今日、グルー・ナーナクの単独肖像画はスィック教徒の間で非常に人気があり、頻繁に家屋や寺院の壁に掛けられている。本稿は英領植民地期にもたらされた壁に掛ける肖像画がスィック教徒のアイデンティティに与えた影響を明らかにする。1849年にパンジャーブ地方がイギリス領に編入されたあと、民族や宗教を横断して中間層が形成され、その中から生まれた知識人たちは「スィング・サバー運動」と呼ばれる宗教改革運動やナショナリズムの担い手となった。都市中間層は植民者であるイギリス人と並んで、スィック教徒の王侯貴族の没落した後の主要な芸術の庇護者となった。彼らは西洋式の教育を受けており、西洋文化の受容に積極的であったため、グルー・ナーナクの肖像画を壁に掛けるようになったとみられる。壁にかけるグルー・ナーナクの肖像画は、スィック教の独自性を象徴する四分の三面観や、ヒンドゥー教の神像を思わせる正面観で描かれたため、様々な派閥に属していたスィック教徒たちを社会的に包摂する役割を担っていたと考えられる。