情報通信政策研究
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寄稿論文
電気通信契約の法的構成にかかる試論
西内 康人
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2021 年 5 巻 1 号 p. 97-111

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Abstract

電気通信により情報を伝達する契約は、民商法の教科書類で取り上げられることもあったものの、特別法や約款で規律されてきたこともあり記述的考察が中心であった。しかし、いくつかの点から民事的に規範的考察を加える必要がある。その一つは、強行法規の有無である。このほかに、定型約款の規制や消費者契約法10条の規制を考えるベースラインとしてそうした契約を規律する任意法規を考える必要がある。そこで、本稿では、現行の規律とのアナロジー、原理の活用や、目的論的解釈を通じて、こうした規範的考察、特に債務不履行に関する責任設定基準の内容についての考察を行うことを目的とする。具体的には、①こうした契約が典型契約のいずれに整合するかという問題と、②こうした契約に関係した有償・無償の区別に関する問題を扱う。①については、電気通信が信書に近いものであるとすれば、商法上は運送、民法上は請負に区分されうることを前提にする。その上で、民法上の区分は請負とした方がよいのか、それとも、データの「保管」的作用をとらえて寄託に区分した方がよいか、あるいは、役務提供契約の受け皿的規定である準委任に区分した方がよいか、こうした点を考察する。また、商法上の運送の規律はこうした契約にどこまで及ぶべきか、問題となる商法の規定が民法の特則を定めている理由の分析を行い、そこから目的論的解釈として、商法の規定の射程を考察する。その後、②については、まず、有償・無償という区分が民事的規律にとっていかなる意味を持つかをまとめる。特に、無償とされた場合の債務不履行に関する責任設定基準への影響をまとめる。その上で、有償・無償を区分する主観的基準・客観的基準が民事上どのように考えられているのかに照らして、本稿で問題とする契約ではどのような点が有償性認定への支障となりうるのかをまとめる。すなわち、主観的基準としては役務利用者と利益提供者がズレてしまう可能性、また、客観的基準としてはデータの取得が対価給付に該当しうるかを考察する。②ではこれらに引き続いて、無償契約としたままでも、有償契約と同様の責任設定基準を設定できるかどうか、法の経済分析も用いつつ検討する。

Translated Abstract

Contracts for the transmission of information by telecommunications have been discussed in some textbooks on civil and commercial law, but mainly in descriptive analysis, because they have been governed by special laws and covenants. However, it is necessary to add normative analysis to civil law from several points of view. One of them is the existence of mandatory laws. In addition, it is necessary to consider the dispositive provisions that govern such contracts as a baseline for considering the regulation of standardized clauses in the Civil Code and Article 10 of the Consumer Contract Act. Therefore, the purpose of this paper is to examine these normative considerations, especially in terms of the content of the standard for setting liability for default, through analogy with current regulations, the use of principles, and teleological interpretation. Specifically, I will deal with (1) the question of whether such contracts are consistent with typical contracts, and (2) the question of the distinction between contract for value and gratuitous contract in relation to such contracts. With regard to (1), we will consider whether it is better to classify it as a contract for work under the Civil Code, or to classify it as a deposit, taking into account the "custody" of data, or to classify it as a quasi-mandate which is a general provision for service contracts. In addition, I will analyze the reasons why the provisions of transportation in the Commercial Code stipulate special provisions of the Civil Code, and from this analysis I will examine the scope of the provisions of the Commercial Code through a teleological interpretation Then, as for (2), I will first summarize what the distinction between contracts for value and gratuitous contracts means for the civil law. Then, in light of how the subjective and objective criteria for classifying contracts for value and gratuitous contracts are considered in civil law, I will summarize what points may hinder the recognition of contracts-for-value in the telecommunication contracts. Then, we will examine whether it is possible to set the same standard of liability as in a contract-for-value even if the contract is classified as a gratuitous one.

1.はじめに

本稿で想定するのは、一定の情報を相手方に送ってもらう事務処理である。たとえば、電子メールがある。これについて、(対価の意義は後に検討するとして)対価を得て行うもの(有償型)と、対価を得て行わないもの(無償型)、この両者を考えよう。

こうした事務処理は、契約で行われているとしても、現在までのところ、特別法で規律されるか、あるいは、約款で規制されていること、および、背景となりうる民商法の規律は任意法規が中心であることもあって、民商法の法的規律がどのようになりうるのか考える意義が乏しかったといえる2

しかし、技術革新に乏しい時代ならともかく、通信として様々な手法が次々と開発される現代においては、特別法の規律だけでなく、これを支える民商法の一般的な理論を考える意義があろう。とりわけ、後述する議論にも関係するが、ある分野にだけ妥当する法理の妥当さ、バランス論を考える上で、民商法の一般理論は重要な意味を持ちうる。

また、約款で規律されるとしても、民商法の契約規制が問題となりうることを前提にすると3、強行法規の問題以外にも次の問題がある。一方で、まず、法律上は、消費者契約法10条、および、定型約款規制への適合性を考えるために、背景となりうる民商法の規律がどのようなものか考える必要がある。つまり、どちらの規律も、(不文のものを含めて)4民商法の規律内容というベースラインに照らして相手方に不利な取り決めをすることを規律しているわけだから、このベースラインがどのようなものか考える必要がある。また、学理上は、任意法規の指導形象機能が主張されている5。つまり、民商法、特に、民法の任意法規には実現されるべき正義の原則形態が規定されており、これを変更する場合には特別の理由が求められる、というものである。この結果、上記のような法律上の規律がなくても、任意法規は問題とされるべきである。他方で、こういった新しい契約類型の分類や内容の検討は、乏しい状況にある。

そこで、本稿では、こうした契約の法的構成に関する問題を検討する。とりわけ、結果債務・手段債務という概念との関係や免責可能性の有無という責任設定基準について検討する。2では、検討対象に対価性があることを前提に、伝統的な運送とのアナロジーで問題を把握できる可能性を検討する。3では、2で検討するアナロジーの問題を抽出し、検討する。4では、2で扱わなかった対価性の問題を検討する。その際には、無償契約としたままでも適切な責任基準の設定が実現できるか否かも検討する。5で若干のまとめを行う。

なお、以下の分析では、厳密にいえば商行為・商人という商法の適用範囲も問題となるところ、この分析は考慮の外に置く。この理由は二つである。一つは、ここで対象とするような事務処理は、通常会社が行うところ、会社であれば商法の適用範囲をあまり考える必要がないことである。もう一つは、商法の適用範囲については、規定によって類推適用が考えられており、商行為・商人という適用範囲を厳密に考える必要がないことである。

2.伝統的な運送とのアナロジーによる把握可能性

前提として、1でも示したように、該当しうる契約類型を考えるにあたって、まずは、有償型を考えることにする。無償型となる可能性やその処理については、後に検討する。

そして、一定の情報を相手方に送ってもらう契約類型としては、郵便など信書等による通信が考えられる。こうした物理的媒体を用いた通信は、対価を得て行われるなら、古典的には、商法上の運送と考えられてきたはずである6。こうした通信とのアナロジーを用いるなら、対価を得て一定の情報を相手方に送ってもらう事務処理も運送に準じて考える立場があり得よう7

また、後に分類の理由について考察するが、対価を得て行われる運送は、民法上の請負契約の一種と考えられてきた8。そうだとすれば、対価を得て一定の情報を相手方に送ってもらう事務処理も、請負の一種と考えられる可能性がある9

以上のような理解からすれば、本稿で問題としている電気通信契約は、特別法としては運送契約、一般法としては請負契約として、規律を受ける可能性がある。

3.運送とのアナロジーがもたらす問題―責任設定原因の不整合

しかし、以上のような把握では、単純に処理できない問題がある。この一つは、責任設定原因の不整合性である。ここでは、3.1で、責任設定原因たる運送と請負との間の緊張関係について論じる。3.2では、2で示した視点を変えてみる可能性を検討する。3.3では、運送が請負の規律より責任が軽くてよい理由を検討する。最後に、補論として、3.4で受領の問題について触れる。

3.1.運送と請負との間の緊張関係

運送または請負として契約類型を把握しようと考える場合、このバランス論からすれば、同じような法的規律がもたらされることが望ましい。しかし、運送と請負には、次のような緊張関係がある。

すなわち、一方で、商法575条10は、本文で延着等について原則として責任を負うとしつつ、但書で注意を怠らなかったときには免責される旨定めている。こうした注意義務の履行による免責は、民法上、手段債務と呼ばれる分類に対応する。

他方、最近の学説によれば、民法上、手段債務と結果債務を区別した上で、請負契約の請負人の義務は結果債務だと分析されている。つまり、延着等という結果の不実限さえあれば原則として責任を負い、この免責は延着等の原因が債務者の引きうけたリスクの範囲外に属することの証明を要するのだ、とされている。また、このことのコロラリーとして、履行補助者を用いた場合、この履行補助者が十分な注意をしたかという点が問題となるのではなく、履行結果がもたらされなければ原則として請負人が責任を負い、例外的に請負人が引きうけていなかったリスクが不履行の原因であるか否かが免責の判断要素になるとされている11。ここでは、注意義務を尽くしたことによる免責は考えられておらず、手段債務よりも重い責任を負うことが想定されているのである。

以上の関係について、結果債務と手段債務の区別が浸透していない時代やこれを引き継いだ学説では、商法575条は民法と同じことを定めていると考えられてきた。これに対し、結果債務と手段債務の区別を意識した最近の学説では、民法の特則を定めているのだと考えられている。つまり、運送契約にあたる限度で、民法の規定の適用が排除されるのだと説明されている。

この最近の学説によれば、ここで問題としている対価を得た形での情報を相手方に送ってもらう事務処理を、運送と、それ以外の請負と、どちらに分類するのかが重要な問題となる。こうした分類問題については、二つの処理方法がありうる。

分類問題を解決する一つの考えは、運送は物理的媒体を想定しているのだから、これとは違うものはその他請負契約に含まれざるを得ない、と考えることであろう12。しかし、言うまでもなく、形式論に過ぎる。通信が、物理的媒体で行われる場面と、そうでない媒体で行われる場合で、これを規律する法形式が異なってよいという理由付けが必要ではないか。

そこでこうした理由付けの問題を解消する一つの方策として、また、分類問題を解決するもう一つの考え方として、商法575条の規定の目的を考えて、目的論的解釈を使うことが考えられる。つまり、商法575条の目的に照らして、ここで問題としている対価を得た形での情報を相手方に送ってもらう事務処理の分類を行う、ということが考えられる。しかし、問題は、商法575条が、民法の請負契約よりも責任を軽減している理由がよくわからないことである。この理由は、後に3.3で考えてみることにしよう。

3.2.視点の変更―寄託や準委任

ここで、視点を変えてみることも考えられる。つまり、そもそも、運送契約が請負契約の一種と理解されていることは正しいのか、ということである。

商法の教科書類を見る限り、運送契約が請負契約に分類される大きな理由は、成功報酬制がとられていることである13。つまり、運送品を相手方に渡すという仕事の完了がないと、報酬を受け取れない。そして、民法の事務処理契約の伝統的分類では、成功報酬制をとるのは請負契約であったので、運送は請負に分類されてきたという経緯がある。

しかし、平成29年の民法の改正により、委任でも成功報酬制が取れることが定められた(民法648条の2)。これにより、成功報酬制の有無が請負契約の限界を画する意味は、乏しくなっている。成功報酬制をとる運送契約を、請負とは別の契約に振り分けることが、民法改正により容易となった。では請負契約を他の事務処理契約と区別する指標は何かというと、現在では、結果債務性、つまり、注意義務の履行の有無によらない成功保障をしたことが掲げられるのが通常である。そして、結果債務性が請負の重要な指標なのだとすれば、結果債務性を修正している運送が請負の一種として把握されることの妥当性が疑わしくなってくる。

では、請負以外に別の候補がありうるだろうか。一つの候補は、寄託である。つまり、運送とは、一定の人から受け取った物を、別の場所で別の人に返還することを約した契約だ、と解するわけである。そして、実はこのように解しても、ここで問題としている債務不履行責任に関して商法上の運送契約との間で何らかの矛盾が生じるわけではない。むしろ、商法575条の規定は、運送契約を寄託の一種と考えた方がスムーズに説明できる14。つまり、寄託契約では有力説によると、一方で、返還義務の不履行があれば債務不履行が認定できるが、他方、注意義務を怠らなかったことを債務者が証明すれば免責されるという形での手段債務だと考えられている15。この責任設定、免責の構造は、商法575条と同様である。

なお、さらに進んで運送契約の基礎にあるのは委任や準委任ではいけないのか、という疑念も生じてくるところになろう。とりわけ、準委任契約は、現在の民法の通説による限りは、事務処理契約・役務提供契約の受け皿的規定であり、他に適当な契約類型がない限りはこれによるものと考えられている。こうした受け皿規定という見方を重視すれば、また、請負では結果債務性との整合性が、寄託では物の保管を念頭に置いており情報の保管は念頭に置かないと考えるなら、準委任こそが一定の情報を相手方に送ってもらう事務処理についての適合的な契約類型となるかもしれない16。あるいは、商法502条は同4号で運送に関する行為を、同10号の寄託の引受けと別に規定しているところ、これが運送の寄託性に対する反証になるとみることもできるかもしれない17

ただ、準委任ではなく寄託と考えることには、責任設定面でのメリットもある。つまり、一方で、準委任では注意義務違反について債権者側が主張立証しなければ、債務不履行に基づいて責任を追及できないと考えられている。手段債務とは一般にこのようなものである。他方、寄託には結果債務性こそないものの、物の返還という一定の結果さえなければ債務不履行が根拠付けられ、注意義務の履行は免責事由として債務者側が主張立証すべきとの見解も有力である18。ここでは、結果保証はないとしても、結果が実現できていなければ原則として一定の責任を負うべきとの考えが表れている。そして、運送の規定の構造は、この後者、寄託と適合的である。そうだとすれば、寄託やこれに準じる契約なのだと法性決定することも、考えられてよかろう。ただし、上記のような有力説とは異なるものの、注意義務違反を債権者側の立証責任とした上で、評価根拠事実と評価障害事実の振り分けにより同様の結論を導けるとの反対説の見解もある。この反対説の見解によれば、準委任と法性決定することにも不適合があるわけではない。

以上のように、一般法としては寄託、あるいは、準委任として受け皿を用意する方向性も、本稿で問題としている電気通信契約にはありうると考えられる。

3.3.運送人の責任軽減の理由

次に、3.1で積み残した商法575条の目的論的解釈に移ろう。つまり、商法575条で運送人の責任が結果債務より低いものとされていることについての正当化理由を探ることによって、当該規定の射程を探ろうという考察である。運送人の責任が結果債務よりも低いものとされている理由としては、次の二つの系列が考えられる。

第一に、負の外部性に注目することである。すなわち、たとえば航空貨物運送について延着を結果債務としない理由は、「延着損害に厳格責任を負わせると、運送人が危険承知の上で無理な運行を行う懸念があるからである」とされる19。売買などと異なり、運送は場所的移動を必然的に伴い、かつ、こうした場所的移動は他人の生命・身体・財産などに対する危険を必然的に伴うため、これを増加させすぎないようにするために、特別の免責を認める必要がある、というわけである。ただし、一方で、航空貨物運送において延着以外の破壊・滅失・毀損による損害に対しては、モントリオール条約により結果債務責任を負うとされていることに注意が必要である。ここで、延着以外の責任について航空貨物運送の原則として結果債務責任が採用されている理由は、賠償額の上限を認めることと引き換えに「迅速な損害の賠償を実現することにある」とされる20。しかし、迅速な賠償の要請は航空貨物運送だけに限定される要請ではなく、これが結果債務責任の原則を認める上で十分な説明になっているか疑問が残る。そうだとすれば、例外的な緩和部分の責任も、理由付けとしては弱いというべきかもしれない。他方、道路運送について、国際道路運送条約では、結果債務に近い責任となっている21。そうだとすれば、外部への安全性確保という要請と、結果債務性が矛盾するわけでもなかろう。

第二に、正の外部性に注目することである。この前提として、結果債務と手段債務の区分が、法の経済分析で議論されている厳格責任と過失責任の区分22に近いことに注目して、それぞれの機能から分析することが考えられる。すなわち、一方で、過失責任でも厳格責任でも裁判所にとって認定が容易な注意水準については適正化が図れるものの、厳格責任はこれに加えて裁判所にとって認定が難しい行為水準についても適正化が図れると指摘されている。たとえば、自動車事故であれば、①交通ルール順守など注意水準によって事故を減少できる部分と、②走行距離など行為水準により事故を減少できる部分がある。この後者である②が事故に影響することは、走行距離に応じて保険料が変わる自動車保険の存在にも表れている。ここで、①を適正化すれば加害者が免責されるのだとすると、加害者は②の水準変化により事故が増減する部分について賠償義務を負わないため、②の変化による社会的費用を勘案せずに②を増やしてしまうインセンティブを持つ。そこで、②も適正化するために、自動車事故については厳格責任を負わせ、社会的費用を常に加害者負担とすることで①や②を最適化して社会的費用を最小化するインセンティブを加害者に与えようとしていると説明されるわけである。もちろん他方で、以上の過失責任と厳格責任の議論は不法行為のものであって、契約責任では過失責任でも厳格責任でも相手方から得られる対価の水準次第では適正な②の行為水準は得られるものの、対価が社会的利益との比較で過少になる場面では、過少な行為水準の問題を生じさせうる23。では、運送について厳格責任を負わせないことがどういったメリットがあるかというと、運送人がどの程度運送業を拡大するかどうかは上記厳格責任の行為水準と関係するところ、運送が持つ特性が契約相手方以外の第三者にも社会的な利益を与えうることから対価として回収できる範囲には限界があり、したがって、責任の制限による②の行為水準の拡大が望ましいのだ、と考える方向性がありうる24。もっとも、第三者への利益という点は、結果債務の典型であるところの売買でも生じうるかもしれない。また、前述のように道路運送を含めて比較法的には運送について結果債務性を認める考えが有力であり、かつ、商事法で非効率な法令が生き残りづらいとすれば、運送について手段債務とすることに効率性の面で決定的な優位性があるとも考えづらい。そうだとすれば、経済分析に注目したこの方向性の理由付けも、運送に関しての妥当性は疑わしいかもしれない。

なお、この第二の点と関係して、厳格責任と過失責任との対比から導かれる分析としては、もう一つ、過失責任の優位性として語りうるものに注目するべきかもしれない。すなわち、過失責任では、過失判断の基礎となる注意義務が最適な水準に設定できるなら、過少賠償でも、潜在的加害者の注意が過少とならないという特性がある25。そして、運送に関する賠償責任の額は、民法416条26、または、当事者の合意により、これを制限することが可能である。そうだとすれば、こういった法理により過少賠償が導かれても、運送人側の注意を最適な水準に導く上で、過失責任が意味を持っていると考えることもできなくはない。ただ、こうした過失責任による最適な注意への規律付けという機能は、運送人の責任を厳格責任とした上で、責任保険をかけさせて、保険会社が運送人の注意をモニタリングすることでも実現できる27。こう考えると、過失責任の優位性に関するこの点への注目は、説明力として弱いというべきだろう。

以上のように、第一、第二のどちらの理由付けも弱点を有するものであるが、かりにこれらの理由付けが有効だとしたら、ここで検討の対象としている一定の情報を相手方に送ってもらう事務処理は、どのように処理されるべきだろうか。

第一の理由付けからは、電子的媒体の特殊性が強調されることになろう。つまり、電子的なデータの移動によって第三者に危険が及ぶことは、物理的移転と同様の意味では考えづらい。したがって、免責の余地を認めなくてもよいという方向に傾きそうである。そうだとすれば、運送とは異なる形で請負契約やこれに準じた処理をこの場合には及ぼすべきだということになろう。

第二の理由付けからは、電子的媒体であっても同様に趣旨が及ぶことになろう28。つまり、第三者に利益を与えうるという性質は、物理的媒体と同様に考えるべきことになる。したがって、運送の規律を及ぼすという方向も考えられよう。

3.4.補論―受領の問題

なお、全体の中では付随的問題であるが、受領遅滞・受領義務をどのように考えるか、という問題もある。

すなわち、前提として、受領遅滞がある場合には、保存義務が軽減されるほか(民法413条1項)、滅失等の危険の少なくとも一部が債権者に移転することが認められている(民法413条の2第1項参照)。また、こうした受領遅滞の法定責任を超えた効果を認めるために受領義務を認めるか否かについては、否定説のほかに、債権者一般に肯定する肯定説、または、売買・請負型の契約について受領義務を認めるべきとの説が有力に主張されている29。このような議論状況を前提とすると、受領を観念すると受領遅滞の問題が生じる可能性がある。また、受領を観念することを前提に、ここで問題としている契約を請負だと性質決定した場合には受領義務が認められる可能性が高まろう。たとえば、添付ファイル付きの電子メールが届き、この添付ファイルをダウンロードする前に、サイバー攻撃により添付ファイルごとメールが消失したという場合、受領遅滞による免責の可能性が生じうる。また、添付ファイル付きの電子メールが届いてもいつまでもダウンロードしないなら、いつまでも受領しない相手方の契約を電子メール事業者が解除する可能性が生じうる。

ただ、この議論をここで問題としているような契約に応用するには、次の二点に注意が必要であろう。第一に、受領遅滞・受領義務に共通する問題として、「受領」という概念を無体物に認めることができるのか、である。有力な見解は、履行として認容しなければ不特定物の債務不履行責任・契約解除権を失わないとした判例(最判昭和36・12・15民集15巻11号2852頁)を参照し、受領概念を「①客体の性情を承認するといった②物理的な引取行為(受取り)を指す」とみる30。ここで、①は無体物でも認められようが、②は無体物とは無関係な定義である。無体物にこうした②の定義を超えて受領概念の法的効果を及ぼせるかは、受領概念に結びつけられた効果に照らして議論を深める必要があろう。第二に、受領遅滞の法定の効果とは関係しないが受領義務に特有の問題として、判例は受領義務を一般的に否定しており、その根拠として供託などで不都合を回避できることを掲げている(最判昭和40・12・3民集19巻9号2090頁)。裏を返せば、「受領」がなければ債務者に何らかの不都合が生じうることが、受領義務肯定の基準となっている。しかし、有体物と同様の不都合が、無体物の「受領」不存在の場合に妥当するか、問題となろう。

4.対価の有無と免責の範囲

以上の議論では、有償型か無償型か、ということは、ひとまず検討の対象外にしておいた。むしろ、有償型となりうる、ということを前提としてきた。一定の企業が行う場合には、この前提は自然なもののように思える。

しかし、無償型である、という可能性も考えておかねばならない。そこで、ここではまず、無償型になることの法的意味を4.1で検討する。次に、4.2で有償・無償の区別基準とされてきたものを整理・検討する。最後に、4.3では無償契約である可能性を残したままで、なお有償型と同じような責任発生原因を適切に設定できるか、特に注意義務の水準を適切に保てるか、検討する。

4.1.無償型になる意味

無償型の場合、冒頭の1で掲げた強行法規の有無や、消費者契約法10条や定型約款規制の基準となる任意法規の内容について、次の二点と関係してくる。

第一に、契約類型の選定である。つまり、無償型の請負は、民法上規定されておらず、これがかりに契約内容形成自由により認められるとしても、その規律内容をどうするか、は争いがありうる。役務提供の内容として近い請負契約の規律を準用するのか、それとも、無償契約もありうる契約類型の規律を準用するのか、という問題である。

第二に、責任設定原因の重さ、言い換えれば免責の範囲とかかわってくる31。つまり、寄託のように無償契約に該当する場合には、責任の軽減が認められている類型がある(もっとも、さらに見れば、この責任軽減が原則となる責任との関係でどの程度の軽減になっているかは、争いがありうる。つまり、民法659条は「自己の財産におけると同一の注意」に注意義務を軽減しているところ、これは、一般人を基準とした注意義務から当人の能力を基準とした注意義務への軽減を意味するとされている。しかし、このような軽減では、当人の能力が一般人より低くない限りにおいては、通常の善管注意義務より低い水準を導くわけではない)。また責任軽減を明確に定めていない場面においても、学理上は、無償契約の場合、結果債務であったとすれば債務者が引きうけたリスクの範囲が狭くなりうるし、手段債務なら債務者が負うべき注意義務が軽減されうる32。本稿で電気通信契約に関する一般法の受け皿として検討した寄託、準委任には、こうした観点から義務軽減が問題となりうることになる。

なお、消費者契約だとした場合に、次の二点とも関係してくる33。第一に、特定商取引に関する法律の適用対象が有償契約に限られていることである。第二に、消費者契約法10条の適用において、信義則違反だとの認定が難しくなる結果として、無償契約が無効とされる可能性が低くなりうることである。しかし、第一の点については、立法論も考えるなら、消費者契約法が無償契約をも対象とすることに合わせるべきではないか、とも考えられる。また、第二の点は、法律の条文から来る障害ではなく、消費者契約法自体の解釈で対処可能である。このため、以下の検討では、こうした点は重視しない(なお、OECDのConsumer Protection in E-Commerce34は、消費者保護の対象として有償取引のみならず無償取引をも重視すべき態度を示している。このことは、無償取引と性質決定されるとしても、消費者保護のために有償取引と同様に責任の加重を図るべき重要な根拠になるだろう。ただ、日本の消費者契約法は、前述のように任意法規との比較を規律の一つの基準としているため、消費者法ルールの背景にある任意法規について責任加重の在り方を考える必要がある。また、強行法規の有無を考える場合、なぜ強行法規が消費者取引の一定の場面で妥当するのか、理由を含めて考えることが、目的論的解釈の助けとなる。以下の記述は、こうした点を前提としている)。

4.2.有償・無償の区別基準

有償・無償の区別基準については、主体の問題と、客体の問題がある。4.2.1と4.2.2で順に検討する。

4.2.1.有償性への主体のハードル

民法上は、対価の有無については、主体について形式的に考えられてきた。この主体の形式性の一つの表れが、別の人から対価を受け取っていたとしても有償型の契約とはならないことである。たとえば、保証人が主債務者などから委託料の支払いとともに委託を受けて保証契約を締結したとしても、保証契約の当事者は保証人と債権者であって、債権者から利益を受けているわけではない以上、この保証契約は無償契約の一種だと解するのが通説である35。こうした取引を全体としてとらえれば対価となりうるにもかかわらず、相手方から対価を受け取ることが必要とされるわけである。

この点が問題となりそうなのは、情報を送る側が広告などを見ることで、第三者から情報伝達を担う媒介者に対して、報酬が支払われるタイプの契約である。たとえば、卑近な例だと、LINEが広告と引き換えに利用者に無料通話を認めている例が、こうした例に該当しよう。

4.2.2.有償性への客体のハードル

当事者の問題以上に、形式的には無償だと思われている電子メールなどの契約に有償性が認定できるかは、微妙な問題だろう。

こうした問題については、現在のところ、民法よりは、競争法で議論がある印象である。たとえば、一定のサービスと引き換えにした消費者からの情報の取得については、こうした情報取得が対価にあたりうることを念頭に、優越的地位の濫用などの規制が考えられているのではないかと思われる36

ただし、この点と関連して、また、議論の重複はあるが、情報の取得を対価とみなすことについては、少なくとも三つの問題があろう。第一に、競争法上の議論は、民事的な契約上の対価としての性質決定にとって参考となるものの、直接の参考になるものではないということである。第二に、取得した情報それ自体の価値に関係して、①情報それ自体の価値と、②これが集合的になることにより発揮される価値とが区別されうるとして、この双方に対価性があるのか、という問題である。このうち、①に対価性がありそうなことには、あまり問題はない。しかし、②は問題で、他の情報と合わさって初めて意味を持つ情報の取得が対価となりうるかどうかは、議論を要する。第三に、事務処理を利用することにより取得される情報自体を、民法上は対価だと考えてこなかったのではないか、ということである。たとえば、先に論じてきた運送との関係では、宅配便を利用する際、鉄道を利用する際に利用情報が収集されることが問題となりうるが、これを民法上の対価だとは通常考えてこなかった。このことを示すのは、有償契約の定義である。すなわち、有償契約とは「当事者が互いに経済的な意味での対価性を持つ給付をする契約」と定義され37、また、給付とは、債務の弁済を目的とする意識的な相手方の財産増加行為と定義されることが多い38。給付の定義をより簡単な言葉で言い直すと、弁済や履行と考えられるもの以外がここから除かれやすいということである。この定義からは、弁済を目的とした意思に基づかずに相手方の財産が増加する場面は、有償性の考慮からは排除されることになる。こうした方向性の変更には、比較法的には興味深い状況が表れつつあるものの、変更の射程も含めて、慎重な議論が必要だろう39

4.3.無償型と責任設定基準

では、無償契約であるとの性質を貫いたままで、責任を加重する方策が考えられるだろうか。また関連して、そのようにして加重する責任を強行法規としうるだろうか。たとえば、寄託と性質決定して無償性を貫いたままで民法659条による責任の軽減を排除できるだろうか。また、準委任と性質決定して無償性を貫いたままで民法644条よりも無償契約の義務軽減を図る方向性に対応しうるだろうか。方向性としては、二つある。

第一に、当事者の通常の意思を通じて、責任の在り方を考えていく方向性である。これは、贈与の契約責任が、契約当事者の通常の意思によって根拠付けられていることと対応する40。無償契約の性質が、贈与などの無償契約によって相手方に一定の利益を与えることにより、利益供与者の契約目的を実現しようとするものであれば、こういった契約目的に照らして適合的な責任を想定する必要がある。ただ、ここで支障となりうるのは、通常の意思を根拠とする場合には、これと違った意思が無償契約の利益供与者側から表明されている場合には、この意思に従わざるを得ないだろうと考えられることである。すなわち、たとえば、利益を受ける側たる利益収受者は、対価を支払わない以上は利益が少なくても同意するだろうから、利益供与者側たる贈与者から利益を減少させる契約条件を付けたとしても、これを受け入れるだろう、と予測されるわけである。また、利益収受者の側が自分の利益を増加させるような契約条件を付けないと契約しないと述べる場合には、利益供与者の側はこの条件を受け入れると当該契約により得られる利益が少なくなる以上、契約締結自体を拒絶することが多いだろう。これに対し、ここで問題としているような一定の情報を相手方に送ってもらう事務処理においては、これに伴う利益提供者からの情報取得という利益を受ける者への不利益の大きさ、また、情報流出への懸念などの事務処理の質に伴う不利益の大きさ、これら次第では、当該事務処理を利用しない可能性がある。また、利益供与者の側が、第三者から利益を受けていれば、あるいは、利益収受者の側からの給付以外の形で利益を受けていれば、利益収受者が一定の事故に有利な契約条件でなければ契約しないと表明した場合には、これを受け入れる可能性が高い。そうだとすれば、十分な情報提供を受ければ、かつ、楽観主義バイアスなどの心理的バイアスの影響がなければ41、利益供与者に有利すぎる契約条件では当該事務処理を利用しないと考えられる場面では、当事者の通常の意思として契約責任の加重を図ることが正当化されよう。そして、このようにして認められる通常の意思による責任は、多くの当事者に妥当するものとして、いわゆるマジョリタリアンデフォルトとなりうる42。このマジョリタリアンデフォルトは、原則として任意法規としての意味しか持たないとしても、定型約款規制や消費者契約法10条の規律を通じて強行法規化することも考えられる。

この第一の方向性と関連するが当事者の通常の意思が異なる結論を導く例として、集合行為問題の場面がある43。すなわち、権利侵害や損害発生を防止・軽減するために行われる注意義務の投資、たとえば、情報漏洩や送受信ミスを回避・減少させる通信設備への投資は、特定の利用者との関係だけでなく、一定の時点での別の利用者、あるいは、別の時点での利用者にも利益をもたらす。この点で、注意義務の議論が通常想定する、投資が特定の相手方のために行われる場面とは異なった性質を持つ場合がある。言い換えれば、注意義務として権利侵害や損害発生を防ぐための投資が、正の外部性を持つ点で特殊性がある場面があるということである。そして、注意義務にこうした正の外部性がある場面では、高い責任水準と引き換えに自ら高い対価を支払って高い注意義務水準に誘導するよりは、他の利用者がそのようにすることにフリーライドすればよいとの動機が生じる。そのため、利用者が十分に合理的であれば、利用者の権利や利益を守るには不十分なレベルまで、相手方の注意水準を低める合意をしかねない。こうした問題を防ぐため、当事者の通常の意思による注意義務水準ではなく法により注意義務水準を設定し、かつ、これを強行法規化した方がよい場面がある、というわけである。なお、こういった正の外部性を持つ注意義務への投資という観点を入れていく場合、本稿の出発点となった運送人の義務違反の軽さ、および、この合意や定型約款による軽減可能性はそのままでよいのか、という問題が出てくることになる44

第二に、専門家に対する信頼など他人によって形成された社会的信頼が有用であり、かつ、この信頼にフリーライドする余地がある場合に、この信頼へのフリーライドを防止する意味で、責任の加重を認めるという方向性である。これは、一般には専門家責任といわれるものである45。そして、信頼へのフリーライドが問題とされるのは、このフリーライドが蓄積すると、信頼全体が失われてしまうという性質に求めるべきであろう。こうしたフリーライドの蓄積による信頼喪失は、刑法上、蓄積犯として議論されているところと対応する46。そして、ここでは当事者の利益以外の部分とかかわっているため、外部性やその交渉による解決困難を理由として強行法規化を図ることが考えられる。

なお、以上の第一、第二の方向性のほかに、商法595条、596条による商事寄託の責任強化の規定を用いて、責任の厳格化を図るという方向性も考えられるかもしれない。ただ、この方向性には、いくつかの限界を指摘しうる。第一に、寄託にしか使えないという限界がある。3.2で前述したように情報の保管は寄託ではないとされる可能性を考えれば、寄託を念頭に置いた規定での責任加重には限界があることも意識すべきである。第二に、この第一の点とも関係して、商事寄託の責任加重はこの目的があまりはっきりしないという限界がある。つまり、一方で、本稿で問題としてきた契約が、かりに寄託だと認められないとしても、商法595条、596条を目的論的解釈により拡張して適用する可能性は、3.3で見た商法575条と同様に、理論的には認められうる。他方、こうした目的論的解釈をするためには、当該規定の目的がはっきりしていなければならないが、商法595条、596条の目的は規定内在的には十分に明らかにされているとは言い難い47。このように規定の内在的意味が不明確であることからすれば、規定の外から合理的だと考えられる契約解釈や任意法規、強行法規による補完が考えられてよく、本稿で論じてきた第一の合理的意思、第二の信頼保護という観点はこうした商法595条以下の規定の内在的意味の不明確さを補充するものとして役立てる方向性が考えられよう。

5.おわりに

本稿では、電気通信契約の法的構成、とりわけ、責任設定基準につき結果債務・手段債務の区別、および、対価の問題と絡む免責範囲の広さを中心に、検討してきた。

結果債務・手段債務の区別に関しては、電気通信契約が運送や請負と把握される可能性があること、しかし、運送と請負の規律には不整合があること、そのため請負以外の契約類型で処理する可能性もあることや、運送の範囲について責任設定基準の目的論的解釈を示した。

対価の問題と絡む免責範囲の広さについては、無償型になる意味を整理し、有償・無償の区別基準について伝統的見解では電気通信契約の感覚的な有償性にうまく適合しないこと、また、無償型にしたままで責任設定基準を適正な形で調整する可能性を検討した。

本稿で検討してきたような問題について、より説得力の高い形で解決を導くためには、比較法を含めた幅広い検討が必要かもしれない。本稿の検討は、そういった比較法などとの関係ではこれら発展的研究を行うための一つの下準備として、現在の日本法の特性や限界を明らかにするという意味があるといえよう。本稿の検討は、以上のような限界を有するものであるが、こうした限界を解決するための将来の研究の下地となれば、幸いである。

Footnotes

1 京都大学大学院法学研究科准教授

2 江頭憲治郎『商取引法〔第八版〕』(弘文堂、2018年)393頁以下に電気通信事業の説明があるが、約款に関する記述的考察が中心である。

3 民法改正前の事案であるが、たとえば、ダイヤルQ2サービスが問題となった最判平成13・3・27民集55巻2号434頁などは、本稿で問題としているものより広い意味での電気通信に関係する契約も含めて、民事上の契約規制が問題となることを前提としている。

4 消費者契約法10条に関するものだが、不文の任意法規が含まれると解した最判平成23・7・15民集65巻5号2269頁を参照。

5 たとえば、概説書による紹介として河上正二『民法総則講義』(日本評論社、2007年)263頁参照。

6 北居功=高田晴仁編著『民法とつながる商法総則・商行為法〔第二版〕』(商事法務、2018年)341頁(笹岡愛美)。

7 前掲注6・北居=高田・341頁(笹岡愛美)が、「電信・電話等、電気を利用した通信の移動は物品運送に含まれない」とわざわざ断っているのは、こうしたアナロジーが成り立つ余地を示唆するものであると思われる。

8 前掲注6・北居=高田・337頁(笹岡愛美)、山本豊編『新注釈民法(14) 債権(7)』(有斐閣、2018年)121頁(笠井修)。

9 ただし、後掲注16・民法(債権法)改正検討委員会47頁は、役務提供契約総則を作ることを前提に、成果物の引渡しを観念することができない場面を請負から除外し、役務提供契約総則でこうした引渡しのない無形請負を規律することを提案している。この大きな理由は、引渡しが担保責任と関係するからであろう。というのは、同注5で引渡しを観念できない場面にも請負規定を適用しつつ担保責任の規定は引渡しを観念できる場面へ限定する考え方を紹介しつつ、この考えと同様の結論が導かれることを指摘しているからである。

10 改正前の商法旧577条である。松井信憲=大野晃宏編著『一問一答 平成30年商法改正』(商事法務、2018年)28頁によると、旧577条から現行575条への改正のポイントは、明確でなかった立証責任の明示と、民法から明らかであって不必要な履行補助者責任部分の削除であって、実質的変更はない。

11 山本敬三『民法講義Ⅳ-1 契約』(有斐閣、2005年)653頁

12 前掲注6・北居=高田・341頁(笹岡愛美)。

13 関連して、仲立契約につき、報酬が仲立人の努力義務と対価関係にあるもの(双方的仲立契約)と、報酬が仕事完成と対価関係にあるもの(一方的仲立契約)が区別され、前者は準委任、後者は請負(類似)に分類されている(請負自体ではなく類似とされる理由は、委任者は仲立人が持ってきた取引を成立させる義務を負わないこと、つまり、仕事の完成に協力する義務を負わないことに求められている。たとえば、宅建業者が持ってきた契約につき、消費者は気に入らなければ拒否してよい)。前掲注6・北居=高田・306頁(横尾亘)。

14 なお、寄託の一種として争いがないところの倉庫契約との連続性は、商法上も意識されている。たとえば、近藤光男『商法総則・商行為法〔第八版〕』(有斐閣、2020年)197頁は、「物品運送は、後に論じる倉庫営業と同様に、他人の営業を補助する補助商」であって、どちらも有価証券を利用して取引する点で似ているが、運送は場所的間隔を、倉庫は時間的間隔を、それぞれ克服する点で異なるとする。

15 森田宏樹「結果債務と手段債務の交錯・融合―具体的な行為義務違反の立証責任が転換された手段債務」法学教室357号(2010年)88頁以下。

16 民法(債権法)改正検討委員会編『詳解・債権法改正の基本方針Ⅴ』(商事法務、2010年)166頁は、無体物寄託を認めると混蔵寄託の処理で問題が生じることから、無体物の寄託は委任で処理すればよいとしている。

17 ただ、民法と商法で寄託概念が異なることは妨げられず、決定的な欠点とまでは言えないだろう。また、商法で規定されている商行為概念は相互に排他的だと理解されているわけでもない。たとえば、前掲注6・北居=高田・46頁以下(森川隆)では、商法502条8号で規定されている銀行取引は、通説からは与信と受信を両方含むことが定義として必要とされているが、これだと同501条1号の投機購買に銀行取引が定義上含まれてしまうという問題が指摘されている。

18 前掲注15・森田を参照。

19 前掲注2・江頭338頁。

20 前掲注2・江頭338頁。

21 山下友信「運送営業・倉庫営業・場屋営業」同『商事法の研究』(有斐閣、2015年)394頁以下(初出2010年)参照。

22 この厳格責任と過失責任の区分に関する経済分析については、スティーブン・シャベル(田中亘=飯田高訳)『法の経済分析』(日本経済新聞出版社、2010年)201頁以下を参照。

23 次注参照。

24 第三者にも利益を与えうる場面で、また、第三者に与える利益を対価としては十分に回収できない場面で、厳格責任よりも過失責任の方が望ましい可能性があるというロジックのフォーマルな分析としては、Keith Hylton, A Positive Theory of Strict Liability, 4 Rev. Law & Econ. 153 (2008)を参照。そこでは、例として、ワクチンなどの公衆衛生確保手段や、新聞やインターネットなど情報拡散手段が挙げられている。特に、こうした情報の拡散という点は、運送に含まれうると考えられてきた信書に直接妥当するのみならず、たとえば、旅客運送でも人の移動が集会の自由を支える基盤だと考えるなら一定程度妥当すると考えることができよう。

25 本文で述べたことを導くロジックについては、前掲注22・シャベル289頁注36を参照。たとえば、過少賠償の場合を考えるとしよう。この場合、最適な注意を上回る注意をしても下回る注意をしても責任を負わされる厳格責任であれば、最適な額よりも注意費用を減らす方が、潜在的加害者にとって利益となりうる。これに対し、最適な注意を下回る注意だと賠償が必要だが上回る注意をすれば賠償額がゼロになる過失責任では、最適な注意を境にして賠償責任の期待値が大きく変化することになるので、最適な注意を下回ることによる注意費用の削減額が賠償責任上昇の期待値を下回る可能性が高くなる。この結果、過失責任では賠償額を多少減額しても、最適な注意をする方がなお潜在的加害者にとって利益となりうる。

26 平成29年民法改正前の416条が、いわゆるハドレー事件の影響を受けていることはよく知られている(議論状況について潮見佳男『新債権総論Ⅰ』(信山社、2017年)448頁以下)。そして、ハドレー事件は、本稿で問題としている運送を取り扱うものである。

27 前掲注22・シャベル299頁。

28 特に、通信の分野について過失責任が望ましいと考える可能性について前掲注24を参照。

29 潮見佳男『新債権総論Ⅱ』(信山社、2017年)45頁参照。

30 前掲注29・潮見52頁。数字は本稿の筆者によるものである。

31 前掲注16・民法(債権法)改正検討委員会・9頁以下、松本恒雄「日本におけるデジタル・コンテンツ及びデジタル・サービスの供給契約法制―EUとの比較と課題」Law and Technology 89号(2020年)104頁以下参照。

32 有償性が責任の強化を導くこととの関連では、場屋営業に関する商法上の寄託について無過失責任を定めている商法596条1項の規定の根拠は、相手方の信頼のほか、報償責任にあると説明されることが重要であろう(前掲注6・北居=高田372頁(平野裕之))。また、委任・準委任に関する民法644条の解釈として、無償の場合に義務軽減を図るべきかどうか議論があることにつき、前掲注8・山本豊248頁以下(一木孝之)参照。

33 前掲注31・松本104頁以下。

34 https://www.oecd.org/sti/consumer/ECommerce-Recommendation-2016.pdf (2021年4月25日閲覧)

35 西村信雄編『注釈民法(11) 債権(2)』(有斐閣、1965年)151頁以下(西村信雄)。ただしそこでは、第三者から利益を受ける場合には、「有償的保証」になるとして、より実質に則した形での有償性判断を行う余地も示唆している。

36 情報取得と優越的地位濫用の公取委の考え方を示したものとして、https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/dpfgl.html (2021年4月25日閲覧)、など。また、対価との関係で同様に競争法に注目する見解として、前掲注31・松本104頁以下参照。

37 中田裕康『契約法』(有斐閣、2017年)69頁。

38 給付の定義について橋本佳幸ほか『民法Ⅴ 事務管理・不当利得・不法行為〔第二版〕』(有斐閣、2020年)36頁参照。

39 対価性を肯定する方向で比較法的に意味がある傾向として、たとえば、デジタル・コンテンツ及びデジタルサービス供給契約の一定の側面に関する欧州議会及び理事会指令(Directive(EU)2019/770)では、一定の取引についてデータを対価とすることを認めている(マーティン・シュミット=ケッセル(藤原正則訳)「デジタルコンテンツに関する(EU)指令―契約類型と瑕疵に関する責任―」東洋法学61巻2号(2017年)164頁、カライスコス・アントニオス=寺川永=馬場圭太「〔翻 訳〕デジタル・コンテンツ及びデジタル・サービス供給契約の一定の側面に関する欧州議会及び理事会指令(Directive (EU)2019/770)」ノモス45号(2019年)148頁以下参照)。しかし、たとえば、宅配便業者が業務と関連して収集可能なデータのようにデジタルとは無関係な財・サービスの提供の場合にデータが対価とならないのか、検討を要しよう。また、消費者契約を超えて、デジタルコンテンツ等の供給契約においてデータの対価性が認められるかも、不透明な議論状況である。

40 前掲注37・中田271頁。

41 こういった影響、特に心理的バイアスの影響を除外して当事者の合理的意思を考えるべきことについて、西内康人『消費者契約の経済分析』(有斐閣、2016年)を参照。

42 マジョリタリアンデフォルトについては、松田貴文「契約法における任意法規の構造―厚生基底的任意法規の構想へ向けた一試論―」神戸法学雑誌63巻1号(2013年)171頁参照。

43 Jennifer Arlen, Contracting over Liability: Medical Malpractice and the Cost of Choice, 158 U. Penn. L. Rev. 957 (2010).

44 宍戸常寿ほか編著『AIと社会と法』(有斐閣、2020年)165頁の小塚荘一郎発言を参照(運送業者の注意義務につき、今までは「所定の運転免許を持っている運転手を雇っていれば、あとは運転手の過失の問題」だったが、「いつかAIの選択・選定に、事業者としての注意義務が向けられるという時代が来るのではないか」と述べる。小塚発言で意図したことではないかもしれないが、AIの選択・選定は他の利用者の権利侵害・損害発生の防止・軽減にも役立つところが大きく、正の外部性が大きい例であるといえよう)。

45 専門家責任の無償契約への応用について、前掲注37・中田526頁。

46 蓄積犯の簡潔な紹介文献として、たとえば、小林憲太郎『刑法総論の理論と実務』(判例時報社、2018年)550頁以下とそこに掲げられた文献を参照。

47 商法595条以下の意味については、広瀬久和「レセプトゥム(receptum)責任の現代的展開を求めて―場屋(特に旅店)営業主の責任を中心に(一)~(四)」上智法学論集21巻1号(1977年)75頁、21巻2=3号(1978年)23頁、23巻3号(1980年)17頁、26巻1号(1983年)83頁が包括的な研究であるが、当該論文が未完で終わっているように、規定の意味には不明確な点が残っている。

 
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