2026 年 11 巻 p. 55-76
日本語の「来る」や中国語の“来”のような「来る」類の直示移動動詞は,話者などの事象知覚・認識者と移動者との間の視覚的・相互行為的関わりが関与するという点で機能的性質を持つ。このことは,これまで眼前の移動を表現する例から主張されてきた。本稿では,そのような視覚的・相互行為的関わりの役割について,眼前の移動以外を表す場合を中心に,日本語と中国語のより広い用例をもとに検討する。その中で,発話時の話者領域以外の場所への移動に「来る」類が使われるかどうかは,着点にいる人が移動者との視覚的・相互行為的関わりを持つことを想定しやすいかどうかに左右されることを指摘する。また,視覚的・相互行為的関わりが生じることを伝える文脈では,「来る」類が優先的に使われて「行く」類の使用が阻止される場合がある。さらに,特に日本語では,ナレーターが注目している(あるいは読者に注目させている)領域への移動も「来る」類で表される場合がある。これらの現象が起こるのは,「来る」類が,視座にある人物(事象の知覚・認識者)との関わりが生じる領域(「知覚・認識者の領域」)への移動を表すからである。