情報通信政策研究
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寄稿論文
よみがえる故人たち
―偉人アンドロイド・作家AIと肖像権、著作権、尊厳―
福井 健策
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2021 年 5 巻 1 号 p. 131-144

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Abstract

故人を人工知能(AI)やヒト型ロボット(アンドロイド)技術で蘇らせようという試みが止まらない。古くはバッハ風の曲を自動作曲した1980年代のプログラム「エミー」から、レンブラント、手塚治虫、ビートルズのAI、更にアンドロイドや3D映像で蘇った夏目漱石、美空ひばりまで。こうした故人の再生は、あるいは仏壇や遺影の姿を変え、あるいはスター達やカリスマ的な経営者・指導者の「バーチャル延命」など、単なるビジネスチャンスを超えて、我々の生活や死生観をも変えて行く潜在力を有している。

法的には、こうした「故人の再生」はそのタイプによって肖像権、パブリシティ権、著作権などの処理を必要とする。現在の法ルールや通説に従えば、ある程度までの再生は権利処理不要でおこなえると解釈できそうだが、現実には少なくとも遺族の同意のもとに進められるケースが大半だろう。

しかし、例えばAI美空ひばりが「冒涜だ」といった批判を招くなど、(遺族の了承の有無に関わらず)人々は故人の再生に、倫理的・感情的な違和感を抱くことも少なくない。それは通常のアンドロイドでも見られる「不気味の谷」の問題を超えて(あるいは根本において同じ原因を抱えつつ)、恐らく「死者をよみがえらせる」という行為そのものの突きつける重大な問いかけであろう。

では、故人の再生はどのような準則に従って行われるべきか。世界的なAI・ロボット開発をめぐる議論の中で取り上げられることは少ないが、もうその議論を始めるべき時が来ているように思われる。

Translated Abstract

Various attempts to revive deceased through artificial intelligence (AI) and human robotics (Android) technology do not seem to stop.

From Emmy, a 1980s’ program that used to automatically compose Bache-style numbers, to mock Rembrandt, Osamu Tezuka and Beetles AI, and Soseki Natsume and Hibari Misora, who were “resurged” as android or AI having 3D image.

The resurrection of the deceased has the potential to change our lives and our views of life and death, transcending mere business opportunities, such as changing the form of Buddhist altars and relics, or the "virtual survival" of stars and charismatic leaders of every sort of organization.

Legally, this "revival of the late person" requires examination and clearance of portrait rights, publicity rights, copyrights and other rights depending on the type of resurrection.

According to the current laws and prevailing understanding, it seems possible to interpret that certain degree of resurrection can be done without the need to clear related rights, but in reality, most cases are proceeding with at least the consent of surviving families.

However, there are many cases in which people feel ethical and emotional discomfort with the revival of the deceased, such as AI Hibari Misora (regardless of whether or not the family approves), which has led to criticisms such as "profanity."

It is perhaps a crucial inquiry that goes beyond the "uncanny valley" problem that is commonly found in android (or has the same causes at the root) to the conduct itself of "reviving deaths."

Under what rules should the revival of the late person be conducted?

Although it is rarely addressed in discussions about global AI and robotics development, it seems to be a suitable time to begin the discussion.

1.復活した「偉人」たち

故人を人工知能(AI)やヒト型ロボット(アンドロイド)技術で蘇らせようという試みが止まらない。

1.1.偉人AI

古いものでは「バッハボット・エミー」が著名だろう。1980年代に、自ら作曲家でプログラム開発者でもあったという、まさにこの試みにはうってつけだったデヴィッド・コープという人物が、自動作曲プログラム「エミー」を開発した。これは人工知能で、コープはこれに音楽の父・バッハの曲を大量に学習させ、エミーはバッハ風の作曲を量産できるようになった。曲は今もCDなどで発売されており、これまで講演などで何度も本物のバッハの曲と聞き比べさせて、参加者にどちらが本物のバッハか当てて頂くということをおこなったが、音楽学部での講演を含めて答えは必ず見事に二分された。人々は、本物とAI作曲を区別することは出来なかったのだ。

図1.David Cope「Virtual Bach」(Centaur)

ここ数年で動きはロックのレジェンド達にも及び、ソニーはAI作曲によるビートルズの新曲を発表、更にGoogleのAIプログラムMagentaを活用してジミ・ヘンドリックスやニルヴァーナ(いずれも本人、又は主要メンバーが既に死去)の「新曲」を作る試みが続いている2。絵画の分野ではレンブラントの新作をAIに描かせるプロジェクトが著名だ。

左:図2.ビートルズの「新曲」『Daddy’s Car』3

右:図3.AIが描くレンブラントの新作4

日本で有名なのは「星新一プロジェクト」だろう。ショートショートの名手、星新一は生涯で約1000本の短編を書いたという。これをAIに覚え込ませ、星新一風の小説を書かせる試みが、はこだて未来大学の松原仁教授らのグループによって続いている。遂に2020年にはマンガの神・手塚治虫がAIで蘇り、新作のプロットとキャラクターデザインを創作、それに基づく手塚の新作が週刊誌で発表されるという事件が起きた。

左:図4.プロジェクト「TEZUKA2020」

右:図5.同プロジェクトによる“新作”『ぱいどん』5

・・・もっとも、その完成度が天才たちに迫るものだったかといえば、エミーを除いてそこまでの名声を勝ち得たプロジェクトはまだ目立っていないようにも思える(特に音楽より美術、美術より長い物語の創作がハードルが高いように、個人的には感じた。)。だが、こうした取組みはやむことがない(そしてAIの実用化に多大な貢献をし続けている。)。

1.2.偉人アンドロイド

更に、多くの耳目と共に、時に感情的な反応も招きがちなのが、故人を蘇らせるアンドロイドのプロジェクトである。筆者自身も些か関わったものとして、2016年にはかの夏目漱石を蘇らせた漱石アンドロイドが登場した。ロボット工学の第一人者である石黒浩大阪大学栄誉教授と二松學舍大学が協力し、漱石の孫である漫画評論家の夏目房之介氏がボイスサンプルを提供して制作された。「漱石アンドロイドプロジェクト」は、アンドロイドとそのコンテンツ・教育展開の実践事業として今日まで展開を続けており、2020年12月には「後輩」にあたる、同じ石黒教授が手掛けた「渋沢栄一アンドロイド」とも特別講座で共演した6。初期には筆者も加わったシンポジウムと書籍企画にて「アンドロイド基本原則」案を公表している(後述)。

更には落語家の桂米朝や立川談志、名優・勝新太郎もアンドロイドとして蘇っている。勝は永年連れ添った中村玉緒と対談をおこない、また現役の高校演劇部員たちを相手に演技指導をおこなった。この勝アンドロイドにはAIは搭載されておらず、生身の俳優が裏で話して勝の声に変換したのだが、極めて説得力は高かった。

左:図6.『アンドロイド基本原則』(日刊工業新聞社)と漱石アンドロイド

右:図7.中村玉緒と対談する勝新太郎アンドロイド7

分けても話題を集めたのは、2019年は「AI美空ひばり」を巡る論争だろう。NHKが美空ひばりを、AIの力を借りて蘇らせたバーチャル・アンドロイドだ。実際のひばりの歌声をボイスサンプルとし、そのレコードから歌い方を学習したAIが、CG映像でひばりとなって蘇り、ファン達に語り掛け新曲を歌う、という企画だった8。NHKスペシャルで反響を呼び、その年の紅白歌合戦の出場を決めた。

図8.AI美空ひばり

ところが、このAI美空ひばりに対しては感動したという声と共に、「悲しい」「冒涜だ」といった反発や戸惑いの声も同じくらい寄せられ、年末から年始にかけてネット上では賛否が渦巻いたのだ9

2.「故人再生」のビジネスとしての可能性

死者と生者の対話で言えば、記憶に残るのはタレントの出川哲郎の母親がAIとホログラムで蘇った企画だ10。やはりこの分野では独壇場と言えるNHKの番組だったのだが、出川の兄弟たちの協力で生前のままの姿、声、話し方の特徴をもった立体映像として蘇った母親と再会した出川は、やがて大泣きに泣きはじめた。女手ひとつで出川らを育てた母親がガンで亡くなる前、出川が母親に言えなかった一言を伝えようとした時である。一言とは、ただの「ありがとう」だったのだが、それを言えば、母親は自分の死期が近いと察してしまう。だから伝えられなかったと母のAIに話しながら泣く出川の姿を見て、賛否があろうが、亡き人を蘇らせるロボット技術はやはり一定のペースで普及するのではと感じた。

あるいは、今後は「遺影」や「仏壇」ビジネスが変わり、ビッグビジネス化するかもしれない。時々ふと懐かしくなった時などに、立体映像で大切だった人物が現れ、自分の話に耳を傾け、相槌を打ち、時に慰め、励ましてくれる。その魅力に抗せない人々はいるだろう。(ここでBGMにはキヨシロー版の「デイ・ドリーム・ビリーバー」が流れる11。)

もっと積極的な活用を考える人もいるだろう。美空ひばりの例を挙げるまでもなく、人気の映画スターやタレントが蘇ってコンサートを開いたり、映画やTVに出演するとなれば、その需要は計り知れない。美空ひばりは感動の一方で反発も集めたが、たとえ7割の人が反発しても、3割の人々が求めるなら需要は十分過ぎるのだ。まして、ひばりへは違和感には「そこまで似ていない」という理由も多かった。そう遠くない将来、誰も違和感を感じないほど似ている復活タレント達が次々と現れ、「男はつらいよ」の続編からチャップリンの新作まで、あらゆる作品が巷にあふれるようになる。3D映像のモハメド・アリとマイク・タイソンは史上最強ボクサーの座を賭けて対戦し、最盛期の漫才やすし・きよしはアンドロイドになってM1グランプリに殴り込みをかけるだろう。

2020年、World Boxing Super Series主催での、両者を含む8名の歴代ボクサーによる3D映像の仮想トーナメントは、シミュレーションと呼ぶにはまだまだ発展途上のクォリティであったが、20万人の視聴者を集めた。

図9.8名の歴代ボクサーによる3D映像の仮想トーナメント

ショービジネスは、まだしもかわいい例かもしれない。カリスマ的な宗教指導者や武道の開祖はどうだろう。独裁国家の指導者や会社のワンマン社長はどうか。現時点でも銅像や映像でその姿を残そうとする活動は多い。実物そっくりの指導者が同じ声と話し方で、しかも判断力をもって信徒や従業員たちに語り掛け、その声に耳を傾ければ、リーダー亡き後の団体の求心力維持にとっては絶大な力を発揮するだろう。独裁国家は永遠に建国の英雄が率い、その下で子孫や高官たちの集団指導体制が維持される。きっと後継者たちは、内輪もめで粛清されたり、クーデターを起こされたりするリスクよりそちらを選ぶだろう。

しかも、そうした再生ロボットのための情報は、今や昔よりはるかに集めやすい。SNSの隆盛で人々は映像、音声、発言や行動の記録をつぶさに残し、しばしば公開するからだ。それを集め、あるいはAIに学習させ、あるいはそこからサンプルを取ってアンドロイドに移植することは、少なくとも以前より容易だろう(2021年も続いた世界的な個人情報保護の強化の波がこの点での不確定要素だが、ただし後述するように遺族の協力が得られる場合、なおこの点は大きな障害とはならないように思える。)。

後は、クォリティに見合った価格にまで製造コストが下がって来るのを待つばかりだ。

3.死者の「再生」は法的にどこまで自由か

だが、ここで疑問が沸く。果たして、死者を蘇らせる行為はどこまで自由なのか。まずは現行法を見てみよう。

3.1.肖像権

中心となるのは無論、「肖像権」や「パブリシティ権」と呼ばれる権利だ。肖像権とは、無断で自分の姿態を撮影・公表されない権利で、判例によればイラスト化でも時に侵害は成立する12。よって、無断で故人にそっくりのアンドロイドを作るとなれば、まずはここから考えることになる。

さて肖像権は厄介な権利だ。というのも、著作権などと違い「肖像権法」という法律はないのだ。では法律として無根拠かと言えば、判例が認めているので立派な法律上の権利だ。ただ条文がないので、いったいどの範囲で、いつまで認められ、どういう利用なら許されるのか、全ては裁判所が個別に考えている。最も有名な前注の2005年最高裁基準は、被写体となった人物の社会的地位、撮影された行為、撮影場所、撮影目的などの総合考慮により、その撮影(と公表)が一般人の受忍限度を超えるならば違法、というものだ。

考え方としては、全く正しい。正しいが実に曖昧なので現場は困ることになるのだが、死者の場合には比較的話は早いかもしれない。肖像権が人格権の一種であることにあまり争いはない。そして人格権は通常、死亡と共に保護は消滅する。「死んでいるのでもはや本人の人格は傷つかない」という理由だ。

もっとも、肖像権は仮に死亡と共に消滅するとしても、判例上、遺族には「固有の人格的利益の保護」が認められる可能性が高く、再生アンドロイドの利用はこうした権利の侵害とみなされる可能性がある。とはいえ、裁判例が遺族の権利侵害を認めたのは、例えば故人の名誉やプライバシーを害するような小説が書かれ、それが遺族の死者に対する敬愛・追慕の情を害するとされた場合なので13、単に再生ロボットを制作したり、「モデルの名誉・プライバシーを害しないように」使う限りは、少なくとも狭義の肖像権の侵害にはあたらなそうに思える。

なお、肖像権については、筆者が法制度部会長を務めるデジタルアーカイブ学会において、2021年、「肖像権ガイドライン」を公表している14。最高裁の「総合考慮要素」を個別ケースごとに類型化してポイントを与え、そのポイント合算により肖像権侵害リスクの高低を判断するための自主的なガイドラインだ。

例えば政治家を除く芸能人などの「著名人」であればプラス10ポイント、私生活上の姿であればマイナス10ポイントという具合である。あくまで、アーカイブなどの各機関が自らの判断指針を持つためのガイダンスであり、かつ、写真が対象なので死者のアンドロイド再生には直接適用できないが、そこでも、撮影後数十年が経過した、かつ雑誌などに掲載済みの写真の場合、全般に相当に肖像権侵害リスクは少ない方に振れる。

3.2.パブリシティ権

他方、パブリシティ権とは、この肖像権から派生した権利で、芸能人やプロスポーツ選手に認められる、その氏名や肖像の知名度(顧客吸引力)を第三者に勝手に利用されない権利だ15。こちらは人格権に由来するが財産権的な側面がある、というはなはだ厄介な理解が一般で、そのため死亡後にも存続する可能性は純粋人格権たる(狭義の)肖像権よりは高い。

とはいえ、死後の保護についての判例は今のところない。また、指導的判例である前注のピンクレディー事件最高裁判決は、対象をかなり狭く解釈しており、①肖像そのものの商品化(写真集など)、②他の商品との差別化のための利用(グッズなど)、③広告利用(ポスターなど)に、事実上限定される方向性が示されている。

どうも、いずれの権利からも、死者を単にアンドロイド化するだけならば、権利侵害にはあたらない可能性が高そうだ。

3.3.権利問題のまとめ

もっとも、現実には少なくとも遺族の協力は得ないと、アンドロイド化とその活用は難しい場合も多いだろう。

ひとつには、特に著名人の再生ロボットなど、その営利利用となれば(狭義の肖像権はともかく)死後のパブリシティ権侵害が認められる可能性はあるし、この場合の権利者の有力候補も遺族だろう。

それ以前に、実際にボイスサンプルやイメージ資料として、相当数の録音・録画物や写真などを要するだろうし、発話の癖や考え方、生前の知識や経験などは本人が書いた文章や発言録を学習しないとAIには身につけにくい。それらの素材・資料の多くは著作物で、よって著作権がある。機械学習の部分については、最近の著作権法の改正によって著作権者の許可なく出来るように手当てがされた16。とはいえ、例えば外見イメージを再現するために写真・映像を複製する行為など、恐らくこの規定ではカバーされない著作物の利用もある。その場合、結局は著作権の継承者である遺族の同意がなければ、アンドロイド化の作業は進められないケースが多かろう。

下記では、以上のAI・アンドロイドの制作と利用に関連する知的財産権の課題を簡単に表にまとめてみた。上段から、利用される素材の種類、関わる権利、左列の利用方法ごとに○印は「権利者の許可が必要」、△印は「場合によって許可が必要」、である。

図10.AI・アンドロイド化に関わる権利17

このように、うまく工夫すれば遺族の同意なくアンドロイドを作成することは可能ではあろうが、特にビジネス利用の場合、法的リスクを減らす観点からは遺族の同意は得ながら進めるケースが恐らく少なくないだろう。

4.「不気味の谷」

4.1.なぜ人々は反発するのか

では、遺族の同意を得れば問題ないのか。ここからが難しい問題だ。AI美空ひばりは遺族の全面協力を得ながら制作されたが、それでも批判は強かった。例えば、ひばりの親友だった中村メイコは、「自分の中のひばりが崩れるようで辛い」と発言し、山下達郎はこれを「冒涜です」と断じている。これに類する発言も多く、一言で言えば「気持ち悪い」に凝縮されそうな感想も目立った。

気持ち悪い――これは、アンドロイド制作をめぐる「不気味の谷」を連想させる言葉だ。「不気味の谷」とは、人々は、ヒトと似たロボットに対して一般に好感情を抱くものの、類似度があるポイントに達するとその好感度が減って悪い印象(不気味さ)を感じるようになり、更に類似度が増すと再び好感度が上昇する、という現象を指す18。実際、石黒教授のようにAI美空ひばりへの反応を「不気味の谷」の問題と理解する識者も多かった。そこには、今はまだ十分似ていないから違和感を感じるのであり、もっと似て来れば問題は解消する、という期待が含意されている。これは、ある程度はその通りだろう。AI美空ひばりは特に、外見のレベルが極めて高かったとまでは言いかねる。そして、外見上の類似度の問題が近々に更に飛躍的に改善されることは、もう間違いないだろう。

ただ、それだけだろうか。筆者は、どんなに本人に似せようが、いやむしろ似せれば似せるほど、倫理的な疑問を呈する声の方は高まる可能性もあると感じている。なぜか。「まるで生きているようだから」だ。似せれば似せるほど、そこにある種の「人格」が宿っているように見え、少なくともそういう試みを感じ、死者が甦らされたと感じるからだ。

この点が、単なる写真や映像、あるいは生身の俳優が故人を演じる行為との最大の違いだろう。俳優の場合、似ていなければ「違う」とけなされ、そっくりなら「名演技」と称賛されることはあろう。だが、「気持ち悪い」あるいは「冒涜だ」という議論とは、比較的結びつきにくい。本人と俳優はあくまで別な存在だとわかっているためだ。

4.2.天馬博士の苦悩

こうした本人の人格との近接性が生み出す問題は、故人アンドロイドの場合には限られないだろう。例えば、ちょっと気になる同級生や会社の同僚がいるとする。ある時偶然、その彼・彼女が、自分の写真をスマホの待ち受け画面にしていることに気づいた。どうであろうか。どちらかと言えば悪い気はしない、という人は多いのではないか。ドラマの始まりの予感さえ漂う。実際、飲み会か何かで自分も承知で撮られた写真の流用の場合など、新たな撮影・公表もないので、法的にもそれだけなら肖像権の問題はなさそうだ19

では、彼・彼女が、SNS上の自分の映像や音声を利用してそっくりのアンドロイドを業者に作らせ、毎日その「自分」と会話しながら一緒に暮らしていることを偶然知ったらどうか。多くの人にとって、これはかなり別な感情がこみ上げそうな瞬間だ。ドラマはドラマでも、サイコスリラーの始まりに思える。アンドロイド製造のコストが低下すれば、技術上、そう遠くない未来に出来てしまうかもしれない。この場合は本人が生きているので、肖像権はある。

こうした行為は肖像権の侵害か?自分の承知で撮られた映像や音声の個人的な使い回しだが、やはり何か肖像権の問題もありそうな気もする。だとすると、やはり写真とアンドロイドでは違うのか。

これは、鉄腕アトムの産みの親、天馬博士が直面した苦悩でもあろう。天馬博士は、自動車事故で亡くなった息子トビオを蘇らせるためにアトムを制作した。だが、どうしても人間になりきれないアトムの姿に苦悩し、やがてこれを憎悪するようになる。ついには、アトムをロボットサーカス団に売ってしまう(昔は、子供は悪いことをするとよく「サーカスに売る」と脅された)。博士は、その後もアトムへの愛憎を引きずり続ける。他方、天馬博士の妻は、トビオと似ているようで似ていないアトムの姿に当初戸惑うが、やがて深くアトムを愛するようになる。以上は、いわゆるアトム正史では短く触れられるエピソードに過ぎないが、手塚自身によるアトム開発秘話と言うべき『アトム今昔物語』では詳細に語られている(図)。

これが単なる亡き子供の絵や映像だったら、憎悪も愛情もここまで強くは出て来なかったろう。本人の人格が仮託されたロボットだから、我々は正も負も、より強い感情を感じるように思える。

図11.手塚治虫『アトム今昔物語』(1967~69年)より

(なお、実際にそのような反発が多かったか調べた訳ではないが、これは冒頭で紹介した「AIによる天才たちの新作作品」に対しても、ひょっとするとあり得る反応かもしれない。例えば、はっきりと他人が作った「手塚風パロディ」「宮沢賢治へのオマージュ作品」であればまだ良い。しかし、「AIで蘇った宮沢賢治が新作を作りました!」といって堂々と作品を発表されると、中には「何の冗談ですか。賢治がこんなの書く訳ないでしょう!」と泣いて抗議したくなる方もいるのではないだろうか。それはつまり、作品には作者の人格が化体していると感じて、死者が勝手に蘇らされた、と感じるが故の反発であるのかもしれない。)

5.故人の「再生」・偉人AIをめぐるルールはどうあるべきか

さて、現行法での扱いは扱いとして、我々は、果たして「死者のアンドロイド・AIによる再生」をどう考えるべきか。

5.1.本人・遺族による「アンドロイド化・AI化の拒絶権」

まず、本人による「アンドロイド化・AI化の拒絶権」は広く承認されるべきだろうか。例えば、著名人であれ一般人であれ、遺言の中で「私をアンドロイドやAIとして蘇らせることは禁ずる」という意思表示をおこなった場合、そこに法的効力は認められるべきだろうか。法的効力という意味では、これはかなりハードルが高い。死後に人格的権利が認められないなら、仮に「死後の人格権の行使」に関して意思表示したとしても、せいぜいが単なる希望の表明に過ぎないからだ20。他方、著名人に限られるがパブリシティ権であればどうか。仮にそれを相続可能な財産権と位置付けるなら、財産権の行使に関する条件として有効性を認めようがあるかもしれない。

もっとも、法的根拠までは見出せなくても、当の本人の意思表示であればそれを守ろうとする関係者は多いだろう。では、本人が反対の意思を表明していたにもかかわらず、遺族の同意だけでアンドロイドやAI制作は進められるべきか。まして、本人が反対の意思を表明しており、遺族の同意すらなく第三者がアンドロイド制作を進めるケースはどうか。遺族の意見が割れている場合はどうか。

まずは、こうした意思表示に一定の通用性を認めることの長所と短所を検討しつつ、自主的なガイドラインを検討する議論があっても良い。

かつて、前述した夏目漱石アンドロイドをめぐるシンポジウムにおいても、石黒教授や筆者を含む参加者は偉人のアンドロイドに的を絞ってそれぞれの基本原則案を公表し、これは前述の『アンドロイド基本原則』という書籍となって公表されている。しかし、そこでシェアされたのは、あくまで議論の叩き台と呼ぶべき段階のものだった。今後、こうした議論は更に積み上げられる必要があるだろう。

5.2.アンドロイド自身やその生成物、AIの生成物には権利が生まれるか

では次に、制作における自由さとは別に、生まれたアンドロイド自身やその生成物などには一定の「権利」が認められるだろうか。この議論は、さしあたり更に3つに分けられよう。

第一には、アンドロイドの姿かたちそのものの権利性である。この点は、故人とそっくりの容姿である以上、当面はその権利性も権利を誰が保有するかの議論も、故人の肖像権・パブリシティ権の議論にそのまま吸収されるべきであろうか。

第二には、AIが何か知的成果物を生み出した場合で、例えば手塚治虫AIが新作漫画を描いたり、作曲プログラムがバッハ風の新曲を書いたケースである。また、AI搭載の死者アンドロイドと生者との間の対談などは既に現実味がある。この点については、実は米国では1970年代に、日本でも1990年代には、「コンピュータ創作物の著作物性」という問題で既に議論されている。現在のAIブームの時代にあっても、内閣府知財本部では2つの委員会でAI生成物の著作物性の議論はおこなわれており、それぞれ報告書に結実している21。そこでの結論はシンプルで、人間がAIをツールとして扱って著作物を生み出すことは十分あり得るが、人間が特段の創作的な寄与をおこなわずにAIが自動生成するコンテンツには著作物としての独自保護は認めがたい、というものであった。そう考える理由は多岐にわたり、多分に政策的理由も含みつつ、かつAIの発展を見定めつつの暫定的な結論であったが、詳しくは同報告書を参照されたい。

第三には、そのアンドロイドが歌唱や演技をおこなった場合に、「実演」として著作隣接権が認められるか、である。これは二つの側面から検討することができ、まずはそうしたアンドロイド実演は、ボイスサンプルや演技のキャプチャーを提供した生身の声優・俳優の「実演」のある種のコピーであると考えて、その実演家の権利がアンドロイド実演に及んでいるか、である。程度問題であろうが、そう考えられる場面もあるだろう。

他方、前記の有無とは別に、アンドロイド自体の実演を新たな実演とみなすか、という視点がある。この点も、例えば人形遣いがパペットを使って実演をおこなうように、演出家的な存在がアンドロイドを使って実演をおこなうことはあり得るだろう。AI生成物におけるツールと同様の議論で、その場合は演出家的な存在が実演家となる。

これに対して、ある程度自律的な演技がおこなわれた場合にアンドロイド自体が実演家になり得るかと言えば、AI生成物とパラレルに考えるので現行法の解釈としてはややネガティブであろう。だが、立法論・解釈論ともにあり得ない訳ではない22

5.3.誰がアンドロイド・AIの行為結果に責任を負うのか?

もっとも、ここで、その権利を一体誰が保有し、行使するのかという問題が生まれる。AIやロボットをツールに人間が創作・実演した場合については、ツールを用いた人間が権利者となろうから迷う必要はない。他方、AIやロボットによる自律的な創造・実演の場合にはどう考えるか。開発者、遺族(データ提供者)、ユーザー(運用者)などがすぐに思い浮かぶ候補だが、この点と関連して重要な論点がある。それは、誰がアンドロイドの行為結果に責任を負うか、だ。

自動運転車の事故の責任の議論は著名である。2020年施行の改正道路交通法においては、一部の機能が自動化されるレベル2の自動運転技術に加え、緊急時を除いて運転が自動化されるレベル3の自動運転車(自動運行装置)の使用も「運転」の定義に加えることで、人を運転主体(=責任主体)と位置づけられた23。しかし、上記は暫定的な扱いに過ぎず、レベル4以上の全面的な自動運転についてはなお検討中である24

実際交通事故の例に限らず、マイクロソフトの対話型AI「TAY」が誕生後まもなく、それを面白がって差別的な会話を教え込んだ不特定多数のユーザー達によって人種差別的なヘイトスピーチを繰り返すようになった例はよく知られる。更に2021年にも、韓国でSNS上の対話型AIが、ほぼ同じ「暴走」事件を起こしたと報じられている25。AIは既存の作品を大量に学習するため、生成物の中には学習した著作物とそっくり(単に作風やテーマの類似を超えて文字通り酷似した)作品が混ざる可能性がある。極論を言えば、アンドロイドがパートナーである人物を直接的に傷つけたり、対話を通じて自殺を教唆・幇助するなど死に至らしめることも、十分にあり得るだろう。

著名人のアンドロイドが広告や商品販売を通じて、ユーザーに対する詐欺的商法に利用されることなどははるかに現実味がありそうだが、その場合の主体的な責任は悪用したユーザーにあることは疑いがない。では、そうした可能性を予見しつつ止めなかった開発者やデータ提供者(遺族)は責任を全く負わないのか。

だが、特にAIで自律している以上、アンドロイドの行為やその結果を事前に完全に予見し、防止することは恐らく容易ではない。開発者や、ましてデータを提供した本人がこうした事故、名誉毀損、著作権侵害などの責任を負いかねないとなれば、開発は恐らく萎縮するだろう。議論は、そのバランス問題となる。

とはいえ、現実に深刻な事故が起きれば、責任追及論が生ずることは想像に難くない。この議論は更に、責任主体の候補として「アンドロイド自身」という、極めてSF的な展開を見せる。冗談ではない。現実にEUでは電子法人制度の提案はおこなわれており、国内でも平野晋教授などはその可能性を既に論じている26

6.故人の「再生」と世界的な議論の潮流

さて、こうした問題については世界は何を論じているか。

AI開発全般については、国内外でのガイドラインなど倫理準則をめぐる議論は多い。有名なのは、1,797名(本稿執筆時)のAI・工学研究者が賛同署名した、2017年の「アシロマAI23原則」27だろう。また、国内でも筆者も末席に連なった総務省の「AI開発原則」「AI利活用ガイドライン」28などが発表されている。また、2019年にはOECDも42ヶ国が賛同したガイドライン29を公表している。

ただ、これらは非拘束的・自主的なガイドラインである上、その内容は、安全性、透明性、アカウンタビリティ、プライバシーの尊重など、全般的で穏当なものであり、当然ながら死者を蘇らせる行為や、再生アンドロイドに特に言及するような内容は乏しい。

そしてAI美空ひばりを巡る賛否の状況からも明らかなように、故人を蘇らせる行為に関する社会的な合意はまだ存在しないとしか言いようがないだろう。アンドロイドによる人格の再現については、知る限りではまだ世界でもほとんど議論は進んでいない。

故人を(フィジカル・映像を含む)アンドロイドやAIとして蘇らせることは果たして自由か。その生成物にはどんな権利が生じ、行為結果には誰が責任を負うのか。駆け足で議論を試みた。故人の再生に限らず、今後アンドロイド関連のビジネスが進んで行くことは恐らく疑いないだろう。これらの面を含めた法的側面についても、大きな叡智を持って更に議論を進めるべき時期に来ているように思う。

【付記】

本稿は、Netcom42号(2020年夏号)に掲載した拙稿「不気味の谷の法律問題」と、総務省情報通信政策研究所の「情報通信法学研究会・AI分科会」における同年10月の報告をもとに、その後の動向などを踏まえて加筆・修正をおこなったものである。また、各図版は、筆者の責任において引用している。

Footnotes

1 骨董通り法律事務所 代表パートナー

日本大学芸術学部・神戸大学大学院 客員教授

2 https://rollingstonejapan.com/articles/detail/35860/2/1/1 ほか

3 https://brand.kioxia.com/ja-jp/index.html https://www.youtube.com/watch?v=LSHZ_b05W7o より

4 The Next Rembrandt https://www.nextrembrandt.com/ より

5 いずれもhttps://tezuka2020.kioxia.com/ja-jp/ より

6 二松学舎大学「漱石アンドロイド 特設サイト」https://www.nishogakusha-u.ac.jp/android/index.html、「漱石アンドロイドプロジェクト2020 年度 共同研究報告書」https://www.nishogakusha-u.ac.jp/android/project/#sec04、朝日新聞2020年12月13日朝刊ほか参照。

7 マイナビニュース2018年10月20日より

8 NHKスペシャル「AIでよみがえる 美空ひばり」(https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92899/2899084/index.html)より

9 西岡千史「“紅白出場”AI美空ひばり「気持ち悪さ」の正体」(AERA dot)、真野啓太「AI美空ひばりは冒涜?山下達郎発言、研究者と考えた」(朝日新聞DIGITAL)ほか

10 『復活の日~もしも死んだ人と会えるなら~』NHK1.5chより

11 「ずっと夢をみさせてくれてありがとう」の歌詞で知られる同曲は、モンキーズの原曲とは全く異なり、亡き女性を思う歌詞となっている。これは、清志郎が亡き母(血はつながっていない育ての母であったという)を追慕して、作った曲であるとしばしば説明される。

12 最高裁2005年11月10日第一小法廷判決(廷内イラスト事件)

13 東京高裁1979年3月14日判決(「落日燃ゆ」事件)

14 デジタルアーカイブ学会「肖像権ガイドライン」2021年4月(http://digitalarchivejapan.org/bukai/legal/shozoken-guideline/ より)

15 最高裁2012年2月2日第一小法廷判決(ピンクレディー事件)

16 同法30条の4、47条の5など

17 福井健策「AI美空ひばり論争で考える 亡き人を再生させる権利は誰にある?」(日経XTREND)より転載

18 「ロボットが人間に嫌われる「不気味の谷」が証明される」WIRED2015年11月5日(WIREDウェブ版)

19 前掲「肖像権ガイドライン」も参照。

20 民法でも遺言における「祭祀を主宰する者」の指定が認められている(897条)に過ぎず、その他の事項は指定対象外である。

21 新たな情報財検討委員会「新たな情報財検討委員会 報告書」36-37頁など。そのほか、福井健策「講演録 人工知能と著作権2.0 ~ロボット創作の拡大で著作権制度はどう変容するのか」コピライト2015年8月号(No.652 vol.55)、出井甫「AI創作物に関する著作権法上の問題点とその対策案」パテント2016年12月号(Vol.69 No.15)、柿沼太一「人工知能(AI)が作ったコンテンツの著作権は誰のものになるのか?」(STORIA法律事務所・2016年)、奥邨弘司「人工知能が生み出したコンテンツと著作権〜著作物性を中心に〜」パテント2017年2月号(Vol.70 No.2)も参照。

22 以上について、福井健策・出井甫「ロボット・AI社会における知的財産制度の現状と在り方」(法の支配197号)を参照。

23 道路交通法2条1項17号(「運転」の定義)

24 日本経済新聞2021年8月30日朝刊

25 日本経済新聞2021年3月7日電子版

26 平野晋『ロボット法』(弘文堂・2017年)。ほかに、福田雅樹ほか編『AIがつなげる社会』(弘文堂・2017年)、弥永真生・宍戸常寿編『ロボット・AIと法』(有斐閣・2018年)での議論も参照。

27 https://futureoflife.org/ai-principles/

28 https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/ai_network/

29 https://legalinstruments.oecd.org/en/instruments/OECD-LEGAL-0449

 
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