日本消化器外科学会雑誌
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症例報告
右胃大網動脈グラフトによる冠動脈バイパス術後の肝切除術の経験
浅野 史雄野尻 和典武田 和永松山 隆生谷口 浩一熊本 宜文秋山 浩利田中 邦哉益田 宗孝遠藤 格
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2013 年 46 巻 3 号 p. 183-188

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Abstract

冠動脈バイパス術(coronary artery bypass grafting;以下,CABGと略記)において,右胃大網動脈(right gastroepiploic artery;以下,RGEAと略記)はしばしばグラフトとして使用される.RGEAを使用したCABG後の上腹部手術では,グラフト損傷を引き起こす可能性があり,術前のグラフト走行の把握と慎重な手術手技が必要である.我々は,RGEAグラフトによるCABG後に肝細胞癌を発症した症例を経験した.症例は75歳の女性で,4年前に心筋梗塞に対しRGEAを用いてCABGを施行され,腹部超音波検査で肝外側区域に原発性肝癌を認めた.グラフトは腫瘍前面を走行しており,損傷に注意しながら肝外側区域部分切除術を施行した.周術期の合併症発生はなかった.心機能やグラフトの術前評価にmultidetector row CTと心筋シンチグラフィが有用であり報告する.

はじめに

冠動脈バイパス術(coronary artery bypass grafting;以下,CABGと略記)において,右胃大網動脈(right gastroepiploic artery;以下,RGEAと略記)はしばしばグラフトとして使用される1).RGEAを使用したCABG後の上腹部手術では,術式によってはグラフト損傷を引き起こす可能性があり,術前のグラフト走行の把握と術中の慎重な手術手技が必要である2).今回,我々はRGEAグラフトによるCABG後に発見された肝細胞癌に対し,肝外側区域部分切除術を施行した症例を経験したので報告する.

症例

患者:75歳,女性

主訴:特になし.

既往歴:60歳時から糖尿病,高血圧症を治療中である.14歳時 虫垂切除術,40歳時 子宮筋腫で開腹手術歴あり.71歳時 心筋梗塞に対してCABG 3枝(左内胸動脈―左前下行枝,大伏在静脈―鈍縁枝,RGEA―後下行枝)を施行した.

家族歴:特記事項なし.

現病歴:2010年9月 腰痛に対して他院通院中,腹部超音波検査で肝外側区域に径3 cmの腫瘍を認め,肝細胞癌と診断され,当院へ紹介された.

嗜好歴:喫煙・飲酒なし.

輸血歴:なし.

入院時現症:身長148 cm,体重58 kg.前胸部正中,下腹部に手術痕あり.

血液検査所見:Hb 9.9 g/dl,血小板5.7×104/μl,PT-INR 1.19,alb 3.0 g/dl,T-Bil 1.8 mg/dl,D-Bil 0.5 mg/dl,HbA1c 6.5%,ICGR15=35.36%,liver damage B,Child-Pugh B(7点),HBsAg(–),HBsAb(–),HBcAb(–),HBeAg(–),HBeAb(–),HCVAb(–).

肝ダイナミックCT所見:肝外側区域に,早期相で濃染され,遅延相でwash outされる,径3 cmの腫瘍を認め,肝細胞癌と診断した(Fig. 1).

Fig. 1 

Abdominal CT with contrast enhancement shows a 3-cm tumor (arrowheads) at the surface of the left lateral division of liver, with early enhancement in artery phase (a), wash out in portal phase (b). Enhanced RGEA (arrow) is located in front of the tumor.

心筋シンチグラフィ所見:下壁~後壁,中隔前壁に梗塞の所見を認めたが,CABG術後の所見と変わりなく,薬剤負荷でも新たな虚血の所見はなかった.

3DCT所見:肝外側区域の表面を通り縦隔内へ走行するRGEAを認め,狭窄は認めなかった(Fig. 2).

Fig. 2 

3D-CT angiography shows RGEA (arrows) running in front of the tumor (thick arrow) to the heart. RGEA is considered patent.

以上より,単発3 cmの外側区域辺縁の肝細胞癌に対し,RGEAグラフトを温存した肝外側区域部分切除術を予定した.

心機能は超音波検査で左室駆出率64%と良好であったが,RGEA吻合先の後下行枝の中枢側は完全に閉塞しており,グラフト損傷時には心筋梗塞や徐脈性ショックを来す可能性が高いと判断した.

手術所見:グラフト損傷による不整脈・急性心筋梗塞に備え,一時的ペースメーカーを挿入し,左大腿動脈からカニュレーションし,大動脈内バルーンパンピング(intraaortic balloon pumping;以下,IABPと略記)の準備を行った.上腹部正中切開で開腹した.開腹創直下にグラフトが存在し,尾側から頭側に向かって,グラフトを直視下に確認しながら開腹を進めたところ,肝外側区域の表面を通り縦隔内へ走行するRGEAが確認された.グラフトはskeltonize法で採取されており,周囲組織との癒着はなく,横隔膜が切開された状態で心臓下壁に到達していた(Fig. 3).グラフトに極力触れないように,肝臓を授動・牽引する形で視野展開をしながら肝外側区域部分切除を施行した(Fig. 4).周術期にはニコランジルを使用した.

Fig. 3 

Operative findings of the RGEA (arrow). Skeltonized RGEA graft is easily recognized on the left lobe of the liver. The dotted circle indicates the tumor location.

Fig. 4 

Operative findings after tumor resection. The arrow indicates the RGEA, which was just left of the site of resection.

切除標本所見:被膜を伴い灰白色の割面を有する,3×2.5 cm大の充実性腫瘍を認めた.

病理組織学的検査所見:moderately differentiated hepatocellular carcinoma,26×25×32 mm,Eg,Fc(+),Fc-Inf(+),Sf(+),S0,Vp0,Vv0,Va0,B0,SM(–),LC,F4,pT2,N0,M0,pStage IIであった.

経過:術中,術後合併症は認めず,経過良好で10日目に退院した.

考察

CABGにおいて,RGEAは開存度が優れていることからグラフトとしてしばしば使用され1),須磨3)の報告では,吻合先は,右冠動脈が70%,回旋枝が18%,前下行枝10%,対角枝が1%であった.

RGEAグラフトを使用したCABG後の上腹部手術について,1983年から2010年に「冠動脈バイパス術」,「右胃大網動脈」をキーワードとして医学中央雑誌を検索したところ,会議録を除き185件の報告を認め,このうち上腹部手術症例は53例であった.原疾患は胃癌43例,食道癌2例,胆囊結石・急性胆囊炎4例,総胆管結石2例で,膵頭部癌,膵胆管合流異常症,転移性肝癌,横行結腸癌を1例ずつ認めた.術式は,幽門側胃切除術33例,胃全摘術5例,胆囊摘出術4例,噴門側胃切除術3例,胃部分切除術2例,食道切除術2例,総胆管切石術2例,分流手術,横行結腸切除術,幽門輪温存膵頭十二指腸切除術,肝外側区域切除術が1例ずつであった.すなわち肝胆膵領域の手術症例は計9例認め4)~8),このうち肝切除症例は本症例を含めて2例のみ4)であった.既報の肝切除の1例は,S状結腸癌の肝転移に対する外側区域切除であるが,RGEAグラフトの走行は切離ラインに一致し,肝表面に強固に癒着していたため慎重な剥離を要したが,合併症なく切除可能であったと報告されている.

術前の注意点として心機能・グラフト評価がある.その方法は,冠動脈造影(coronary arteriography;以下,CAGと略記)が一般的で,34例に施行されており,造影CTでの評価は2例のみであった.近年では多列検出器コンピュータ断層撮影(multidetector row CT;以下,MDCTと略記)の有用性が報告されており9)10),CAGに取って代わる検査となりつつある.CAGの合併症を考慮すると,MDCTは患者への負担が少なく安全性の高い検査であり,64列MDCTを用いたグラフト狭窄の診断精度について,Ropersら11)は,sensitivity 100%,specificity 94%,陰性的中率100%,陽性的中率92%と報告している.臼田ら12)は,胃癌術前にMDCTによりグラフトの開存・走行部位を確認しており,手術の安全性の面で有用であったと述べている.その一方で,MDCTのみでは,冠動脈やグラフトの内腔の状態はわかるが,心筋虚血の有無に関する情報は得られないため,心筋シンチグラフィも術前評価に重要な検査である13).本症例では,血行再建の必要性はなかったため,心筋シンチグラフィとMDCTのみで評価しCAGは行わなかった.本症例のような上腹部手術において,グラフトに攣縮や損傷が生じた場合の心筋梗塞の発生リスクをMDCTで予知できるか否かに関する報告はない.本症例では,グラフト損傷による不整脈・急性心筋梗塞に備え,一時的ペースメーカーを挿入し,左大腿動脈からのカニュレーションでIABPの準備を行った.心筋梗塞の発生リスクはRGEA吻合先の冠動脈やその他冠動脈の開存度,RGEAの灌流域などから個々の症例において推測せざるをえなく,循環器科と術前に十分に検討する必要性があると思われる.

術中の注意点として,RGEAの施行方法により,さまざまなケースが考えられる.CABGの際のRGEA挙上方法は,肝前面あるいは背側を通す2方法がある14).多くはCABG時のグラフト周囲からの出血同定の容易さなどから肝前面の挙上を選択している.RGEA処理の方法もskeltonize法,pedicle法の2方法ある.血管周囲に脂肪組織を伴ったpedicle法ではグラフトが術中同定できず,腸間膜血管の処理の際に損傷を来したとの報告がある14).グラフトが腹壁や肝鎌状間膜,肝表面に強固に癒着している場合もあり,開腹時の損傷予防を目的として横切開で開腹した症例15)~17)もある.そのうち1例は腹壁への癒着のために損傷を来しており15),横切開でも開腹時の損傷を完全に回避できるわけではなかった.

上腹部手術53例中,循環器合併症を生じたものは5例(9%)で5)8)18)19),術中発生が3例5)18)19),術後発生が4例であった5)8)18)Table 1).心電図でのST変化が3例,徐脈が2例,心室頻拍が1例で,対処法は,ST低下では血管拡張薬投与,徐脈ではカテコラミン投与やペーシング,心室頻拍では除細動を行ったと報告されていた.合併症予防のために,ほとんどの症例でニコランジルやニトログリセリン投与,パパベリン撒布が行われていた.動脈グラフトは機械的刺激や低温刺激により攣縮を生じやすく,術中に急性心筋梗塞や徐脈性不整脈を発症し,心源性ショックにいたる恐れがある.予防方法としては,血管拡張薬投与やペーシング挿入を行い,さらに循環器合併症のリスクが高い場合には,大腿動脈からperfusion catheterによる冠動脈還流を準備することが,合併症発生時に迅速に対応するためにも適切である20).本症例も周術期にはニコランジルを併用し,さらに術中はなるべくグラフトに触れないよう,肝臓を十分に授動し牽引して肝切離を行った.

Table 1  Cases of abdominal surgery accompanied by cardiovascular complications
No. Author Year Age Sex Reason for CABG Diagnosis Abdominal surgery Signs of ischemia Timing Therapy
1 Tanaka5) 1994 62 M AP* Acute cholecystitis Cholecystectomy ST depression Intraoperative, PD3 Catecholamine and nitroglycerin after operation
2 Sato8) 1998 63 M AP PBMJ*** Biliary diversion chest discomfort, ST elevation in II IIIaVf, elevation of CKMB 8.5 hours after operation
3 Naruse18) 2008 64 M AP Gastric cancer Distal gastrectomy bradycardia, block After operation Dobutamine
4 Naruse18) 2008 76 M AMI** Gastric cancer Distal gastrectomy bradycardia Induction of anesthesia, POD3 Transcutaneous pacing, nicorandil, IABP, DC, ICD
5 Ko19) 2011 74 M AI Gastric cancer Total gastrectomy ST depression in II Intraoperative Nitroglycerin spray, isosorbide

AP*: angina pectoris, AMI**: acute myocardial infarction, PBMJ***: pancreaticobiliary maljunction

RGEAを使用したCABG後の肝外側区域部分切除術において,RGEAの走行部位・開存度,心筋虚血の有無についてMDCTおよび3D画像,心筋シンチグラフィで術前に評価し,安全に手術を施行できたため,報告した.

利益相反:なし

文献
 

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