発達カスケードとは,発達中のシステムで生じたさまざまな相互作用によって,異なるレベル・領域・システム・世代の間で影響が広がり,発達に累積的な効果が生じることをいう。本稿では,乳児期の歩行の獲得が視覚世界に影響を及ぼし,乳児と養育者との事物を介した相互交渉を変化させるプロセスに関する研究を概観する。歩行を獲得すると乳児は,周囲の環境を広く視野に入れながら移動するようになる。その結果,養育者の顔といった社会的情報を含め視覚情報は豊かになり,養育者との相互注視の頻度が増える。視覚情報が頻繁に切り替わるためか,歩行開始をきっかけとして環境内の移動経路は回遊的になる。養育者と事物を共有しながら相互交渉すること,たとえば養育者に事物を見せたり渡したりする三項関係的かかわりも頻繁に認められるようになる。それが保育場面では仲間間の模倣に波及していく。こうした発達カスケードを例としながら,発達カスケード研究の意義を論じた。
【インパクト】
発達カスケードとは,発達中のシステムで生じたさまざまな相互作用によって,異なるレベル・領域・システム・世代の間で影響が広がり,発達に累積的な効果が生じることをいう。本稿では,乳児期の歩行の獲得が視覚世界に影響を及ぼし,乳児と養育者との事物を介した相互交渉を変化させるプロセスに関する研究を概観し,発達カスケード研究の意義を論じた。
「泣き(crying)」は,ヒトの発達に深く組み込まれた日常的な営みであり,乳児期には覚醒時における最も顕著な状態の一つでもある。乳児の泣きは,養育者へのシグナルとして親子関係に与える影響が長年検討されてきたのとは対照的に,児自身の発達という観点から研究の俎上に載せられることは比較的限られてきた。しかし,近年の音響音声学的な検討から,生後数ヶ月間に泣き声の音響構造に発達的変化や個人差が存在すること,さらには,泣きの発達が言語獲得や社会性の発達を含む,長期的で広範な役割を果たしている可能性が示唆されるようになってきている。本稿では,乳児の泣きを「発達カスケード」の起点として新たに捉え直すことで,これまで複数の学術領域において蓄積されてきた実証的な知見を統合し,泣くことが乳児の身体内外の環境を変化させるプロセスや,それらが発達に及ぼす長期的な影響について議論する。「発達カスケード」の視座は,乳児の泣きが言語獲得に寄与するプロセスや,非定型的な泣きが発達にもたらす負の効果に関する理解を深める上で,重要な示唆を提供する可能性がある。
【インパクト】
本稿は,乳児の泣きの役割を「発達カスケード」の視座から新たに捉え直すことで,乳児の自発的な泣きがもたらす複雑かつ広範な発達プロセスを統合的に説明し,乳児の泣きが言語獲得に寄与するプロセスについての理解を進展させる。特に,非定型的な泣きが「発達カスケード」を変容させる機序についての理解を深めることは,神経発達症の児やその養育者に対する予防的介入や社会的支援に繋げる上で重要な示唆を提供する可能性がある。
発達現象は自律的に連鎖し続けることで複雑かつ長期的な変化を生み,その後の行動や認知機能に対して即時的かつ直接的な影響だけでなく,時を経て顕在化する影響を与えることもある。創発的で自己組織化的なこの発達現象に関してその複雑性や時間スケールも勘案すると,その主体である乳児や子どもの意図や将来への予測によって発達が方向づけられるわけではないように見える。特に,意図性や随意性が未熟な胎児や新生児においては,何がどのように発達を導いているのかが非常に分かりにくい。具体的かつ理解可能な形でこの連鎖的な発達現象を捉えることはできるのだろうか。本稿では,発達の起源やその連鎖的な影響の理解に向けて,発達初期における感覚運動システムの構造化に着目し,創発現象としての発達の捉え方や身体性の重要性,情報構造の概念について検討する。その後,感覚運動システムの構造化を捉える具体的な手順として,詳細な計測やシミュレーションを用いた研究とその有用性について紹介する。最後に,感覚運動システムからいくつかの発展的なシナリオについて議論したい。
【インパクト】
行動や概念が未成熟な胎児や新生児に生じる自律的で連鎖的な感覚運動発達について,創発的現象としての発達観,感覚運動情報やその構造の捉え方,実計測やシミュレーションを用いた研究方法について検討した。その複雑さや時間スケールのため具体的なメカニズムの理解が困難となっている発達の連鎖について,運動出力や感覚入力で構成される情報構造として捉えることで理解を深める礎となる概念を提供する。
本稿では,発達カスケードの枠組みにおいて先駆的かつ核となる理論とされるGottliebの蓋然的後成説(probabilistic epigenesis)について,その示唆するところを検討した。まず,蓋然的後成説について概観するとともにGottlieb自身の実証研究との関係について検討した。そのうえで,経験の非自明性概念の重要性を指摘し,今後さらなる経験を検討していくうえで概念の拡張あるいは転換の必要性について指摘した。次に,Probabilisticの意味するところについて,主観主義的解釈,頻度主義的解釈,傾向性解釈を検討し,傾向性解釈において理解されるべきであることを確認したうえで,表現型可塑性について蓋然的後成説の立場から検討を加えた。最後に,発達システム論と対比しつつ蓋然的後成説における環境あるいは生態学的ニッチを検討し,生物個体とは独立に自存する環境が行動の変化に重要な役割をもつことを確認した。J.J. Gibsonのアフォーダンス論との関係を示唆するとともに,両理論の原点であり発達カスケードの枠組みのさらなる展開におけるE. Holtの重要性について言及した。
【インパクト】
本稿は,Gottliebの蓋然的後成説について,確率論における解釈の問題,あるいはシステム論における環境の位置づけなど,これまでに検討されてこなかった側面から検討を加えた。こうした議論に依拠しつつ,蓋然的後成説と生態心理学を関連付けた点において,発達カスケードの文脈に示唆をもつものであり重要性をもつと考えられる。
本研究では,家庭における絵本・本の読み聞かせの量や質,読み聞かせの開始時期と,幼児におけるかな文字の読み能力と情動理解能力との関連について明らかにすることを目的として,年少から年長クラスの未就学児とその保護者を対象とした調査を実施した。データ収集はすべてオンラインで行われた。保護者は,家庭における対象児への読み聞かせの実態などについてアンケートフォーム上で回答し,対象児は保護者のみによるサポートと監督のもと,スクリーン上に呈示される画像や動画を視聴した上で,かな文字読み課題および情動理解課題に回答した。最終的な分析対象となった305ペアの子と保護者の回答データを分析した結果,子どもの月齢による影響を統制してもなお,家庭における読み聞かせの習慣と子どものかな文字読み能力,情動理解能力に関連があることが示された。かな文字読み課題に対しては1週間あたりの読み聞かせの日数が中程度の有意な正の関連を示した一方,情動理解課題に対しては読み聞かせの質が中程度の有意な正の関連を示した。これらの結果から,読み聞かせの量と質それぞれが,幼児の発達の異なる側面に対して促進的に作用する可能性が示唆された。
【インパクト】
研究の問題設定においては,家庭における読み聞かせと子どもの発達の関連について,これまで知見の乏しかった日本の幼児を対象とした点,発達をリテラシー(かなの読み能力)と社会情緒的スキル(情動理解能力)の両面から検討した点に大きな学術的意義がある。結果においては,読み聞かせの量と質が子どもの発達とそれぞれ異なる関連の仕方を示した点で学術的,実践的インパクトが大きい。
本研究では,令和の日本型学校教育で重視されている個別最適な学びと協働的な学びの観点に基づき,心の健康に関わる知識やスキルを学ぶ心理教育の実践や研究の方法論について展望することを目的とした。最初に,日本の小学生や中学生を主な対象とした心理教育プログラムの研究動向の概要と,近年の実践・研究上の課題点について整理した。次に,個別最適な学びと協働的な学びの特徴や具体的な教育実践を概観した。これらの教育実践の展開の背景には,学校教育を取り巻く社会情勢や人々に求められる能力,「人はいかに学ぶか」に関わる学習観の変遷と共に,学習科学研究などの発展が関わっているため,これらの動向と関連付けながら整理した。最後に,個別最適な学びと協働的な学びに基づく教育実践の方法を援用することで,心理教育の実践や研究をどのように発展させていくことができるのかについて検討した。その結果,これからの心理教育では,学校教育で伝統的に行われてきた,学級での一斉指導に基づく教育者主導の知識伝達モデルを超えた取り組みが必要であることが示唆された。具体的には,協働的な学びと共に,個別最適な学びを促す学習の機会や環境を積極的に提供しながら,学習者中心の知識創造モデルに基づく心理教育の実践・研究のあり方を模索し,子どもたちの心の健康に関わる資質・能力(コンピテンシー)の発達や育成に寄与していくことが重要になると考えられる。
【インパクト】
従来の心理教育では,教育者主導による学級での一斉指導や,協働的な学びに相当する教育実践が行われてきた傾向にある。本研究では,能動的かつ自立な学習者として子どもたちを捉え,協働的な学びと共に,子どもたち一人ひとりにとっての個別最適な学びを可能にする学習の機会や環境にも着目しながら,心の健康に関わる資質・能力(コンピテンシー)の発達や育成に寄与する心理教育の実践および研究の可能性を示すことができた。