2025 年 45 巻 p. 444-453
目的:重症心身障害児(者)の母親が,わが子の施設入所を考え始めてから入所中の現在に至るまでの心理的プロセスを明らかにする.
方法:施設入所している重症心身障害児(者)の母親26名に半構造化面接を実施し,グラウンデッド・セオリー・アプローチを参考に分析した.
結果:施設に託しても《わが子を守る母親としての責任はかわらない》というプロセスだった.【わが子を守る母親としての責任】を根底に【わが子を守れない不安】【わが子を施設に託すかどうかを考える】【施設のことは考えてもいなかった】【わが子を施設に託さざるを得なかった】等の11のカテゴリから形成された.またプロセスには,わが子を施設に託すことの葛藤や苦悩が存在していた.
結論:母親が現在プロセスの中のどの様な心理状態であるのか理解しながら母親の思いに耳を傾け,ありのまま受け止めることが重要であることが示唆された.
Objective: To clarify the psychological process experienced by mothers of children (patients) with severe motor and intellectual disabilities, in institutions from the time they began to consider institutionalization for their child up until the present day.
Methods: Semi-structured interviews were conducted with 26 mothers of children (patients) with severe motor and intellectual disabilities currently institutionalized, and analysis was conducted referring to a grounded theory approach.
Results: The process of entrusting their children to an institution “did not change their responsibility as mothers to protect their children.” Based on “the responsibility as mothers to protect their children,” 11 categories were formed, including “anxiety about not being able to protect their children,” “thinking about whether to entrust their child to an institution,” “not even considering institutionalization,” and “having no choice but to entrust their children to an institution.” In addition, conflict and anguish regarding entrusting their children to an institution were also present in this process.
Conclusion: The results suggested that it is important to listen to the mothers’ thoughts and accept them as they are, while at the same time, understanding the current nature of the psychological state of the mothers in the process.
全国の重症心身障害児(者)(以下,重症児(者))数は,51,143人と推定され,その対人口比(0.004%))は微増している(松葉佐,2015).全重症児(者)の内,在宅生活する者は35,289人(69.0%),施設入所者は15,854人(30.9%)と推定(松葉佐,2015)され,在宅生活する重症児(者)の割合が多い.また在宅で医療的ケアの必要な児童(文部科学省,2016)や人工呼吸器等の高度医療を必要とする障害児も急増している(田村,2019).重症児(者)は,医療の進歩と介護の改善(倉田,2007)により,今後高度医療化・高齢化となる可能性がある.
重症児(者)の在宅生活を支える主な介護の担い手の多くは母親(田村,2019)である.母親は,わが子の障害を受容する過程の中で,子の人生や障害やケアに対して全面的に引き受けていこうと意識(牛尾,1998;中川,2003)し,わが子の生の意味付け(涌水ら,2009;田中,2010)や母親自身の人間的成長(牛尾,1998)を認識していくと報告されている.これら結果から母親は,わが子との絆を深めていると推察される.
在宅重症児(者)の親を対象とした生活実態調査によると,可能な限りわが子と在宅生活を続けたい(75.9%)と回答している(神奈川県重症心身障害児(者)を守る会,2011).一方,大半の親は,高度医療化した子どもの介護困難や自身の加齢や健康問題,親亡き後のわが子への不安などを抱え,約8割の親は将来的にわが子を重症心身障害児施設(以下,施設)へ託すと考えている(神奈川県中央児童相談所,2011)事が報告されている.一方施設入所の待機者数は3,703人(社会福祉法人日本重症心身障害児(者)を守る会,2012)と推定され,容易には入所できない状況である.待機者の内,1/3の親は今すぐ入所させたいと回答している.つまり母親は可能な限りわが子と一緒に過ごしたいと願う反面,自身の加齢による介護力低下や健康問題や親亡き後等のことを考え施設入所を決断していることが推測される.わが子の施設入所は,複雑な心理状態下にある可能性がある.
重症児(者)の施設入所に関する母親の先行研究は,施設入所の際(藤原,2003;伊藤ら,2016)又は施設入所した後の親の思い(深海ら,2000;飯室ら,2000;伊藤ら,2016;松澤・山口,2021)を報告しているのみである.施設入所を考え始めてから施設入所した現在までの母親の心理状態に関する研究は,報告されていない.そのため,母親の心理状態を充分理解できていない可能性があり,どのような支援が求められているのか明らかでない.それ故,母親の心理状態を理解するための第一歩とし,施設入所前後の一連のプロセスに沿ってどの様な心理状態なのか明らかにすることが重要と考える.
施設入所している重症児(者)の母親が,わが子の施設入所を考え始めてから施設入所中の現在に至るまでの心理的プロセスを明らかにすることを目的に研究を行った.経過を追って母親の心理状態を明らかにすることにより,在宅や施設で働く看護師等の専門職者が,母親を理解し支援するための資料になると考える.
母親の心理的プロセス:わが子の施設入所をどの様に考え始め,施設入所中の現在に至るまでの気持ちや思いが進行する一連の過程.
質的因子探索型研究
2. 研究対象者便宜的サンプリングで協力の得られた施設長から研究対象候補者の紹介を受けるとともに,スノーボールサンプリング法にて対象者を募った.
契約で施設入所している重症児(者)の母親のうち研究協力が得られた者とした.
3. データ収集方法Strauss & Corbin(1998/2004),Corbin & Strauss(2008/2014)によるグラウンデッド・セオリー・アプローチ(以下,GTA)を参考にデータ収集と分析を行った.
インタビューガイドを用いた半構造化面接を実施した.面接は,対面以外に,オンラインや電話を設け,対象者の希望に沿って実施した.面接内容は,わが子の施設入所をどのように考え始め,施設入所中の現在に至るまでの気持ちや思いについて,経過を追って聴取した.面接を実施した研究者は,在宅重症児(者)とその家族の支援や研究経験を有している.そのことによるバイアスが生じないように自身の言動に注意しながら実施した.研究対象者の選定は,理論的サンプリングを続け,飽和したと判断した時点で3名追加した.データ収集期間は,2021年1月から2022年6月であった.
4. 分析方法分析は,面接内容を逐語録に起こし精読し,施設入所に関する母親の心理状態を表すデータを特性や次元の観点から,概念(コード)を一つひとつ引き出した(オープンコーディング).軸足コーディングとして,コードの次元や特性が類似しているものをまとめ,抽象度を上げた命名を行った.そして,段階的にサブカテゴリ,カテゴリとしていった.選択的コーディングとして,これまで作られてきたカテゴリ間の全容をまとめ,コアカテゴリの生成を行った.最後にカテゴリ全てを使って関係を図で表し,その内容をストーリーラインとして記述した.
分析結果は,関係を表す図(図1)を用いて説明し,研究対象者7名のメンバーチェッキングを受けた.
本研究は,群馬県立県民健康科学大学(県科大倫第2020-23号,2021-24号)及び研究対象施設の倫理審査委員会の承認を受けて実施した.研究対象者には,文書を用いて研究協力の任意性と撤回の自由等説明し署名による同意を得た.
本研究は,4県にある8つの施設に契約にて入所している子どもの母親,26名に協力を得た(表1参照).
n = 26
| 対象者 | 子ども | 面接 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 平均年齢62.2(±11.7)歳(中央値65) | 平均年齢31.0(±12.0)歳(中央値34) | 平均時間104分(±36.7) | ||||
| 年齢 | 入所時の家族構成 | 入所時の就労 | 入所時の年齢 | 入所期間 | 方法 | 時間 | 
| 70代 | 夫・子ども(2人) | なし | 0代 | 20年以上 | 対面 | 99 | 
| 50代 | 夫・子ども(3人) | なし | 0代 | 20年以上 | 対面 | 177 | 
| 40代 | 夫・子ども(2人) | あり | 0代 | 5年以下 | 対面 | 105 | 
| 60代 | 義父母・夫・子ども(2人) | あり | 0代 | 20年以上 | 対面 | 95 | 
| 50代 | 義父・夫・子ども(4人) | なし | 0代 | 5年以下 | 電話 | 100 | 
| 70代 | 夫・子ども(4人) | あり | 0代 | 20年以上 | 対面 | 62 | 
| 60代 | 夫・子ども(3人) | なし | 0代 | 20年以上 | 対面 | 96 | 
| 60代 | 夫・子ども(3人) | なし | 0代 | 20年以上 | 対面 | 99 | 
| 60代 | 夫・子ども(2人) | あり | 0代 | 20年以上 | 対面 | 117 | 
| 70代 | 夫・子ども(2人) | なし | 0代 | 20年以上 | 対面 | 137 | 
| 40代 | 子ども | なし | 10代 | 5年以下 | オンライン | 188 | 
| 70代 | 義父母・夫・子ども(3人) | なし | 10代 | 20年以上 | 対面 | 69 | 
| 30代 | 子ども | あり | 10代 | 5年以下 | オンライン | 103 | 
| 40代 | 夫・子ども(2人) | なし | 10代 | 5年以下 | 対面 | 117 | 
| 50代 | 夫・子ども(3人) | なし | 10代 | 11~20年 | 対面 | 80 | 
| 50代 | 夫・子ども(2人) | なし | 10代 | 5年以下 | 対面 | 69 | 
| 60代 | 子ども(2人) | なし | 10代 | 6~10年 | 対面 | 115 | 
| 70代 | 夫・子ども(2人) | なし | 10代 | 20年以上 | 対面 | 121 | 
| 60代 | 子ども(2人) | なし | 10代 | 11~20年 | 電話 | 96 | 
| 50代 | 夫・子ども(2人) | なし | 10代 | 11~20年 | 対面 | 107 | 
| 60代 | 夫・子ども(3人) | なし | 20代 | 6~10年 | 対面 | 74 | 
| 50代 | 子ども(2人) | あり | 20代 | 5年以下 | オンライン | 73 | 
| 60代 | 夫・子ども(2人) | なし | 20代 | 5年以下 | 対面 | 46 | 
| 70代 | 夫・子ども(2人) | なし | 30代 | 5年以下 | 対面 | 193 | 
| 60代 | 夫・子ども(2人) | なし | 30代 | 5年以下 | 対面 | 67 | 
| 70代 | 夫・子ども(3人) | なし | 30代 | 11~20年 | オンライン | 118 | 
分析の結果,19のサブカテゴリ(以下,〈 〉に表示)と11のカテゴリ(以下,【 】に表示)とコアカテゴリ(以下,《 》に表示)に統合された(図1).

以下にストーリーラインを示す.
母親は,わが子の入所前において,自身の加齢・体力の限界等により【わが子を守れない不安】から【わが子を施設に託すかどうかを考える】者と【施設のことは考えてもいなかった】者がいた.【わが子を施設に託すかどうかを考える】者は,〈いずれこの子を施設に託そうと思っていた〉者と〈この子を施設に託したいとは思わなかった〉者であった.
この様な中で母親は,施設から入所できるとの打診あるいは母親自身の病気などにより【わが子を施設に託さざるを得なかった】.わが子が施設に入所するまでの間,母親は【わが子を施設に託すことに葛藤(する)】していた.それは〈わが子を手放すことをためらう〉気持ちと〈ためらう気持ちを静める〉気持ちの間を何度も行ったり来たりしていた.この様な心理状態のまま,わが子は施設に入所した.
わが子が施設入所した後は,【わが子を施設に託したことに苦悩する】.それは,〈この子への申し訳なさ〉や〈この子が居ないさびしさや虚しさ〉や〈この子のことが心配〉や〈周囲からこの子を捨てたと思われるつらさ〉だった.その様な状況から母親は,〈手放したわが子とのつながりを求め(る)〉,わが子を託した施設に通っていた.このことを通して母親は,〈施設のありがたさ〉や〈施設への不満〉を感じることで【わが子を任せられる施設かを見極め(る)】ていた.やがて母親は,時間的経過と共にわが子を託した【施設との立ち位置を見出す】.それは,〈施設を信頼する〉ことや〈施設のケアへの諦め〉を抱く反面,それでもわが子を〈施設に任せっきりにしない〉ということだった.その一方で老年期に近づく母親は,【わが子を守れない不安】が高まり【施設に託してもこの子を残して逝けない】という思いが生じる者もいた.
これらの重症児(者)の施設入所に関する母親の心理的プロセスの根底には,【絶望感に苛まれながらもこの子に全力で向き合う】日々から形成された,【わが子を守る母親としての責任】が存在していた.それは,〈わが子への使命感〉と〈離れていてもこの子との結びつきを断ち切れない〉思いだった.そして,【わが子を守る母親の責任】は,【わが子を守れない不安】を強めたり弱めたりすることに影響していた.また,施設に託すことへの葛藤や苦悩があり,【わが子を施設に託すかどうかを考える】から生じ,施設入所前後で高まり,【わが子を任せられる施設かを見極める】【施設との立ち位置を見出す】ことで徐々に和らいでいた.
以上により,重症児(者)の施設入所に関する母親の心理的プロセスは,施設に託したとしても《わが子を守る母親としての責任はかわらない》というプロセスだった.
3. カテゴリの概要母親の心理的プロセスに沿って各カテゴリの概要を説明する.カテゴリに関し,サブカテゴリと代表的なコード(以下,「 」に表示)を用いて記述した.また,象徴的な母親の語りを1行空きで掲載し,意味が分かりにくい所は( )で言葉を補った.
1) 【絶望感に苛まれながらもこの子に全力で向き合う】わが子の将来に絶望感・自責の念に苛まれたり,周囲からの差別や偏見を受けたりしながらもわが子に献身し,無我夢中でケアしていた.
(1) 〈悲観的になりこの子と死んでしまいたかった〉母親は,「この子が障害を持ったのは自分が悪いのではないか」と思うことで「一家心中ばかり考えていた」り「この子はこの先どうなっていくのだろうかと悲観的になった」ことで「この子と一緒に死んでしまいたかった」と語った.
じーっと顔見てるうちに,[中略]このまんまだったら死んじゃったほうがいいかなっていうふうに思って,思わず首絞めちゃった.したら,ほとんど泣きもしゃべりもしないような子が,ママやめてみたいなのがかーっと聞こえてきたんだね.それで,はっと我に返ったっていう感じ.たった一度だけ.
(2) 〈周囲からの憐み・疎まれつらかった〉母親は,近隣の方からの「心ない質問につらかった」り,わが子の障害が分かると親や姑から「この子を連れてくるのを疎まれた」と語った.
病気がだんだんちょっと分かったら,『この孫はうちの孫じゃない』みたいなこと言われて.[中略]よく親ん所に,孫が見たいだろうと思って連れてくるんだけど,それを連れてくる間に近所の人に見られるとみっともないっつうんですよ.
(3) 〈この子を何とかしなければと必死だった〉母親は,わが子特有の身体の緊張やてんかん発作を少しでも和らげるために昼夜問わず「自分を削って,犠牲にしてでも子どもに向き合った」り「この子を何とかしなければと必死だった」と語った.
正常,今思うと,ちょっと正常ではなかったと思うんです.この子を何とかしなくちゃいけないっていうんで,もう必死で.
2) 【わが子を守る母親としての責任】【絶望感に苛まれながらもこの子に全力で向き合う】日々から,障害を持って生まれたわが子を見るのは母親である自分でなければならない,動けなくなるまで見ていくと認識し,わが子と一心同体の様になりながら見ていこうとしていた.
(1) 〈わが子への使命感〉母親は,「障害のあるこの子の母親としての自覚」や「わが子の親としての責任」を語った.それは「動けなくなるまでわが子を見る」と語った.
自分の生き方をもう180度かえても,もういいって思ってね,仕事も3月でやめ,それから子どものためにしたのね,障害をもってるAだけのために,私はこれから母親として,うん.
(2) 〈離れていてもこの子との結びつきを断ち切れない〉母親は,一心同体の様に一緒に暮らしたことを通し,この子との結びつきを体感していた.それは,施設に入所し離れていても「わが子をいとしく思う」ことや「わが子の身に何か起きたことを察知する」と語り,わが子の身を案じていた.
Bが具合悪いとかけがしたとかっていう時は,必ず私の身に何か起こるの.[中略]だからよく親子で何か通じ合うとか,双子が通じ合うみたいな,あるんですよ.自分が何か具合悪いと,Bに何かないかな.だから,Bに何かあるかなとかって.電話して聞こうかなとかって思うんですよ.
3) 【わが子を守れない不安】母親自身の健康状態や加齢等で,わが子を自分が守れない或いは最期まで自分が守ることが出来ないことを不安に思っていた.
もうとにかく夜眠って朝までぐっすりってことはほとんどなかったから.夜中に何回も起きて様子見てっていう,そういう生活を.重心のお子さん持ってるお母さん,みんなそうだと思うんですけど.[中略]で,更年期がってそう.まだまだいけるって思ってたけど,もしかして私,もう無理かもって思った.
4) 【わが子を施設に託すかどうかを考える】【わが子を守れない不安】から,どの様にしたらわが子にとって良いか守り続けるための方策を考えていた.
(1) 〈いずれこの子を施設に託そうと思っていた〉母親は,「私がいなくても子どもが生きていくためにはどうしたらいいか考えていた」と語った.その為には,「いずれ施設に入れることを考えていた」と語った.
いずれは,入所も考えないとっていうのは,ずっとあったんです.私たちが,いつ,どうなるかも分からないし.長子,その後,次子1人産まれてるんですけど.そのきょうだいたちに面倒見てくれっていうのは,ちょっと違うしって思いながら,本人が安心して,行けるところがあるといいねって言って.入所のことはちょっと頭の片隅に.
(2) 〈この子を施設に託したいとは思わなかった〉母親の中には,他の母親から「施設の悪い情報を聞き入れたくなかった」ことやショートステイにて「施設を利用したわが子の様子から入れるのは嫌だった」と語る母親が存在した.
やっぱりショートステイも利用してると,やっぱり帰ってきてからいろいろ悪化するんですよ.本人のメンタルだったり,ちょっと皮膚のトラブルだったり.だからやっぱり『えっ』て思うこともいっぱいあったので,(施設入所は)絶対無理,嫌だって思ってたんですよ.
5) 【施設のことは考えてもいなかった】わが子を見るのは母親として当り前と思い,毎日子どものケアに必死だった.それ故,施設を知ることも預けることも,考える余裕もなかった.
子どもをどっかに預けるなんて考えたこともなかったし,余裕もないし,そういうところ(施設)があるなんていうのも,知識的にね.
6) 【わが子を施設に託さざるを得なかった】母親の病気やきょうだいの子育てや子どもを就学させるためなど,どうする事も出来ない理由によって,母親自身がわが子を見ることが出来ない,或いは見ることが出来ない可能性があるため,やむを得ずわが子を施設に入れるしかなかった.
もう施設に預けるっていう選択肢しかなかったから,うちでは(私の入院中)3カ月もおばあちゃん1人で見るわけにいかないし,これ(この子)私がもう付きっきりで面倒見て,[中略]それで病気になって見られないから,そう,もうお願いするしかなかった.
7) 【わが子を施設に託すことに葛藤する】わが子を施設に託すことのためらいとわが子を託さなければならない現実に引き戻され冷静になろうとする双方の気持ちの間で葛藤していた.この際,周囲からの否定的な言葉は〈わが子を手放すことをためらう〉を促進し,周囲からの肯定的な言葉は〈ためらう気持ちを鎮める〉を促進していた.
(1) 〈わが子を手放すことをためらう〉母親は,何十年もそばに居る「この子を離したくない」ことや幼い「この子を手放したくない」と語った.また母親は,自身の病気のため「子どもを育てられない申し訳なさ」や入所する施設の状況から「子どもを捨てるような気持ちになる」など語った.さらに母親は,施設入所を知った友人から「見捨てると言われつらかった」ことや,身内から「かわいそうと言われ苦しかった」ことや,他の障害のある子どもを育てる母親から「捨てちゃうと言われショックだった」と語った.
入れるって決まったときは,何か,夢で,子どもをおんぶして逃げてるような夢見たことがあります.だから,そういう状況だから施設にあれなんですけど,やっぱり,どこか,何か離れちゃう,っていう気持ちもあったんでしょうね,きっと.夢でそんな夢を見るっていうのは,何か,離れたくないっていうのはね.
(2) 〈ためらう気持ちを鎮める〉母親は,〈わが子を手放すことをためらう〉気持ちに対し,「自身の病気のためやむを得なかった」り「子どもを就学させるために仕方がなかった」と語った.また母親の中には,家族等の「周囲からの後押し」などがあったと語った.
私も主人の方の母にまだ入れなくてもいいって言われるかなってちょっと思ってたんですけど,意外と『もういいよ』って言ってくれて,ここって言って連れてったら,『こんないい所なら』って言って安心してくれたっていうのもあったので.
8) 【わが子を施設に託したことに苦悩する】わが子が施設入所したことで,わが子や自分自身,周囲に対し苦しんだりつらく思っていた.この際,周囲からの否定的な言葉により母親は苦悩を強めていた.
(1) 〈この子への申し訳なさ〉母親は,わが子を施設に託したことにより自分が「楽になったことの申し訳なさ」や「自分の時間をゆっくり楽しめるようになった申し訳なさ」や「きょうだいと楽しむ申し訳なさ」を語った.
(入所後)その間に2人目できて.だけど,(施設の)近くにいたら今度,私たち,こんなに楽しいことしてるのに娘はっていうすごい葛藤が.こんな楽しい,いいんだろうかって,あの子.
(2) 〈この子が居ないさびしさや虚しさ〉母親は,わが子の施設入所により「いつもいたこの子が居ないさびしさ」や「子どものことを思うと切なくなった」と語った.また,この子が「私の横にいない虚しさ」により「何をしていいか分からなくなる」ことや「1日が苦しい程長く感じる」と語った.
お姉ちゃんのために1日が動いてたような感じだったから,何をしていいのか分かんなくなっちゃった.
(3) 〈この子のことが心配〉母親は,施設に託した「子どものことがどうしているか気になる」と語った.さらに「医療的ケアがあり手がかかる子どものためなおさら心配」であったり「初めての施設だったためすごい不安だった」と語った.
入ったときはやっぱりちょっと心配じゃないですか.ずっと家にいたから.ちょっと手が掛かるから,ちょっと心配はあるけど,医療的ケアとかがあったりするから.
(4) 〈周囲からこの子を捨てたと思われるつらさ〉母親は,在宅で障害のある子どもを見ている母親や近所の人などから,「子どもを見捨てたと言われつらかった」ことや「楽をしているように思われる」ことで「親として認められない様だった」と語った.
私も学校に行っても,こう,親としてはあまり認められない親っていうかね,保護者にしてみれば,24時間預けてるわけじゃないですか.そうすると,すごく楽をしている,子どもを捨ててるみたいな,そういう感覚で見られてることは多かったです.
9) 【わが子を任せられる施設かを見極める】〈手放したわが子とのつながりを求め(る)〉施設に通う中で,わが子を施設に託して良かった思う気持ちとわが子のケア等に対し満たされない気持ちを抱きながら,託した施設にわが子を任せられるかを見極めていた.
(1) 〈手放したわが子とのつながりを求める〉母親は,託した施設に行ってわが子に「会いに行きこの子のことをしてあげたい」と語った.そして,施設での「この子の様子を知りたい」ことや施設の職員に「この子のことを教えたい」と語った.
なんかぬくもり,手を握ったり,髪の毛とかしてあげたり,何か爪を見てあげたりね,なんかなんてゆうのお世話,ね,したいなーってゆうその気持ち,お世話したいなーってゆう気持ちがあるわけ.
(2) 〈施設のありがたさ〉母親は,施設の職員が「わが子を家族のように見てくれている」ことにより,母親自身或いは家族が病気になっても「何も心配することなく療養することが出来た」と語った.そして母親は,「心身ともに楽になり子どもとゆっくり向き合えるようになった」ことで「施設は子どもだけでなくその家族にもありがたい所」と語った.
日々の繰り返しをやってくだけが精一杯だったの.そういうことから離れて,面会に行ったときに娘とほんとに向き合ってゆっくりできるっていう.それは多分施設に入ったからお互いっていうか,私ができたことかなと.
(3) 〈施設への不満〉母親は,施設にわが子に会いに行った時に「ケアの徹底がなされておらず悲しさを感じた」り「親ならばしないようなケアをしていることがある」と語った.また,母親の中には「生活よりも安全を重視している施設の対応に悲しくなった」と語った.
ここをお願いしますって言うと,初めて聞いたような返答が返ってきて.えーって.徹底されてないし,伝わってないし,癖になってないんだとか思って.
10) 【施設との立ち位置を見出す】わが子を託した施設に任せきりにするのではなく,わが子にとって必要なことは母親として代弁していくなど,施設とバランスを取りながら,自身の立ち位置を見出していた.
(1) 〈施設を信頼する〉母親は,「施設に子どもを安心して預けられる」ようになったと語った.母親によっては,「施設に全幅の信頼を置いている」ことや「この子の最期はこの施設だったら幸せ」と語った.
本当に変な話,ここで最期を迎えてもいいって思ってる.それは思ってます.病院に転院してって,それよりはここでだったら一番幸せなのかなって,思う時があるようになりました.
(2) 〈施設のケアへの諦め〉母親は,〈施設のケアへの不満〉を抱いていたが,「親の様にケアをお願いすることは無理なんだと思った」り「決まった人数の中で子どもをケアしてもらっている」と語った.
やっぱり自分の子どもを見てもらうのに,上を見たら切りがないし,全部親がしたみたいにはいかないですもんね.だって,みんないる中で職員さんの人数も決まってるし.だから,そこをちゃんと頭に入れて.
(3) 〈施設に任せっきりにしない〉母親は,〈施設を信頼する〉ようになって,〈施設のケアへの諦め〉を抱いても「施設に子どもを入れたら終わりではない」と語った.そして,「この子の状態があんまりな時は様子を見ながら施設に意見する」ことや「この子の気持ちを代わりに伝えたい」と語った.
預けたら終わりじゃなくて,もう預けてからがスタートですってゆうね,Cさんだけじゃなくてまわりにいるね,みんなに声かけて職員さんにも声かけて,うふふ.
11) 【施設に託してもこの子を残して逝けない】母親自身の加齢や体調の変化等でわが子より先に逝ってしまう可能性があり,【わが子を守れない不安】が再び高まることで,わが子を最期まで見届け全うしたいが出来ないかもしれないことを憂いでいた.
ほんとにこんな話あれだけども,一日でも先にDちゃんをしまいたいよ.Dちゃんが先に逝ってくれれば.だけども,そこまでのことっていうのはあれでしょ,分からない.うん.つらいけど.つらいけど.やっぱり,だって残しちゃ逝けないでしょ.Dちゃんを残しちゃなんか逝けないな,見届けたいなと思う.
重症児(者)の施設入所に関する母親の心理的やプロセスは,施設に託したとしても《わが子を守る母親としての責任はかわらない》というプロセスであった.本研究の母親はわが子との共有する場所や時間などの距離が変化しても,わが子の生を守りたいという母親としての責任をかわらず持ち続いていたことが明らかとなった.わが子が施設入所した後も,生活分離は親役割の終了ではなく(藤原,2017),親役割を担い継続(山田,2012;松澤・山口,2021)していると考える.山田(2012)は,子どもと離れた戸惑いや不安に対する対処法として親が親役割を施設入所後も続けることによって,これまで抱いていた子ども像から「施設生活をしている子ども像」へと再構築が行われたと述べている.施設の看護師等の専門職者は,親と一緒に子どものケアを行うなど,面会に来た母親と子どもが充実した時間を過ごせるような母と子をつなぐ(田中,2017)支援が必要と考える.
本研究の老年期の母親は,わが子より先に逝ってしまう可能性があることにより【わが子を守れない不安】が高まり,この子を残して逝けないと語った.わが子の入所後の先行研究では,母親自身が死んだ後のことを考え,どうすればいいのか先が見えない心配(伊藤ら,2016)やわが子の将来への不安(松澤・山口,2021)を抱えていることが報告されている.本研究の老年期の母親は,入所後の現在でも母親としての責任を感じ,わが子を最期まで見届けたいが,わが子を守り続けることが出来ないかもしれないというやりきれない気持ちに憂いでいた.これは,障害のある「わが子との別れ」に対峙する(児玉,2020)との記述と一部一致している可能性がある.医療技術の進歩により施設入所している重症児(者)も母親も高齢化傾向(三上ら,2015)である.入所した重症児(者)のみならず,入所した後の母親の心理を理解しサポート(山田,2012)することも重要である.そのためには,母親の思いに耳を傾け(MHクラウスら,1995/2001)否定も批判もせずに,安心して思いを語ることが出来る場所が必要(児玉,2020)と考える.肯定的な意味づけへと向かうことを支援するために,施設の職員研修等において面会に来る母親の心理状態を学習する機会を設け,母親への理解を深めることが必要と考える.加えて家族会等と連携し母親が安心して思いを語ることが出来る(児玉,2020)機会,例えば家族との交流会の場を定期的に設定し,母親の思いに耳を傾け,ありのまま受けとめることが必要と考える.
本研究の母親の心理的プロセスの特性として,わが子を施設に託すことの葛藤や苦悩が入所前から入所中の現在まで存在していた.わが子を施設に託すことの葛藤や苦悩は一時的なことではなく,入所前から現在までの経過の中で思いや出来事等によって高まることが明らかとなった.わが子を施設に託し入所させているということは,子どもの障害を作り出したと自ら考える母親において,わが子への罪の意識(深海ら,2000)をより一層強めた可能性がある.特に母親は,周囲の者からわが子の施設入所に関して「見捨てる」「かわいそう」「楽をしている」などの否定的な言葉を向けられることで,わが子を施設に託すことの葛藤や苦悩が高まっていった.このことから母親は,わが子の施設入所前後において周囲の者からの施設入所に関する言葉を敏感に捉えていると推察される.このような母親の心理状態を踏まえ,施設入所に関して否定的な言葉には留意し慎重な言葉掛けが必要と考える.一方で母親は,周囲の者からのねぎらいやわが子を施設に託すことを支持・承認するような言葉掛けにより心理的な落ち着きを得ていた.このことは,児玉(2017; 2020)が述べたわが子のケアに限界を感じながらも頑張り続けた母親にとって,許してもらったという心理と関連する可能性がある.施設入所が決まった母親には,施設入所に関して肯定的な言葉掛けが必要と考える.
2. 母親の心理状態に即した支援の必要性本研究の母親は,20年前のわが子の入所前に,体力の限界等で【わが子を守れない不安】が高まった結果,わが子を施設に託そうと考えていた.これは,わが子が幼少期の段階から将来を不安視し,追い詰められていく母親の心理状態を示していると考える.重症児(者)をめぐる支援制度は,改正や医療的ケア児支援法の施行などにより,20年前に比べ在宅生活を支える社会資源が増え,重症児(者)とその母親への支援が届き始めている状況にあると考える.しかし比較的最近わが子を入所させた30~40歳代の母親も,【わが子を守れない不安】を抱え込みながら在宅にてケアに専心していた.これは,社会資源の改善が母親の心理状態に即した支援制度に繋がっていない(田中ら,2014)可能性がある.古谷ら(2016)は,母親のQOLを高める要因として社会資源での手段的サポートだけでなく情緒的なサポートの重要性を示唆している.在宅支援に携わる看護師等は,どの様なことで【わが子を守れない不安】を抱くのか,母親の思いに耳を傾け,将来を見据えての心理的な支援(山田,2012)が必要と考える.このことを通して,母親の心理状態に即した支援制度の改善に繋がっていくと考える.
本研究の母親には,年齢や子どもの入所年数など多様な背景があった.事実に即した語りを引き出すために,現在に至るまでの気持ちや思いについて経過を追って尋ねたが,過去をさかのぼった語りの中には,現状況の影響を受けている可能性がある.また,長年にわたる入所は医療の進歩や支援体制の変化などの影響を受け,母親の多様な経験につながっている可能性がある.また,本研究を基に母親の心理状態に影響を与えた要因の解明など研究の積み重ねが必要である.
母親は,わが子の施設入所前から入所中の現在までの間,わが子を守る母親としての責任やわが子を守れない不安や施設に託すことの葛藤や苦悩の中にあった.その様な母親の支援には,母親が現在プロセスの中のどの様な心理状態であるのかを理解しながら母親の思いに耳を傾け,ありのまま受け止めることが重要であることが示唆された.
付記:本論文の一部は,第49回重症心身障害学会学術集会において発表した.本研究は,群馬県立県民健康科学大学大学院看護学研究科に提出した博士論文に加筆・修正を加えたものである.
謝辞:コロナ禍の中,本研究にご協力くださいましたお母さまに心より感謝申し上げます.お母さまをご紹介くださいました重症心身障害児施設の皆様,全国重症心身障害児者を守る会の皆様に心よりお礼申し上げます.また,本研究を遂行する際にご支援くださいました群馬県立県民健康科学大学の飯田苗恵先生,貴重な意見を賜りました廣瀬規代美先生,松田安弘先生,大澤真奈美先生に深く感謝申し上げます.なお本研究は公益財団法人フランスベッド・ホームケア財団の研究助成によって行われました.
利益相反:本研究における利益相反は存在しない.
著者資格:MMは研究の着想及びデザインの構築,研究計画の作成,データ収集,データ分析,原稿の作成など全過程を実施した.YTは研究の着想,デザイン,研究計画の作成,データ分析,原稿の作成に貢献し,研究のあらゆる側面に責任を負った.すべての著者は最終原稿を読み,承認した.