情報通信政策研究
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ISSN-L : 2432-9177
寄稿論文
「情報法」のスケッチ
浜田 純一
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2023 年 6 巻 2 号 p. 1-13

詳細
要旨

新しい法学分野である情報法について、その厳密な内包外延を「情報」の概念からただちに導き出すことは難しい。むしろ、今日、情報法の教科書等で扱われるテーマとして共通了解され、定着してきている内容を通覧することから、情報法のイメージを浮かび上がらせることができる。情報法の基礎となる理念は、情報の自由ないし情報流通の自由であり、また論争的ではあるが、「情報に対する権利」である。「情報に対する権利」は戦略的な概念であり、ユニバーサル・サービスの充実や情報環境の形成における個人の主体的・能動的な関与を促す役割を果たしうる。                                                                           

情報法で扱われている内容を通覧して見えてくるのは、第一に、情報の「タフ&ナイーブ」という特性であり、この性質は、倫理や自主規制あるいはアーキテクチャ論などの規律手法に親和的である。第二は、「自律」という理念であり、それは、個人情報の利活用等の場面で留意すべき視点を浮き彫りにするとともに、情報秩序が自律を前提として機能すること、また情報法が自律を支える基盤となるべきことを意識化させる。第三は、急速な情報化に対応する「スピード」であり、それが、情報をめぐる法と政策の近接性や学際的研究への要請を高めている。

情報法はなお発展途上の「フロンティア」であり、新しい情報技術や情報環境がもたらす課題への法的応答を絶えず迫られる中で、自由と規制という枠組みだけでなく統治構造論的な視点も含めて、柔軟さと想像力を備えた研究の発展が期待される。情報法の定義や基本理念、規律の手法などをめぐる議論はなお将来に開かれている。

Translated Abstract

“Information law” is a frontier field of legal study, whose content and boundaries cannot easily be deduced from the concept of “information”. One can gain a general image of information law from the contents and topics typically itemized in the textbooks and casebooks of “Information Law”. Basic concepts of information law include freedom of information, free flow of information, and the “right to information”, although the last might be contentious. The “right to information” is a strategic concept, which would enable individuals to engage autonomously and actively in improving “universal services” and forming information environments.

Through an overview of the contents and topics commonly discussed in information law, three characteristics can be extracted. The first is the “tough and naïve” nature of information. This encourages the discussion of ethics and particular regulatory methods, such as self-regulation and regulations based not on contents but on computer architecture. The second is the concept of “autonomy”. Besides being useful in discussing issues of data protection, autonomy is essential to the establishment of informational ecosystems and the theoretical foundations of the right to information. The third is “speed”. Law must catch up with rapid changes caused by the so-called “informatization” of society. This kind of speediness brings the study of information law into close proximity with policy studies and interdisciplinary research.

“Information law” is still an evolving frontier. It is required to cope with newly emerging technologies, environments, and phenomena related to information. The study of information needs to be flexible and creative. In addition to heavily debated issues under the framework of freedoms vs. regulations, the scope of information law must be widened to envision design features for future governance. Definitions, basic concepts, and regulatory methods of information law remain open for future discussion.

1.はじめに

情報法という法分野2は、法学の領域でも新しいが、今日すでに多くの教科書も刊行されており、独自の分野として定着しつつあると言ってよい3。また、この法分野がどのようなテーマを含むものなのか、おおよそのところで共通のイメージも成立してきているように思われる。それは、きわめて大雑把には、「情報に関する法」であり、いま少し言えば、「情報の生産、処理、流通にかかわる法」4ということになる。ただ、こうした定義づけはさしあたり無難であるとしても、茫漠さは免れず、そこからこの法分野の体系的な構造を詰めていくことは容易ではない。

その主たる理由は、何より情報というものが意味する対象の広大さによる。情報の定義は実にさまざまになされるが、いずれにしても、情報は、社会の基本要素であると同時に個々の人間や広く生命体の基本要素でもあり、その意味では、あらゆる法は何らかの形で情報に関係しているともいえ、「情報の生産、処理、流通にかかわる法」というだけでは、情報法の対象の絞り込みは困難であろう。情報を社会情報、つまり社会的な文脈で取り扱われる情報の場合のみに情報法の対象とするという考え方もありうるが、例えば遺伝子情報のような生命体に固有のような情報であっても、遺伝情報による差別禁止法のように社会的にその取扱いについて規制等がなされる場合には社会的な情報となるから、社会情報という概念が情報法の対象の絞り込みにさほど寄与するわけではない。ここに伺われるような対象の広大さは、情報法と同じく新しい法分野である環境法や医事法5と比較しても、その内包外延を確定することをより難しくさせている。情報法という概念が仄見えてから、すでに30年以上の時が経つが、この分野が、なお「フロンティア」と目されている6のには、インターネットに象徴されるような情報をめぐる技術、産業、文化などの急激な発展が与っていることはもちろんであるが、そもそもの情報という対象のこうした性格が根底にあると考えられよう。

というわけで、情報という概念の定義から説き起こして情報法の対象を確定しようとすることは、いささか困難に見える。例えば、憲法や刑法・民法などのように法典が存在するところでは対象確定は容易であるし、あるいは行政法のように、行政という概念について一定の共通了解が存在している場合には、その対象とする法分野を記述することはさほど困難ではない。こうした前提を持たない情報法の場合は、「情報の生産、処理、流通にかかわる法」という大まかな定義を与えつつ、同時に、これまでの研究教育や実務の現状を踏まえながら、その取り扱う範域及び取扱い方7を考えていくのが、現実的なアプローチであると思われる8

とはいえ、独自の法分野と捉えるからには、やはりその法分野に凝集性をもたらす特徴の抽出は期待されよう。「情報法」に関するこれまでの諸著作にもそうした取組みが見られるが、本稿では私なりの視点から若干の考察をくわえておきたい。

2.情報法の視野に入るもの

情報法という枠組みの中で取り上げられているテーマを概観すると、そこには、これまで、言論法、メディア法、マス・コミュニケーション法といった枠組みで扱われてきた内容が、大きな割合を占めている。それと同時に、情報公開や個人情報保護の法制が整備されてきたことが、「情報法」という枠組みを展開する上で大きなきっかけとなったであろう。1970年代に入って、行政機関で業務にコンピュータを導入する取組みが始まり、それとも連動しながら、自治体で個人情報保護条例の制定の動きが出てくる。また、「知る権利」が社会的な話題にもなり、情報公開条例制定の動きも見られるようになる。さらには、社会における情報化の進展が、ニューメディアといった言葉とともに、マス・コミュニケーションにかかわる伝統的な課題を、情報化というより大きな枠組みの中で捉え返そうという流れが生じてくる。とくに放送分野では、「放送と通信の融合」という視点ないしマルチメディアといった視点9が、そうした動きを加速するきっかけとなったし、何より1990年代半ばからのインターネットの発展が、マス・コミュニケーションの分野にも大きな影響を与えてきていることは、周知の通りである。1980年に「情報化時代の法律問題」を特集したジュリストにおいて、伊藤正己が、「情報化社会と法」というタイトルで序文を記している10が、そこで、情報化社会が生み出す課題について、情報の量の巨大化、情報流通の不均衡、情報流通に伴う人権侵害、情報の経済的価値の法的保護、情報に関する諸政策、といった諸点を掲げていることは、情報法の生成の原初的な背景となった要素を的確に指摘しているものと言える。

今日では、情報法の教科書も数多く出版されており、いかなるテーマが情報法の視野に入るのか、共通了解は概ね形成されてきているように思われる。従来マス・コミュニケーション法と呼ばれてきた内容、表現の自由にかかわる法、通信法や情報公開ないしは個人情報保護にかかわる法、著作権法、そしてインターネット法、サイバー法ともいわれる分野などがそれである。ここで一歩踏み込んで考えなければならないのは、こうして形を整えつつある情報法の分野で、そこに通底する統合的な原理を認め得るのか、ということである。

一つの考え方としては、さほど難しく考えず、情報にかかわる法をとにかくまとめて扱うこと自体に意味がある、ということで良いかもしれない。情報法で取り上げられている多くのテーマは、憲法を始め、伝統的な法分野でもしばしば扱われるテーマである。ただ、伝統的な法分野では扱われるべきテーマは非常に多くあるから、教育研究において、情報関連のものだけに多くの時間を割くわけにはいかない。その意味では、情報にかかわる法分野をある程度ひとまとめにして、そこで、伝統的な法分野ではそう深くは扱えないところを補っていくという考え方も合理的である11

ただ、言うまでもなく、物事の法的な取扱い方には、多様な面がある12。同じテーマを扱うにしても、他の法分野とは異なる情報法ならではの独自の概念やアプローチの方法がある方が、より有意味である。この点、曽我部真裕が、情報法という独自の「カテゴリーを認識することによる発見法的な意義」に触れていることが示唆的である。その例として示されているのは、これまで媒体別に議論されてきた情報法の個別の法制度を、情報の発信者、受領者、媒介者といった「レイヤー別の区分に基づいて横断的に考察対象とすることで、規律内容の齟齬を可視化し整序する可能性が開ける」という指摘である13。あるいはまた、情報の流通構造を一覧することで、情報政策的な観点も取り入れながら、例えば、放送と新聞との規制のあり方を異にすることによって表現機会の平等と編集の自由の伝統を両立させようとする「部分的規制」の考え方14といったものを、さらに情報流通全体の構造において考えていくという発想も生まれてくるように思われる。

こうした、総合的な観点からの情報関連規律の整序といった実利的な役割も期待されるところで、さらにそもそも、情報法における固有の基軸となる概念ないし理念が存在するだろうか。おそらく疑いを入れないのは、「情報の自由」「情報流通の自由」という価値15であろう。さらに「フェアネス」16もしくは「信頼」17等の価値に触れる興味深い指摘もあり、あるいは、情報法をめぐる「ユビキタス」18や「デジタル」19といった環境の規定力にも留意が必要となるであろう。本稿の末尾でも触れるように、今後の議論の深化と展開を期待したい。

3.「情報に対する権利」

かつて、情報法の基軸となりうる可能性のあるものとして、「情報に対する権利」という概念に触れたことがある20。それは、「自己の情報環境を主体的に形成していく権利」であるが、訴訟手続きで実現されるような具体的な権利ではなく、その認識上の利益や、より良い情報環境の実現に資する戦略性を意識して提起した概念であった21

この権利概念を説明していく上で、そしてさらには、情報法というカテゴリーの意義を説明していく上で、環境権、環境法とのアナロジーは有用である22。環境権というのは、最初に主張されたときには、公害など自然環境破壊の動きに対して差止請求権を認める根拠にしようといった、具体的に裁判で実現できる権利を想定したと見られる議論も見られたが、環境保護法制の整備が進んだこともあって、一般には理念的な性格のものとして定着してきたように思われる。情報に対する権利というのも、情報にかかわる法がさまざまに存在する中で、それらに共通する基盤は何なのかを認識するための拠り所となる概念として構想してみた。

同時に、こうした権利概念を提示することによって、進展し続ける情報化社会の中で、情報に対して個人が主体的・能動的にかかわることを促す効果を生み出すことを期待していた。これは法的というよりは実践的な議論になるが、こうした権利概念が個人や社会に浸透することによって、国民がさまざまな情報を十分に使いこなしていくための環境整備を国や自治体の責務として捉えていく効果も生まれるかと考えた。そういう意味では、戦略的な概念ということになる。

環境にしても情報にしても、人間の周りに普通に存在するものであり、通常であれば権利の対象というふうにわざわざ構える必要はない。ただ環境権の場合で言えば、ごく当たり前だったはずの良好な自然環境が汚染されて、人間の生活、生命にも深刻な影響を与えてくるようになると、環境というものを権利の対象として意識することが必要になってくる。そこで生まれたのが、環境権という概念であった。

それと同様の思考で、情報は人びとの周りに当たり前にあるものであるが、情報化社会の中で例えば情報格差というものが生じてくる。情報を十分に利活用できない情報弱者が生まれてくる。また、情報の流れに強い影響力を持つ者たちの存在によって、情報の市場が歪められていく可能性も出てくる。さらには、個人情報の価値や取扱い方がこれまで以上に多面的な考慮を要するテーマになってくる。このように、これまで自然な形で周囲に存在していた情報の世界に大きな変化が生じてくると、そこで改めて情報を権利対象として意識することが求められるはずだ、というのが当時の主張であった。

もっとも、いま現在の目で見てみると、先にも触れたように、情報という言葉が指示する範囲はいかにも茫漠としている。環境権という場合も、自然環境だけでなく歴史的、文化的環境といったものも含めて考えるべきだといった議論も当時見られたが、ただ基本となるのは自然環境であり、比較的に対象は明確である。自然環境の範囲も広いものの、それでも情報という概念よりは絞り込みやすい。情報というのは、日常で空気のように存在していると同時に、日々膨大に生み出され続けているわけであり、権利の対象とされる情報というものがあまりにも茫洋としているという批判を、なかなか免れ難いことは認めなければならない。

ただ、今日のように、人びとの情報環境を規定するインフラストラクチャーの姿が、巨大プラットフォーマーの動きによって左右されるような事態も生まれている状況23を見ると、「情報に対する権利」という視点を強調してみることの意義を、改めて考えてみなくもない。こうした問題意識と重なりつつ、「今日の複雑化し高度化している情報環境」をめぐる闘争に個人が主体的に関与していくことを促すところに、この権利の今日的な役割があるとする指摘24にも、惹かれるものがある。たしかに茫洋としているのではあるが、後ほど触れる「自律」というテーマと重ね合わせると、この権利について、いま少し立ち入った議論が可能であるかもしれない。

環境権という言葉も、最近は聞くことが少なくなった。それは、近年のSDGsやESGといったテーマに象徴されているように、環境権という言葉をあえて使わなくても社会が動き出しているからでもあろう。しかし、間違いなく、環境権という言葉は、歴史の流れの中で重要な役割を果たしてきた。「情報に対する権利」という概念も、ただ狭義の法概念としての道具性を有するかという直接的な実利の視点だけでなく、大きな時代的な文脈で捉え返していく視点も取り込むことが、議論をより豊かなものにするであろう25

4.情報法の特徴

「情報に対する権利」といった概念は、情報法の理念的な基礎付けの一つとして、そこから情報法の内容がある程度演繹できることを期待するアプローチ、という面を持っている。他方、いま少しモデストに、これまで情報法の内容として共通了解がなされてきたテーマを分析することによって、情報法の姿をスケッチしてみるというアプローチもありうるであろう。以下では、そうした視点から認められるような、情報法のいくつかの特徴を取り上げておく。

4.1.タフ&ナイーブ

まず「タフ&ナイーブ」であるが、情報はこの2つの面を本質的に併せ持っている。情報は、一方では社会的に大きな影響力を持ち、ペンは剣よりも強しと言い慣わされてきたように、権力にも負けない力強さを持っている。情報には、人を揺り動かす力強さ、タフさがある。ただ他方で、情報は権力からの侵害や制約に対して弱い面もある。表現の自由の世界でよく、「傷つきやすい自由」という性格付けも行われてきたのはその表れであり、そうしたナイーブさも情報の特徴といえる。

あるいは、個人情報のように、漏れると深刻な害を生じうるナイーブさを持つこともあり、また管理可能性の面から見ても、例えば有体物などと比べて、脆弱性、繊細さといった性格を情報は持っている。しかしまた逆に、管理が難しいがゆえに、情報は国境を易々と超えて国際的にも大きな影響力を与えることもあるという、タフさも存在する。ただ、それでも、国家が厳しいネット遮断措置などをとると、情報流通のルートが詰まってしまうという弱さも見えてくる。そうした、情報が持ついろいろな意味でのタフ&ナイーブという、いわば両極にある2つの側面のバランスを意識しながら法の在り方を設計していくというのが、情報法の世界での特徴的なテーマであるように見える。

こうした微妙な設計の在り方を反映しているのが、しばしば情報法の世界で特徴的に見受けられる規律手法である。すなわち、情報にかかわる行動を規律するにあたって、法規制によるのではなく、倫理基準という形で自らルールを作り、それを自主的に運用していくことによって目的を達成するという手法が、情報関連の分野で少なからず見られる。大きな影響力を持つというタフさと、法的な規律では過度に制約されるリスクがあるというナイーブさとのバランスを、倫理と自主規制によってとっていこうとしているわけである。こうした手法は、伝統的には新聞や放送などで見られる26が、インターネットの世界でも、プロバイダーなどが自主的な規律を行うという動きが見られる。倫理や自主規制は、法そのものではないが、効果としては法規律と同様に情報流通の在り様に深く影響を与えるものであり、情報法という枠組みの対象の中に入れて取扱うことが適切であろう。

最近は、「共同規制」といった概念もしばしば話題になる27。自主規制が必ずしもうまく働かないような時に、例えばルール形成の大枠づくりや自主規制にかかわる者の選任など、ある程度公的機関がかかわることによって、規律の実効性をより担保しようという考え方である。公的機関がかかわることで法規制に近づくリスクがあるが、他方で、直接的な法規制よりは柔軟性や自由に対する配慮も図り得ることが特徴と言える。

さらに、ここ10年あまりの動きのように思われるが、「アーキテクチャ」という概念が、しばしば用いられている。この概念は、もともとは建築の世界での設計思想で、都市空間などをどのように設計してつくり込み、それによって人びとの生活や行動が自然にどう変わっていくのかといったことを視野に置いたものであろう。ただ、分野や人によって使い方も違うし、即効的というより原理的なものの考え方のようなところもあるので、これが情報法で特徴的な規律手法だと言うのは、そのリスクも含めて、さらに議論が深められていくことが期待される28

このアーキテクチャというものが情報法の世界で話題になるのは、例えばインターネット、コンピュータのソフトウェアの世界で、プログラムの組み方、つまりアーキテクチャによって、一定の情報や表現のあり方を方向づけることができる可能性が存在するからである。つまり、利用する人びとが必ずしも意識しないまま自然に自分たちの情報行動を変えていく、そうした手法があり得るのではないかということになる。人間が生活している実空間の構造が変化すれば人間の行動が変わるのと同じように、コンピュータやネットの世界でも、プログラムが変わることによって人びとの情報行動、あるいは情報の質などが変わっていく可能性がある。

ただ、こうした手法は、直接的な法規制よりは緩やかな外形を有するが、利用者にとっては目に見えない形で情報環境に対して一定の制約がなされる、換言すれば、意識ないし認知できないところで情報の流れに歪みが生じるリスクがあるということも、当然考えておかなければならない。しかも、建築など実空間の世界でアーキテクチャによって人びとの生活や行動を変えていくのは、物理的な設えの必要な大仕事になるが、ソフトウェアに手をくわえるのは、ある意味容易な手法である。そうしたリスクを意識しておく必要があることは言うまでもない。

情報法の特徴ということで、いま一つ付け加えておけば、国家の枠を越えるというテーマがあろう。情報は国境を越えて容易に流れるから、何らかの規制をしようとすれば、国家を越える枠組みで、国家間の協調によって法的な規律を設けるというのは自然な考え方となる。こうした場合、従来であれば、国際的な条約や協定を結んでそれを国内法に落とし込んでいくという手法が自然であるが、最近はやや違った形で、国境を越えた法のハーモナイゼーションが進行している印象がある。これは、今日の世界における経済のグローバル化、あるいは人の移動のグローバル化と連動しているが、このところよく話題になるのは、個人情報保護のテーマである29。例えば、EUで設けられた個人情報保護の仕組みを事実上、日本の企業も守らざるを得なくなるといった状況などがそうである。つまり、条約を日本として結んだわけではないけれども、しかし海外のある国などで厳しい規制が取られると、経済、人のグローバル化を前提とすれば、それに従わざるを得ないという、デファクトな形での規律が生まれてくる余地がある。

もちろん、こうしたことは、必ずしも情報法、情報の世界だけの現象に限られず、さまざまな経済活動にかかわる規律の分野でも見られる。しかし、情報というものが持っているタフ&ナイーブという特性と絡め合わせて考えてみると、こうした構図は情報法の分野では身近なものとなりやすいであろう。

4.2.自律という理念

情報法が持ついま一つの特徴として、「自律」というテーマが浮かび上がってくる。主体的な自己決定を行う存在としての人間というのが自律というものの基本的なイメージであろうが、こうした自律という価値に対して情報化が影響を与えるのではないかという議論は、1960年代、つまり情報化の話題が意識され始めた頃から存在した。情報が社会の中で溢れかえる時代になると、個人は膨大な情報を処理しきれなくなって、理性的な判断ないし合理的な判断を出来なくなってしまうのではないか、そういった危惧が半世紀前から指摘されていた30

そうした危惧は今や現実化しているという捉え方と、いや、それほど深刻な問題ではないのではないかという捉え方と、両方の見方があるように感じられるが、近年、情報化と自律に関して中堅の研究者たちの間で議論されているのは、また別の観点からの問題である。情報技術やネットワーク技術の進展と活用によって監視社会化が進行していく、つまり、日常生活をいつも見られているかのような状況が生まれてくる。また、先に触れたように、ネットの世界でのアーキテクチャ次第で、人が接する情報の世界が知らない間に歪められる。そこでは、人が自律的に判断しようとしているはずなのだけれども、監視ないし限られた情報に条件づけられて、現実には自律的な判断というものが成立しにくくなってくる。そうした課題が指摘されている31

また近年では、AIなども活用しながら、個人にかかわるさまざまな断片的な情報を集めてプロファイリングが行われている32。そうすると、自分の本当の姿とプロファイリングで描かれた自分とは違うのだけれども、しかしプロファイルされた姿に従って社会的には取り扱われてしまうリスクが生まれてきている。信用情報、あるいは採用情報などが典型的な場面であるが、これに対抗して、例えばネットの利用履歴などでこうした個人情報を集められないようにしようとすると、今度は日常生活の利便性というものが損なわれることになる。ここでは、個人情報の保護と活用のバランスをどうとるのかということが、当然に議論になる。こうした形でも、自律的・主体的な個人というものを維持するのが難しい時代になっていることは否定できない。

人は本来、自律的な存在であって、自分で自由に意思決定を行っていけるということを大前提にして、さまざまな法制度が成り立っている。民主主義から始まって、日常的な取引、あるいは刑法上の責任、そういうものもすべて成り立っているわけであり、自律的な存在という想定が脅かされるというのは、近代法の枠組み全体にとって深刻な問題となる。そうした自律へのリスクをどう扱っていくかは、今日の情報法の核心にかかわるテーマとなるであろう。

また異なる文脈においても、情報と自律とのかかわりを見出すことができる。行政法の分野で、行政過程を「情報秩序」という観点から捉えようとするアプローチがある33。つまり、行政機関が私人と一緒になって、公益を実現するためにさまざまな情報というものを活用していく、そのためにコミュニケーションを取り交わしていく、そのようなプロセスとして行政過程を捉えるという考え方である。私人と行政機関が一体となって公益を実現していくという枠組みは、古い公権力観からは新鮮に響くが、それが機能するための前提とされているのが、私人の自律である。自律が働かなければ、このような枠組みを動かす情報やコミュニケーションの機能は期待できないのであって、ここに、それらを担保する条件を生み出す情報法の役割が顔を出しているように思われる。

こうした自律という価値を踏まえることで、先に触れた「情報に対する権利」といった抽象的な概念も、いま少し考察を深めていくことができるかもしれない。もちろん、自律というのは近代法に通底する基盤となってきた価値であり、いまさら自律が大切な価値だという認識にはさほどの意味は無いかもしれず、また、それが情報法の固有の持ち物だというには躊躇もある。しかし、それでも、自律というものを育て、またそれを表現していく要が情報であること、つまり自律と情報とのかかわり方が本質的に密接であることを考えてみれば、自律という価値の確保や実現にかかわる重要な役割を情報法が意識することは、さほど不思議なことではない。

4.3.スピード

最後に、「スピード」である。改めて述べるまでもなく今日、情報関連の技術開発やその社会的利用、あるいは情報産業などが非常に速いスピードで発展してきている。それらが個人の生活や社会の仕組みとかかわるところで、情報法が取組むべきさまざまなテーマが新しく生じてきているわけであり、そうした課題の生成のスピードが、情報法という分野の形成と成長を特徴づけているように思われる。

第一に、情報法は、情報環境の急速な変化に先駆的に取組む、そして多様な新しい課題を次々に抱え込むという性格をもっている。こうした変化の中には、すぐに法的な課題として対応すべきかどうか、ただちに見極め難いものもしばしばあり、そうなると伝統的な法分野からの応答は少し時間を置いてからということになる傾向がある。しかし、そうした変化のスピードが顕著な場面で、新しい課題にいち早く取組んでいくのが、情報法という分野の面白さであり、責任であり、また宿命でもある。実際、情報法の分野の成果は、そのようにして生み出されてきている。

第二に、情報法の分野における、法と政策の距離の近接性である。情報をめぐる法的課題については、法解釈論の枠を越えて立法論に踏み込む必要もしばしば生じてくる場面があり、両者が近い位置関係にあるというのが大きな特徴になる。環境法の分野でも同様のことが指摘されるが、情報化に伴う技術的・社会的変化は一般にスピードが速いために、それに対応する法整備を次々に進めていくことが必要となることが多い。すでに制定されている法律の解釈ももちろん求められるが、同時に、情報化が生み出す新しい社会の価値や仕組みに対応する法の在り方も議論していかなければならない。そうしたニーズに常にさらされているのが情報法という分野の特性である34

そして第三に、これもやはり環境法が置かれてきた状況と近似しているが、情報法を研究教育していくときに、学際性というものが際立って求められる35。情報法のカバーするテーマがさまざまな法分野にまたがっていることは改めて言うまでもないが、法の世界だけではなく、幅広い学問分野の知見を活用することを情報法は求められることが多い。情報関係の技術や社会的な活用の形は急速に発展を続けており、それらが人びとの情報行動における心理学的ないし社会学的な変化や社会の価値観、あるいは政治経済的な構造などに及ぼす影響には大きいものがある。そうした現象を専門分野の知見を踏まえて分析的に理解しないことには、情報にかかわる法制度の設計がうまくいかないことも少なくない。

先に触れたアーキテクチャの議論などはその典型である。また、法の謙抑性といった考え方があるが、例えば、著作権侵害などの課題があっても、もし技術的に対応可能なのであれば、あえて法が乗り出さなくてもよいというスタンスがとられることがある。こうした議論を行う上でも、技術をはじめさまざまな関連分野の研究動向を理解しておかなければ、法が果たすべき役割というものを的確に判断することは出来ないであろう。あるいは、これも触れたように、個人情報の取り扱い方が個人の自律に影響を与えているという大きな議論を進めていくにしても、規範論だけでなく、人間の心理や行動に関する研究、さらに哲学的な知見なども求められるのは自然である。

政策との距離感という点もそうであるが、学際性を考慮する必要というのは、どの法分野にも内在しているテーマである。ただ、情報を取り巻く状況、つまり技術であれ、社会システムであれ、あるいは産業であれ、それらの変化がきわめて著しいがために、政策との近接性や学際性といった視点が研究教育にあたってとりわけて求められる状況になっていることは、情報法の分野の特性と理解すべきであろう。

5.むすび

このように、「情報の自由」「情報流通の自由」ないしは「情報に対する権利」などの理念を基盤に、タフ&ナイーブ、あるいは自律、さらにはスピードといったものが情報法の特徴の一部として見えてきているが、情報法の世界はなお「フロンティア」36であって、いまさらに新たな課題や特徴が生まれつつある。

個人情報保護や著作権に関する議論はますます盛んであり、法整備も現在進行形である。また、インターネットの世界では、内容規制にかかわる従来からの議論に加えて、競争法的な視点からのプラットフォーム事業者規制といったテーマも重要な課題となってきている。こうした変化の中で、伝統的な規律対象のコアであったマスメディアの世界も大きく変わる可能性が生まれている。さらには、AIの問題、あるいはロボットの問題なども、技術的には情報という要素が深くかかわるために、情報法の射程に入ってくる可能性も考えられる。

もっとも、AIはなお予測不能のテーマを含んでいるし、そもそも人間の在り方が変化する可能性さえも想定しながらの議論になるので、どこまで法が、とりわけ情報法が扱っていけるかというのは本質的な考慮を要する問題である37。また、ロボットになると、情報技術だけでなく、幅広い理工学的な技術やそれらの機能の統御や責任の問題も絡んでくるために、情報法がどういう形でかかわるのか原理的な議論が必要となるであろう38

さらに、インターネットが個人の生活はもちろん、国家社会の中で大きな役割を果たす場面が急速に拡大してくる中で、これまで当然のごとく前提としてきた権力の所在とその統制の構造に変化が生まれる予兆がある。そうした大きな構造変化の中で、情報にかかわる法学的な研究がどのような役割を果たすべきなのか、自由と規制といった伝統的な思考枠組みを越えて、統治構造的な視点からの考察も、情報法に求められるようになってくると考えられる39

このような「フロンティア」を切り開いていくさらなる過程において、情報法が有する特性とは何なのか、そして情報法という分野の独自の意義がどこにあるのか、そもそも情報法の理念とは何なのか、そうしたことについて、本稿で素描したようなポイントにとどまらず、さらに議論を深めることが可能になるはずである。これからの社会や人間の変化、価値の変化、そして変化に対応する法の工夫を見据えつつ、それらをめぐる議論の継続を通じて、情報法の姿はさらに進化していくことになる。そこでの議論は、いま存在する情報法の姿に囚われるのではなく、将来に開かれた情報法の可能性を想定する柔軟さと想像力もまた求められることになるであろう。

脚注

1 東京大学名誉教授。

2 総務省情報通信政策研究所で開催されている情報通信法学研究会では、「情報通信法」という言葉が用いられている。教科書的な分類としては、今日、情報法という分野の中に通信法も含みこまれて論じられることが多いので、ここではとくに通信法分野を切り離すことなく、情報法という大きな括りとして論じることにする。この研究会では、2017年1月に、宍戸常寿により「『情報通信法』の内包と外延・考」が報告されており、曽我部真裕の「『情報法』の成立可能性」(岩波講座『現代法の動態1 法の生成/創設』2014年・岩波書店所収)や、曽我部真裕=林秀弥=栗田昌裕『情報法概説』(第2版)(弘文堂・2019年)第1章(曽我部執筆)などとともに、貴重な示唆をいただいた。

3 本稿は、2021年9月13日に「『情報法』の来し方行く末」というタイトルの下に情報通信法学研究会で行った報告をベースに文章化し、大幅な加筆修正をしつつ文献記載などを行ったものである。この報告内容の一部は、「『情報法』の来し方行く末」(巻頭言)(「情報法制研究」10巻1-2頁(2021年))、及び2021年10月28日に東大法曹会設立15周年記念講演として行った「『情報法』の可能性」と題する講演(講演内容は、「東大法曹会会報」44号(2021年12月発行)に掲載)でも利用しているため、これらと重複するところのあることをお許しいただきたい。

4 浜田純一『情報法』(1993年・有斐閣)、曽我部ほか・前掲書(注2)3頁。

5 例えば、大塚直『環境法』(第4版)(2020年・有斐閣)、北村喜宣『環境法』(第5版)(2020年・弘文堂)、手嶋豊『医事法入門』(第5版)(2020年・有斐閣)などを参照。

6 法学教室2020年8月号(479号)は、「情報法というフロンティア」というテーマで特集を組んで、宍戸常寿「情報法への招待」を始めとする諸論稿を掲載している。

7 ここで「取扱い方」という言葉を用いている趣旨は、情報法の取り扱うテーマは少なからず伝統的な他の法分野と重複するところが多く、ただ、同じテーマを扱うにしても、その扱い方の軽重・分量や扱う視角などにおいて相違が見られることに、分野としての独立させる意味の大きい事がしばしば認められるためである。

8 「情報法」の対象について柔軟な捉え方は、小向太郎『情報法入門』(第6版)(NTT出版・2022年)5-6頁などにもうかがえる。

9 例えば、多賀谷一照・岡崎俊一『マルチメディアと情報通信法制-通信と放送の融合-』(第一法規・1998年)。

10 伊藤正己「情報化社会と法」ジュリスト707号(1980年1月1日号)13頁以下。この時期に意識されていた、情報化社会の進展と法の対応については、さらに、堀部政男「ニューメディアと法」ジュリスト増刊「高度情報社会の法律問題」(1984年)29頁以下、中山隆夫・名和小太郎・堀部政男(鼎談)「ネットワーク社会のもたらすもの」ジュリスト増刊「ネットワーク社会と法」(1988年)6頁以下、などを参照。

11 もっとも、「情報法」という括りもなお大きく、そこで扱うテーマであっても詳論をさらに、より特化された法分野の教科書に委ねることになる場面も存在する。例えば、放送については、鈴木秀美・山田健太『放送制度概論』(商事法務・2017年)、インターネットに関しては、松井茂記・鈴木秀美・山口いつ子編『インターネット法』(有斐閣・2015年)、ジャーナリズムについては、山田健太『法とジャーナリズム』(第4版)(勁草書房・2021年)、さらに個人情報保護法制や情報公開法制についても多くの著作が見られる。また、言うまでもなく、関連する個別法についてのコンメンタールは数多い。

12 この点については、注7を参照。

13 曽我部ほか前掲書(注2)4頁。

14 L・ボリンジャーの考え方に触れつつ、新聞と放送の間の資本的・人的分離の必要性を指摘する、長谷部恭男『テレビの憲法理論』(1992年・弘文堂)93-103頁、また、「『放送』の内部において規制を異にする放送主体を共存させる」ことの意義を指摘する、浜田純一『メディアの法理』(日本評論社・1990年)229-230頁、参照。

15 浜田・前掲書(注4)5-6頁、山口いつ子『情報法の構造』(東京大学出版会・2010年)3-4頁、また、「情報流通の自由がデフォルト」とする曽我部ほか・前掲書(注2)10-11頁。水谷瑛嗣郎編『リーディング メディア法・情報法』(法律文化社・2022年)2頁以下(水谷執筆部分)は、「情報の自由と秩序」というテーマを全体構成の基盤に置いている。このほか、渋谷秀樹『憲法』(第3版)(有斐閣・2017年)348頁以下は、情報収集の自由、情報発信の自由、情報受領の自由、自己情報コントロール権を、「情報の自由」という概念で総括する。この概念は、少し古いところでは、H.P.ガスマン「情報の自由とプライバシー保護」ジュリスト711号(1980年)62頁以下などにも、その用例を見出すことができる。

16 山口いつ子「国家安全保障におけるアルゴリズムによる監視」憲法研究3号(2018年)52頁。

17 林紘一郎『情報法のリーガル・マインド』(勁草書房・2017年)215頁以下。

18 松井修視編『レクチャー情報法』(法律文化社・2012年)1頁以下、参照。

19 小向・前掲書(注8)3頁以下、参照。

20 浜田純一「情報メディア法制」公法研究60号(1998年)39頁以下。

21 「情報に対する権利」について、こうした性格を的確に指摘している曽我部ほか・前掲書(注2)7頁以下は、自由かつ多様な情報流通の確保、情報の保護、ユニバーサル・サービスの実現の3つを、情報法の基本理念として捉えるべきであるとしている。

22 浜田・前掲(注20)41-42頁。

23 山本龍彦「まつろわぬインフラ」法律時報2022年9月号49頁以下は、その状況を描いている。かつて、通信制度改革を念頭に、浜田純一「表現の自由のインフラストラクチャー」法律時報2002年1月号4頁以下を論じたことがある。また、同「憲法とコミュニケーション秩序(1)(2)」法学教室1999年10月号、同2000年10月号98頁以下、参照。

24 成原慧「情報法 『情報に対する権利』と情報環境の設計」(南野森編『(新版)法学の世界』日本評論社・2019年)267-8頁。成原は、こうした視点から「情報に対する権利」の「復権」を語る。

25 振り返ってみると、「情報に対する権利」を提起した当時、例えば木村忠正『デジタルデバイドとは何か』(岩波書店・2001年)に描かれているような状況への問題意識が社会的に存在していた時代状況がある。この点、浜田純一「『ユニバーサル・サービス』と情報に対する権利」ジュリスト1057号(1994年12月1日号)9頁以下も参照。

26 例えば、浜田純一「メディアの自由・自律と第三者機関」論究ジュリスト25号(2018年春号)84頁以下、同「放送における自由と倫理」法学セミナー2019年1月号67頁以下。

27 曽我部真裕「メディア法における共同規制(コレギュレーション)について-ヨーロッパ法を中心として-」(大石眞ほか編『各国憲法の差異と接点』成文堂・2010年所収)637頁以下。また、共同規制をより幅広く論じているものとして、池貝直人『情報社会と共同規制』(勁草書房・2011年)が参照に値する。

28 こうした議論にとって有用な視点を提供しているものとして、成原慧『表現の自由とアーキテクチャ』(勁草書房・2016年)。また、より全般的には、松尾陽編『アーキテクチャと法』(弘文堂・2017年)がある。

29 多くの文献があるが、とくに石井夏生利による『個人情報保護法の理念と現代的課題』(勁草書房・2008年)、同『個人情報保護法の現在と未来』(勁草書房・2014年)が包括的な流れを描いている。

30 こうした点については、浜田純一「情報化社会の憲法学」法律時報1987年6月号81頁以下、及びそこに掲げている文献を参照。

31 大屋雄裕『自由とは何か-監視社会と「個人」の消滅』(2007年・筑摩書房)は、こうした課題について、豊かな示唆に富む。

32 この問題については、山本龍彦の諸論稿、例えば、「AIと個人の尊重、プライバシー」(山本龍彦編著『AIと憲法』日本経済新聞出版社・2018年所収)59頁以下で、深く論じられている。

33 山本隆司「情報秩序としての行政過程の法問題(上・下)」法律時報2021年7月号126頁以下、2021年8月号126頁以下。そこでは、しばしば、「私人の自律」に言及されている。宇賀克也『行政法概説Ⅰ(行政法総論)』(第7版)(有斐閣・2020年)157頁以下は、「行政情報の収集」「行政情報の管理と行政的利用」「行政情報の公開」をひとまとめに論じて、「情報の取扱いの流れに沿いながら実定法上の仕組みを統一的に把握する」(磯部哲「行政保有情報の開示・公表と情報的行政手法」磯部力・小早川光郎・芝池義一編『行政法の新構想Ⅱ』有斐閣・2008年356頁)構成を行っている。磯部は、ここに窺われる「情報的行政手法」を、「行政が公共的な課題を処理するための手だてのうち、情報という『媒体』に着目し、行政が情報を扱う場合にいかなる制約原理が及ぶかを考察する立場」と説明しているが、この手法の「理論」を論じる中で、その基本原理の一つとして「自律尊重」に触れている(同360-361頁)ことは興味深い。

34 すでに1990年代の末葉に、木村順吾『情報政策法-ネットワーク社会の現状と課題』(東洋経済新報社・1999年)の書名に象徴されるような視点が示されていたことは、興味深い。なお、濱田純一「情報通信政策研究の新たな段階に向けて」情報通信政策研究1巻1号(2017年)3頁以下も参照。

35 宇賀克也・長谷部恭男編『情報法』(有斐閣・2012年)の内容構成は、情報法の学際的性格に真正面から向き合っている。

36 前掲(注6)参照。

37 福田雅樹・林秀弥・成原慧編著『AIがつなげる社会-AIネットワーク時代の法・政策』(弘文堂・2017年)、また、宍戸常寿・大屋雄裕・小塚壮一郎・佐藤一郎編著『AIと社会と法-パラダイムシフトは起きるか?』(有斐閣・2020年)が、その副題に「パラダイムシフト」という言葉を用いていることは、この点で示唆的である。また、小塚壮一郎『AIの時代と法』(岩波書店・2019年)では、「情報法」の視点を含め、AIがもたらす社会的課題に対するチャレンジングな法的取組みが見られる。

38 こうしたことから、「ロボット法」という法分野を独自に設定しようとする試みがあり、今後の展開が注目されるところである。例えば、平野晋『ロボット法-AIとヒトの共生に向けて』(弘文堂・2017年。増補版・2019年)、ウゴ・パガロ『ロボット法』(新保史生監訳・勁草書房・2018年)、弥永真生・宍戸常寿編『ロボット・AIと法』(有斐閣・2018年)などを参照。

39 山口いつ子「権力統制主体としてのマスメディアの機能と課題-デジタル統治の権力監視機能の担保としての自由・公開性・透明性設計」公法研究83号(2022年)147頁以下は、そうした視点を示唆する。

 
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