文化人類学
Online ISSN : 2424-0516
Print ISSN : 1349-0648
ISSN-L : 1349-0648
特集 動物をほふる民俗知の実践——屠畜をめぐる比較民族誌
チベット牧畜社会における生業民俗的知識と改革派仏教
家内的屠畜実践をめぐって
別所 裕介
著者情報
ジャーナル 認証あり

2023 年 88 巻 1 号 p. 095-114

詳細
抄録

本論は、中国青海省の草原地帯でヤクを主体とする放牧生活を送るチベット牧畜民が自家消費のために行う屠畜を取り上げ、彼らの日常生活と結びついた畜産物利用をめぐる生業民俗的知識(生業民俗知)の全体性が、近代的な宗教運動によって改編を迫られている状況を、家畜管理をめぐる「生かし」と「殺し」という、表裏一体になった活動の間で見定めようとするものである。従来、チベット高原の大半の地域では、1)血液の食利用、2)滋味の追求、3)家畜の苦痛軽減、などの見地から、「窒息殺(mchu sdom)」という独特の屠畜手法が選好されてきた。本論ではその実践の背景を民族誌的目線で描写する一方で、動物福祉的な目線から窒息殺の暴力性を問題視する改革派のラマ(高位の指導僧)たちの言動を取り上げ、中国的近代化の中で教義解釈を刷新した新たな仏教運動によって、牧畜民の家畜管理や食体系が改編されていく様相を活写する。こうした作業から最終的に浮かび上がるのは、政府の辺境開発によって激変する現代チベットの生業環境において、「動物の正しい扱い方」を指標とする近代的アイデンティティ・ポリティクスが、厳しい草原の生活条件を生き抜くために形成されてきた生業民俗知の全体像を内側から切り崩していく局面である。

著者関連情報
2023 日本文化人類学会
前の記事 次の記事
feedback
Top