Journal of Computer Chemistry, Japan
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電子を描く(12) ― 炭素原子のsp3, sp2, sp混成軌道
時田 澄男
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2023 年 22 巻 1 号 p. A2-A7

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Abstract

炭素原子をはじめとする多電子原子を原子価結合法で取り扱い,原子価状態の軌道関数を表す方法である混成軌道が,原子軌道の線形結合によってどのような数式で表され,それらの数式を可視化するいろいろな方法によってどのように描かれるかを紹介した.

Translated Abstract

Mathematical expressions of carbon sp3, sp2 and sp hybrid orbitals were visualized by various techniques such as orbital picture, real 3-dimensional probability density picture in a glass block, and isosurface representation. Orbital picture and probability density picture were especially useful for recognizing equivalency and directional characteristics of the chemical bonds. Isosurface representation uniquely showed the difference of s or p characters between these three hybrid orbitals.

1 はじめに

前回,水素原子から水素分子を生ずるときに,原子軌道の波の重ね合わせの考え方がどのように重要かという観点で調べた [1].今回は,炭素原子が関与する共有結合の方向性について,混成軌道の概念で解説する.

2 オクテット則

1916年,ルイスは,電子対によって共有結合が生成するという考えを提出した.単結合であれば,共有された1対の電子をA : BやA-Bのように表す.二重結合や三重結合では,A :: B (A = B)やA ::: B (A B)である.共有されないで原子上に残っている価電子の対を孤立電子対または非共有電子対という.いくつかの例をFigure 1に示すように,水素,炭素,窒素,酸素はそれぞれ,1, 4, 5, 6 個の原子価電子を持っていて,オクテット(電子が8個の殻,ただし,水素は2個の殻)を形成するようにお互いに電子を共有して化学結合を形成するという考え方である.これをオクテット則というが,どうしてこの法則が成立するのかという理論的裏付けがなかった.1926年,シュレーディンガーによって波動方程式が提出され,周期表における元素の電子配置が明らかになる [2]につれて,化学結合論における理論的背景がしだいに整ってきた.オクテット則は,原子価殻に8個の電子を持つ安定な希ガスの電子配置をとろうとする性質によって支配されることなどが明らかになっていったのである.

Figure 1.

 Lewis structures (electron-dot structures) of H2, HF, CH4 and NH3 molecules.

3 原子価電子対反発法

Figure 1における原子間の電子対を結合電子対という.アンモニア(NH3)やフッ化水素(HF)の点電子式には,結合電子対のほかに,孤立電子対が描かれている.ルイスの共有結合の理論では,これらの電子対の方向性について,何の情報も与えてくれない.原子価電子対反発法とは,「結合電子対と孤立電子対の電子間反発が最小になるように配置される」という考え方に基づく方法である.Figure 2は,2組から4組の電子対を球の表面になるべく離して配置する方法を図示したものである.それぞれ,メタン(CH4)の構造,ならびに,エチレン(H2C :: CH2)のH2C = C部分や,アセチレン(H : C ::: C : H)のH‐C C部分の構造に対応している.この方法は,一部の無機化合物の形の推定にも有効である[3].

Figure 2.

 Diagrams showing how the shapes of molecules predicted when the valence shell of the central atom contains 4, 3 or 2 electron pairs.

4 炭素原子の原子価状態

炭素原子の基底電子配置は,前々回,周期表の説明 [2] で述べたように,1s2 2s2 2px1 2py1である.基底電子配置の炭素原子が他の原子と電子を1つずつ出し合って結合をつくるとすると,対になっていない電子が2px と2py 軌道の2個分しかない.このままでは炭素は2価ということになってしまうが,炭素は通常は4価にはたらき,最大4個の他の原子と結合を作る事ができる.炭素の2s軌道にある電子を1つ2pz 軌道に昇位させ,1s2 2s1 2px1 2py1 2pz1の配置にすれば,4個の不対電子ができ炭素のまわりに4個の共有結合をつくることが可能になる.2s軌道の電子を2p軌道に昇位させるにはエネルギーが必要であるが,炭素が2価から4価になると結合も2個ふえることになるので,結合エネルギーの増加による安定化の方が大きい.単独の原子の最も安定な電子配置から昇位させて得た結合をつくりうる電子配置のことを原子価状態という.

1931年,ポーリングは,メタン(CH4)における4個のC-H結合を説明するために,軌道の混成という考え方を提出した [4].上記の,2s1 2px1 2py1 2pz1の配置において,4個の不対電子のうち1個は球形の2s軌道にあるので1つのC-H結合は方向性が無く,残りの3個のC-H結合は互いに直交する2p軌道にあるので互いに90°の角をなすことになってしまう.しかし,メタンの4個のC-H結合は等価であることがわかっていたので,これでは都合が悪い.結合の方向性や等価性が説明できないのである.炭素原子の原子価状態は混成軌道を使って次節のように説明される.

5 sp3混成軌道

炭素原子の原子価状態の原子軌道 χ 2 s , χ 2p x , χ 2 p y , χ 2 p z を次のように混ぜ合わせると,4 個のsp3混成軌道が式(1)-(4)のように得られる.ここで, 1 / 2 などの係数は規格化定数である.   

χ sp 3 1 = 1 2 χ 2 s + 3 2 χ 2p x (1)
  
χ sp 3 2 = 1 2 χ 2 s 1 2 3 χ 2p x + 2 3 χ 2 p y (2)
  
χ sp 3 3 = 1 2 χ 2 s 1 2 3 χ 2p x 1 2 χ 2 p y + 1 6 χ 2 p z (3)
  
χ sp 3 4 = 1 2 χ 2 s 1 2 3 χ 2p x 1 2 χ 2 p y 1 6 χ 2 p z (4)

上式は,このシリーズ5回目 [5] の第3節と補足資料で示した「複素関数の軌道から実関数の軌道を導く方法」と同じ数学的な処理である.式 (1) から式 (4) で示される原子軌道は互いに直交している.

Figure 3に式 (1) − (4) の平方(すなわち,電子の存在確率)をガラス内に彫刻した図を示した.混成軌道の計算にあたり,2s軌道には負符号をつけてある [2].左図(上図はZ軸方向から眺めた図,下図はY軸方向から眺めた図)から明らかなように,これら4個のsp3混成軌道のかたちは全く同じである.これらの軌道胞の方向が互いに109.47°の角をなすことは,8節に示す数式で求める事ができる.Figure 3右図には,Figure 3左図の直方体をX軸を通して眺めた図を示した.混成前のすべての原子軌道 χ 2 s , χ 2p x , χ 2 p y , χ 2 p z が同等の寄与をしていることを反映して,球形を髣髴させる円形が観察できることがわかる.後述のFigure 5右図または6の右図についても,結合軸の方向は異なるが,同様に球形を髣髴させる形が観察できるのは言うまでもない.

Figure 3.

 (left): Probability density distribution in the 3-dimentional distribution of carbon χ sp 3 1 , χ sp 3 2 , χ sp 3 3 , and χ sp 3 4 orbitals looking through Z axis (top) and looking through Y axis (bottom); (right): An image of a sphere looking through X axis。

Figure 4.

 (left): Probability density distribution in the 3-dimentional distribution of carbon χ sp 3 1 , χ sp 3 2 , χ sp 3 3 , and χ sp 3 4 orbitals; (right): Diagrams showing how the shapes of molecules predicted when the valence shell of the central atom contains 4 electron pairs:

Figure 5.

 Probability density distribution in the 3-dimentional distribution of Carbon χ sp 2 1 , χ sp 2 2 , χ sp 2 3 , and χ 2 p z orbitals.

混成軌道の数式の組は,一義的に定まるものではなく,式 (1) − (4) は,Figure 2左図に対応するものであるが,これら4式の規格化直交条件を保ったまま,無数の数式の組に書き換えることが可能であり,下式 (5) –(8) もsp3混成軌道の組の一例である.   

χ sp 3 1 = 1 2 ( χ 2 s + χ 2p x + χ 2 p y + χ 2 p z ) (5)
  
χ sp 3 2 = 1 2 ( χ 2 s + χ 2p x χ 2 p y χ 2 p z ) (6)
  
χ sp 3 3 = 1 2 ( χ 2 s χ 2p x + χ 2 p y χ 2 p z ) (7)
  
χ sp 3 4 = 1 2 ( χ 2 s χ 2p x χ 2 p y + χ 2 p z ) (8)

Figure 4左図は,式 (5) − (8) の平方を,原点から互いに109.47°の角をなす直線上に,原点から一定距離だけ離して彫刻したもので,Figure 4右図におおよそ対応している.立方体の頂点を1個おきに選択して直線で結ぶと正4面体になるので,Figure 4左図の彫刻の理解の助けともなる.

原点共通で描かなかったのは,混成前のすべての原子軌道 χ 2 s , χ 2p x , χ 2 p y , χ 2 p z が同等の寄与をしていることを反映して,球形が観察されてしまうことを避けるためである.

6 sp2混成軌道

炭素原子の原子価状態の原子軌道 χ 2 s , χ 2p x , χ 2 p y , χ 2 p z のうち, χ 2 s , χ 2p x , χ 2 p y を次のように混ぜ合わせると,3 つのsp2混成軌道が得られる.   

χ sp 2 1 = 1 3 χ 2 s + 2 3 χ 2p x (9)
  
χ sp 2 2 = 1 3 χ 2 s 1 6 χ 2p x + 1 2 χ 2 p y (10)
  
χ sp 2 3 = 1 3 χ 2 s 1 6 χ 2p x 1 2 χ 2 p y (11)

Figure 5左側は,式 (9) − (11) で表されるsp2 混成軌道の空間的配置,右側は,混成軌道および,混成にあずからなかったp軌道を,それぞれのX軸を直方体の中央に水平にして並べたものである.これら3 個のsp2混成軌道は相互にまったく同じかたちであることがわかる.Figure 2中央,および,Figure 5左図に示すように,それらの軌道胞の方向は互いに120°の角をなしている.

7 sp混成軌道

炭素原子の原子価状態の原子軌道 χ 2 s , χ 2p x , χ 2 p y , χ 2 p z のうち, χ 2 s χ 2p x を次のように混ぜ合わせると,2 個のsp混成軌道が得られる.   

χ sp 1 = 1 2 χ 2 s + 1 2 χ 2p x (12)
  
χ sp 2 = 1 2 χ 2 s 1 2 χ 2p x (13)

Figure 6に,2つのsp混成軌道 (1), (2) ならびに χ 2 p y , χ 2 p z における電子の存在確率をガラス内に彫刻したものを示す.2つのsp混成軌道 χ sp 1 , χ sp 2 のかたちは全く同じで,電子が存在する確率の分布の方向は互いに180°の角をなしている(Figure 2右図およびFigure 6左図).

Figure 6.

 Probability density distribution in the 3-dimentional distribution of carbon χ sp 1 , χ sp 2 , χ 2 p y and χ 2 p z orbitals.

8 3種の混成軌道の比較

以上のようにして得られた炭素原子の3種の混成軌道のそれぞれからひとつずつとりだして並べたものがFigure 7である.それぞれの平方にもとの関数値の符号の正負を示す色をつけてある.Figure 8には,これらのガラス彫刻が示してある.炭素原子の原子軌道としては水素様原子の原子軌道を使い,有効核荷電Z*および主量子数に相当する値nはスレーターの規則で定められる値(3.25,および,2)を用いた [6 (a)].

Figure 7.

 Carbon χ sp 3 1 , χ sp 2 1 and χ sp 1 orbitals.

Figure 8.

 Probability density distribution in the 3-dimentional distribution of carbon χ sp 3 1 , χ sp 2 1 and χ sp 1 orbitals.

Figure 7, 8 を観察すると,いずれも上方の軌道胞が大きく,下方の軌道胞が小さい.上方の軌道胞は,負符号をつけた2s軌道の+部分(外側部分)と2p軌道の+部分が干渉して,強め合い,下方の軌道胞は2s軌道の+部分と2p軌道の-部分が干渉して弱まっている.つまり,混成によって,一方の軌道胞が強められる結果,s軌道またはp軌道が単独のときよりも特定の方向に強い結合ができることになるのである.

一般に,N, λを定数として,   

χ = N ( χ s + λ χ p ) (14)
で表される混成軌道において,s軌道χsの係数の2乗とp軌道χpの係数の2乗の比(1 : λ2)をs性とp性の比という.式(1),(9),(12)のそれぞれについて1 : λ2を計算してみると,sp3混成軌道では1 : 3 (75%のp性),sp2混成軌道では1 : 2 (約67%のp性),sp混成軌道では1 : 1(50%のp性)ということになる.つまり,sp3(左図),sp2(中央),sp (右図)の順序でp性が低下するにしたがって,上下に描かれた軌道胞の大きさの差が大きくなり,s軌道の性質が増加することが理解される[6 (b)].

方向は異なるが,そのほかは全く同等な任意の2つの混成軌道のなす角をθとすると,θとλの間には次式 (15) の関係がある [7].   

cos θ = 1 λ 2 (15)
たとえば,λに3を代入すれば, θ = 109.47 ° となる.

Figure 9には,3種の混成軌道のかたちをより明確に観察できる方法として,これらの等値曲面図を示した.p性の減少により,下方の軌道胞が相対的に小さくなって球形の2s軌道のかたちに少しずつ近付き,藍色の半透明で示した節面(関数値が0になる面)のかたちも2p軌道の平面から2s軌道の球面に近付く変化をしていることが理解される [8].

Figure 9.

 Isosurface representation of carbon χ sp 3 1 , χ sp 2 1 and χ sp 1 orbitals.

9 おわりに

炭素原子の3種の混成軌道における電子状態を,ガラス彫刻(軌道の平方,すなわち,電子の存在の確率密度),正負を青色とマゼンタ色で示した軌道図ならびに等値曲面図で取り扱った.ガラス彫刻と軌道図は,化学結合の等価性や方向性を説明するのに有効であった.等値曲面図では,混成軌道のs性やp性の特徴が良く表現できた.混成軌道は,原子を原子価結合法で取り扱い,原子価状態の軌道関数を表す方法である.分子軌道法と比較すると,対象が限定されるという意味で一般性は損なわれるが,ルイスの電子対共有結合の下に化学結合の等価性や方向性を説明することが可能となる.このことについては,次回,電子を描く(13)で取扱う.

参考文献
 
© 2023 日本コンピュータ化学会
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