抄録
本報告の目的は、戦後日本の農村地域において、米国流の都市生活を範とする家政学的な知や技術がもたらされる過程で、女性の家事労働がどのように再編され、女性をめぐる生活世界がどのように変容していったのかを、フィールドワークに基づく聴き取り調査と広範な関連資料の収集・分析によって、明らかにすることにある。研究対象としてとくに焦点をあてるのは、「高度成長期」の高校家政科を拠点として学校現場および地域で展開された、ホームプロジェクトや家庭クラブ活動といった、家政学的な知や実践をめぐる動態である。具体的には、家政学的な知による「指導」や動員の対象とみなされた農村地域の女性たちが、生活世界の中でこうした知の導入にどのように対応し、自分たちの労働状況を組み替えていったのか、について分析する。
家庭クラブとは、敗戦後米国から日本に移入され、CIEや文部省などのバックアップの下で組織された、家政学的知に基づく組織的教育実践であり、家庭科教育で教えられた内容を生徒が家庭において実践に移し、これを契機として地域社会における家事労働の「合理化」が図られる、という動員形態をもっていた。本稿では、こうした動員が地域生活にどのような変容をもたらしたのかを明らかにするために、文部省発行の家庭科に関する各種手引き、家庭クラブの機関紙『高校家庭クラブ』、芳賀地区の高校における家庭クラブの実践報告等の文献資料を検討するだけでなく、当時の家庭科教員や生活改良普及員といった地域社会における家政学的知の「媒介者」や、当時の学校生徒や地域社会の生活者である女性といった「受け手」から、綿密な聴き取り調査を行った。対象地域は、栃木県の南東に位置する芳賀地区である。
2003年7月から9月、および2004年7月から9月にかけて、インタヴュー調査を行った。インタヴュー対象者は、(1)同地区においてホームプロジェクトや家庭クラブ活動の「担い手」あるいはエージェントの側にあった、家庭科教員経験者、小児科医経験者、保健所職員、文部事務官などの行政担当経験者、(2)家政学的実践の「受け手」の側に置かれた諸個人、とくに当時同地区に居住していた女性たちや、ホームプロジェクト・家庭クラブ活動の大きな影響下にある家庭科教育を受けた当時中高生の女性たち、などである。
まず本報告は、敗戦後の日本で家庭クラブがどのように編成されたのかを、C.I.Eの指導方針、文部省から家庭科の教育現場への指示内容、家庭クラブの機関紙に見られる家庭科教員の間での議論等から跡づけた。こうした分析から明らかになったのは、家庭クラブ活動が生活を「改善」すべき「主体」として想定したターゲットが、「農村婦人」だったという点にある。次に本報告は、上記の芳賀地区を事例として、家庭クラブ活動が学校や地域でどのように実践に移され、「農村婦人」をどのように動員しようとしていったのか、について検討した。具体的には、家政学的な教育実践が、小児医学や栄養学といった計量的な(「合理的」で「近代的」な)知に後押しされながら、農村女性を「近代的」な育児の「主体」として動員していこうとするプロセスを分析した。最後に本報告は、家庭クラブ活動の「受け手」であり動員のターゲットである農村女性たちが、家政学的知をどのように受けとめ、実際はどのように自らの家事労働のあり方を組み替えていったのか、について考察した。具体的には、家庭クラブ活動によって、彼女たちの育児のあり方が決定的な変容を被りながらも、従来の農村生活において培われてきた独特の子育ての知恵やリズム(子どもが泣いたら食事を与えるという感覚、目分量に基づく「栄養」の感覚など)によって、家政学的知が換骨奪胎されていくプロセスを浮き彫りにした。
参考文献:
ステイジ、セイラ/ヴィンセンティ、ヴァージニア=倉本綾子1997=2002『家政学再考』近代文芸社。
渡瀬典子2002「学校家庭クラブ活動における「奉仕的活動」の変遷――『FHU』誌の分析から――」、『日本家庭科教育学会誌第45巻第3号』、pp.255-263。