化学反応の反応性や選択性の起源の解明は学術的に興味深いだけでなく,反応を制御するうえでも重要である.我々は最近,環状ケトンの立体的な電子状態を定量評価して求核反応の面選択性を定量的に説明し解釈する新しい方法を提案した [1].本稿では日本コンピュータ化学会2024年秋季年会での口頭発表の内容 [2] に基づき,化学反応と立体電子状態に関するこれまでの研究と,我々が開発した新しい方法について紹介する.
Understanding the origins of reactivity and selectivity in chemical reactions is not only academically intriguing but also crucial for controlling reactions. Recently, we proposed a novel method to quantitatively evaluate the stereoelectronic state and rationally explain the facial selectivity in nucleophilic reactions of cyclic ketones [1]. This paper introduces previous studies on chemical reactions and stereoelectronic states, as well as our newly developed method, based on the oral presentation delivered at the 2024 Autumn Annual Meeting of the Society of Computational Chemistry Japan [2].
化学反応の反応性や選択性の制御は,有機化学における最も重要なテーマの一つである.多くの反応において,反応性や選択性は反応剤,触媒,基質の構造によって変化することが経験的に知られている.このような反応性や選択性と分子構造の定量的関係は,それぞれQuantitative Structure–Property Relationship (QSPR) およびQuantitative Structure–Selectivity Relationship (QSSR) と呼ばれ,これらの解析が反応性や選択性の制御において重要な役割を果たしてきた.QSPRおよびQSSRに用いられる評価手法の初期の例として,Hammett [3] および Taft [4] による置換基の電子効果および立体効果の実験的定量化が挙げられる.しかし,これらの手法は,実験的に調べられていない置換基に対しては適用できない.Sigmanらは,基質や触媒の置換基の大きさをCharton値やSterimolパラメータを用いて評価することで,従来の実験的手法を超えた化学空間を定量化し,不斉触媒反応におけるエナンチオ選択性を説明した [5,6,7].さらに,SigmanらはSterimolに加えてNBO電荷やカルボニル基の伸縮振動数を利用することで,Hammett による電子効果の定量化を発展させ,不斉触媒反応の選択性を説明した [8].また,触媒配位子などの原子団や分子全体の立体因子を仮想球内の原子充填率で評価する%Vbur [9] や,充填部分を可視化するsteric map [10] は,触媒配位子の立体的な特徴の評価に広く用いられている.Denmarkらは,分子を埋め込んだ各グリッドがファンデルワールス表面に内包されるボルツマン分布を評価するaverage steric occupancyを用いて,不斉触媒のエナンチオ選択性を説明し,新規触媒の開発に成功している [11].同様に,Yamaguchiらも触媒の立体構造を評価し,選択性に影響を与える空間を可視化することで,新規触媒の設計に成功している [12, 13].これらの研究については,Denmark [14] の総説論文が詳しい.このように,QSPRおよびQSSRの解析手法は,実験ベースの方法からin silicoな評価方法に発展し,不斉触媒反応を中心とするさまざまな反応性や選択性の解析を可能にしてきた.一方で,これらの指標は特定の骨格に対する置換基効果を定量化し,分子を剛体的に評価する手法が中心であり,反応性や選択性との関係を経験的に導くもので,反応の本質を決定する立体的な電子状態を直接的に考慮するものではない.反応の設計や最適化をさらに加速するためにはより広い化学空間の解析が必要であり,分子の本質を表す立体電子状態の解析を可能にする手法の確立が重要である (Figure 1).
Understanding of reaction selectivity through analysis of three-dimensional (3D) electronic states.
ここでは,反応性や選択性の説明において重要な電子状態の解析方法を紹介する.求核反応や求電子反応によって分子の電子数が変化するとき,分子内のどの位置で電子密度が変化するかを調べることは,分子の反応性や選択性を理解するための基本的な方法の一つである.Fukuiらは芳香族化合物に対する求電子置換反応の選択性の指標として電子数Nの変化に対する位置rの電子密度
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特に,求核性および求電子性Fukui関数は次のように表される (eq. 2-3).
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ここで,
SalemらとKlopmanらは,軌道相互作用に交換相互作用と静電相互作用を加えた式を独立に定義した (eq. 4) [16,17,18].
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ここで,
この式の第一項は,占有軌道間の相互作用から生じる反発的な立体因子を示し,第二項は静電的な項を表す.第三項は占有軌道と非占有軌道の相互作用から生じる引力的な軌道項である.
Tomodaらは,Salem-Klopman式に着想を得て,反応面のファンデルワールス表面外のフロンティア電子密度の違いを評価することで,求核反応の面選択性を説明するExterior Frontier Orbital Extension (EFOE)モデルを提唱した [19,20,21].EFOE理論は,selenanoneの還元面選択性の変化 [22] やDanishefsky pyranones (2,3,5,6-tetrahydro-4-pyranones) に対するL-Selectride (Li-sec-Bu3BH) の特異な反応面選択性の説明 [23] に用いられた.また,置換アダマンタノンの光異性化反応の選択性の説明に用いられた [24].このように,反応性や選択性は立体電子状態によって説明できると考えられる.
我々は電子状態の定量値を用いて,データ駆動的な反応選択性の解析を試みた.対象としたカルボニルのπ*軌道への求核反応の面選択性は最も基本的かつ重要な反応選択性の一つであり,これまでにいくつかの定量的な解析が行われてきたものの完全には解明されていない.例えば,Wigfieldら [25] はシクロヘキサノンに対する置換基ごとの定数を算出する方法を用いたが,骨格間の選択性の違いや特異な骨格を有する基質に対して解析することはできなかった.EFOEモデル [19,20,21,22,23]はフロンティア軌道理論に基づく本質的な解析が可能であるが,骨格間の選択性の違いや求核剤ごとの選択性の違いを網羅的には説明していない.分子動力学法や遷移状態計算などの理論化学的な手法 [26] による活性化エネルギー差 ΔΔG の解析はいくつかの反応選択性を説明するのに有用であるが,実際の系中の分子の挙動が正確に分かっていない求核剤や基質を含めた多数の反応に対する網羅的な解析は困難である.このように従来の方法では特定の分子に対する選択性を部分的には説明することができるものの,様々な構造の基質の反応選択性を網羅的に解析することは困難であった.我々は反応の本質を支配する立体電子状態を評価したうえで,様々な求核剤の挙動をデータ駆動的に解析する新規機械学習モデルを開発することで,これまで困難だった様々な骨格を有する基質や求核剤に対する面選択性を定量的に解析し,反応選択性に関する本質的な考察を試みた (Figure 2).
The concept of a data-driven model for analyzing electronic states.
訓練データには文献 [27],テストデータには訓練データには含まれていない基質と求核剤の反応からなる21個の文献のデータを用い,163種類の環状ケトン基質と8種類の求核剤による反応選択性を解析した (Figure 3A).ただし,β, γ位にアルコール,窒素,カルボニル,ハロゲンがなく,αβあるいはβγ不飽和でない基質のみを用いた.各基質構造に対しωB97X-D/cc-pVTZ//B3LYP/6-31G(d)レベルで構造最適化計算と一点計算を行い全電子密度
Overview of this approach. (A) Dataset used for the analysis. The reaction selectivity of 323 reactions involving 163 cyclic ketones and eight types of nucleophiles was analyzed. The table shows the number of training and test data points for each nucleophile. (B) Multiple regression model using steric and orbital factors as features. Steric factors were calculated from the difference in integrated electron density, while orbital factors were obtained from the difference in the LUMO wavefunction. Both were evaluated within a spherical space D (R, d, ±θ), which is centered on a plane perpendicular to the line formed by the ketone carbon and its two α-position carbon atoms.
LOOCVおよびテストデータの決定係数 q2 = 0.85, r2test = 0.83 は,反応選択性解析で一般的な Tropshaの指標 [28] (q2 > 0.5, r2test > 0.6) を凌駕し高い予測性能が示された (Figure 4A).求核剤ごとに最適化された球空間の半径R (Figure 4B) は求核剤の置換基の大きさを表すSterimol Lおよび B5に対して正の相関関係 (相関係数 > 0.8) があり,面選択性は求核剤の大きさに影響されることが示された.立体因子と軌道因子の標準偏回帰係数の比を比較したところ,NaBH4では軌道因子の寄与が大きく,よりhardな求核剤であるLiAl(OMe)3H, MeLiでは立体因子の寄与が支配的であることから,面選択性は求核剤のhardnessの影響を受けることが示された (Figure 4C).本手法を用いることで,基質と求核剤の組み合わせによる反応選択性の違いを説明することができる.例えば,2-methylcyclopentanoneに対する求核反応はMeMgIではややsyn選択的だが,PhMgIではanti選択的である.これは,基質の2位のメチル基との立体的な反発が,比較的小さな求核剤であるMeMgIでは弱く,大きな求核剤であるPhMgIでは強いためと説明できる (Figure 4D).4-tert-butylcyclohexanoneに対する求核反応はNaBH4ではaxial選択的,MeLiではequatorial選択的である.これは,比較的softな求核剤であるNaBH4はHOMO-LUMO相互作用が有利なaxial方向からの反応が有利だが,hardな求核剤であるMeLiでは立体的に空いたequatorial方向からの反応が有利なためと説明できる (Figure 4E).このように,本研究の手法によって電子状態とπ面選択性との本質的な関係が明らかになった.
Results of this approach. (A) Prediction results including all training and test data for reactions involving eight types of nucleophiles. (B) Visualization of the optimized evaluation spheres for each nucleophile dataset. Norbornanone is shown for comparison. (C) Ratio of the importance of steric and orbital factors. (D) Analysis of reaction selectivity for the reactions of MeMgI and PhMgI with 2-methylcyclohexanone. (E) Analysis of reaction selectivity for the reactions of NaBH4 and MeLi with 4-tert-butylcyclohexanone.
本稿では,これまでの反応面選択性の解析についての概要を紹介し,我々が開発した立体電子状態を特徴量として反応選択性を定量的に説明する新しいデータ駆動型手法について解説した.本手法は,従来の方法では網羅的な解析が困難であった多様な基質と求核剤の組み合わせに対し,その反応選択性を詳細に解析し,高い予測精度を実現した.具体的には,構造最適化計算と全電子密度やLUMO密度の解析を用いて,両π面の立体因子および軌道因子を定量的に評価し,複数の求核剤における面選択性を説明した.さらに,球空間の半径や立体因子と軌道因子の寄与の解析から,求核剤の大きさやhardnessが面選択性に及ぼす影響を明らかにした.本手法は,市販のソフトウェアで作成可能なGaussian cubeファイルを用いるため,汎用性と再現性が高く,他の反応系への応用も期待される.加えて,従来の方法では解析が困難であった基質と求核剤の組み合わせに対しても,立体的な電子因子に基づく体系的な解析が可能であることを示した.この成果は,今後の選択性解析において重要な貢献を果たすと考えられる.さらに,LOOCVや外部データセットにおける高い予測性能により,未検証の基質や反応条件に対しても信頼性の高い予測が可能であることが示された.本手法は,反応選択性に関するこれまでの経験則に基づく解析や,局所的な化学空間のみに依存する手法に比べ,分子の電子状態と選択性の本質的な関係を体系的かつ網羅的に明らかにする可能性を秘めている.本手法は,新規な基質や触媒を対象とした反応設計や最適化のための強力なツールとなることが期待される.