抄録
本稿は第二次世界大戦直後の東京都において観光が建設行政の所管とされたことに着目し、この時設置された建設局公園観光課の活動と、同課の活動の一つの集大成だった東京都觀光事業綜合計画書(1951)について実態と意義を明らかにする。観光行政が建設局所管になった背景には当時の観光資源や施設の整備復旧の重視があり、建設局所管の特徴として同計画書に戦前からの国土計画や東京都戦災復興計画との共通点が見られること、具体的な都市空間像にもとづく計画がなされていたこと、背景に当時の都建設局長石川栄耀の存在がうかがえることなどを指摘した。都市計画と観光が再び接近しつつある現在、この時代の試みに学ぶことは多い。