2019 年 18 巻 1 号 p. 64-69
原子クラスターは自由度が高いために多くの構造異性体を持つ.通常の理論研究では,その最安定構造の探索と続く電子物性解析が主であったが,近年の理論化学的手法の発展により,安定構造間の異性化反応や,異性体を含めた触媒活性の研究が可能になってきた.本研究では,金,銀,銅のクラスターを対象として安定構造および異性化反応経路,およびNO解離の触媒反応経路の探索を行いその比較を行った.異性化反応の計算からは,金と銀に比べると銅は異性化反応の障壁が高く,これはバルクのモース硬度と同様の傾向を示していた.NO解離反応の触媒作用に関しては,金と銀は障壁が高い一方で,銅は障壁が低く,安価で豊富な元素による触媒の可能性があることが分かった.
数原子から数百原子程度までで構成されるクラスターは,サイズや組成に強く依存するノンスケーラブルな物理化学的および触媒的性質を持つことが知られており,光電子デバイス,センサーおよび触媒の新材料として期待されている [1, 2].バルクで不活性な金は,ナノ粒子化するとCO酸化反応に対して触媒作用を示すことから [3, 4],金クラスターの研究も盛んに行われており,構造や安定性のサイズ依存性,触媒活性のサイズ依存性あるいは表面担持効果など様々な研究が進められている [5].このような研究から,クラスターは触媒活性を含む様々な物性が原子数に強く依存することが分かってきた.材料開発の観点からは,原子数を適切に選択することで望みの性能を持つ触媒を創成できる可能性があり,Pt, Pd, Rhなどの希少金属が多く使われている自動車の三元触媒としてCu, Fe, Niなどの汎用金属クラスターの利用が期待されている.
クラスターに基づく革新的な材料の理解と設計に対して理論的アプローチは必要不可欠である.クラスターの理論研究では,通常与えられた組成における最安定構造の探索から始まり,それから物理・化学的性質を解析する.多数の大域的構造探索法(例えばbasin-hopping (BH) 法 [6, 7] や遺伝的アルゴリズム [8, 9] など)が開発されており,様々な組成をもつクラスターの最安定構造の探索に利用されてきた [10,11,12,13,14].最近の理論的研究では,必ずしも最安定な構造のクラスターが最も高い触媒活性を持つとは限らず,準安定な異性体が低い活性障壁を持つ場合があることが指摘されている [15, 16].また,クラスターにおける低いエネルギーを持つ異性体間の構造変化についても最近議論されている [17].クラスターのような多自由度の系において反応経路を求める場合には,多数の構造の存在や計算コストが著しいことが課題であった.反応経路自動探索法 [18,19,20] の出現により,クラスター触媒における低エネルギー領域の異性体構造とその異性化経路の探索が非常に効率的に行えるようになり,系統的な議論が可能になってきた [21,22,23,24].
本研究では,局所的反応経路および遷移状態 (Transition State, TS) 構造の効率的な探索によって上述の困難を克服する,反応経路自動探索 (Global Reaction Route Mapping, GRRM) プログラム [18, 25] の一部として近年開発されている人工力誘起反応 (Artificial Force Induced Reaction, AFIR) 法 [18,19,20] を用い,Au, Ag, Cuの4量体について議論する.
電子状態計算はTURBOMOLE [26, 27]を用いてRI-BP86/def-SV (P)レベル [28,29,30,31]で行った.単成分AFIR (Single Component-AFIR, SC-AFIR) 法 [18,19,20] を用いて金属クラスターM4 (M=Cu, Ag, Au)の安定構造を求めた.反応障壁のおよその上限に対応するモデル衝突エネルギーパラメータγは,銅と金のクラスターには300 kJ/mol,銀の場合は600 kJ/molとし,SC-AFIR計算の終了条件のパラメータとしてSCGO_NLowest = 12およびSCGO_PLatest = 40を設定した.これは,それぞれ最安定構造から12個の低エネルギー構造異性体が,最新の40個のAFIR経路によって更新されなかったら計算を終了するという条件になっている.探索で得られたAFIR経路からRepath計算(Path refinement calculation)によって,遷移状態構造および固有反応座標 (Intrinsic Reaction Coordinate, IRC) を求めた.Repath計算ではこれらの作業が自動的に行われる.次に,得られた4量体の安定構造を読み込み,40 kJ/mol以下の異性体に対して,それらの上でNO分子が解離する経路の探索を行った.この計算には,多成分AFIR (Multi Component-AFIR, MC-AFIR) 法を適用した [32, 33].ここでM4, N, Oは個別のフラグメントとして定義し,正の人工力をM4とNまたはOの間に加え,NとOを解離させるために負の人工力をNとOの間に加えた.銅の場合には γ = 1200 kJ/mol,銀と金の場合には γ = 300 kJ/molとし,NとOの間に γ = 600 kJ/molの負の力を加えて解離させた.構造探索の収束条件には銅の場合にNFault = 30とし,銀と金の場合はNFault = 50とした.NFault = 50は,最新の50個のMC-AFIR経路によって新たな構造が見つからなければ計算を終了するという条件を意味する.MC-AFIR計算で得たAFIR経路からRepath計算により反応経路を得た.論文を通して,エネルギーは298 KにおけるGibbsの自由エネルギーを用いている.これは,調和振動解析の結果を利用し,分子が剛体回転子であり,理想気体である仮定の下で求めた.
Figure 1に,TURBOMOLEによる構造最適化,およびSC-AFIR計算を用いて得た安定構造のうち3つの元素すべてで得られた構造を示す.いずれのクラスターにおいても,SC-AFIR計算からは3つの安定構造が得られた.これらに加えて,立体構造や金のジグザグ型の安定構造も得られた.金の最安定構造はフラスコ型の構造であり,銀と銅については菱形の構造が最安定であった.平面構造はいずれも閉殻の電子配置をとり,一方立体構造はいずれも不安定でスピン多重度は3重項となった.銅,銀の順に菱形とフラスコ型の安定構造間のエネルギー差が小さくなり,金では逆転する.一般に3d, 4d, および5d金属の物性は,5d金属において相対論効果が顕著に現れることから,同族の金属であっても周期表の下に向かう3d, 4d, 5dの変化に対して単調な物性変化が成り立たないことが多い.金の立体構造は,SC-AFIR計算による自動探索では得られなかった.TURBOMOLEの構造最適化ではTd対称性の構造を仮定した電子状態計算から立体構造が得られ,振動解析から安定構造であることも確認した.しかしこの構造に対しC1対称性のもとで構造最適化計算を行うと平面型の構造へと崩れてしまった.AFIR計算の際の電子状態計算は全てC1対称性のもとで行っているため,立体構造が得られなかったと考えている.
Lowest energy isomers for Cu4, Ag4, and Au4, along with bond distances in Å. Relative Gibbs free energies at 298 K in kJ/mol among the same species are shown below the molecular geometries.
Figure 2にFigure 1の安定構造の状態密度を示す.赤,緑,青でs, p, d軌道の寄与を示した.周期表を下るにつれてHOMOが安定化している.HOMO-LUMOエネルギーギャップには大きな違いは見られないが,銀についてはHOMOとHOMO–1の間に大きなギャップが見られる.また銅のフラスコ型のHOMOは3d軌道で構成されており,銀や金のHOMOに対応する軌道は3dバンドの間に埋もれていることが分かる.このような違いにより,銅ではフラスコ型の構造が大きく不安定化していると推測できる.
The density of states for the low-energy isomers of Cu4, Ag4, and Au4, whose geometries are shown above. The contributions from the s, p, and d atomic orbitals are shown by red, green, and blue, respectively. HOMO and LUMO are shown by the arrows.
Figure 3に金属クラスターの異性化反応経路をまとめた.金と銀は異性化反応の障壁が20-30 kJ/molであるが銅の場合の障壁は50 kJ/mol以上あり,銅は金や銀に比べると比較的構造が堅いことがわかる.この結果はバルクにおけるモース硬度とも対応している.金4量体の異性化経路については過去の報告例があり,障壁の高さはおよそ一致する [34].ただし過去の報告では汎関数にB3LYPを用い電子エネルギーにもとづいているのに対し,今回の計算ではBP86を用い自由エネルギーにもとづいていることから,10 kJ/mol程度の違いが生じている.Figure 3中の点線は平面型から立体に変わるときにスピン多重度が変わり,低スピン状態から高スピン状態になっていることを示している.これは立体構造になるに従って対称性が高くなり,軌道に縮退が生じたためと考えられる.Figure 4にGRRMを用いて得た遷移状態構造に対し,TURBOMOLEによる基準振動解析で得た虚数の振動数の振動モードを示す.Figure 3と比較することで,異性化反応前後の構造に繋がる原子の動きと対応することがわかる.
Isomerization pathway for Cu4, Ag4, and Au4 using the relative Gibbs free energy at 298 K in kJ/mol. Molecules shown in the left and right are the stable geometries and in the middle are the transition states geometries, respectively.
Vibrational normal modes of imaginary frequencies obtained for the transition states shown in Figure 3: (a,b) Cu4, (c) Ag4, and (d,e) Au4.
Figure 5に計算から得られた銅,および金と銀の場合のNO解離反応経路を示す.Figure 5aに示すように,銅についてはNO吸着構造と解離吸着構造とのエネルギー差が40 kJ/mol程度であり,解離前の最安定なNO吸着構造から見積もった反応障壁は225 kJ/molであった.Figure 5bに銀と金の場合を示す.どちらも解離吸着構造はNO吸着構造よりもはるかにエネルギーが高くなっている.さらにNO解離の障壁も400 kJ/mol以上と銅の場合に比べて非常に大きい.今回の計算結果からは,銅は比較的NO解離反応を促進する触媒としての期待が持たれる一方で,少なくとも今回の4量体クラスターについては銀と金では解離反応を促進する能力は低いことを示している.
Energy profile of NO dissociation pathways for (a) Cu4NO and (b) Ag4NO and Au4NO. The zero energy is taken for the sum of the lowest energy M4 (M=Cu, Ag, Au) and NO. Direct connection with the IRC pathway is shown in solid line and dashed lines are used when there are no IRC connections. The color of gold and silver are used to represent Au and Ag in (b), respectively.
それぞれの金属におけるNO解離の遷移状態構造において,NおよびOの自然電荷をみると,Cu4, Ag4, Au4の時にN:O = −0.86:−0.82, −0.74:−0.72, −0.54:−0.54であった.このことから,Cu4の場合には相対的に多くの電荷が金属からNOに移動していることがわかる.遷移状態構造の金属部分は,全て菱形構造であった.Figure 2から,菱形構造のHOMOのエネルギーは,銅,銀,金の順で深くなっている.Figure 6に示すように,NOのSOMOエネルギーが-4.1 eV程度でCu4のHOMOと最も近く,軌道相互作用が起こりやすいため,その結果として電荷が移動しやすくなっていると考えられる.移動した電荷はNOのSOMOに入るが,この軌道は反結合性であるため,電荷移動が多い銅の場合が最も解離の障壁が低くなると考えられる.
The density of states of (a) NO at the equilibrium geometry and (b) Cu4NO, (c) Ag4NO, and (d) Au4NO at their transition state geometries that are shown in Figure 5. The contribution from NO and metal are shown by red and green, respectively. In molecular models, N, O, Cu, Ag, and Au are represented by the blue, red, copper, silver, and gold spheres, respectively.
今後は,異なるサイズのクラスターあるいは酸化物担持による解離構造の安定化についての検討も進めていきたい.例えば,大きなクラスターであれば,解離した酸素原子に複数の金属原子が結合することによる安定化が期待される.あるいは,酸化物上への酸素原子の移動,あるいは酸素欠陥への移動などによる解離構造の安定化機構も考えられる.
反応経路自動探索法に基づいて金,銀,銅クラスターの安定構造探索,異性化反応,およびNO吸着解離触媒反応経路を求め,通常は最安定構造のみに基づいて議論されるところを異性体も含めて全体像を明らかにし,系統的な比較を行った,同じ11族の金属である金,銀,銅について,金と銀は性質がよく似ているのに対し,銅は異なる振る舞いを見せた.金と銀は比較的柔らかく異性化反応が起こりやすいが,銅は異性化反応が起こりにくいことがわかった.これはバルクにおけるモース硬度とも対応しており,今回の小さなクラスターにおいてもバルクと同様の性質を示すことが明らかとなった.NO解離反応に対する触媒活性に関しては,金と銀ではNO解離前後で400 kJ/mol近い反応障壁を持っており,触媒としての性能は期待できないことがわかった.一方,NO解離反応触媒の活性としては銅が最も活性が高くNO解離前後で200 kJ/mol程度の障壁であった.この結果は,貴金属である白金族が用いられている三元触媒を安価で豊富な金属である銅で置き換えることができる可能性を示唆しており,今後のさらなる研究が期待される.
本研究は,文部科学省・元素戦略研究拠点「実験と理論計算科学のインタープレイによる触媒・電池の元素戦略研究拠点(ESICB)」の支援を受けて実施された.