文化人類学
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第11回日本文化人類学会賞受賞記念論文
巻き込まれ、応答してゆく人類学
フィールドワークから民族誌へ、そしてその先の長い道の歩き方
清水 展
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2016 年 81 巻 3 号 p. 391-412

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抄録

本稿は、横須賀の引揚者寮で生まれ育った私自身の生い立ちと、40年にわたりフィリピン・ルソン島の山地に住む二つの先住民社会、アエタとイフガオで行ってきた調査・研究を振り返り、フィールドワークから民族誌の作成にいたる経緯と舞台裏、そして民族誌の作成後も続く村の人々との関係について率直に語るものである。その目的は、私を踏み台として、若い世代の研究者が、明日の人類学のひとつの可能性を新たに拓いていってほしいと願っているからである。

1970年代の末に私は、フィリピン・ルソン島西部のピナトゥボ山麓のアエタ(アジア系ネグリート)の村で20ヶ月のフィールドワークをした。山での暮らし方を何も知らない私を、彼らは親切に助けてくれた。さまざまなことを教えてもらい、おかげさまで博士論文が書け、就職もできた。そして1991年6月にピナトゥボ火山が20世紀最大級の規模で大噴火したとき、私はたまたま1年のサバティカル(研究休暇)でフィリピンに来ていた。博士論文のためのフィールドワークでお世話になったピナトゥボ山麓に住む友人知人らが、その噴火でいちばん深刻な被害をこうむったことから、私はアエタ被災者の緊急救援とその後の復興支援をする日本の小さなNGOのボランティアとなった。その経験によって私の人類学をするスタイルが大きく変わり、無我夢中というか、暗中模索の10年あまりを経て、応答する人類学を構想し提唱するにいたった。

それは、フィールドワークをする現地で、そして帰国した後の日本(人類学者の国)で、それぞれのコミュニティが抱える問題や課題に積極的に関与し、その対処や改善、解決のために行動してゆこうとするものである。その際に二つの社会・コミュニティの差異と類似の両方に着目すること、つまり互いに異なる歴史発展経路と文化に支えられまた制約を受けている他者であると同時に、グローバル化の同時代を生きる同志でもありうることに着目することで、海を越えた新しい国際公共の可能性を拓こうとする企てである。

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2016 日本文化人類学会
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