第四紀研究
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カナダ極北地域サマーセット島におけるテューレ文化期の鯨骨住居址の構築・使用・廃棄
羽生 淳子James M. Savelle
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1994 年 33 巻 1 号 p. 1-18

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抄録

カナダ極北地域東部におけるテューレ文化期の住居は, ホッキョククジラ (Balaena mysticetus) の骨と芝土, 石をおもな建築材料とすることから, 鯨骨住居 (whale bone house) ないしは芝土住居 (sod house) とよばれている. 筆者らは, 1991年夏, カナダ・サマーセット島のPaJs13遺跡 (Fig. 1) において, テューレ文化期 (ca. A. D. 1,000~1,600) の鯨骨住居址 (5号住居址) を発掘した. この住居は, a) スリーピング・プラットフォームを持たない, b) 骨角器を製作した痕跡と考えられる骨片が多量に出土した, という2点から考えて, カリギとよばれる儀礼的集会所であった可能性が高い. 本稿では, 発掘の結果にもとづき, この住居が構築されてから現代にいたるまでのプロセスを考察した. 分析の結果, 以下の5段階が認められた.
1) 住居の構築: 堆積物の観察結果から, 住居の構築にあたっては, 厚さ約15cmの砂利層 (Fig. 7の11層) を盛った上に床の敷石を置き, 敷石部の縁辺には黒色の脂肪の層 (10層; 非常に堅く, 移植ごてで掘り進めることは困難であった) をドーナツ状に敷き, その外側に芝土の壁 (9a・9b層) を積み上げたことがわかった. 10層の一部が, 敷石と9a・9b層との間にはさまれていることから, この層が, 住居の使用中に堆積したものではなく, 住居の構築時に形成されたことは明らかである. 10層には, 屋根の垂木と考えられる鯨の下顎骨や, 壁際のベンチの支柱と推定される鯨骨・石が多数埋め込まれていた. また, 9a・9b層の上部には, 7個の鯨の頭蓋骨が置かれていた. 住居の構築時には, これらの頭蓋骨からは上顎骨が突出し, 10層に埋め込まれた下顎骨とともに屋根の垂木を構成していたと推定される. 住居内から検出された多数の肋骨は, 垂木の間に渡された横木と思われる. この他に, 6個の頭蓋骨 (Fig. 6のSB1~SB6) が入口部上屋の骨組を形づくるのに用いられた. こうした屋根や入口部の上屋構造は, (場合によっては獣皮をはさんで) 芝土と石で覆われていた可能性が高い.
2) 住居の使用: McCartney (1979a) によれば, テューレ文化期の鯨骨住居は, 毎年, 秋ごとに清掃されて, 再使用されたと推測される. 夏の間, 他の場所に住んでいた人々は, 鯨骨住居に戻ってくると内部を清掃し, ごみを住居の外に捨てる. 5号住居の場合には, このごみ捨て場は, 主として入口横東側から住居外東にかけて分布する (Fig. 7の6, 5, 3層). さらに, 住居内の遺物分布が壁際に集中する (Figs. 10 and 11; Fig. 8の10層上部および2層下部) ことから考えて, 住居内のごみの一部は, 壁際のベンチの下に掃き寄せられたと思われる. ただし, 壁際の遺物の一部はごみではなく, 住居内に意図的に残されていた可能性も考えられる.
3) 住居の廃棄: Schiffer (1987, p. 87~98) によれば, de facto refuse (使用可能な道具と原材料) の量は, 住居の廃棄状況を反映する. すなわち, de facto refuse の量が少なければ漸移的・計画的な廃棄, 量が多ければ急激で非計画的な廃棄と考えることができる. 住居址出土遺物における完形品の割合は, このような問題を考える際のひとつの手がかりとなる. Table 3によれば, 5号住居址の内側から出土した完形品の割合は33.9%であるのに対し, 住居址外 (主として入口部とごみ捨て場) から出土した完形品は, 18.0%にすぎない. ここで, 住居址外から出土した遺物はすべてごみである, と仮定した場合, 両者の割合の差 (15.9%) は, この住居のde facto refuse の割合を示すと考えられる. この相違を重視するならば, 5号住居には比較的多くの de facto refuse が残されていたと解釈できるが, 比較資料の少ない現段階では断定できない. 今後, 比較資料の増加を待って, 住居廃棄の問題をさらに検討する必要がある.
4) 住居の解体: 5号住居址内から検出された鯨の下顎骨はすべて遠心側のみであり, 中央部と近心側は切断されて持ち去られていた. 住居内に, 芝土や平石などの屋根材がほとんど堆積していなかったことを考えあわせると, この住居は, 鯨骨の再利用を目的として意図的に解体された可能性が高い. 住居外東側と北側の3層上部に堆積していた平石と芝土のブロックは, 解体された屋根が住居外に廃棄された結果と解釈できる.
5) 解体後~現代: 解体後の5号住居は, 大きな撹乱や変形を受けることはなく, 今日に至ったようである. Fig. 7の1層が, この段階に対応する.

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