抄録
平安時代初期に造営され、嵯峨天皇の東宮時代からの離宮で後に後院となった嵯峨院と、大伴親王(後の淳和天皇)の邸宅で、後に淳和天皇の離宮及び後院となる淳和院の庭園を対象に、これらの庭園に関連する漢詩の分析から形態的・機能的特性の把握と、両者の比較検討を行った。その結果、嵯峨院庭園は嵯峨野の自然を十二分に生かすための大土木工事を行い、仙境的空間ともいえる幽閑な環境を創出しており、淳和院庭園は右京の湿地性の立地を逆手に取り、侘びの景観を生み出していた。利用方法、意匠共に異なる両者だが、その在り方には通底するものがあり、いわば「山里」的志向ともいえる意識を見出すことができた。