木村有香先生は群馬県みなかみ町土合でバッコヤナギとユビソヤナギの雑種を見つけ,その標本にドアイヤナギSalix ×praegaudens Kimuraと書き遺された.この雑種については八島・斎藤 (1998) とOhashi (2001, 2006, 2018) によって簡単に紹介されているだけなので,ここで正式に発表する.学名の著者は深圳規約第46.4条で学名を正式に発表した著者と決められたので,Kimura ex H. Ohashi & Yoshiyama とせず,H. Ohashi & Yoshiyamaとした.
木村先生はドアイヤナギの標本を多数遺され,また東北大学植物園で栽培し観察もしておられた.おしば標本にはユビソヤナギ発見者深尾重光氏の採集品も多い.標本は台紙ごとにArika Kimuraの個別のナンバーがつけられ,木村先生の研究されたヤナギ科植物標本を集めた標本室TUS-Kにある(本論文ではKimuraナンバーを TUS-Kナンバーとした).最初の標本は1972年9月7日のもので,標本カバーとした新聞紙の上に「土合ダム上.これが最初の採集也.この時発見.最初富士注目,有香バッコ×ユビソと同定」と木村先生が書き遺しておられる.この時の標本は6点あり,このノートはそれらを新聞紙でまとめた際に書き足されたもので,ラベルには書かれていない.富士は有香夫人で,深尾氏も同行していた.当日はユビソヤナギの観察に出かけられたと思われ,その集団の中でドアイヤナギを見つけたのであろう.
木村先生は標本カバーの1つに「Salix ×praegaudens hyb. nov. = S. Bakko × S. Hukaoana.ドアイヤナギ深尾命名」と記している.木村先生の遺された標本は12点あり,それぞれに多数の重複標本があって12セットとなっている.これらは全てHukao n.12(略‘H.12’)とされていることから同一個体から時期を変えて繰り返し採られたものとみられるが,採集場所は「土合ダムの上」,「土合奥」,「土合の上」,あるいは ‘Prov. Kōzuke: in ripris torrentis Yubisogawa, haud procul a stagno Doaiense’ とラテン語で書かれている.土合には複数のダムがあるためこれらの正確な場所は分からない.一方,吉山は1990年頃にJR上越線土合駅近くの線路脇に生育していたバッコヤナギとユビソヤナギの雑種と思われた1個体を見つけた.高さ1.5 mほどの若樹であった.この場所は「土合の上」や「土合ダム」と呼ばれることはないので,この若樹「吉山株」は「Hukao n.12」と異なる個体であると推測される.吉山は「吉山株」から挿枝を採り,東京都八王子市森林総合研究所多摩森林科学園に移植後,八王子市吉山雑種柳観察園で育成し,観察を続けてきた.
ドアイヤナギは雄株だけが知られている.ドアイヤナギの雄花は明らかに推定両親種の中間形を示す.そのためタイプ標本には花期の標本を選んだ.バッコヤナギ雄花は雄蕊2個で花糸は基部まで分離し,ユビソヤナギは花糸が上部まで合着しているが,ドアイヤナギでは成熟した雄花では花糸は基部から中部まで合着して中部以上は分離してY字形となる.バッコヤナギの雄花は『改訂新版 日本の野生植物』2巻PL 156-4,ユビソヤナギの雄花はPL 166-2に写真がある.ドアイヤナギのタイプとした花期の重複標本は8点あり,そのうちの1枚TUS-K 18436をホロタイプに選定した.これらタイプをまとめた新聞紙上に木村先生が「H 12. 15 Apr. 1974,この日の朝深尾君土合にてユビソヤナギの満開なるを採り仙台に来る.午後2時共にHB[植物園]にて腊[葉]に附す」と書いておられ,ドアイヤナギはユビソヤナギと同時期に咲くことが分かる.
ユビソヤナギは最初の発見地の後に青森県を除く東北地方各県(大橋ほか 2007,大橋2018)および新潟県(吉山 2011)の深山山間部河川流域でも発見されている.バッコヤナギはユビソヤナギ生育地に稀ではなく分布することからドアイヤナギは現在地以外にもユビソヤナギの生育場所で見つけ出される可能性があると思われる.