情報通信政策研究
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寄稿論文
分人型社会システムによるAI共存社会の枠組みに向けて
武田 英明
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2021 年 5 巻 1 号 p. 113-129

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Abstract

本稿では、高度情報化社会における人のあり方として分人型社会システムを提案し、議論を行った。個人(individual)を分割不可分な一つの存在とみなすのではなく、個別の関係性によって生じる人の部分的な存在として分人(dividual)を導入し、この分人が社会を構成すると考えるのが分人型社会システムである。まず、分人という概念の出自について、文化人類学、作家平野啓一郎、心理学・社会学、哲学者ドゥルーズにおける分人のあり方を紹介する。このような分人を巡る議論の中から、本稿では、特にプラットフォーム/制度に紐づいた存在を分人と定義する。このような形で分人を定義することで、社会の活力の増大、個人の新たな幸福への機会創出、デジタル技術と融合した社会の発展が期待される。ただ、このような分人に基づいた社会、分人型社会システムの実現には多くの課題がある。これをレッシグの4つの規制の枠組みで分析した。分人で構成される分人間社会ではアーキテクチャの安定性や内部のルールと実社会の法律との関係性が課題になる。分人を前提とした実社会では、分人の社会的認知や分人の法的位置付けが課題となる。こういった課題を克服し分人型社会システムを構築することによって、人々がSociety 5.0に代表される高度な情報化社会において十二分に活躍できるようになる。

Translated Abstract

In this paper, we proposed and discussed the dividual-based social system as a way of existence of people in an advanced information society. Instead of considering the individual as a single existence that is indivisible, we propose the dividual as a partial existence of a person arising from inter-personal relationships, and consider that the dividual constitutes the society. First, we introduce the origins of the concept of dividual from difference perspectives, i.e., anthropology, the writer Hirano Keiichiro, psychology and sociology, and the philosopher Deleuze respectively. From these discussions, we define a dividual as an entity that is specifically tied to a platform/institution. By defining the dividual in this way, it is expected to increase the vitality of society, create opportunities for new happiness for people, and develop the society along with digital technology. However, there are many challenges in realizing the society based on dividual. We adopt Lessig's four methods for regulation to clarify the challenges. In the society composed of dividuals, the stability of the architecture and the relationship between internal rules and the laws of the real world are issues to be addressed. In the real world, which is based on the premise of dividuals, the social recognition of dividuals and the legal positioning of dividuals become issues. By overcoming these issues and building the dividual-based social system, people will be able to play their roles fully in the advanced information society represented by Society 5.0.

1.はじめに

我々の社会は高度情報化社会に移行して久しく、さらには日本政府はSociety 5.0と銘打ったさらに情報化が進んだ社会への移行を推進している。人工知能(AI)を含むデジタル技術が社会で広く深く浸透していくときに、社会の仕組みの変化だけでなく、人々にも変化が求められるであろう。個人としての人はこのような高度な情報化社会でどのようにあるべきなのかは、個人の幸福ひいては社会の幸福を考える上で重要である。

このような観点から、本稿では個人がどうあるべきかという問題に対して、分人(dividual)という考え方を導入し、分人型社会システムというものを提案する。Dividualという概念は西欧型の個人(individual)に対比される形で主に文化人類学で提起されたものである。日本では作家の平野啓一郎氏がdividualに対応する日本語として分人としたものが広く受け入れられている。

2.分人とはなにか

個人(individual)という概念の成立は歴史的にはヨーロッパにおけるキリスト教の普及を通じて生まれ、西欧から始まった産業革命以降の現代社会の主要な考え方となった。個人であるとは、概ね、同一性があり、他者との境界がはっきりしており、自律性および自由性があるような存在としての人のあり方であると理解される2

これに対して、一人の人を一つの個人と考えるのではなく、複数の異なる存在の重なりとしてみるという考え方が近年生まれ、その人の構成する存在を分人(dividual)と呼んでいる。

人の中には複数の異なる存在があるといった考え方自体は決して新しいものではなく、発想としては古来から自然に存在している。しかし学術的には、アジアを対象とした文化人類学の研究において、西欧由来の個人という概念で人を捉えることの不適切さを指摘し、人を個人ではなく複数の分人として捉えることが提案されたことが契機になっている [中空2016]。

心理学においても分人とは言わないものの、人の中の複数性を多次元的自己として捉えている。かつては自己の同一性が発達した成人のもつ性質であり、複数性は未発達あるいは発達途上の段階とみなされていたが、最近は積極的に複数性を認める研究もでてきている。

作家の平野啓一郎氏は、自身の小説で分人という概念を提示し、また分人主義を提唱する書籍を出し、分人が現代社会に必要な考え方であることを主張している。ここでは、分人という用語はdividualに対応するとされたが、心理学での多次元性自己に近い概念である。

哲学者のドゥールズは規律社会と管理社会の対比の中で、管理社会では人は分人となるという形で分人を導入している。

まずはこれらの分人に関する諸議論を概観することで、分人という概念の特徴をみることにする。

2.1.文化人類学における分人

文化人類学ではアジアの民族研究において、西欧文化に由来する個人では捉えきれない人のあり方としてdividualという概念が提唱され、展開された[中空2016]。

M.マリオットは南アジアの民族研究において、dividual (dividual person)という考え方を提唱した[Marriott1977]。ヒンドゥーにおいては物資的なものと習慣や規範が不可分となっているサブスタンス=コードの交換が重要な役割を果たしており、人は多様なサブスタンス=コードと一体となり変化するので、固定的なindividualではなくdividualであるとした。ただ、マリオットのヒンドゥー文化を西欧文化と対比的に捉えるやり方は論議を呼び、dividual概念もその中にあったため、その後は発展することはなかった。

ストラザーン[Strathern1988]はメラネシア民族研究において再びdividualの概念を持ち込み発展させた。メラネシアにおいて、人格はものとの関係性の帰結であり、サブスタンスの共有で結ばれる複数の関係性の結節点であるとされる[中空2016]。たとえば、ある人はクランの代表者であり、姉妹の夫でもあり、豚の所有者でもあるが、それぞれが異なるサブスタンスの共有関係に由来している。豚の所有者であるというdividualは、その豚とその人と豚を育てる妻の間の婚姻関係、あるいはその豚を贈与した人との交換関係に由来する。

その後、individualism/dividualismに関しては多くの議論が人類学において行われた(例えば[Smith2012])。そうした議論を経て、社会や文化を個人と分人によって二分法で分かつのは適切でなく、人類学においては「すべての人は個人であり分人である」とみるが適切だと考えられるようになっている[Englund2000]。

2.2.平野啓一郎氏による分人

作家である平野啓一郎氏は自身の小説[平野2009]で分人という考え方を導入するとともに、評論書[平野2012]の中で実社会における分人主義を提唱した。本書における分人主義とは概ね以下の通りである。

  • - 本当の自分とは何かを考えてみるとき、会う人やコミュニティごとに違う振る舞いをするが、これは「私」は「私」を偽っていると考えるべきだろうか。否、それぞれの関係における「私」はみな「私」である。ならば、その単位を分人と呼ぼう。
  • - 分人は人との関係ごとに存在する。すなわち、関係ごとの分人によって、「私」は分けられている。「私」はその総体である。分人に優劣はない。
  • - 分人が関係によって生じ、関係によって消える。分人は関係とともにある。また、分人の総和である「私」はこういった分人の変化によって変化する。
  • - 「私とは分人(の集まり)である」と考えることにより、生きやすくなる。

平野氏は自らの青年期での体験(パリでの語学学校での自分と日本人仲間での自分の振る舞いの差異)や高校と大学での同級生が同席するときの違和感といった体験を織り混ぜ、分人の存在の自然さやその効用を論じている。また、昨今のSNSの振る舞いとリアルでの振る舞いのギャップにも触れている。

平野氏の分人主義は多くの共感を呼び、dividualの訳語としての分人の定着と、さまざま分野での論考がなされた(例えば[鈴木2013] [庄司2015]など)。

平野氏は自身では後に述べるドゥルーズの分人との関連性を示唆したことがあるが3、文化人類学のdividualには言及はしていない。また、分人/dividualとは言わないものの、心理学・社会学で提起された多元的自己あるいは自己の複数性は平野氏の分人概念に近いものである。

2.3.心理学・社会学における多次元的自己

古典的心理学においては、単一の自己を持つことが前提とされていた。アイデンティティの形成には,それまでにおいて形成してきた自己をその共同体で承認されるような単一の自己へと統合することが必要とされた [Erikson1959][藤野2021]。すなわち統合されていない自己は発達途上であるとみなされていた。

しかし、社会学的見地からは、最近は単一ではない複数の自己を持つことを積極的に評価するようになってきた。すなわち

  • - どれもがどれも本当の自分らしい[浅野1999]
  • - 複数のidentitiesがゆるやかに束ねられたかたち[辻1999]

といった多元的自己を肯定的に受け入れようとしている(図1参照)。これらはとくに日本の1990年台の青少年の振る舞いの観察・分析からもたらされている。高石[高石2009]によれば、

  • - 1960 年代~1980 年代前半までに学生時代を過ごした世代のこころの構造は、[...] 近代人のこころの構造論に沿って理解することが可能である。近代のこころとは、唯一の自我が、さまざまな衝動をコントロールして人格の統合性を保ち、意識すると葛藤が起きて都合の悪い欲求や傷つきは、無意識の領域へ抑圧するという図式で表される。
  • - 一方、1980年代末以降に学生時代を過ごす世代のこころの構造は、自我の統合性が相対的に希薄で、こころの中で混じると都合の悪い要素は衝立で仕切るように切り離し(それを心理学の用語では「解離」と呼ぶ)、ばらばらのまま併存させているという図式で表される。

とされ、時代的な変化を示唆している。

図1.自我構造の2つの模式図

(出典)[辻1999]

社会心理学においても、自己の多面性を評価する研究も行われている。自己の持つ側面の数に基づく自己複雑性を提示し、この自己複雑性が高いほど、否定的感情が他の側面に影響を与えず、ストレスから生じる否定的感情に対してのバッファ(緩衝)になることを示している[Linville1985,1987]4

また、こういった自己の多面性は文化差があるという指摘もある。[Markus 1991]では、西欧対アジア(とくに日本)の比較で、前者は独立的自己観(independent construal of self)、後者を相互依存的自己観(interdependent construal of self)という特徴づけを行なっている。これは先の辻の自我構造の類型とよく似ている。

2.4.ドゥルーズによる分人

哲学者のジル・ドゥルーズは文化人類学の議論とは別個に分人(le dividuel)を著作の中で用いている。特に関係しているのは晩年の「追伸-管理社会について」[ドゥルーズ1992] での言及である。以下の説明は [内藤2021]を参考にしている。

「追伸-管理社会について」において、ドゥルーズは規律社会と管理社会を対比的に導入し、社会は規律社会から管理社会へ移行しているとする。前者において人は複数の監禁環境を移行する存在であり、社会の目的は人間を秩序立てることによる生産力をつくることになる。この社会において個人は群れ(会社や軍隊などの組織)の登録番号であり、社会のなかで個人は群れへの鋳型を嵌め込まれた様態であるとされる。後者は恒常的な管理と瞬時のコミュニケーションによって管理される社会であり、人は恒常的な準安定状態に置かれて、分断、相互敵対をさせられて管理される。この社会において人は分人であり、それは数字/データバンクとして把握され、求められるままに自己変形的に変調する。

ドゥルーズの管理社会は、現在進行中のデジタル社会に相当するものであり、そこでの人の管理の方法、デジタルデータで人を管理するという方法によって捉えられたものが分人となる。分人は社会からみた人のありようであり、自身の内面的な問題には直接関わらないので、他の分人概念(文化人類学、平野氏、心理学・社会学)とは視点が異なる。

2.5.まとめ

ドゥルーズの分人をのぞく分人概念には一定の共通性がある。それは以下のようにまとめられる([内藤2021]参照)。

  • - 人(人格、自己)における分人の複数性
  • ➢ 人は分割不可能な唯一の個人でなく、複数の分割された分人からなる
  • ➢ 分人の集まりとしての人
  • ➢ 分人に優越性はない
  • - 分人の関係依存性/関係不可分性
  • ➢ 分人は外との関係によって作られる
  • ➢ 分人は人やものとの関係と不可分(関係と同時生起・消滅)
  • ➢ 個自身よりも関係あるいは社会を第一義に考える
  • - 非西欧的/脱西欧的(西欧型個人概念との対比)
  • ➢ 人類学における非西欧地域研究を通じての提唱
  • ➢ 日本での社会学的分析
  • ➢ 日本における「個人」概念の違和感(平野氏)

個別の分野で議論していたことが一定の共通性があることが興味深い。例えば、平野氏は分人は関係とともに生成消滅するとしているが、文化人類学の分人も同様の性質があるとされる。また、社会学では一定の年代以上に多次元的自己がより肯定的に受け止められていることを指摘しているが、平野氏自身の世代もそれに符号する。

3.分人型社会システム

前章では、いつかの分野で議論されてきた分人概念について概観し、その特徴をまとめた。文化人類学の研究において非西欧文化の中で“発見”された分人は、必ずしも西欧対非西欧という対比図式に捉えるのは適切ではなく、人のあり方の二つの特徴的な視点を提供していると考えられるようになった。そのような理解においては、社会学で指摘された現代における自己疎外からくる脱個人化(de-individualization)とはスムーズにつながる。平野氏の分人もこのような流れで理解すると、彼の分人主義が若い人を中心に広がっているのも了解できる。

以上のような背景を鑑みたとき、現代社会の複雑性の対処としての分人化の肯定的受け入れは、大きな可能性があると考えられる。ことにアジア的文化環境においては、西欧に比べより受け入れやすいと考えられるため、日本においてまず問題を提起する価値は高い。そこで、本稿では、今後より進むデジタル化社会に適合する形での分人型社会システムを提案する。

3.1.分人型社会システムの定義

分人型社会システムにおいては、分人を社会の枠組みに取り込むことを狙っている。このために分人にある程度の制約が必要となる。

採用する分人の基本的性質は以下の2つである。

  • (1) 人における分人の複数性
  • (2) 分人の関係依存性/関係不可分性

これまでに見てきたように、分人といっても、概念的に幅がある。とくに(2)において外部の関係が重要になってくるが、どのような関係を分人化と結びつけるかによって、分人のあり方がかわってくる。文化人類学ではものなどの交換を関係としており、分人の存立はこの関係が立ち現れるときのみとされる。平野氏の分人は最も細かくは人一人とのコミュニケーションごとに分人があると考えている一方、学校や職場、SNSといった集合的な人とのコミュニケーションにおいても分人があるとしている。

ここでは、分人が依拠する関係とは人とのコミュニケーションが行われる場であると考えることにする。さらに、このコミュニケーションの場は組織的、文化的あるいはデジタル的に一定の安定性をもって存在するものを対象とする5。すなわち、ここでは分人はコミュニケーションの場としてのプラットフォームや社会習慣ごとに存在すると考える。このような制約を課すことで、分人は比較的長期に安定かつ外部から把握可能になることが期待される。これは分人を社会的な枠組みに取り込むためには、必要な性質だと考える。

(1)の分人の複数性の考え方としては分人は分離可能であると考える。分人の複数性に関しては文化人類学の分人と平野氏の分人・社会学心理学の分人は分人間の関係のあり方で異なる。前者は分人は重層的であり、人は異なる分人が重なりあうことで成り立っていると考える。後者の分人においては分人が分離されていることが強調され、相互に影響を与えないことに意味があるとする。この点では後者の立場を取る。

分人のあり方を比較すると図2のようになる。分人型社会システムにおける分人は、SNSに代表されるデジタルのコミュニケーション・プラットフォームにおいては馴染みやすい。むしろ、こういったプラットフォームでの実践を共通化、汎化していると考える方がわかりやすいかもしれない6

図2.分人のスケールと関係性

以上をまとめると分人型社会の構造は以下のようになる(図3参照)

  • - 分人
  • - 分人の集まりとしての個人
  • - 物理的/社会的個人
  • - 異なる分人の集まりとしての分人間社会/分人コミュニティ7

個人はそれぞれがなんらかの分人間社会/分人コミュニティに属する分人の集合として存在する。分人の集まりとしての個人は基本的には物理的個人(身体をもつ人としての個人)や社会的個人(これまでの社会における個人)と一致する。しかし、常に一致するとは限らない。分人間社会/分人コミュニティは分人を構成要素とするものであり、基本的にはなんらかのプラットフォーム/制度に支えられる。

図3.分人型社会の構造

3.2.分人型社会システムの効用

分人型社会システムの社会の仕組みとして受け入れるとさまざまな効用が期待される。

3.2.1.仮想的人口増

社会問題解決としては、仮想的な人口増を実現することができる。一人の人が複数の分人として社会参加することができれば、社会的な人口は2倍3倍と増えることになる。全人格的個人を対象にするのではなく、個人の部分的な参加を許容するというアプローチはすでに色々な場面で実施されている。単に「部分的参加」から「分人として参加」に変えることは、単なる名称の変更でなく、参加側にとっても受け入れ側にとっても意味がある。その限定された状況下においては、分人は権利においても義務においても従前の人と同様の扱いを受けるということである。

実際、そのような動きは行政にすでにある。もっとも顕著な例はエストニアで実施されているe-residencyである8。これはエストニア国民以外でもe-residentと呼ばれるIDを取得することでき、e-residentになるとエストニア国民と同様に銀行口座の開設や会社の設立ができるようになるというものである。e-residentになった人は自国での自分とは別のIDをもって擬似的なエストニア居住者として活動できるので、一つの分人を手に入れたといえる。このエストニアの活動を参考に、国内でも「e-加賀市民制度」というものが加賀市で実施されている[加賀市2021]9

また、会社への社員の一義的な帰属を前提とする日本式の会社組織でも、近年、副業を許容するといった動きがあり、社会活動としての分人の可能性は国内でも広がっている[日経新聞2019]。

3.2.2.新たなwell-beingの創出

個々人からみても分人型社会は新たなwell-beingの創出が可能であると考えられる。

まず、より柔軟な人生を送る機会を提供する。より多くの関係、より多くのコミュニティとの繋がりを可能にする。これにより、これまで以上に異なる体験をすることが可能になる。これは人生の可能性を増やす点で個々人の幸福に寄与すると考えられる。

また、より多様な社会の実現へも寄与すると考えられる。個人が個人として認識される限り、個人が生得的にもっている属性(人種、性別など)や社会的に付与された属性(職業や居住地)と切り離して活動するのは容易ではない。分人化することで、そういった属性を部分的に切り離して活動することが可能になる。このような活動が可能になること、より多様な様相のコミュニティを是認しやすくなると考えらえる。すなわち、国、人種、性別、年齢、障害など様々な障壁を低くする効果が期待される。

3.2.3.デジタル技術とのマッチングによるイノベーション

今後ますます人工知能(AI)が社会で利用されることが期待されている。社会に入ってくるAIのタイプの一つとして人と直接相対するシステムとしてのAIである。このとき、人とAIシステムの関係を分人としての人と分人としてのAIシステムと捉え直すことで、AIシステムが社会でより受け入れられ、活躍できると考えられる。

人と直接相対するシステムとしてのAIが接するとき、多くの人はAIに人として振る舞いを期待してしまう10。しかし、AIの高度化が著しいといっても、まだ限界がある。とくに人間と関係するシステムにおいては、人間側の振る舞いの多様性や不規則性にすべて対応するのは困難である。しかし、システムが人の期待に沿えないときに逆に失望の度合いは大きく、AIに対する不信が増大することが危惧される。

これは全人格的個人を想定するときには顕著であるが、分人という形で人とシステムが相対することで、この期待と失望の程度を緩めることが可能であろう。このとき、人からみたとき、特定の限定された役割のコミュニケーションであるということが前提となるので、期待する範囲が限定される。一方、特定の役割に限定した場合、AIシステムは強力な機能を発揮しうる。

一例としてtwitterのAI botのケースをとりあげよう。AI botとは、AIを用いて、ユーザとの対話を自動的に行うサービスで、エンタテーメントからコールセンター機能といったビジネスユースまで幅広く使われるようになっている。この中に、日本のマイクロソフト社が2015年7月に女子高生AIというキャチフレーズで導入したbot「りんな」と米国マイクロソフト社が2016年3月に導入したbot「Tay」という二つのAI botがある。「りんな」はサービス開始以来、多数のユーザの支持を受け、現在もサービスは継続中である11。一方、「Tay」も同じく19歳の女性とキャラクターでデビューしたものの、公開後わずか16時間後に停止することになった[Alba 2016][Wired 2016]。主な原因は、ユーザが差別的な応答を繰り返すことにより、「Tay」自身が差別的発言をするようになったことである。

機能的にも違いがあるものの、ユーザ側の受け止め方が大きく異なっていたことが、その差に繋がったものと筆者は考える。日本のユーザは「りんな」をあくまで女子高生風の問答をするbotという限定された形で受け入れた。一方、アメリカではそのような限定的な受け入れ方ではなく、全人格的な人として受け止め、その前提で様々な話題でテストされ、結果的に脆弱性を突かれたと考えられる。

これはAIシステムの設計においても分人的アプローチが効果があることを示唆している。AI自身も分人として人に認知させる方が安定した関係が築けると考えられる。

ロボティックスやテレイグジスタンス、あるいはアバター技術においても分人型のアプローチが親和性が高いと考える。ロボットにおいても全人格的ロボットを期待することは失望につながり、むしろ普及を阻害する。特定の関係性だけで交流するロボットは受け入れやすい。ペット型ロボットや癒しロボットなどがそれに当たる。また、人を物理的に異なる場所にいるかと思わせるテレイグイスタンス技術/アバター技術は人の物理的限界を超える技術として期待されるが、物理的な身体と強く結びついた個人の概念は、はやり普及の阻害になる12。テレイグイスタンス技術によって物理的身体と切り離されて活動する時は、個人の一部である分人として活動していると考える方が本人にとっても関係する人々にとっても自然であり、むしろ活動の場を広げることができる13

3.3.分人型社会システムの構造と実現に向けての課題

現代の個人のあり方を考えるに、個人の自由が社会で規制されているかというレッシグの観点[Lessig1999]は有効であると考えられる。レッシグによれば、現代の個人は、法、社会の規範、市場、アーキテクチャの4つの異なる規制条件があるとされる(図4参照)。我々の社会においては、個人は古くは法、社会の規範によって規制されてきたが、20世紀に入っては市場が、そして21世紀に入ってはインターネットがもたらすアーキテクチャが重要な規制の担い手として登場してきた。レッシグの4つの規制の図において中心の点は個人であるが、この個人を分人型社会に当てはめると3通りになる。

  • (1) 分人 (分人間社会における分人)
  • (2) 分人-個人関係(分人型社会における個人)
  • (3) 分人-分人関係(重層化された分人間社会群における分人)

ここでは想定する社会と人がそれぞれ異なる。(1)においては、社会は特定のプラットフォーム/制度に基づいた分人が構成する社会(以下、分人間社会)であり、特定のプラットフォーム/制度のみで閉じた社会を想定する。そのときの人は分人である。(2)においては、社会は実社会そのものであるが、人は個人とその中に内包される分人から構成されている、いわば個人と分人のハイブリッドな存在である。(3)においては、社会は複数の分人間社会の連合として存在し、人は複数の分人間社会に属する複数の分人の集まりとして存在する。

以下、この3通りに場合において、分人型社会においてレッシグの4つの規制がどうなっているかをみていく。

図4.個人を規制する4つの条件

3.3.1.分人社会に対する規制

ここで対象とするのは、分人を要素とする分人間社会である。SNSやオンラインゲームなどのITプラットフォームの多くが、すでに実質的にそのプラットフォームが分人間社会となっている。ユーザである個人はそのプラットフォームに登録することで、このプラットフォーム上での自らの一部の表現、すなわち分人を得る。この分人はプラットフォーム内で他の個人の分人とコミュニケーションを行ったり、共同作業を行ったりする。すなわち、ここに分人社会ができている。なお、それぞれのプラットフォームは独立である。つまり、分人社会は閉じた社会である。このときの4つの制約は以下のものに対応する。

  • - アーキテクチャ:プラットフォーム
  • - 規範:プラットフォームごとの習慣・慣習
  • - 市場:プラットフォーム・ビジネス
  • - 法:プラットフォーム運営ルール

課題として以下のことが挙げられる。

  • - アーキテクチャの安定性:分人型社会が成り立つためには、SNSなどのプラットフォームが安定していないといけない。短期間で消滅したり、頻繁に改変されるようだと、分人が安定して存在し続けることができない。実社会の法律や市場、規範でプラットフォームが安定的であることを担保する仕組みが必要であろう。
  • - 規範は実社会とは異なり大きな自由度が許される。ただし、参加する分人はこの分人社会はそのような習慣・慣習で成り立っているということを認識する必要がある。
  • - 市場も大きな自由度がある。しかし、実社会との関係性には注意が必要である。RMT(Real Money Trade)のような関係をどう設計するは課題である。
  • - 法の整備と民主的運営:この社会の法としてSNS運営ルールが位置付けられる。法であるならば、それがきちんと整備されていることが必要である。またルールの制定や運用において民主的運営が図られる必要がある。

社会としてのプラットフォームの運営は現在、大きな転機に立たされている。2020年のアメリカ大統領選挙においては、FacebookやTwitterといったSNSプラットフォームの運営が論議を呼んだ。2021年1月、FacebookとTwitter等は、トランプ大統領(当時)が連邦議会議事堂襲撃を示唆したとして、同氏のアカウントを凍結した。Facebookはこのような措置をとったことは、企業の社会的な問題に対する対応として正当化できる一方14、言論の自由の侵害としての問題も提起された15

この問題は、SNSを分人社会と扱い、その規制を考えうる本稿の立場では主に規範と法の問題として捉えられる。社会では本来、規範に合致する形で法が作られることが望ましい。すなわち、SNSの運営ルールはそのSNSの規範にあったものがあるべきである。しかしFacebookやTwitterのような巨大化したSNSではSNSが本来持っていたそれぞれのコミュニティとしての規範の力は消滅している。したがって、法(運営ルール)だけが突出せざるを得ない。しかし、SNSにおける法(運営ルール)の制定と運用の方法を確立することは、SNSを社会的に存在させるために必須の問題であろう。

アーキテクチャの面では今後も進歩が大いに見込まれ、人々の人生や社会活動において、この分人社会のウエイトがより大きくなるであろう。この点を考えると、プラットフォームを分人社会のアーキテクチャとして認知して、上で述べたような規制を整理して社会的なコンセンサスを得られる運営の仕組みづくりをしていく必要がある16。さもないと、中世のギルドや地域の領主による重層的に管理される世界のように社会の分断と混乱をもたらすであろう17

3.3.2.分人-個人関係に対する規制

分人型社会システムは分人間社会だけから構成されているわけではない。実社会の個人は相変わらず存在する。このとき、分人と個人(物理的個人/社会的個人)の関係をどう社会的に維持するかが問題となる。これを4つの規制に当てはめると以下のようになる。「個人」がターゲットなので、ここでの規制は先の分人社会のケースとは異なり、実社会の規制である。

  • - アーキテクチャ: 社会的な個人IDと分人IDの棲み分け
  • - 規範:分人の社会的認知
  • - 市場:連携ビジネス
  • - 法:分人の法的位置付け

課題として以下のことが挙げられる。

  • -実社会で分人が重要になればなるほど、社会的な個人IDと分人IDの適切な棲み分けが重要になる。必要な時だけその関係性が得られる仕組みというのが必要で、これはそれを実現するアーキテクチャとそのビジネスとしての市場が必要である。
  • - 規範で重要なのは、分人が実社会において適切に認知される必要がある点である。現在においては趣味や嗜好に関わる活動を個人とは切り離されたSNSのアカウントで行っているケースが多くみられるが、その結びつきの暴露(いわゆる身バレ)が起きると、当人に大きなダメージを与えることがしばしばある。このダメージの理由の大半が分人と個人の切り分けが社会的に認知されていない点から来ている。
  • - 実社会での分人の存立において最も重要なのは分人の法律的立ち位置の確立である。法律における人とは個人を前提としている。[大屋2019]にあるように、近代の法システムである「個人」とは、権利・義務の主体であり、そのための判断を自律的に行うことができるものとして位置づけられている。とくに刑事法においては、制裁の予告を通じた行動変容の実現が国民に向けた法の機能であり、このとき、法は時間を通じた人格的同一性を基礎として存在すると考えられる[大屋2021]。このような観点に立った時は、分人を個人と同様の立ち位置に置くことは困難である。一方、判断能力を十分に備えない「人」は上記のような個人とは異なる扱いを受ける。民事法における未成年者等の行為能力制限や成年被後見人制度や18、刑事法における心神喪失や医療観察制度がそれにあたる[大屋2018]。また、会社等の法人など完全な義務を備っていないケースも存在する。そういった限定的な形(例えば、個人が複数の法人格をもち、選択的に法人として活動する)で分人を実質的に位置付けることも可能かもしれない19

3.3.3.分人-分人関係に対する規制

最後に分人間に対する規制を考えたい。これは個別に存在する分人社会を相互に繋ぐ部分についての規制である。個人の中には分人が複数存在し、その関係性はその本人とっては所与であるが、その本人以外からみたときに分人間に関係があるかどうかは自明でない。この関係性は前項の物理的個人/社会的個人と分人の関係を通じて関係づけられることも可能である。しかし、社会において分人がより重要な役割を果たすようになったときは、必ずしも個人を介する必要はなくなると考えられる。このときはこの関係性自身が問題になる。

  • - アーキテクチャ:分人ID相互関係アーキテクチャ
  • - 規範:分人型社会規範
  • - 市場:?
  • - 法:個人を必要としない法体系

この状況は、十分に分人間社会が認知された後の状況において大きな課題となるものであるので、現時点での考察は難しい。個人を前提としない社会では、人はどのような社会存在になるのかは今後の議論を待ちたい。

4.おわりに

本稿では人を個人として捉えるのではなく、分人の集合として捉えることによって成り立つ分人型社会システムについて、その存在の由来から、意義、効用、そして直面する課題について議論を行ってきた。存在の意義においては、個人として捉えていた存在を分けて考える方が、現代の社会により適合するという点を強調した。とくに情報技術が進展する社会、すなわち、Society 5.0が実現する社会においては、人は情報の集積点としてより大きな負荷を負わされることになる。このとき、すべての個人に帰属させるのではなく、適宜、分人に分けて帰属させる方が、より人の能力を生かし、活動の幅を広げられる。この点において、分人型社会を定位させることは、Society 5.0に代表される社会の高度情報化を促進すると考えられる。ただ、3章で述べたように、分人型社会を実現するためには、規範や法において、越えなければならないことがある。これらの点はさらに議論を深めていく必要がある。

なお、本稿では主に外から、すなわち社会の視点から分人を考察した。そもそもここで仮定する分人の集合としての人とはどのようなものであるかという、内からの視点については別途考察が必要である。2章で言及した心理学からの考察や本稿では触れなかったAI研究20では、心の内部構造についての議論がされている。とくにAIシステムと関係する分人の実装においては、両者の視点が必要になるであろう。

謝辞

本稿は2021年6月29日に開催された情報通信法学研究会AI分科会での発表に基づくものである。分科会での質疑およびコメンテーターの大屋雄裕氏(慶應義塾大学)からのご指摘は示唆深く、議論を再整理することができました。また、佐藤健氏(国立情報学研究所)からも有益なご示唆をいただいた。ここに深く感謝をいたします。

Footnotes

1 国立情報学研究所 情報学プリンシプル研究系 教授

2 [Linkebach2019]は[Ott2014]の引用として、個人を” boundedness, distinctiveness, autonomy and freedom”の特徴をもつとしている。

3 https://twitter.com/hiranok/status/919374401589600256

4 ただし、バッファ効果へのサポートはとても少なく、むしろ抑圧的効果と関係するいう分析もある[Rafaeli-Mor2002]。

5 これは平野氏の分人の一部しか取り込まないということを意味する。平野氏は個別のコミュニケーションごとの分人を強調しているので、その点は平野氏の重要とする点を逃しているといえるかもしれない。

6 ただし、SNSのプラットフォームが一般に分人的発想に適合しているわけではない。それは特に、SNSアカウントの実名との結びつきの設計に依存する。この点は[武田2020]で議論している。

7 分人の集まりとしての社会なので「分人社会」と呼んだ方が自然であるが、本稿では社会全体を「分人型社会」と呼んでいるので、混同を防ぐために「分人間社会」と呼ぶことにする。

8 https://e-estonia.com/solutions/e-identity/e-residency

9 これ以前に国内では、居住者でも訪問者でもない関与する人を呼ぶ「関係人口」という近い考え方があった[岩城2018]。

10 人がシステムを擬人的に認識しやすいという問題は古くから研究が行われている。[Reeves 1996]ではテキストしか表示しない単なるコンピュータの端末であっても、人に接するときと似たような扱いをしてしまうことが示されている。

11 2020年6月17日からは、マイクロソフト社から分離した、rinna株式会社によって運営されている。

12 ムーンショット型研究開発制度の目標1「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」(https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.html)では、サイバネティック・アバターという名称で、空間、時間の制約からの解放、身体の制約からの解放、脳の制約からの解放を可能とする分身(アバター)の開発を始めている。このような人の能力を大幅に拡張するとき、個人という個を維持するだけでは足らず、積極的に分人化する方がその能力を生かしやすいと考えられる。すでに多重存在問題として検討されている[石黒2021]。

13 テレイグジスタンス・ロボットを使ったカフェで、身体に障害のある障害者が働くということが行われている[Sato2021]。ここで働いている障害者は、不自由な身体を持つ個人ではなく、ロボットを介して移動したり商品を運んだり会話をすることができる「人」あるいは労働者である。この存在を障害者個人と強く同一視することは、むしろこのビジネスの可能性を狭め、参加者の意欲を削ぐことになると考える。

14 トランプ大統領(当時)のアカウント凍結問題に関しては、処置の後、Facebookは独立した監査委員会で凍結処置の是非の判断を行なった[Oversight Board2021]。

15 ドイツとフランス政府は言論の自由を規制するルールは民間企業が行うのではなく、立法府が行うべきだと批判している[Bloomberg2021]。

16 Facebookは2012年にデータ利用のポリシー変更に関するユーザによる投票を求めた。実際に投票を行ったのは342,632人で、これは当時のユーザ数2億5千万人からみと0.38%に過ぎない。

17 [大屋2014]では、「新しい中世」という表題で、ヨーロッパの中世にあった領主による重層的支配の構造の理解から、情報技術とグローバライゼーションの現代の状況を分析している。“国境により一義的に区切られることなく、重なり合い競合しあう規制と分散する規制主体。現在、我々が迎えつつあるのは、いわば「新しい中世」なのである。”と結論づけている。ヨーロッパ中世には“特別な国家法なるものはなく、国会法と私法の区別はなかった”([大屋2014]による[Steinacker1916/1917]の引用)とされるが、SNS内の運営ルールは私法にあたり、これが国家法と無関係となるのは、中世的な世界に舞い戻ることを意味するであろう。

18 民法の立場から[小粥2020]は法の下でも多様な人間の位置付け方を議論している。例えば、消費者としての人は、情報格差や契約のコストを鑑み、自己決定権を部分的に損なっても支援・保護対象としての消費者という限定された個人を規定しているとみる。

19 大屋[大屋2007]では、“「自由な個人」とは、従って事実ではなく、一つの擬制であるに過ぎない。だがそれは信じるにたるフィクションである。”と述べ、今後の社会において個人が絶対的な前提ではないとしている。擬制(フィクション)としての個人があるのならば、擬制としての分人もありえよう。

20 人工知能の著名な研究者であるミンスキーは心の社会ということを提唱している[Minsky]。

References
 
© 2021 総務省情報通信政策研究所
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