いじめを典型的な集団力学的現象とみなす直感的な理解を批判的に検討した。いじめと呼ばれる現象では、当事者間の力学も、集団内の布置もあまりに多様で互いに矛盾を来すほどであり、時間的プロセスまで加味すると事態はおよそ複雑を極める。さらに唯一共通するはずの、被害者の苦痛という要素についても、それを訴え出ることができず、被害としての認識すら持てないケースまで存在するため、いじめの把握は原理的に極めて困難である。それに対し、被害者の苦痛をもたらす集団力学的な構造を検討して、そこに通底する一意的かつ一方向的な関係の存在を見出した。その関係がさらに周囲から一意的かつ一方向的な同型の扱いを受ける、入れ子のような二重構造こそ、いじめ現象の本質であることを指摘した。いじめはその中に集団力学のありとあらゆるパターンを網羅しており、およそ単純な現象とは言い難い。にもかかわらず、それを子ども世界だけの出来事とみなし、構造もシンプルと錯覚すること自体、いじめと似た無視や決めつけの構図に陥っている。私たち自身がすでに一意的かつ一方向的な集団力学の構造にとらわれており、そのためにいじめ問題の把握と対応にも重大な混乱の生じている可能性を指摘した。あわせて、いじめの言説と時間的プロセスに着目してこの集団力学的な構造を対象化し、理論的な考察を通して対応の実践に貢献する可能性を示した。