本論文は、「手話ではない」「ろう者ではない」と外部化される日本語対応手話およびその話者について、筆者の参与観察調査によって収集された事例をもとに「ろう者ではないのか」を理論的に検討することを目的とする。日本語対応手話は、手話言語学的に「手話でないもの」と名指され、その結果として日本語対応手話話者が「何者でもない」宙吊り状態に陥れられてきた。だが実際には、日本語対応手話話者は、日本手話話者のみを「正しい」ろう者とみなす一部の日本手話話者や良識派を戦略的に排除しながら「ろう者ではない、というよりむしろ、ろう者である」ろう者として平穏な日常を紡いでいた。こういった背景から、学術的な「ろう者」概念の定義と広くろうコミュニティで共有されている「ろう者」概念の定義にはしばしば乖離があることを示すと同時に、どちらかの定義に優位性を示せるわけではないと主張する。