江戸時代の庭園に使われている庭石の販売経路, 燈籠・蹲鋸などの石造品の製作と販売経路については, 不明な点が多い。大坂について史料を調べてみると, 石材の運搬に便利なように西横堀と長堀, 東横堀 (松屋町筋) の堀割り沿いに, 多くの石屋が分布していたことがわかる。庭石は各地の名石, 石材としては御影石・竜山石・和泉石などが搬入され, 原石あるいは加工品が再び各地に販売されている。高野山などに残存する石造品の刻銘からも, 大坂の石屋の活動を知ることができる。賃金・労働時間・販売などについても問題は多かったが, 既得の権利を守るために明和7年 (1770) には, 石問屋株仲間と切石屋株仲間が形成されている。