抄録
台湾では,古来indica イネが栽培されていたが,1900 年頃から日本への輸出用japonica 米の大量生産が求められるようになり,多くの日本在来japonica 品種が導入され,試験栽培が行われた.しかし,それら品種は本来の収量ポテンシャルを発揮できず,低収量であった.本報では,その理由をまず解析し,低緯度に位置する台湾の稲作期の日長が日本におけるより短く,中緯度の日長に適応した日本品種は,感光相が大幅に短縮されて栄養器官の生長が不十分なまま出穂開花したためと結論した.次に,日本在来japonica 品種間交雑(「亀治」×「神力」)によって台中農試で1927 年に育成された「台中65 号」が安定多収を示し,台湾の主力品種となって長年栽培され,現在まで交配母本として汎用され続けている理由を考究し,同品種は短日長の台湾においても長い栄養生長期間をもたらす“ 極長の基本栄養生長相(BVP)と弱感光性” を有するため安定多収になること,その極長BVP はBVP 増大遺伝子ef1 と不感光性遺伝子Se1-e の相乗効果によること,ef1 は「台中65 号」の育成過程でEf1 から自然突然変異によって誘発された遺伝子である可能性の高いことを示した.