第四紀研究
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33 巻 , 1 号
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  • 羽生 淳子, James M. Savelle
    1994 年 33 巻 1 号 p. 1-18
    発行日: 1994/02/28
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    カナダ極北地域東部におけるテューレ文化期の住居は, ホッキョククジラ (Balaena mysticetus) の骨と芝土, 石をおもな建築材料とすることから, 鯨骨住居 (whale bone house) ないしは芝土住居 (sod house) とよばれている. 筆者らは, 1991年夏, カナダ・サマーセット島のPaJs13遺跡 (Fig. 1) において, テューレ文化期 (ca. A. D. 1,000~1,600) の鯨骨住居址 (5号住居址) を発掘した. この住居は, a) スリーピング・プラットフォームを持たない, b) 骨角器を製作した痕跡と考えられる骨片が多量に出土した, という2点から考えて, カリギとよばれる儀礼的集会所であった可能性が高い. 本稿では, 発掘の結果にもとづき, この住居が構築されてから現代にいたるまでのプロセスを考察した. 分析の結果, 以下の5段階が認められた.
    1) 住居の構築: 堆積物の観察結果から, 住居の構築にあたっては, 厚さ約15cmの砂利層 (Fig. 7の11層) を盛った上に床の敷石を置き, 敷石部の縁辺には黒色の脂肪の層 (10層; 非常に堅く, 移植ごてで掘り進めることは困難であった) をドーナツ状に敷き, その外側に芝土の壁 (9a・9b層) を積み上げたことがわかった. 10層の一部が, 敷石と9a・9b層との間にはさまれていることから, この層が, 住居の使用中に堆積したものではなく, 住居の構築時に形成されたことは明らかである. 10層には, 屋根の垂木と考えられる鯨の下顎骨や, 壁際のベンチの支柱と推定される鯨骨・石が多数埋め込まれていた. また, 9a・9b層の上部には, 7個の鯨の頭蓋骨が置かれていた. 住居の構築時には, これらの頭蓋骨からは上顎骨が突出し, 10層に埋め込まれた下顎骨とともに屋根の垂木を構成していたと推定される. 住居内から検出された多数の肋骨は, 垂木の間に渡された横木と思われる. この他に, 6個の頭蓋骨 (Fig. 6のSB1~SB6) が入口部上屋の骨組を形づくるのに用いられた. こうした屋根や入口部の上屋構造は, (場合によっては獣皮をはさんで) 芝土と石で覆われていた可能性が高い.
    2) 住居の使用: McCartney (1979a) によれば, テューレ文化期の鯨骨住居は, 毎年, 秋ごとに清掃されて, 再使用されたと推測される. 夏の間, 他の場所に住んでいた人々は, 鯨骨住居に戻ってくると内部を清掃し, ごみを住居の外に捨てる. 5号住居の場合には, このごみ捨て場は, 主として入口横東側から住居外東にかけて分布する (Fig. 7の6, 5, 3層). さらに, 住居内の遺物分布が壁際に集中する (Figs. 10 and 11; Fig. 8の10層上部および2層下部) ことから考えて, 住居内のごみの一部は, 壁際のベンチの下に掃き寄せられたと思われる. ただし, 壁際の遺物の一部はごみではなく, 住居内に意図的に残されていた可能性も考えられる.
    3) 住居の廃棄: Schiffer (1987, p. 87~98) によれば, de facto refuse (使用可能な道具と原材料) の量は, 住居の廃棄状況を反映する. すなわち, de facto refuse の量が少なければ漸移的・計画的な廃棄, 量が多ければ急激で非計画的な廃棄と考えることができる. 住居址出土遺物における完形品の割合は, このような問題を考える際のひとつの手がかりとなる. Table 3によれば, 5号住居址の内側から出土した完形品の割合は33.9%であるのに対し, 住居址外 (主として入口部とごみ捨て場) から出土した完形品は, 18.0%にすぎない. ここで, 住居址外から出土した遺物はすべてごみである, と仮定した場合, 両者の割合の差 (15.9%) は, この住居のde facto refuse の割合を示すと考えられる. この相違を重視するならば, 5号住居には比較的多くの de facto refuse が残されていたと解釈できるが, 比較資料の少ない現段階では断定できない. 今後, 比較資料の増加を待って, 住居廃棄の問題をさらに検討する必要がある.
    4) 住居の解体: 5号住居址内から検出された鯨の下顎骨はすべて遠心側のみであり, 中央部と近心側は切断されて持ち去られていた. 住居内に, 芝土や平石などの屋根材がほとんど堆積していなかったことを考えあわせると, この住居は, 鯨骨の再利用を目的として意図的に解体された可能性が高い. 住居外東側と北側の3層上部に堆積していた平石と芝土のブロックは, 解体された屋根が住居外に廃棄された結果と解釈できる.
    5) 解体後~現代: 解体後の5号住居は, 大きな撹乱や変形を受けることはなく, 今日に至ったようである. Fig. 7の1層が, この段階に対応する.
  • 川幡 穂高, 氏家 宏, 江口 暢久, 西村 昭, 田中 裕一郎, 池原 研, 山崎 俊嗣, 井岡 昇, 茅根 創
    1994 年 33 巻 1 号 p. 19-29
    発行日: 1994/02/28
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    海洋における炭素循環の変動を調べるために, 西太平洋に位置する西カロリン海盆の海底深度4,409mから堆積物コアを採取して, 過去30万年にわたり平均1,000年の間隔で無機炭素 (炭酸カルシウム) と有機炭素の堆積物への沈積流量を詳細に分析した. その結果, 炭素カルシウムの沈積流量は過去32万年にわたって大きく変動し, 極小値が約10万年の周期をもっていることが明らかとなった. また, 有機炭素の沈積流量は, 主に氷期に増大したが, これは基礎生物生産が高くなったためであると考えた. 無機炭素と有機炭素の形成・分解は, 海洋と大気間の二酸化炭素のやりとりに関しては, 逆の働きをしている. そこで, 堆積粒子に含まれる両炭素の沈積流量の差を用いて, 大気中の二酸化炭素の変動と比較した. その結果, 約5万年前の炭酸カルシウムの沈積流量が非常に増加した時期を除いて, 大気中の二酸化炭素濃度の変動と堆積粒子中の有機・無機炭素沈積流量の変動は第一義的に一致しており, 大気中の二酸化炭素の変動と海底堆積物とが何らかの関連をもっていたことが示唆された.
  • 河村 善也, 野尻湖哺乳類グループ
    1994 年 33 巻 1 号 p. 31-35
    発行日: 1994/02/28
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    野尻湖層からこれまでに産出したとされる8種類の哺乳類のうち, ヒメネズミと同定された化石は保存の悪い下顎切歯1点のみである. この標本は解歯目の下顎切歯の特徴をもつが, ヒメネズミと同定することには大きな疑問がある. そこで, この標本を詳しく観察して計測を行なうとともに, 現在の本州で普通に見られ, 同じ地域の後期更新世の化石産地からも多産する4種の齧歯類 (スミスネズミ, ハタネズミ, アカネズミ, ヒメネズミ) の現生標本の下顎切歯とこの標本を比較した. その結果, この標本はヒメネズミの下顎切歯と比べて, 曲率半径や幅が著しく大きく, 断面の形態も異なっていることが明らかになった. また, この標本は上記の4種の中ではハタネズミの下顎切歯に最もよく似ていることがわかった. しかし, 齧歯目にはこれら4種以外にも, きわめて多くの現生種や化石種が知られており, それらの大部分の種では切歯の形態の特徴がほとんどわかっていないので, 今回の標本の分類学的位置は齧歯目としか同定できない. 以上のことは, この標本を従来のようにヒメネズミと同定することが誤りであることを示しており, 野尻湖層産の哺乳類のリストからは, ヒメネズミを削除すべきである.
  • 太田 陽子, 藤森 孝俊, 鹿島 薫, 蟹江 康光, 松島 義章
    1994 年 33 巻 1 号 p. 37-43
    発行日: 1994/02/28
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    三浦半島の北武断層東端付近において, 完新世海成段丘の地形分類, 堆積物の層相観察, 貝化石の同定と年代測定, 木片などの有機物の年代測定, 珪藻分析などを行った. 完新世海成段丘は北武断層の南側では3段 (Hm 1~Hm 3面) に分類できる. Hm 1面は完新世海進高頂期を代表するもので約6,800yrs BP以降に離水, Hm 2面は約5,400yrs BP以降 (おそらく約5,000yrs BP), Hm 3面は3,100yrs BP以降にそれぞれ離水した. Hm 1面を構成する海成層の上限高度は15mである. 高度約1.5mの地点からは9,250±320yrs BPの年代が得られ, 本面の高度, 低位の段丘群の存在とともに, 本地域の急速な隆起を示す. 一方, 北武断層の北側溺れ谷の海成堆積物は約7,000年前から5,000年前まで連続的に堆積している. 外海に面する断層の南側と, 断層の北側の溺れ谷では完新世海進堆積物の離水時期が異なることが注目される.
  • 大平 明夫, 海津 正倫, 浜出 智
    1994 年 33 巻 1 号 p. 45-50
    発行日: 1994/02/28
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    北海道東部の風蓮湖に流入する河川の沖積低地において掘削調査を行い, 沖積層の層相解析, 14C年代測定, 珪藻分析の結果から, 完新世後半の古環境について検討した. その結果, 風蓮川支流では4,500~4,100年前頃に, 風蓮川本流では2,800~2,600年前頃に湿原 (泥炭地) が拡大しはじめたことが明らかになった. この2つの時期は, オホーツク海沿岸地域で報告されている完新世後半の相対的海面低下期とほぼ一致している. よって, 北海道北部から東部にかけての湿原の形成は, 相対的な海面低下に伴って同時期に広い範囲で進行したことが, 本地域の資料からも支持される.
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