2022 年 86 巻 4 号 p. 563-583
本稿では、バングラデシュのイスラーム主義を掲げる宗教政党と、それを「原理主義」として批判し、世俗主義を標榜するNGO団体との関係を、1990年代を中心とした多様な相互交渉と対立の過程を通して検証する。公共領域でのイスラーム的価値の実現を求めるバングラデシュの宗教政党と、社会開発への取り組みを通して公共領域から宗教の分離を試みるNGO団体との、互いの参照や批判を通した二極政治の形成過程を跡付ける。
一般にイスラーム主義は、社会のイスラーム的変革を求める政治的イデオロギーや運動とされ、日本語ではバイアスを含んだ「イスラーム原理主義」に代わる用語として用いられるが、実際には、改革運動からジハード主義までを含む多様な用法が見られ、たとえば、日本人7名が犠牲となった2016年のダカ・テロ事件では、イスラーム政党・団体は一括りにイスラーム主義とされた。しかし、イスラーム主義が、西洋近代の「世俗」概念との対比から、それを逸脱する「宗教」運動として一元的に規定されると、それはかつての「原理主義」と同様の問題を内包するだろう。本稿では、バングラデシュの二極政治の構成が、「公共領域」の変容をも導く経緯の検証を通して、イスラーム主義を、「ムスリム社会が国民国家や市民社会を構成する過程で、イスラーム的価値を政治的イデオロギーとして再認識し、実践する運動」と定義する。