視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
第20回視覚障害リハビリテーション研究発表大会 in 九州
セッションID: SP2
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特別講演2
安心安全な暮らしを追い求めて
-雲仙普賢岳噴火災害に学ぶ-
*本田 利峰
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抄録

 普賢学園は雲仙普賢岳のふもとに位置し、海あり山あり風光明媚なところである。
 終戦後地域の方の協力で農業を営んでいた両親が、地域にご恩返しをしたいとの思いで、「お陰様の道 地域共生」の理念のもと、1965年保育園からスタートした社会福祉法人であり、地域の皆様と共に歩んでいる。
 私は工学部に進んだが、両親の福祉の理念を工学的思考により具体化しようと1978年知的障害者入所更生施設普賢学園に就職した。
 1991年6月3日運命の大火砕流発生。かねての避難計画通り利用者全員無事避難し、その日より警戒区域に設定され2年8ヶ月に及ぶ長い避難生活を送った。その間精神的ストレス、パニック、拒食症、不眠、情緒不安定による長期入院者も出てきた。災害救助法の21分野90項目の中には障害者の為の仮設住宅という条文はどこにもなく、1971年国際障害者年のテーマである「完全平和と平等」が現実にはほど遠く、障害者の権利が保障されていないことを知り、この差別をなくす為にも避難するだけでなく、障害者の本当の意味での権利の擁護を前面に打ち出し、広く関係機関に運動して仮設園舎ができる状況になった。又、行政より施設の移転を勧められたが、このような時だからこそ地域と苦しみを共にすると貫いた。地域の皆様も施設が移転しないよう強く働きかけていただき、1994年無事本園復帰を果たすことができた。その後も共に地域の復興に努力し、現在も地域の活性化に積極的に取組んでいる。
 今後も常に支えて頂いた皆様の善意に報いる為にも、地域へ還元できる福祉サービスを模索、実践し、利用者の皆さんが地域の人々と共に、ささやかな誇りをもち、お互いに適度に助け合い、寄り合って「生きていて良かった」と思えるような環境づくりに尚一層努力していきたい。

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© 2011 視覚障害リハビリテーション協会
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