をし,からだに良い食品を開発・販売する会社を立ち上げることにした.「ここで決断しないと多分というのはすごいあって,それはいろんなものが重なったおかげやったんですけど,家も職もなくすというちょっと危機に迫られて」「何かきっかけに変えないとこのままでは悪循環だな」と感じて至った決断だった.

(2) 《がんになった経験を生かして仕事にチャレンジしたい》

Bさんは「自分の(がんになった)経験を生かせられたらいいな」という思いがあったが,「普通に働いてると本当になかなか自分の体にいいものも摂取することがやっぱり難し」い生活になってしまうジレンマがあった.働くと,「本当に時間が制限されてしまって,食にこだわることすらもできなくて,そういうのもあってこのままだとまた昔のような生活スタイルになってしまうと,また病気が発覚する可能性もあるじゃないか」という気持ちがあった.そして自分ががんになって食事療法をしたときに,食べることに楽しみがないなと思ったことも思い出し,「楽しく」をモットーに有機野菜を用いた食品を開発・販売することに決めた.がんであることを公表するとネガティブな印象を持たれるかもしれないと心配したが,同じ病気の人から声を掛けられ,励まされることにも驚いた.「あの本当に小さい小さい輪ですけど,普通の企業さんとかと比べたら本当に規模がだいぶ小さいんですけど.ただ家族の時間も大切にしながら自分の人生も大切にしたいというのは,病気をしたからこそ思えたことだったので,だからこそチャレンジしたのかなということはありました」と語った.

Ⅳ. 考察

Aさん,Bさんから導き出したテーマより,1.妊娠期にがんと診断され,治療,出産,育児を体験した女性の不安,孤独感,疎外感,2.母親役割を担いながらがん治療を並行する危うさ,の2点について考察する.

1. 妊娠期にがんと診断され,治療,出産,育児を体験した女性の不安,孤独感,疎外感

がんは,治療法の進歩が目覚ましいとはいえ,人々に死を意識させる.妊娠・出産・育児というライフイベントは,女性にとって母親になることへの喜びや不安,心身の不調,日常生活における不便,無事に出産できるのかという不安等をもたらす(添田・上田,2017).女性にとって,妊娠,出産とがんの診断を同時に受けることは,妊娠の喜びと不安と同時に,自身の命のみならずお腹の子どもの命を脅かす事態に直面する非常にストレスフルな体験であると考えられる.一般的に,がん告知を受けた人は衝撃や否認,絶望感を経て不安,抑うつ等が生じるも2週間で軽減し現実の問題に直面し順応し始める(Holland et al., 1990/1993)傾向にあるが,本研究の参加者は,がんと診断されてから出産するまでの間,【何をどう心配してよいかわからないくらい】の不安,自分も子どもも【このまま助からなかったらどうしよう】という不安が持続していた.Faccio et al.(2020)は妊娠中に乳がんと診断された女性4名に妊娠初期の妊婦健診時にインタビューを行い,治療が子どもの健康と発育に及ぼす影響に対する恐れ,自身の健康や生存に対する不安を感じていることが明らかにしたが,本研究の結果から彼女らの不安や恐れは出産まで持続するものと言える.自身のがんのために治療を行うことが子どもにとっては不必要な薬物や負荷を与えることになる.一方でがん治療を受けなければ子どもを産み育てることも叶わないという,自分の命か子どもの命かという二者択一ではなく,自分と子どもの二つの命を守ることを選択したがゆえの葛藤,子どもに対する罪悪感が不安に入り混じっているものと推察する.

研究参加者が体験していた疎外感や孤独感の背景には次の特徴があったと考える.健康問題を抱えていない妊婦と自分を比較して自分だけが異質と感じること,がんと妊娠の両方を理解してもらえていない態度を医療者にとられること,新生児を預ける所がない中で体調不良を抱え思うように育児ができない辛さである.妊娠期と同時にがんと診断され,治療,出産,育児を体験する女性は,若年成人期のがん患者としても少数派である上に,妊娠,出産,新生児の育児と治療を同時に行う経験を分かち合う仲間に出会うことは容易ではない.彼女らは自分の体験を理解してもらえる場が少なく,同じ境遇の女性と出会う機会の提供や妊娠期から産後の育児と治療までの長期的な視点から不安,孤独感,疎外感等の心理的側面への関わりが必要である.

2. 母親役割を担いながらがん治療を並行する危うさ

Aさん,Bさんの出産後の育児と治療について,「子どもの世話とがん治療・通院の綱渡り」「子どもの世話を毎日こなすことに精一杯で自分の身体は二の次」というテーマが抽出された.出産直後の母親の育児は,子どもの生活リズムに合わせた授乳など,妊娠前の生活とは異なるものであり,そこに自身の生活を適応させることは大きなストレスを伴う.Aさん,Bさんともに,出産後の抗がん剤,放射線治療による有害事象や妊娠中の手術による機能障害,心身の不調の中で,新生児の育児を担っていた.抗がん剤,放射線治療による有害事象を緩和する薬剤の開発が進んでいるものの,副作用に対応しながら育児を行う困難さは計り知れない.自身の体調不良のために思うように子どもの世話をすることができないことに対して,母親としての役割を十分に果たせないという辛さを体験していたと考えられる.永見(2019)は,産後,特に産褥期以降の乳幼児の育児にあたる時期の母親の不調・疼痛の実態として,頸部・肩・手首・膝関節の疼痛保有者は産後有意に増加し,痛みの出る動作は抱っこ,抱っこ紐の使用,授乳などで,育児に必要な動作が多く選択されていたと述べている.また,最も疼痛の強い時期は子どもの定頚前が最多で,次いで出産直後であった.Aさんは出産後3週間で抗がん剤治療を再開していたが,一般的に子どもの首が座る時期までは(約4~5カ月)育児不安や不調が強い時期である.母親役割を果たすことに必死に向き合い,生後半年に満たない子どもを預かってくれるところがない中で,出産後のがん治療,通院をすること,がん治療と新生児の育児の両立を図ろうとするのは,まさに綱渡りである.空中に張ったロープの上で,容易にバランスが崩れてしまう危険の中で生活していたものと考える.周囲からのサポートを得ることが難しかったBさんは,妊娠中から出産後の抗がん剤治療は受けないという選択をしており,また出産後の外来受診を中断していた.乳幼児をもつがんサバイバー女性は,治療よりも子どもが優先になり(中山ら,2020),部分切除術を受けた乳がん女性のうち,7歳以下の子どもを養育する女性は,放射線療法を併用しなかった割合が最も高かったことが明らかにされている(Pan et al., 2020).妊娠期がんの女性の治療方法の選択や受診行動もまた,乳幼児の子どもを育てることに影響を受けると考えられる.

またAさんは出産後《がん手術後の痛み,創部離開のリスクの中での必死の授乳》を行い,Bさんは《手術後の体力が戻らない中での一人の子育て》をして,母乳が出なくなるという体験をしていた.妊娠期乳がんと診断された女性が妊娠中に母乳育児に対する不安を抱いていること(Faccio et al., 2020),また乳がん治療後に妊娠・出産した女性が,がんゆえの授乳する恐怖と諦めを抱いていることが明らかにされている(桶作・田淵,2019).母乳育児を行うことができることが母親としての役割において一つの象徴的な行為として受け止められ,母乳育児ができないことが母親役割を遂行できないという罪悪感につながる可能性もあると考えられる.

Aさんは家族のサポートや同じ境遇にある女性との出会いを経て,自身の体験を〔今の日常がある幸せをかみしめる〕ようになった.Bさんは子どもを育てながら健康でいられる生き方を模索し〔子どもとの時間を大事にしながら自分の人生に目を向ける〕ようになった.この過程では,出産後の治療,子育ての困難さとともに,子どの存在が支えとなってきた(橋爪ら,2016)と推察されるが,Aさん,Bさんのように本人と家族の自助努力による対処だけでなく,妊娠期にがんと診断された女性の出産後の育児支援まで視野に入れたサポートが重要である.

Ⅴ. 看護実践への示唆および本研究の限界と課題

本研究によって妊娠期がんと診断された女性の抱く長期間持続する不安,孤独感,疎外感を緩和するような支援,出産後の治療と育児の困難さを見通した支援を妊娠時から整えることが重要であることが示唆された.ただし,本研究はがんと診断された妊娠期から出産後の限定された期間の治療と育児の体験であること,またインタビューアーの問いかけ,相互作用の中で語られたものである.今後さらに長期的な体験についても明らかにしていく必要がある.

付記:本研究は第44回日本看護科学学会学術集会においてポスター発表を行った.

謝辞・研究助成:本研究のインタビューにご協力くださった皆様に心よりお礼申し上げます.本研究は科学研究費補助金(基盤研究C)20 K10741の研究成果の一部である.

利益相反:本研究における利益相反はない.

著者資格:MYは研究の着想,データ収集,分析,考察の研究プロセス全体に貢献した.YTはデータ収集,分析に貢献した.CT,SKはデータ分析に貢献した.すべての著者は最終原稿を読み承認した.

文献
 
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