日本移植・再生医療看護学会誌
Online ISSN : 2435-4317
Print ISSN : 1881-5979
原著
造血幹細胞移植後患者が体験する身体違和感
―ライフコントロールへの影響―
永井 庸央
著者情報
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2022 年 17 巻 p. 16-28

詳細
Abstract

本研究では造血幹細胞移植後患者の身体違和感はどのようなものなのかを明らかにし、患者のライフコントロールへの影響を検討した。9名の対象者に半構成的面接を行い、Giorgiの記述的現象学的方法により分析を行った。その結果、患者は【皮膚に人が入っている】、【妙なことに味覚が敏感になる】、【原因がわからない突然の嘔吐】、【こんなに筋肉なかったっけ】、【自分で気をつけるという次元でないところで何かが巻き起こっている】などの身体違和感を体験していた。患者は身体違和感をもとに身体の状態を判断し、さらに身体違和感を避けることや受け入れることでライフコントロールを行っていた。看護師は移植後、患者が自分の感覚に注意し、身体違和感を何らかのサインと捉え、ライフコントロールにつなげられるように援助してく必要がある。

Translated Abstract

The present study aimed to obtain an insight into nursing practices supporting the outpatients who have undergone hematopoietic stem cell transplantation (HSCT), by describing the sense of bodily strangeness among patients who visit a hospital as an outpatient after undergoing HSCT.

The study conducted semi-structured interviews were held with 9 participants, and the obtained data were analyzed using the descriptive and phenomenological approach of Giorgi.

As a result, we revealed the following concerning the sense of bodily strangeness the following. Skin:“It seems that there are others in me”, sense of taste:“strangely, the taste becomes sensitive”, digestive organ:“sudden vomiting of unknown cause”, strength:“Didn't I have this much muscle?”, physical condition:“something is winding in a place other than the dimension of being careful by yourself”.

The results of this study suggest that patients performed life control assessing physical condition based on the sense of bodily strangeness, avoiding and receiving the sense. The nurses should support patients to pay attention one’s sense, receive the sense of bodily strangeness as sign of physical condition and associate the sign with life control.

1.研究の背景

造血細胞移植(以後、移植)は1970年代から血液疾患患者を対象に行われており、2018年では累計105,720件行われている(一般社団法人日本造血細胞移植データセンター, 2019)。近年、ドナーソースや前処置が多様化し、移植後の合併症管理法も進歩してきたため、長期生存者の数も増加している。しかし移植後長期に経過した患者においても、一般人口と比較して晩期死亡のリスクは高く、生活の質(以下QOL)低下の問題がある。移植後の免疫抑制剤の投与や移植片対宿主病(以下GVHD) は移植後 QOL の低下の主要な影響因子とされ、重症度が高く、長期化するほど QOLに影響するといわれている(日本造血細胞移植学会ガイドライン委員会, 2017)。

このような移植後長期に続く合併症に伴う著しい生活の変化や予後への不安により、患者は身体的・心理社会的なコントロール感の喪失を体験していることがこれまで報告されている(Adelsteinら, 2014)(Huntら, 2021)。また、Cohenら(2000)は移植後に何が起こるのかわからないことによる生活のコントロールの喪失、身体機能のコントロールの喪失、嘔吐や皮膚症状によっておこる恥ずかしさや困惑による感情のコントロールの喪失を患者は経験していると報告している。このように移植後患者は生命・生活・人生であるライフをコントロールすることが難しい状況に身を置いているといえる。

移植後患者のライフコントロールはどのようなものか、その現象を調査した先行研究(永井ら, 2017)では、患者のライフコントロールは、不確実な状況のなかで生存するために強い危機感をもち、これからの生活に目安をつけて生活することや、周囲の人の支援なしに生きることが困難であるなかで、今の生活を営むために他者との隔たりの中で生活すること、さらに再発や厳しい予後を意識しないように生存してくために気持ちの均衡を保つことが報告されている。このような移植患者はライフコントロールを行おうとするうえで、身体の脆弱性やGVHDによる皮膚症状などの身体の違和感を口にすることが多く、この違和感に驚きながらも各々で工夫をこらしライフコントロールを行っている様子がみられる。

“違和感”は一般的には、“しっくりしない感じ、調和を失った感じ”(森田, 2012)という意味で使われている。また、英語では“feel strangeness”“feel something wrong with~”(野村, 2016)などに訳されている。加えて、病をもつ者の違和感は症状のあらわれとして用いられ、のどに炎症がある場合、粘膜の腫れから、のどに違和感があるなどのように使われている。

人が知覚する体験の意味について、Husserlは人が現に生きているありありとした“実在”の世界は“意味統一”にある。さまざまな“知覚”の体験から、そのつど意識の“志向的統一”によって与えられていると述べている (竹田, 2010)。また、人がどのように身体を認知するのか考察しているMerleau-Ponty(1945)は、どのように人は身体を認識し、その構造を明確に示し得るかということを課題としている。自分の身体の知覚について、身体は知覚する主体であり、機能であると同時に知覚される客体であり、対象である。身体は認識する理性のありかであると同時に認識され解剖され分解される科学的な対象であると述べている。また、Zaner(1982)によれば、自分の身体を“他者”として経験することは、自分の身体を“不自然なもの”として経験することである。それは今まで隠されていたものが突然姿を現すといった経験であると述べている。さらに、身体が“不自然なもの”として経験される場合、4つの感覚が関係する。それは①不可避性と限界、②ぞっとする気持ちと含意、③隠されたものの現れ、④異質なあらわれであると主張している。このように、これまで身体を知覚する主体であると同時に、知覚される客体と捉える見方や、身体を不自然なものとして認知する経験が言及されている。

病をもつ者の身体違和感について報告された研究(Hiltonら, 2008)をみると、抗がん剤使用により脱毛を経験した患者は、脱毛を“がん患者としての弱さ”“がん患者の可視化”として感じ、髪を失った時の“strangeness”も経験している。また、人工肛門をもつ患者は、不完全、悪臭の感覚をもつ自分の身体を“strangeness”と感じている。そしてこの“strangeness”は新しい身体を獲得するプロセスの一部である(Marquesら,2018)と考察されている。また、思春期がん患者は治療後にボディイメージの“strangeness”を経験し、学業復帰に問題となることも報告され(Bragaら, 2021)、がんを患う患者が経験するstrangenessに関する報告の幅が広がっている。

一方、移植後患者が知覚する身体違和感については、これまでボディイメージの障害として報告されている。移植後患者のボディイメージとして違和感をあらわす結果として(平田ら, 2009)は、“普通でない身体像”“うっとしいGVHD症状をもっている身体”“乾いている身体”などが報告されている。しかしながら、移植後患者のボディイメージに関する研究ではsexualityへの影響を重点に報告(Humphreysら, 2007)され、身体違和感についての報告は少ない。そして、移植後患者の身体違和感に関連した患者が認識する運動イメージに関して、実際の運動との“誤差”を測定し、身体活動量の向上により運動イメージが改善されていたことが報告されている(井上ら, 2010)。

このようにがん患者が経験する身体違和感が報告されている一方で、移植後患者の身体違和感はこれまで十分に報告されず、患者が知覚する身体違和感はどのようなものなのか十分に明らかにされていない。そして、患者の身体違和感はライフコントロールにどのような影響を与えているのか、検討されていないのが現状である。以上より、本研究では、移植後患者の身体違和感はどのようなものなのかを明らかにし、患者のライフコントロールへの影響を検討することを目的とした。これにより移植後患者のライフコントロールを促す支援の示唆を得ることができると考える。

2.方法

2.1 研究デザイン

本研究は外来通院する移植後患者の身体違和感はどのようなものかを記述し探求する記述的現象学的方法を用いる。現象学には焦点をあてる対象によって異なる様々な方法がある。Husserlは本質とは何かを認識することによって現象がどう構成されているのかを解き明かすことを目指している。榊原(2011)によればHusserlの思想に影響を受けたGiorgiは哲学的な本質ではなくその学問的な本質を求めることになると提言している。それぞれの学問にとっての本質を求め、科学的な還元を行い、一定の形相的本質の次元で現象を理解・認識しそれを記述的にあらわすGiorgiの方法は“記述的現象学的方法”と呼ばれる。

本研究では看護学の立場で移植後患者の身体違和感を捉え、患者のライフコントロールを促す看護支援を見出すことを目指している。そのためGiorgiの考えに基づく記述的現象学的方法を用いることとした。

2.2 研究の枠組み

2.2.1 身体違和感の定義

患者が移植後に知覚する身体のしっくりせず、ちぐはぐな感覚。

2.2.2 ライフコントロールの定義 

移植後患者が免疫機能の低下により注意深く、死の脅威を持つことで生存するという信念を抱き病状の現実を受け止め、病気治療の情報を整理し自分の活動または感情を抑制し、自らの生活の軌跡と範囲を選択する能力をもち実行する。

2.2.3 研究対象者

研究対象者の選定基準は以下の条件を満たした者とした。1)移植後おおよそ1年以内の患者。2)18歳以上の外来通院患者。3)身体症状が落ち着いている(30-60分の面接により負担が生じない程度)患者。4)コミュニケーションが十分にとれる患者。

2.2.4 データ収集

首都圏総合病院外来で同意の得られた対象者に、インタビューガイドを用いて面接を行った。面接を行う前に、面接が可能かどうか病状を確認し、症状が出現したときには主治医に連絡できるように準備した。

面接の内容は療養生活における経験した感覚、身体症状の体験、印象的な出来事と思い、生きるうえでの信念、病気の現状の受け止め、病状の情報収集、活動や気持ちの制限、生活の方向性や範囲の選択について語ってもらった。

面接中は対象者の語りを聞くことに専念し、さらに研究者の知覚したことをその時々対象者に返し、対話を進めた。面接は許可を得て録音し、診療録より病歴や病状などの関係データを収集した。データ収集期間は平成24年8月~平成25年3月であった。

2.2.5 データ分析方法

Giorgiのアプローチを参考に、次のように分析を行った。1)全体の意味を捉えるために逐語録から身体違和感に特有な状況や関連する段落、文章を引き出す。これを“重要な陳述”と呼ぶ。2)抜粋した重要な陳述を本質的な意味をもつと考えられる単位ごとに分類し簡潔に表現し、“本質的意味”とする。3)身体違和感の本質的意味がライフコントロールにどのように影響しているのか着目し、対象者の身体違和感の様相を記述する。

分析を行う際には以下の態度に留意する。現象学の目的は前提のない記述であるが、絶対的な意味においては、それは不可能と言われている(広瀬, 1992)。したがって研究者が移植後患者への看護の方向性を見出すという本研究の意義を認識して、データの構成に直接関与しているという前提をもち、看護学の立場で移植後患者の身体違和感という現象を分析する。

2.2.6 倫理的配慮

本研究は研究者所属施設倫理委員会(看研倫11-39号)および研究協力施設の倫理委員会(倫201号)の承認を受けて実施した。主治医ならびに看護師に文書と口頭で研究の趣旨を説明したうえで選定基準に合う、患者の選定を依頼し、研究者が研究目的、方法について文書および口頭で説明した。研究対象者の任意性と不利益の回避、プライバシーの保護、個人情報の保護、研究結果の公表について説明し、同意を書面で得た。面接は外来受診の待機時間に個室で行った。

3.結果

3.1 移植後患者の身体違和感

本研究対象者は9名である(表1)。研究対象者が知覚した身体違和感のうち、顕著に経験されていた皮膚、味覚、消化、筋力、体調について記述し、【】で示す。研究対象者の語りはイタリックで記載し、身体違和感を示す語りを“”で記載した。

表1 研究対象者の概要
性別 年齢
(歳代)
移植種類 疾患 移植後日数 面接時間 (分)
A氏 40 同種骨髄移植 急性骨髄性白血病 197 85
B氏 60 同種骨髄移植 急性骨髄性白血病 146 65
C氏 50 臍帯血移植 急性リンパ性白血病 200 70
D氏 40 同種骨髄移植 急性骨髄性白血病 47 60
E氏 50 同種骨髄移植 急性骨髄性白血病 373 70
F氏 30 臍帯血移植 骨髄異形成症候群 206 75
G氏 30 臍帯血移植 急性骨髄性白血病 265 70
H氏 40 血縁者間骨髄移植 急性リンパ性白血病 254 75
I氏 30 同種骨髄移植 急性骨髄性白血病 457 65

3.1.1 皮膚の身体違和感 

A氏は、移植後に生じたGVHD皮膚症状について語った。紫外線が皮膚への刺激になるため、庭で水やりをする際には長袖や帽子、サングラスを着用していること、蚊に刺された痕が残り、痒みは改善していないことも話した。刺された痕を見ながら、自身の皮膚を【自分の皮膚じゃないみたい】と皮膚への違和感について語った。A氏は違和感を覚えながら、皮膚症状に対してスキンケアを行い、さらにGVHD皮膚症状をもたらすドナー細胞によって行われた移植を肯定的に認識していた。

やっぱり日焼けがよくないっていうし。紫外線も駄目だっていうから。(水やりを)やる時は、肌なんか見せないで、長袖着て。帽子かぶって。あと、外でる時はサングラスかけるだとか。だから、蚊に刺される部分がない。(略)肌これでも綺麗になってきたほうなんですよ。痒みはありますけど。痒みは駄目ですね。やっぱり、“自分の皮膚じゃないみたい”。違和感がある。(A氏)

A氏は退院後、今の状況を周囲に理解してもらえないことを語った。そして、移植前に比べて皮膚が変わったことも口にし、【皮膚に人が入っている】感覚を話した。続けてドナーについて語り、皮膚に入っている人はドナーであることを暗に示した。A氏はドナーの骨髄細胞数が十分にあったこと、タイミングよく提供してもらえたことを「すごくよかった」と話し、自分に入っているドナーによって移植ができたことを語った。

なんでも今までも違うから。それを周りの人がわかってくれないから。わかってもらったところで。今までと、皮膚の状態も今までと違う。“なんか、人が入っているみたいだし”(笑)。ほんと、肌が弱いから。あたしは、他人からだから。HLAの関係で。バンクから。だけど、それがすごくよかったみたい。量や細胞数が多かったみたい。(略)最初話があって、だめになったんですよ。たぶんそれもちょっといろいろ、運というか、相性みたいのがあったんでしょうね。最初の方が女性で、もらった方が男性で。男性の方だから、いっぱいあって。(A氏)

3.1.2 味覚の身体違和感

B氏は、加工食品が食べられなくなったことを紹介した。チャーシューなどは昔味わっていた味とは違い、【ちょっと気持ち悪い感じ】【変な味って感じ】と表現した。食材自体の味は美味しく食べられるようになったことを話した。B氏はこのような違和感をできるだけ経験しないように、その経験をした食品をよけて食べないようにしていた。

食べ物によって味覚異常があります。チャーシューだっけ。肉。あれが加工食品というんですかね。あれが、昔味わっていた味とは違うんですよ。“ちょっと気持ち悪いという感じ”で。やっぱりよけちゃうし。お豆腐の味なんかもね。“変な味って感じ”。でも最近美味しく感じるようになってきて。それで、素材の味って言うんですかね。(略)そのものずばりという味はおいしく感じるようになって。(B氏)

C氏は味覚異常としてだしの味が苦手になったことを語った。そして、【妙なことに味覚が敏感になる(り)】カビ臭さや、飲料水の産地が【口にしたとたんに味がわかる】ようになったことを話した。このような違和感に対して、C氏は他の味をつけ、味覚を紛らわす工夫をすることで飲食していた。

舌の味覚がおかしくなっているときは、だしがだめだったんですよね。こぶだしとか、にぼしだしとか、いろいろあるじゃないですか。でね、“妙なことがあって、味覚が敏感になっちゃって”。水の味がわかるんですよ。カビ臭いとか、物の匂いがわかるんですよ。しばらく水が飲めなかったんですよ。物の匂いで。メーカーで消毒しているんでしょうけど、“口にしたとたん、味がわかっちゃうんですよ”。で、どこの産地か分かるんですよ。そんな感じがずーと続いてました。味をつけたジュースなら、飲めて、そういう工夫してましたね。味がついてごまかす感じ。(C氏)

D氏は熱いものを食べるとしびれがあること、【砂を噛んでいるいようなざらつく感じ】があり、食べられるものが大きく制限されていたことを語った。そのような状況でも食べることには貪欲であり、工夫していたことを話した。D氏は熱さで生じるしびれを軽減させるために、冷まして食べるという工夫をすることで気を紛らわしていた。

当時はね熱い物が食べれなくて。しびれるんですよね。美味しくないんですよ。“砂を噛んでいるような。ざらつく感じ”があって。わざわざ冷まして食べてみたり。工夫していると気がまぎれるし。やることもできるんで。そうやって過ごしていましたね。(D氏)

E氏は食欲が落ち、食べられそうなものを選んで食べていたことを話した。移植前には美味しいと思っていたしゃぶしゃぶも、食べてみると【なんとなく美味しいのかなあ】と感じる程度に味覚が変化したことを語った。E氏は少しでも食べたくなるようなものを選び、それを食べるようにしていた。

これなら食べれるかなというものを選んで。うどんだったら食べれるかなとか。ぜんぜん食欲ないし。食べてみても、まあまあ美味しいかなあって程度。しゃぶしゃぶって美味しいじゃないですか。それがただ“なんとなく美味しいのかな”あって。味覚の異常と、後でわかったんだけど、GVHDの影響で、胃が小さくなったんだよね。(E氏)

F氏は病院食の【ご飯が本当にまずい(く)】食べられなかったことを語った。ご飯の臭いで吐気を催していたこと、食べることが出来なければ点滴が取れないという葛藤があり、強いストレスがあったことも語った。

なんでしょうかねえ。ご飯って本当食べる気がしないというか。ここの病院食の米すっごいまずいんで。それのトラウマとかもあるのかも。“すっげまず。本当にまずい”。米まずいんですよ。(略)私の場合はとにかく米がだめで。匂いもだめで。ひどいときなんか食事の時間になると、吐気とか。誰かが食べるの、かちかちかちという食器の音とかで、吐気がしていたんで。食事はかなり辛かったです。(略)食べないと点滴取れないじゃないですか。それとの葛藤。どうしたらいいんだって。(F氏)

3.1.3 消化の身体違和感

G氏はクレープ、イカの天ぷらを食べると嘔吐をするため、脂質が嘔吐を誘発していると考えていたが、とんこつラーメンを食べても嘔吐せず、その原因がわからず、【変な消化管】を語った。G氏は嘔吐するかしないか判断がつかないため、まずは実践して研究して嘔吐するかどうか判断していた。

あと、イカリングでだめでした。できあいを買ってきて。たぶん油がよくなかったのか、食べすぎたのか。“でも変なんですよ”。油だめなのに、とんこつラーメンは大丈夫なんですよ。何が違うんだろう。(略)キリがないので、あたしは考えないのでこうなります。実践して、研究して、ああ、大丈夫だったって。(G氏)

F氏は健康の時のように勢いよく食べることで【原因がわからない突然の嘔吐】を経験していたことを語った。消化する機能が弱く、消化に時間を要することが嘔吐の原因であると推測し、ゆっくり食べるようにしていることを語った。

食べる気がしない。今もそう。体重は落ちてないんですよ。そのまま。健康の時みたいに、バーと食べれない。そんなことしたら、“バーと吐く。消化が遅いのか。わからないけど”。しばらく食べた後は、前みたいに動けない。食べる時はゆっくり食べてます。(F氏)

3.1.4 筋力の身体違和感

G氏は、フライパンを振れずに具材をこぼし火傷をしたこと、自分の腕の弱さを【こんなに筋肉なかたっけ】と驚いたこと、洗濯物を干すことで疲弊してしまうこと、食事の準備、風呂の掃除を思うようにできないこと、自分でこんなに何もできないと情けなく感じていることを語った。

火傷しました。フライパンからざーとこぼれて足に。野菜炒めをして。(略)フライパンは重さもありますし。“私、こんなに筋肉なかったっけ”ていうくらい、ふれなくなっていて。だからお料理するのって、奥さんじゃないですか。びっくりすると思う。自分でこんなに、なんにもできないって。すっごい情けなくなりますよ。だって、洗濯ものを干すだけでも、ぐったりですもん。だから、はじめのうちは本当に大変だった。何もできない。洗濯ものも干せない。ご飯の支度もまともにできない。お風呂もまともに洗えない。 (G氏)

C氏は、階段をおりる際に自分の身体を支えられず、【身体がトーンと膝から落ちる】感覚を経験していた。自分のこれまでの感覚で降りようとしたことが間違いだったと語った。C氏は階段を降りる時には、急に膝に力が入らなくなることがあるため、手すりをしっかりと持ち身体を支えていた。

階段をね、昇るのはいいとしても、降りるとき、身体を支えられないんですよね。だから、“身体がトーンと。膝から落ちる感じ”。初めてわかりました。続けて階段下りていくというのは、ちょっと耐えられなかった。家の階段には手すりはあるんですよ。がっつり持ってないと。しょっぱな、自分の感覚的に降りれるだろうと思って大間違いで。(C氏)

3.1.5 体調の身体違和感

H氏は気温が低いとその分、動けないことを語った。保温機能のある下着、カイロなどで身体を温める工夫をしてもうまくいかない状況を【いろんなことをしても、それでも駄目ですという状態】と表現した。また寒い日の朝、布団から出て、服を着て体を温めるまでの気力が湧かないこと、布団から出て体を温めるまで時間がかかること、起きて熱いシャワーを浴びれば体が温まることは理解できるが、それができないことを【布団を出て浴室までなんでいけないの】と語った。H氏は、試行錯誤することで外気温の程度により、どの程度体が動くことができないのかを把握していた。

外気温が2度になったら2度なりのパフォーマンスしかないんですよ。気温で違いますね。寒いと駄目ですね。温まらないと動かない。当然、寒いから布団のなかでじっとしている。あったかいところにいけばそれなりに動けるんですけど。そこ出ていくまで気力がなくっちゃう。だから、起きるまですごい時間がかかってしまうんですよね。体が温まって着てしまえば辛くはないんですけど。・・ヒートテックはすでに着てます。着たうえでの話なんですよ。“いろんなことをやって、カイロも貼ってますと。それでも駄目ですという状態なんですよ”。(略)まわりの環境をまずまず。あったかい環境を作っていかないと。だって、そこ出ていって、熱いシャワーをばーと浴びてしまえば、温まるんですよ。だから、“寝ている状態から、シャワーを浴びている状態までなんで、いけないのよって”。(H氏)

I氏は、移植後再入院の原因となった肺炎による体調悪化について語った。これまでならば疲れた時に眠り、体調を回復することができていたが、それが一切通用せず【自分で気をつけるという次元でないところで何かが巻き起こっている】という感覚を語った。I氏はこのような状態の悪化と回復の鈍さを把握し、病院に連絡をすることで対応していた。

うーん。一番は自分の体がコントロールできないことですね。疲れたら眠る。ちょっと調子が悪かったら、休んで回復する。だとか。そういったものが一切きかない。“自分の意思とか、気をつけるとかそういう次元でないところで、巻き起ってきて”。コントロールが効かない。我慢して、耐えても意味がない。前だったら、お腹が痛くて、じっとしていたら治ったりだとか。熱が出たら、寝ていたら治ることがあるじゃないですか。それが、まったく治らない。悪くなる一方。よくはならないんで。だからそうなったら、すぐに連絡して。きついと病院にも来れないんで。体がきつすぎて。(I氏)

4.考察

4.1 移植後患者の身体違和感の意味

4.1.1 皮膚の身体違和感の意味

慢性GVHDを有する患者の70%程度に皮膚病変が存在する。慢性GVHD患者によくみられる所見では痒み、かさつき、乾燥、皮膚萎縮症、硬化性変化がある(日本造血細胞移植学会ガイドライン委員会, 2017)。対象者は痒みなどの慢性GVHDによる皮膚症状に伴う皮膚の身体違和感を経験していた。

A氏はGVHDによる皮膚症状を呈し、長引く痒みによる煩わしさを経験していた。「なんでも今までも違うから。それを周りの人がわかってくれないから。わかってもらったところで。今までと、皮膚の状態も今までと違う」と皮膚の状態を含めて移植後変わったことを周囲が理解していないことを話している。Sartre(1956)によると、対象としての身体把握、すなわち自分自身の事物性の気づきは“対他的存在”との経験の中で現れてくるという。自分が他人に見つめられるとき、はじめて自分の身体の客体性を経験するとSartreは主張する。A氏はSartreがいうように、周囲の人の存在から自分の皮膚を客体化し周囲にわかってもらえない“対他的存在”として捉えていたと考える。一方、A氏は【自分の皮膚じゃないみたい】【皮膚に人が入っている】とも話している。これは周囲の人に加え、GVHD皮膚症状を通してドナーという他者の存在を意識し、他者の細胞を体内に取り入れたことで自分の身体の中にいる他者存在を認識していたと考える。そしてドナーを思い起し、ドナーの細胞数、提供されたタイミングを「すごくよかった」と話し、体内に存在するドナーを肯定的に捉えていた。これはドナー細胞の移植により病状が改善したことが、影響していたと考えられる。藤崎(1996)によればフロイトは、ボディイメージをパーソナリティの構成概念のひとつとして捉え、身体と自我の観点からボディイメージに注目している。対象者は周囲の他者と、体内に取り入れた他者であるドナーの両者の存在を通して自我を再統合していたと考える。

また、山崎(2011)によれば、肝臓移植手術を受けたレシピエントは、自らの身体の微細な変化を移植された他人の臓器との関係でとらえようとする傾向があるという。A氏は「自分の皮膚じゃないみたい」と語り、強く、持続する痒みにより、皮膚を意識しこれをドナーとの関係でとらえていた。造血細胞移植後患者のGVHD皮膚症状は刺激が強く継続するため、患者はドナー細胞を他者として強く意識していたと考える。加えて、皮膚は身体の表層にあり、他者であるドナー細胞により変わった皮膚がまた別の他者から見られるという感覚も造血細胞移植患者のGVHD皮膚症状の身体違和感の特徴と考える。

4.1.2 味覚の身体違和感の意味

化学療法の投与により“味覚の減退”“異味症”“悪味症”などの味覚変化が生じること(狩野ら, 2011)や、慢性GVHDに伴う口腔病変により乾燥、過敏反応が原因で経口摂取が制限されること(日本造血細胞移植学会ガイドライン委員会, 2017)が報告されている。対象者らは移植後さまざまな味覚変化や経口摂取の困難を経験し、味覚の身体違和感を言いあらわしていた。

村田(2019)は味わいの知覚経験は価値をもった対象の探索的活動であり、噛む、飲み込むなどの実践遂行活動を制御する働きをもつ。そして人間にとって不可欠な食物摂取という生きるうえでもっとも基本的な知覚経験であると述べている。C氏は【妙なことに味覚が敏感になる】【口にしたとたんに味がわかる】などの違和感を通してこれまで認知していた味と異なる味覚に驚き、“妙な事”として、その経験を言いあらわし、村田(2019)が言うように味の探索的活動の変化に驚いていた。また、E氏は美味しいと記憶しているしゃぶしゃぶを【なんとなく美味しいのかなあ】と変化した味覚を通した食物の味の価値の変化を経験し、F氏は【ご飯が本当にまずい】と特定の食品への嫌悪を経験していた。さらにD氏は【砂を噛んでいるようなざらつく感じ】と食べ物を咀嚼する際の口腔内の不快感も経験していた。このように、対象者はこれまでに記憶している味覚と、実際に食べた時に感じとる味覚にずれを覚え、驚き、強い嫌悪感や不快感を抱き、食そのものへの困難感を強くしていると考える。その困難感は食の楽しみを奪い、病状回復の障壁となっていたことも考えられる。F氏は食べられなければ点滴がとれないと、病状回復について語り、生きるうえで必要不可欠な食物摂取についての危機感を持ち合わせていた。このように患者が経験した味覚の身体違和感は食の強い困難感と生きることの危機感をひきおこしていたと考える。

4.1.3 消化の身体違和感の意味

食欲不振、嘔気、嘔吐、腹部膨満感などの上部消化管症状はGVHDに特徴的な症状であり、移植後数年経てから発症しても同様の所見を示す(日本造血細胞移植学会ガイドライン委員会, 2017)といわれている。対象者らは急いで食べることで嘔吐したり、食品によって嘔吐するという経験をしていた。

Zaner(1982)は身体が“不自然なもの”として経験される1つの経験として“隠れた存在”について次のように述べている。身体は“隠れた存在”として経験されるがそれは生物学的有機体として私がコントロールもできなければ、気づきもしない出来事、プロセス、および構造を含んでいる。ある意味では私の身体は私を抜きに行動をとり続けるように思えるし、私を必要としないようにも思える。私が解剖学や生理学を学習したとしても、私は“隠れた存在”としての身体に直接、出会うことはない(Zaner, 1981)。対象者らはZanerの主張同様に、普段意識しない消化というプロセスを嘔吐という症状で目の当たりにしている。「変なことにとんこつは大丈夫」と語るG氏の消化には、対象者の意思は関与せずに常に消化が続けられていると言える。そして「バーと食べるとバーと吐く」というF氏の言葉から消化や嘔吐という生理学的な反応には対象者がコントロールできないプロセスを体験していたともいえる。すなわち、対象者らの意思抜きに消化や嘔吐する消化管によって対象者は振り回されていたと考える。さらに消化管に嘔吐というかたちで、食事の摂取を拒絶され、そのことよる身体の回復が許されない自由のきかない消化管を意識していたと考える。

4.1.4 筋力の身体違和感の意味

移植後は筋肉量の減少、筋力低下、持久力の低下、長い臥床生活によって生じる重心動揺などが重なるといわれている(日本造血細胞移植学会ガイドライン委員会, 2017)。対象者らは調理でフライパンを使う、階段を下りる際に体重を片足で支えるなどの想定していた動きと、フライパンを落とす、足に力が入らないなどの実際の動きにズレがあることに驚いていた。Gallagher(1986)によれば、肘枕で眠ってしまって腕の感覚がなくなり、自分の腕が重い「物」のように感じるときなどの経験をしたとき、身体は物質的対象であることが意識される。多くの人は病気や痛みのような“限界状況”を経験するとき、身体が突然意識野に現れ、身体が物理的、物質的存在として把握される。G氏はフライパンを落としたことを【こんなに筋肉なかったっけ】と語り、C氏も身体を支えられなかったことを【身体がトーンと膝から落ちる】と語り、腕や脚を物質的・物理的対象と意識していたと考える。多くの患者が無菌室在室中から退室後に歩行訓練などのリハビリを継続して行っている。しかしながら退院後、院内のリハビリで経験しなかった様々な動作をすることで、筋肉量の低下・重心動揺を覚え、移植や入院により脆弱になった身体を認識するに至ったと考える。

4.1.5 体調の身体違和感の意味

Zaner (1982)によれば、私の身体に起こることは何事も私に影響を及ぼすので、身体的経験は“肉体的に意味づけられた”経験である。私は自分自身がこの固有の物理的形態をもつ肉体に縛られ、この身体が受ける苦しみは何であれすべて私自身の苦しみとしてどうしても受けなければならないことに気づいている。肉体的に意味づけられた存在であるとする認識は悪寒や畏怖の念を伴い“ぞっとする気持ち抱かせる”ものとして経験される。

H氏は「寝ている状態から、シャワーを浴びている状態までなんで、いけないのよって」と寒い日に自由がきかない身体について話している。Zanerがいうように対象者は自らの物理的形態をもつ肉体に縛られ、身体の要求に自分ではどうにもできない経験をしていたといえよう。また、I氏は【自分で気をつけるという次元でないところで何かが巻き起こっている】と語り、身体の中で理解できないことが起こり、Zanerが言う畏怖の念とぞっとする気持ちを経験していたと考えられる。このような対象者の物理的な形態をもつ肉体に縛られ、畏怖の念を抱かせる経験には、肉体の機能不全に対する強い危機感もそこにあると考える。

4.2 身体違和感のライフコントロールへの影響

対象者らの身体違和感は自身のライフコントロールに3つの特徴をもって影響していたと考える。

1つめに、対象者らは身体違和感を受け入れてライフコントロールをしていた。対象者は皮膚の違和感に保湿剤を塗布するなどのスキンケアを行っていた。A氏は痒みなどを軽減させる身体管理をすると同時に、「細胞数が多かったのがよかったみたい」とドナー細胞について肯定的に話していることから、ドナー細胞を取り入れ生存している身体を受け入れていたことも挙げられる。すなわち、GVHD症状を通してドナー細胞と共存していたことも考えられる。対象者は持続し長引く違和感を経験し、その違和感をコントロールしていたとも考えられる。

2つめに、対象者らは身体違和感を避けてライフコントロールをしていた。対象者は味覚の違和感を経験し、不快に感じる食べ物をできるだけ避け、食べられる味に変えることで摂取し、少しずつ食べ続けていた。そして、食べられるようになる“きっかっけ”を見つけることで、食べる量や種類を増やしていた。このことは味覚異常という違和感をできるだけ経験しないようにし、食事摂取による病状回復を意識していたといえよう。

3つめに、対象者らは身体違和感をもとに身体の状態を判断しライフコントロールをしていた。対象者は消化の違和感に対して、原因は把握できないが、嘔吐しないようにゆっくり食事をすることをこころがけていた。普段、意識しない消化について意識し、食べる早さや、食べる食品を試し、どのような方法や物であるなら消化管が受け入れてくれるのか試行錯誤していた。G氏が「実践して、研究して、ああ大丈夫だった」と言うように、対象者らは自分の生活を振り回す消化管から、消化する食べる方法や食品を見つけ、獲得していたことが考えられる。また、筋力の違和感に対して、C氏は足に力が入らないことを把握した後、階段の手すりをしっかりもち、転ばないように身体を支えていた。足に力が入らないと驚いた経験から、力が入らない足の部位を物質的物理的な対象として認識したうえで、力を入れられる他の部位で補っていた。このことで転倒しないように身体をコントロールしていた。そのことは一瞬の違和感から体の脆弱性を把握し、転倒する危険性を予測し予防する意識があったと考える。加えて、体調の違和感に対し、対象者は自分では手に負えない体調の変化を経験し、それに至る要因や因子を把握しようとしていた。T氏は気温と体調の変化の関係性を考えていた。この状況に一度なると自分ではどうにもできないことを理解し、そのようにならないように注意して生活していることが推察される。このことは前述した筋力の違和感と同様、身体の脆弱性の把握からこのような状態に陥らないように予防する意識をもっていると考える。

4.3 移植後患者の身体違和感への支援

患者の身体違和感は主観的な経験であり、個々に違いはあるが、看護師は患者が知覚する体験世界を理解するために、患者のその声をよくきき、何を意味しているのか把握することで支援の糸口を見つけられると考える。

移植後、患者は周囲の人を意識することで皮膚症状を苦痛に感じることや皮膚症状によりドナーを肯定的に意識する経験をし得ることを看護師は知り、そのような経験を理解しようとする態度が重要である。そして患者はこのような経験を通して自我の再統合をし、生命・生活・人生をあらたにコントロールし得ることも理解し、支援することが必要である。また、生じ得る味覚異常の種類と、それにともなう違和感もあわせて患者に伝えることでより味覚異常の実際をイメージできるだろう。そのことにより患者の驚きや戸惑いを最小限にすることができ、食べられる物を食べ続け、食べられるものや方法がないか自分なりの“きっかけ”を見つけるなどの助言ができると考える。また、嘔吐を誘発する食品や摂取方法はどのようなものかを試行錯誤し、自分なりの食べ方の“コツ”を獲得できるように支援が必要である。そして筋力低下については、入院中に行っていないフライパンで炒め物をするなどの行為をする際には、これまでより筋力が弱くなっていることを意識してもらい火傷や転倒などの事故を予防することが必要である。このために入院により活動範囲が狭いことで意識していなかった身体の弱さを意識化し、他の部位や筋力で補う方法を伝えることが有用であろう。そして体調不良時にどうにもならない状況があることを伝え、そのようにならないように、徴候を見つけ生活を管理することが必要である。このような自分ではどうにもならない体調に陥る際の受診のタイミングについても退院時に確認しておく必要がある。

最後に、移植後患者は身体違和感を経験する際に、これまで意識していなかった身体を意識化していた。そのため移植後患者が何かがおかしいという自分の声に耳をすませ、身体が何をどのように知覚し、経験しているのかよく身体と対話をすることが重要と思われる。このことはこれまで認識していた身体と異なる状態を気づく徴候となり、身体の異変にきづくサインにもなるといえる。身体違和感を何らかのサインと捉え、ライフコントロールにつなげられるように助言していく必要がある。

4.4 研究の限界と今後の課題

本研究のデータ収集を1施設で行っているため、施設の特殊性や地域性による偏りが生じ得る可能性があることが研究の限界である。今後、研究施設を増やし結果の偏りを最小限にすることが課題である。

5.結論

本研究は、移植後患者の身体違和感はどのようなものなのかを明らかにし、患者のライフコントロールへの影響を検討した。その結果、患者は皮膚では【自分の皮膚じゃないみたい】【皮膚に人が入っている】、味覚で【ちょっと気持ち悪い感じ】【変な味って感じ】【妙なことに味覚が敏感になる】【口にしたとたんに味がわかる】【砂を噛んでいるいようなざらつく感じ】【なんとなく美味しいのかなあ】【ご飯が本当にまずい】、消化で【変な消化管】【原因がわからない突然の嘔吐】、筋力で【こんなに筋肉なかたっけ】【身体がトーンと膝から落ちる】、体調では【いろんなことをしても、それでも駄目ですという状態】【布団を出て浴室までなんでいけないの】【自分で気をつけるという次元でないところで何かが巻き起こっている】という身体違和感を経験していた。

患者は身体違和感をもとに身体の状態を判断し、さらに身体違和感を避けることや受け入れることでライフコントロールを行っていた。

謝辞

本研究にご協力いただきました患者様、様々なご配慮いただきました研究協力施設のスタッフの皆様方に心から感謝申し上げます。

References
 
© 2022 日本移植・再生医療看護学会
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