本稿では、山茶を事例に、四国山地における山村景観の形成をめぐる力学を、将来的な東南アジアとの比較をも視野に入れつつ考察する。西南日本と東南アジア大陸部山地とを結ぶ文化的共通性については、これまで照葉樹林文化論が主に取り扱ってきた。しかし照葉樹林文化論は、日本文化の源流の探求にこだわるあまり、現実を反映しない硬直した図式化に走ってしまったきらいがある。そのため本稿では、照葉樹林文化論における四国山地への着目が、これまで後発酵茶の起源問題に終始してきた点を批判した上で、釜炒り緑茶生産をも視野に入れつつ、そこでの焼畑と山茶利用の歴史を再検討する。そこからは、そもそも四国山地の焼畑や山茶利用によって構成される景観は、照葉樹林文化論が想定していた「稲作以前」ではなく、むしろ特殊近世的な環境、すなわち幕藩体制による辺境統治と市場経済の浸透の中で成立してきたことが明らかになる。そうであるならば、四国山地における焼畑に付帯した山茶の利用を東南アジアと比較する上では、照葉樹林文化論の一連の発見を、系譜論から機能論に読み替える必要があり、そこからは、山茶から見た比較国家論の可能性が視野に入ってくる。