情報通信政策研究
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寄稿論文
自己イメージの形成とアイデンティティ権
-メタバースのアバターを中心に-
石井 夏生利
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2023 年 7 巻 1 号 p. 125-138

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要旨

本稿では、メタバース内で活動するアバターの背後に存在する操作者(本人)に対し、アバターの利用を通じた人格的同一性の保持に関して付与し得る人格権ないしは人格的利益を検討した。メタバースでの秩序形成においては、なりすましによる被害から本人を法的に保護する仕組みを設けることが必要であり、係る保護を理論的に裏付ける説として、憲法学の領域における「自己イメージコントロール権」、「自己像の同一性に対する権利」、そして、実務的な観点から提唱されている「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」としての「アイデンティティ権」が挙げられる。これらの権利概念は必ずしも確立しているわけではないが、少なくともソフトローによる秩序形成の背景に存在する根拠となり得る。今後、メタバースがさらに拡大し、ハードローによる法的保護を必要とする社会的合意が形成される段階に至った場合には、上記の各権利概念が実定法上の権利へと発展する可能性はあると考える。

Translated Abstract

This paper considers whether the operator behind an avatar active in a metaverse may be granted conceivable personality rights or interests with regard to the maintenance of personality identity via use of the avatar. The ordering of a metaverse requires mechanisms to legally protect a person who is a victim of identity fraud. Such protection is theoretically supported by “the self-image control right,” “the right pertaining to self-image identity,” having been discussed in the context of the Constitutional rights and “the identity right” in the form of “the right to maintain personality identity in relations with other persons.” Although these right concepts are not firmly established, they can at least serve as the basis for ordering through soft law. As metaverses expand in the future and we reach a stage of social consensus-building that requires legal protection by hard law, it is possible that the abovementioned right concepts will develop into rights under positive law.

1.はじめに

本稿では、メタバース内で活動するアバターの背後に存在する操作者(以下「本人」という。)に対し、アバターの利用を通じた人格的利益の保持に関して付与し得る人格権ないしは人格的利益を検討する。

「メタバース」は「meta(超越)」と「universe(宇宙、世界)」を組み合わせた造語であり、ニール・スティーヴンソン氏によるSF小説「スノウ・クラッシュ」(1992年)に登場する仮想空間の名称として用いられている。メタバース文化を推進する立場からは、メタバースとは「リアルタイムに大規模多数の人が参加してコミュニケーションと経済活動ができるオンラインの三次元仮想空間」2であり、メタバースの実現に必要な要素として、①空間性、②自己同一性、③大規模同時接続性、④創造性、⑤経済性、⑥アクセス性、⑦没入性があると説明されている3

2003年のセカンドライフに始まったメタバースは、現在、様々なプラットフォーマーによって運営されており、VR-SNS系ではVR ChatやNeos、ゲーム系ではRobloxやEpic Games、コマース系ではVirtual MarketやRev Worlds、コンテンツIP系ではS-Pace、その他産業等系に分けられる。なかでも、Pixowl, Inc.の展開するThe Sandboxというプラットフォームでは、ユーザーが作成したアイテムやゲームを販売することが可能で、土地(LAND)が高額販売されたことや4、2021年10月28日にFacebookが社名をMeta Platforms, Inc.に変更したことでも話題となった。

メタバースで活動する主体は、本人の分身である「アバター」である。アバターには、大きく分けると、①生身の人間の容ぼう等を忠実に再現したもの、②現実の本人の容ぼう等とは異なる外見を用いるものがあり、②は、アニメ風の人間や亜人間、サイボーグを用いる場合、人間ではない存在として、動植物、モンスター、オシロスコープ、車、ロボットを用いる場合などがある5

メタバースと現実世界の最大の違いは、アバターを用いることで、自らが持つ外見の制約から解放されるという点にある。それによって、人々は、人種、性別、障害、醜貌等による社会的スティグマや偏見を受けずに能力のみで平等な評価を受けることができる6。また、より積極的な意味合いを強調し、メタバースの世界では、ユーザーが自分自身のあり方を自由にデザインし、なりたい自分になることができることをもって、「メタバースはアイデンティティの革命」と評する立場もある7

メタバースは、現在、ゲームなどの娯楽の場面に限らず、バーチャルオフィス、都市のデジタルツイン、大学での講義、外科手術や航空機パイロットのシミュレーション体験、建設現場やインフラ管理などの様々な用途で展開されており、メタバースの世界市場は2021年に4兆2,640億円だったものが2030年には78兆8,705億円まで拡大すると予想されている8。今後、メタバースがさらに発展し、社会生活全般に深く浸透する可能性を想定した場合には、アバターが我々のペルソナとして活動する世界が当然のものとなるかもしれない。そのような世界が実現すると、本人にとって、アバターは自己の一部となり得る。そのため、本人がアバターを自由に利用し、メタバースでの人格的同一性を保持し、アバターの不正利用から自己を守るために、本人にいかなる権利又は法的利益を保障すべきかを検討する重要性は高いと考えられる。以上のような問題意識から、主に人格権ないしは人格的利益を中心に、本稿の検討を進めることとした。

2.アバターの利用とプライバシー権

2.1.分人論

外見を自由に選択できることは、自己のイメージや自己像を自由に形成できることを意味し、本人にとっては、自己の希望する態様でメタバースという新たな世界に参加することが可能となる。アバターの自由な利用に通じる考え方について、小説家の平野啓一郎氏は『私とは何か:「個人」から「分人へ」』という著書の中で「分人」という言葉を用いて示唆に富む分析を加えている。同書によると、「一人の人間は、「分けられないindividual」 存在ではなく、複数に「分けられるdividual」 存在である。だからこそ、たった一つの「本当の自分」、首尾一貫した、「ブレない」本来の 自己などというものは存在しない。」9、「分人のネットワークには、中心が存在しない。なぜか?分人は、自分で勝手に生み出す人格ではなく、常に、環境や対人関係の中で形成されるからだ。」10、「個人という単位に基づく思想を「個人主義」と呼ぶように、分人を単位とする思想は、「分人主義」と名づけられるだろう。この考え方の良いところは、これまで見てきたように、何よりも変化を肯定的に捉えられるところだ。(中略)しかし、人間関係は多種多様だ。(中略)私たちに知りうるのは、相手の自分向けの分人だけである。」11、「しかし実のところ、様々な分人を入れ替わり立ち替わり生きながら考えごとをしているはずである。(中略)私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではない。つねに他者との相互作用の中にある。というより、他者との相互作用の中にしかない。他者を必要としない「本当の自分」というのは、人間を隔離する檻である。」12、「個人individualは、他者との関係においては、分割可能dividualである。(中略)そして、分人dividualは、他者との関係においては、むしろ分割不可能individualである。(中略)個人は、人間を個々に分断する単位であり、個人主義はその思想である。分人は、人間を個々に分断させない単位であり、分人主義はその思想である。それは、個人を人種や国籍といった、より大きな単位によって粗雑に統合するのとは逆に、単位を小さくすることによって、きめ細やかな繋がりを発見させる思想である。」13等と記されている14

2.2.関連する学説

2.2.1.自己イメージコントロール権

前述の「分人主義」を法学的視点から考察すると、自己のイメージや自己像を他者との関係によって常に変化させることで、社会関係を形成する自由、と捉えることができるのではないかと考えられる。それに最も親和性のある主張は、憲法上のプライバシー権について論じられてきた「自己イメージコントロール権」である15

日本のプライバシー権論議は、主に憲法学の分野において、いわゆる「自己情報コントロール権」が通説的見解であると捉えられてきた。「自己情報コントロール権」は、「個人が道徳的自律の存在として、自ら善であると判断する目的を追求して、他者とコミュニケートし、自己の存在にかかわる情報を『どの範囲で開示し利用させるか』を決める権利と理解すべき」と論じられている16。プライバシー権については、自己決定を中心に捉える立場とそうでない立場に分かれるが17、自己情報コントロール権とは一線を画す立場として「自己イメージコントロール権」を主張する見解がある(以下「棟居説」という。)18。この説は、アバターを通じて表す自己のイメージの形成への権利を法的に構成する場合に示唆を与える説である19

棟居説は、自己イメージコントロール権を「多元的な社会関係形成の自由の一側面」として把握し、「シンボリックな相互作用」20の社会学的な条件を探ることを通じて、プライバシー概念の果たす機能を論じている21。そして、複数の仮設的命題の考察を通じて、最終的なプライヴァシー概念を「人間が自由に形成しうるところの社会関係の多様性に応じて、多様な自己イメージを使い分ける自由をプライヴァシーと呼ぶ。(自由な社会関係の形成を前提とした、自己イメージのコントロール権)」と定義付けた22

同説は、比較的近時の著書の中で、「現代社会において「個人の尊厳」とは、人が家族、交遊関係、地域、職場、市民運動、街の雑踏などで多様な社会関係に身を置きながら、それぞれの社会関係ごとに特定の自己イメージを主張し、人間関係を成立させてゆくことのうちにあるのである。今日人は、様々な社会関係に身を置き、様々な役割を分担し、無数の情報のなかから自分の役割分担に必要なものを選びとり、加工し、再び発信することによって自らのイメージ形成を企てている。情報化社会は現代人に、自分の帰属集団やそこでの役割分担についての無数のイメージ形成を可能ならしめる。」、「このような現代においては、「個人の自律」は、個人のみが当人の全生活行程に関する自己情報、およびそのなかでの多様な社会関係ごとに形成される自己イメージの総体を把握することを要請する。プライバシー権とは、このような個人のトータルの姿を当人だけが把握し、自己イメージの一貫性のなさに悩んだり自我の統一性を取り戻すべく思考を深めたりするための防波堤なのである。」と説いている23。また、社会関係を自由に形成する観点から、同説は、「どの社会関係においてどのような個人像を表出するか、それによって当該社会関係をどう発展させてゆくか、あるいは最小限のものに止めるかといった戦略的な選択の自由もまた社会関係形成の自由そのものであり、多元的社会における個人の自律の不可欠の要素に含まれる。」と論じている24

2.2.2.自己像の同一性に対する権利

棟居説に言及する論稿は数多くあるが、本稿に示唆を与えるものとして、主にフランス法の考察を通じて、「自己像の同一性に対する権利(ないし利益〔以下省略〕)」を論じる立場がある(以下「曽我部説」という。)25。この権利は、「要するに、人の人格が誤って社会的に表象されることからの保護に関わる権利であり、典型的にはメディアによる人の誤った描写、すなわち、インタビューが不正確に報道された場合や、行ってもいない行動を行ったと報道された場合などにおいて、救済を求める例が挙げられ」ると論じられている26。曽我部説の背景には、「日本では、モデル小説による人格権侵害は、基本的にプライヴァシー侵害の問題であると理解されているが27、モデル小説ではモデルの人物像や生活について一定の変容が加えられているのが通常であり、いわば虚偽の私生活上の事実を摘示しているのであるから、モデル小説によって侵害される人格権はプライバシーとは別物ではないかという議論が根強く存在する。」ことなどが挙げられる28。曽我部説は、棟居説を社会学的プライバシー(権)論と捉え、「第三者が、ある社会的関係における本人のイメージを別の関係に持ち込むような行為はプライヴァシー侵害となる。」と述べた上で、自己イメージコントロール権について、いわゆる「観衆の分離」29が重要となり、その保護がプライバシー権の核心であるとする一方で、「個別の社会的関係において自己イメージを形成する過程については保護の対象外であるが、自己像の同一性に対する権利は、この文脈に関わるものである。」と述べ、棟居説との保護対象の違いを論じている30

3.自己イメージの形成と肖像権・パブリシティ権

3.1.肖像権

肖像権とは、「人が、その肖像・容貌・姿態を肖像本人の意に反して、みだりに撮影されたり、描かれたり、彫刻されたり、またその撮影された写真・スケッチ・胸像などをみだりに公表されない権利」31、「自己の肖像を、他人が権限なくして絵画、彫刻、写真その他の方法により作成・公表することを禁止できる権利をいう。」32などと説明される。最高裁判所は、京都府学連事件において「個人の私生活上の自由33の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由」34、法廷イラスト画事件において「人は、みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する。」35、ピンク・レディー事件において「人の氏名、肖像等(以下、併せて「肖像等」という。)は、個人の人格の象徴であるから、当該個人は、人格権に由来するものとして、これをみだりに利用されない権利を有すると解される。」36とそれぞれ判断している。肖像権の保護対象には、肖像、容貌、姿態、氏名が、侵害行為には、撮影、描写、彫刻、利用、公表がそれぞれ含まれ得る。権利の性質は、人格権ないしは法律上保護されるべき人格的利益に位置づけられると解するのが一般である。

3.2.アバターと肖像権

上記は本人自身の肖像を前提とした整理であるが、VTuberが用いるCGアバターに対する本人の肖像権を論じる立場がある(以下「原田説」という。)37。同論文は、CG アバターとして表現されるVTuberの「肖像」について、裁判例を中心とする従前の議論を詳細に整理しつつ、①CG アバターを「中の人」38の「肖像」と法的に捉えられるか否か、②「肖像権とは何か」、第三者による CG アバターの利用を排除し、また自身が利用し続ける権利を「肖像権」の権利内容に含められるか否かを分析的に考察している。

同論文は、①については、人の姿をリアルに再現したCGが「肖像」に該当することは当然に認められるが、本人の実際の性別や年齢とはまったく異なる容姿のCG アバターや、デフォルメされた動物、架空生物のCGアバターであったとしても、「VTuberは、単なるキャラクターではなく、自然人たる「中の人」のアバター(分身)であるという点が重要である。たしかにVTuberのCG アバターは「人」(人体)由来の肖像ではないかもしれないが、実在の人物の「人格」に紐付けられる(牽連性のある)肖像である。」39、「本人の実際の姿を表しているか・似ているかではなく、本人を識別・特定するものが、その人の「肖像」であるという理解に立てば、VTuberが用いるCGアバターが、「中の人」の実際の姿、「肉」(体)の顔をまったく反映していなくても、彼女・彼の「肖像」と認めることに障害はないはずである。」40等と主張し、CG アバターを「中の人」の「肖像」と法的に捉えるべき旨を論じている。次に、②について、同論文は、肖像権及びパブリシティ権に係る従来の権利侵害類型に加え、仮想世界等での新たな「肖像」の利用形態が生まれるに伴い新たな権利保障の必要性が浮上してきたことを指摘し、「自己の「肖像」としてのCG アバターを第三者が不正に利用することを阻止し、またそのアバターを(著作権等に対抗してでも)自身が利用し続ける権利」をも含み得る包括的な「肖像権」を、「「肖像の作成・利用に対するコントロール権」という意義で措定し41、「自己の「肖像」としての CG アバターを第三者が不正に利用すること、すなわち「自己の姿」で自己以外の者が活動することを排除する権利」42、「自己のCGアバターを、(著作権等に対抗してでも)自己の「肖像」として利用し続ける権利)」43を提唱した。なお、筆者は、「肖像の作成・利用に対するコントロール権」は、「「肖像」の新たな利用形態が生まれるに伴い、保護を必要とする個々の具体的な権利態様がここから発現する苗床のようなものとして捉え」ており、「その意味では包括的と言っても補充的である。」44との留保を付している。

肖像権の保護対象にCGが含まれるか否かについて、明示的に判断を下した裁判例はないが、原田説は、実在する児童に関する性的写真のCGを作成し、ハードディスクに記憶、蔵置させた行為について、児童ポルノ製造罪を認めた最高裁決定45を取り上げ、同決定はCGが児童本人の「肖像」に当たることが判断の前提であると主張している46

3.3.パブリシティ権

肖像権の経済的側面を捉えたのがパブリシティ権である47。この権利は、「肖像の利用に対し、肖像本人の有する財産的利益、財産権としての肖像権」48と定義され、数多くの裁判例でパブリシティ権が争われてきた49。最高裁判決は、前掲のピンク・レディー事件において、「肖像等50は、商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり、このような顧客吸引力を排他的に利用する権利(以下「パブリシティ権」という。)は、肖像等それ自体の商業的価値に基づくものであるから、上記の人格権に由来する権利の一内容を構成するものということができる。」、「肖像等を無断で使用する行為は、①肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用し、②商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付し、③肖像等を商品等の広告として使用するなど、専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合に、パブリシティ権を侵害するものとして、不法行為法上違法となると解するのが相当である。」と判示し、パブリシティ権の存在を承認し、その侵害要件を明らかにした。この判断基準のうち、「専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合」の解釈について、例えば、企業が芸能人の肖像を再現したアバターを無断で使用して、仮想空間内の店舗において宣伝活動をさせるような場合は侵害に当たるが、個人が自己の趣味で「推し」の芸能人の肖像を再現したアバターを使用する場合における侵害の成否については、検討の余地があるとの指摘がなされている51

本稿との関係では、有名アバターが顧客吸引力を有する場合に、パブリシティ権を本人に付与すべきか否かが論点となる。アバターには、フォトリアルなアバター、イラスト化されたアバター、人以外の容姿のアバターなどがあり、メタバース上では、生身の人間よりも多様な肖像が展開される。そして、「物のパブリシティ権」については、ギャロップレーサー事件最高裁判決52によって否定されていることから、架空のキャラクターや人ではない容姿のアバターにパブリシティ権を付与することは難しいといわざるを得ない。前記のピンク・レディー事件最高裁判決においても、パブリシティ権を「人格権に由来する」と述べている。

これに対し、前述の原田説は、VTuberが自然人たる「中の人」のアバター(分身)であることを強調し、特殊なメイク姿をアイコンとして活動している者や覆面プロレスラーの例などを挙げつつ、「そのCGアバターが当該VTuber固有の姿であるとオーディエンスに認識されているのであれば、それを「中の人」の「肖像」と捉えることはむしろ自然である」と論じている53

3.4.氏名権

ピンク・レディー事件最高裁判決によると、「肖像等」の対象には氏名が含まれ得る。氏名は個人を特定する機能を担っているので、氏名を使用する権利は本人のみが有する54。最高裁判所は、NHK日本語読み訴訟において、「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であつて、人格権の一内容を構成するものというべきであるから、人は、他人からその氏名を正確に呼称されることについて、不法行為法上の保護を受けうる人格的な利益を有するものというべきである。」と判示しつつ、「氏名を正確に呼称される利益は、氏名を他人に冒用されない権利・利益と異なり、その性質上不法行為法上の利益として必ずしも十分に強固なものとはいえないから、他人に不正確な呼称をされたからといつて、直ちに不法行為が成立するというべきではない。」と述べ、氏名を正確に呼称される権利・利益と、氏名を他人に冒用されない権利・利益との区別を明らかにした。結論として、同判決は、「不正確に呼称した行為であつても、当該個人の明示的な意思に反してことさらに不正確な呼称をしたか、又は害意をもつて不正確な呼称をしたなどの特段の事情がない限り、違法性のない行為として容認されるものというべきである。」と判示した55。他方、氏名を使用する権利は他人による冒用に対し絶対的保護を受けると論じる立場がある56

アバターは、ハンドルネーム等の仮名で活動する場合が殆どであり57、実名よりも仮名の方がアバターを特定する上で重要な役割を果たす58。そのため、メタバースでは、仮名を他人に冒用されない権利を保障することが求められる。

仮名を利用する自由については、通称使用権を巡る議論が参考になる。氏名に関する自己決定権は古くから論じられており、人格権であることについて学説上大きな批判はないとされている59。下級審裁判例であるが、国立大学教員が婚姻後に職場で通称を利用することを求めた事件において、「通称名であっても、個人がそれを一定期間専用し続けることによって当該個人を他人から識別し特定する機能を有するようになれば、人が個人として尊重される基礎となる法的保護の対象たる名称として、その個人の人格の象徴ともなりうる可能性を有する。」と判示したものがある60

最高裁判所は、夫婦同氏制の合憲性が争われた事件において、「婚姻の際に「氏の変更を強制されない自由」が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない。」としつつも、「夫婦同氏制は、婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく、近時、婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっている」ことから、婚姻改姓に伴う不利益は、「このような氏の通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得るものである。」と述べており61、通称使用への一定の理解を示した。その他、通称として婚姻前の氏を使用する利益は、人格権の一内容にまでなるか否かは措くとしても、不法行為法上保護される利益であると判示した下級審判決がある62

4.いわゆる「アイデンティティ権」の可能性

4.1.プライバシー権

本稿の目的は、アバターの利用を通じた人格的同一性の保持に関して付与し得る人格権ないしは人格的利益を検討することにある。

既に述べたように、アバターの利用は、メタバースにおいて、外見の制約から本人を解放させるという利点をもたらす。第2節で取り上げた「分人主義」は、法的に見ると、「自己イメージコントロール権」を論じる棟居説を想起させる。棟居説は現実社会を前提とした議論であるが、メタバースでは、アバターを通じて本人のペルソナをより柔軟かつ多様に使い分けることができ、時には奇抜な容姿や風変わりな性格を見せる自由さえ認められる点にアバターの魅力がある。

曽我部説について特に着目すべきは、プライバシーとは別の人格権として「自己像の同一性に対する権利」を捉えようとする点である。同説は、プライバシー侵害に係るリーディングケースである『宴のあと』事件判決を取り上げ、「しかしながら、ここでは社会的評価の低下が直接問題となっているのではなく、自己のアイデンティティが小説家の発想の赴くがままに操作されて読者に提示され、事実とは異なる自己像が社会的に作り上げられることによって生じる精神的苦痛が問題となっているとみることができる。言い換えれば、モデル小説の場合、作家によって創作されたアイデンティティが、読者の目において、モデルとして特定された人物に帰属させられることから生じる苦痛である。こう考えれば、モデル小説はプライバシーというよりは先に述べた自己像の同一性に対する権利の問題であるとみる方が自然である。」63と論じている。

この考えは、アバターを通じて表される本人の人格が、本人の望まない態様でメタバース内に表示される場合にも適用し得る。他方、曽我部説は、プライバシー侵害の要件の1つである非公知性が重要ではなくなり、権利侵害の範囲を非常に拡大させる可能性がある問題にも触れ、「自己像の同一性に対する権利はかなり曖味なものであり、実定法上の保護を認めるにあたっては一定の限定が必要である。」と述べている64

4.2.アイデンティティ権

曽我部説は、「アイデンティティ権」という名称がかなり一般的であることなどから、「自己像の同一性に対する権利」という表現を用いている65。これに対し、実務的な立場から、「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」としての「アイデンティティ権」を論じる見解がある(以下「中澤説」という。)66。中澤説は、なりすまし行為自体をアイデンティティ権侵害と構成することで、既存の不法行為法で空白となる部分に対応できると主張し、特に、憲法の幸福追求権又は人格権を根拠に、自己認識のみならず、他者から見た自分、他者に認識される自分について同一性を保持することも人格的生存に不可欠であるとして、アイデンティティ権の意義を論じている67

下級審判決ではあるが、アイデンティティ権が不法行為になり得ることを認めたものとして、大阪地判平成28年2月8日判例集未登載(発信者情報開示請求事件)(以下「判決①」という。)がある。結論として請求は棄却されたが、判決①は、「確かに、他者との関係において人格的同一性を保持することは人格的生存に不可欠である。名誉毀損、プライバシー権侵害及び肖像権侵害に当たらない類型のなりすまし行為が行われた場合であっても、例えば、なりすまし行為によって本人以外の別人格が構築され、そのような別人格の言動が本人の言動であると他者に受け止められるほどに通用性を持つことにより、なりすまされた者が平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるほどに精神的苦痛を受けたような場合には、名誉やプライバシー権とは別に、「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」という意味でのアイデンティティ権の侵害が問題となりうると解される。」と述べている。

原告代理人を務めた中澤氏は、従前は、なりすまし+α(名誉権侵害、プライバシー侵害など単独で不法行為法上の権利侵害・違法性が認められるもの)で判断されてきたのに対し、判決①は、+α部分に、それのみでは違法とはならない「強度の精神的苦痛」を求めた点に従来の構造とは異なる点があり、なりすましによって害される本質的な法的利益に言及したものであると評価した。そして、同氏は「「アイデンティティ権」が定着すれば、なりすまし行為とは別に新たな権利侵害が発生していなくとも、より早期の段階で差止やなりすまし行為者の特定などの被害救済を図ることが可能」と主張している68

インターネット上の掲示板におけるなりすまし行為が争われた事件として、大阪地判平成29年8月30日判例集未登載(以下「判決②」という。)がある。判決②は、結論として被告のなりすまし行為は違法とは認められないとしたが69、「個人が、自己同一性を保持することは人格的生存の前提となる行為であり、社会生活の中で自己実現を図ることも人格的生存の重要な要素であるから、他者との関係における人格的同一性を保持することも、人格的生存に不可欠というべきである。したがって、他者から見た人格の同一性に関する利益も不法行為法上保護される人格的な利益になり得ると解される。」と判示した。

中澤説に対しては慎重な立場も見られる。例えば、肖像や氏名等の利用に正当な理由が存在するケースがあり、「従来の裁判例のほとんどは、なりすまされた者に対する個人攻撃の意図が明らかなケース」であることや、アイデンティティ権の定義次第では、「実在の人物をモデルにした、ネット上の一人称表現一般を規制する法理となりかねない。」という問題点を指摘し、「アイデンティティ権は、なりすまし被害の本質を明らかにするものであるとしても、同被害解決の切り札になるとは限らない。表現の自由との均衡を図る上では、人格の具体的な顕れである氏名・肖像の使用に焦点を当て、具体的に人格的同一性が確保される場面を限る、あるいは表現の結果について名誉・名誉感情・プライバシーを侵害するものであるか否かに着眼するアプローチが、なお重要な意義を有するといえよう。」と説く立場がある70。他方、なりすましに対する法的保護を肯定的に捉える立場として、「インターネット上で「自分になりすまされたくない」という「思い」を持つことは普遍的な現象であり、それを踏みにじられた際におぼえる感覚は、個人の主観的な不快感のレベルにとどまるものではなく、他者と共有可能なレベルにあることが推察される。その意味では、「自分になりすまされたくない」という「思い」を―それを例えば「アイデンティティ権」と構成するかどうかといった用語の問題は別として―法的に保護すべきであるという点については、一定の社会的合意が存在するとみてよいだろう。」71と論じる見解がある。

他の立場からは、人格的同一性が不法行為法上の独立した被侵害利益として確立されたものとはいいたがいことから、アイデンティティ構成については、「このように社会の発展とともに登場する新たな権利・利益については、その侵害行為との関係で当該利益が保護されるのかを検討していくことにより、その保護を承認していくことになろう。」72との見通しが示されている73

上記は、不法行為法上の独立した被侵害利益として「アイデンティティ権」を認め得るか否かを巡る議論である。これに関連する論点として、インターネット上の表現による不法行為について、従来の名誉毀損やプライバシー侵害の枠組をそのまま妥当させるべきか否かという問題がある74

これについても立場は分かれるが、なりすましに対する法的保護を肯定的に捉える立場からは、「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」(判決①)、「他者から見た人格の同一性に関する利益」(判決②)が「法律上保護されうる利益として認められたことは確かであり、このこと自体は、インターネット上における個人の保護法益の拡大という点で注目されるべきものである。」75と論じられている。

インターネット上で個人に保護されるべき権利利益を拡大する考えがあり得るとすれば、メタバースにおいても、より柔軟な権利利益の構成を取ることができる。確かに、曽我部説が「自己像の同一性に対する権利」について「かなり茫漠とした性格を有する」76と述べているように、「アイデンティティ権」も権利として未成熟といわざるを得ない。他方、人格的同一性の保護を肯定的に捉える議論は、本人に対し、アバターを通じて表出される様々な人格のコントロールを認め、社会関係を形成する自由を与えることができる点において、メタバースにおける秩序形成に重要な示唆を与えるものである。

4.3.肖像権・氏名権

アバターの操作者である本人は、従前の裁判例で認められている範囲では、メタバース上でも、プライバシー権、肖像権、名誉権、パブリシティ権等による保護を受けることができる。しかし、こうした個別の人格権が、アバターを操作する文脈において及ぼす保護範囲は必ずしも明確ではない。

アバターと本人との牽連性を主張し、肖像権を拡大するアプローチを採用するのが原田説である。同説は、CG アバターを「中の人」の「肖像」と捉え、新たな権利類型を含み得る包括的な肖像権を提案している。もとより、肖像権が人格的利益として保護されるのは、「人の肖像は、その人固有のもので、他人から区別され、その人間の人格的価値を表象し、その人間の人格そのものと密接に結びついている」77からである。確かに、アバターの肖像が本人固有のものであり、他のアバターと区別される特徴を持つ場合には、生身の本人の肖像でなくとも、アバターと本人の人格には密接な関連性があるといえる。

他方、原田説は、筆者自身が認めているように、従来の法律論からすればやや飛躍のある解釈を展開せざるを得ない78。肖像権は、基本的に、生身の人間に固有であり、かつ、常に露出されている身体の一部を保護対象にしてきた権利であり、その射程範囲を大幅に拡大するアプローチの妥当性はさらなる検討を要する。

なお、氏名権については、通称利用の自由と、通称を他者から冒用されない権利・利益の保障を考える必要がある。前述の学説や裁判例によると、概ね、①氏名は人格権の一内容を構成する、②氏名を他人に冒用されない権利・利益は、解釈上絶対的な保護を受け得る、③通称利用は必ずしも人格権として確立しているとはいいがたいが、不法行為法上の利益である、④近時、通称利用は社会的に広く受容されている、と整理することができる。メタバース内では仮名が広く用いられており、外見からの解放とともに、本人は、氏名に縛られない自由をも得ることができることから、氏名権の保障を仮名にも及ぼす必要はあると考える。

5.おわりに

メタバース文化を推奨する立場からは、アバターの人格を形成するのは、アバターの肖像のみならず、名前や声を総合したものであると主張されている79。特に、メタバースと従来のインターネットとの相違は、「三次元性と、それによってもたらされる没入感」であり、メタバースが注目を集めるのは、「三次元性と没入感が一定の水準を越え、社会的な意味において現実社会と異なる「空間(ルールの規律対象)」を観念させる程度に至ったためであると思われる」と指摘されている80。アバターのなりすましは、係る没入感のある世界において、「自分になりすまされたくない」という本人の「思い」を深く傷つける行為になり得る。少なくとも、メタバースでの秩序形成においては、なりすましによる本人の物理的・精神的不利益を払拭するための仕組みを設けることが求められるべきであり、その理論的根拠となり得る権利が、「自己イメージコントロール権」、「自己像の同一性に対する権利」、さらには「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」としての「アイデンティティ権」であると考える。

確かに、これらの権利概念は、通説化しているわけでもなければ、実定法上の権利として確立したものではなく、不法行為法上の独立した被侵害利益として承認されているわけでもない。しかし、近時、新たな社会環境に応じた秩序形成のあり方を政策面から議論する場が増えており、メタバースを巡る議論でも、ソフトロー的なアプローチを指向する傾向が見られる81。具体的には、プラットフォーム事業者による、利用規約上の制限や技術的措置を講じる方法に加え、アバターの登録制、プラットフォーム事業者への第三者認証制度や監査などを通じて参加者の利益を保護する方法などが考えられる。上記の各権利概念は、ソフトローによる秩序形成の背景に存在する根拠となり得る。そして、今後、メタバースがさらに拡大し、ハードローによる法的保護を必要とする旨の社会的な合意形成の段階に至れば、上記の各権利概念が実定法上の権利へと発展する可能性はあると考える。

参考文献

脚注に引用したもの

本研究は、JST ムーンショット型研究開発事業(JPMJMS2011)の支援を受けたものである。

脚注

1 中央大学国際情報学部

2 バーチャル美少女ねむ『メタバース進化論―仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』(技術評論社、Kindle版、2022年)43頁。

3 同書44~45頁。

4 佐藤一郎(2022)「メタバースのシステム構成論」総務省情報通信政策研究所令和4年度情報通信法学研究会第1回AI分科会https://www.soumu.go.jp/main_content/000822521.pdf (2022年6月29日)14頁。

5 バーチャル美少女ねむ・前掲『メタバース進化論』240-241頁。

6 Mark A. Lemley & Eugene Volokh, Law, Virtual Reality, and Augmented Reality, 166 U. PA. L. REV. 1051,1068-1069 (2018).

7 バーチャル美少女ねむ・前掲『メタバース進化論』59頁。

8 総務省『令和4年情報通信白書』(https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r04/pdf/n3600000.pdf) 87頁。

9 平野啓一郎『私とは何か:「個人」から「分人へ」』(講談社、2012年) 62頁。

10 同書69頁。

11 同書92~93頁。

12 同書98頁。

13 同書164~165頁。

14 「分人」概念の出自については、平野氏の著書のほか、文化人類学、心理学、社会学、哲学的観点を含めた検討を行い、分人型社会システムの構築を提案した論稿として、武田英明「分人型社会システムによるAI共存社会の枠組みに向けて」総務省情報通信政策研究第5巻第1号(2021年)I-93頁以下参照。

15 憲法学の領域においても、平野啓一郎氏の分人論は、少なからざる法律家に対して、自己イメージコントロール権説を想起させるだろうとの評価がなされている(小粥太郎「個人と分人―「民法における人間」を考えるためのノート―」東北大学紀要「法学」第83巻第4号(2020年)72頁以下、77頁注(10)より)。

16 佐藤幸治「プライヴァシーの権利(その公法的側面)の憲法論的考察(一)-比較法的検討-」京都大学「法学論叢」第86巻第5号(1970年)1頁以下。

17 憲法学の学説の整理は、音無知展『プライバシー権の再構成-自己情報コントロール権から適正な自己情報の取扱いを受ける権利へ』(有斐閣、2021年)7頁以下参照。

18 棟居快行「プライヴァシー概念の新構成」神戸法学雑誌第36巻第1号(1986年)1頁以下、同『人権論の新構成』(信山社、1992年)173頁以下。

19 成原慧「メタバースのアーキテクチャと法―世界創造のプラットフォームとそのガバナンス―」Nextcom第52号(2022年)24頁以下、27頁、及び、原田伸一朗「バーチャルYouTuberの肖像権―CGアバターの「肖像」に対する権利―」情報通信学会誌第39巻第1号(2021年) 1頁以下、2頁が同説を引用。

20 棟居・前掲「プライヴァシー概念の新構成」14頁によると、「シンボル」とは、「当該社会関係において共有される役割イメージを想起させるところの有意義な表象」と説明されている。

21 棟居・前掲「プライヴァシー概念の新構成」12~13頁。

22 同論文19頁。

23 棟居快行『憲法学の可能性』(信山社、2012年) 301頁以下、310頁。

24 棟居快行『憲法の原理と解釈』(信山社、2020年)47頁以下、63~64頁。

25 曽我部真裕「自己像の同一性に対する権利」について」京都大学「法学論叢」第167巻第6号(2010年)1頁以下。同『反論権と表現の自由』(有斐閣、2013年)201頁以下。

26 曽我部・前掲「自己像の同一性に対する権利」について」3頁。

27 『宴のあと』事件に関する東京地判昭和39年9月28日下民集第15巻第9号2317頁。

28 曽我部・前掲「自己像の同一性に対する権利」について」1頁。

29 「観衆の分離」とは、「パフォーマーが自分のオーディエンスを分離して、自分のたくさんの役割のうちの一つを演ずるところを目撃する人びとと、別の役割を演ずるところを目撃する人びとを別にすること」であり、「「観衆の分離」はコンテクストの異なる「役割イメージ」の混同を阻止する手法なのである。」と説明されている(棟居・前掲「プライヴァシー概念の新構成」16頁)。

30 曽我部・前掲「自己像の同一性に対する権利」について」24~25頁。

31 大家重夫『肖像権』(太田出版、改訂新版、2011年) 7頁。

32 五十嵐清『人格権法概説』(有斐閣、2003年)163頁。

33 憲法第13条に基づく国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを前提としている。

34 最大判昭和44年12月24日刑集第23巻12号1625頁。

35 最一小判平成17年11月10日民集第59巻9号2428頁。

36 最一小判平成24年2月2日民集第66巻2号89頁。

37 原田・前掲「バーチャルYouTuberの肖像権」。

38 本稿では「本人」に相当する。

39 原田・前掲「バーチャルYouTuberの肖像権」5頁。

40 同上。

41 同論文6頁。

42 同上。筆者は仮に「肖像専属利用権」と称している。

43 同論文7頁。筆者は仮に「肖像継続利用権」と称している。

44 同論文6頁。

45 最一小決令和2年1月27日刑集第74巻1号119頁。

46 原田・前掲「バーチャルYouTuberの肖像権」4頁。

47 パブリシティ権の詳細な考察は、内藤篤・田代貞之『パブリシティ権概説』(木鐸社、第3版、2014年)参照。

48 大家・前掲『肖像権』186頁。

49 橋谷俊「女性週刊誌「女性自身」に「ピンク・レディー de ダイエット」と題する特集記事を組み、ピンク・レディーの白黒写真を無断掲載した行為についてパブリシティ権侵害を否定した事例(1):ピンク・レディー事件」知的財産法政策学研究第41巻(2013年)231頁以下。

50 人の氏名、肖像等を意味する。

51 上野達弘「メタバースをめぐる知的財産法上の課題」Nextcom第52巻(2022年)4頁以下、12頁。

52 最二小判平成16年2月13日民集第58巻2号311頁。

53 原田・前掲「バーチャルYouTuberの肖像権」5頁。

54 橋本佳幸ほか『民法V 事務管理・不当利得・不法行為』(有斐閣、第2版、2020年)131頁。

55 最三小判昭和63年2月16日民集第42巻2号27頁。

56 橋本ほか・前掲『民法V 事務管理・不当利得・不法行為』131頁。

57 バーチャル美少女ねむ・前掲『メタバース進化論』218頁。

58 キャラクターが独立の「人格」を持ちつつあることに着目し、「キャラクターの氏名権」を考察したものとして、原田伸一朗「キャラクターの氏名権:翻訳・翻案における登場人物の名称変更」翻訳の文化/文化の翻訳第15巻(2020年)59頁以下。

59 立石直子「婚姻前の氏を通称として使用する権利の現代的意味―東京地裁判決平成28年10月11日事件を素材として―」立命館法学2016年第5号・第6号(第369号・第370号)」(2017年)421頁以下、426頁。

60 東京地判平成 5年11月19日判例タイムズ第835号58頁。

61 最大判平成27年12月16日民集第69巻8号2586頁。最大判令和3年6月23日集民第266号1頁も夫婦同氏制を合憲と判断した。

62 東京地判平成28年10月11日判時第2329号60頁。

63 曽我部・前掲「自己像の同一性に対する権利」について」22頁。

64 同論文23頁。

65 同論文3頁。

66 なお、内藤・田代・前掲『パブリシティ権概説』52頁以下は、パブリシティ権を考察する手段として、人的属性の人格価値(プライバシー権)と財産価値(パブリシティ権)を構成要素とする「人的属性(identity)の不正使用からの保護についての権利」という概念を導入し、これをアイデンティティの権利と総称している。

67 中澤佑一『インターネットにおける誹謗中傷 法的対策マニュアル』(中央経済社、第4版、2022年)85~87頁。

68 中澤佑一「SNS「なりすまし」被害で「アイデンティティ権」認める判決…どんな考え方か?」弁護士ドットコムニュース(2016年6月20日)(https://www.bengo4.com/c_23/n_4799/)。

69 名誉権及び肖像権の侵害による慰謝料請求は認容した。

70 城内明「インターネット上のなりすましとアイデンティティ権」新・判例解説Watch第21号(2017年)93頁以下、95頁。アイデンティティ権を独自の利益として構成することに慎重な立場として、小林直三「「アイデンティティ権に関する若干の検討」~平成29年8月30日大阪地裁判決~」WLJ 判例コラム第127号(2018年)1頁以下も参照.

71 木村和成「インターネット上のなりすまし行為による本人のアイデンティティ権の侵害」私法判例リマークス第56号(2018年)14頁以下、16~17頁。

72 遠藤史啓「インターネット上での他人へのなりすましとなりすまされた者の名誉権・肖像権等の侵害」私法判例リマークス第58号(2019年)42頁以下、45頁。

73 城内・前掲「インターネット上のなりすましとアイデンティティ権」96頁、佃克彦『プライバシー権・肖像権の法律実務』(弘文堂、第3版、2020年)176頁も同旨。

74 遠藤・前掲「インターネット上での他人へのなりすましとなりすまされた者の名誉権・肖像権等の侵害」44頁。

75 木村・前掲「インターネット上のなりすまし行為による本人のアイデンティティ権の侵害」16頁。

76 曽我部・前掲「自己像の同一性に対する権利」について」26頁。

77 大家・前掲『肖像権』18頁。

78 原田・前掲「バーチャルYouTuberの肖像権」8頁。

79 バーチャル美少女ねむ・前掲『メタバース進化論』213頁以下。

80 小塚荘一郎「仮想空間の法律問題に対する基本的な視点―現実世界との「抵触法」的アプローチ」情報通信政策研究第6巻第1号(2022年)IB-1頁以下、IB-2-IB-3頁。

81 内閣府 「参考資料3 メタバース関連ソフトロー等事例集」第1回メタバース上のコンテンツ等をめぐる新たな法的課題への対応に関する官民連携会議(2022年11月21日)(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kanmin_renkei/kaisai/dai1/sankou3.pdf)。

 
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