抄録
本稿の目的は, 低学年期の子どもにとって授業内で一対多のコミュニケーションを行うことが持つ意味を明らかにすることである。本稿では各場面で一対多の対話が導入され成立していくミクロな過程の記述によりそれを行う。具体的には, 討論を主とした道徳授業において, 教師が発言者に対し修正を行う場面に注目し, 修正によりその場のやりとりがどのように方向づけられていくのか, また子どもがそれに対しどう反応するのかについて考察を行った。教師が発言者に対し行った修正は, 以下のようなものであった : (1)発話の宛先の修正, (2)「聞こえ」の修正, (3)「見え」の修正。それぞれの修正場面における, 教師と子どもの言語的・非言語的振舞いの詳細な観察から, 修正場面が, やりとりに「みんな」という聞き手の存在を導入することで, 一対一から一対多へとその場の参加構造を転換させるきっかけとして機能していること, また教師はそれを言語的・非言語的振舞いにより行っていること, 一方子どもにとってそのような転換に対応することが, しばしば困難である様子が示された。