日本消化器外科学会雑誌
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特別報告
手術絵巻物
佐藤 悠太長尾 成敏
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2020 年 53 巻 3 号 p. 290-298

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Abstract

オペレコとは,皮膚の下に広がる膨大な解剖構造を,外科医がいかに解体・再構築したかを描いた個人情報であり,スケッチが持つ正確性とシェーマが持つ単純性を併せ持った図譜(イラスト)であることが望ましいと考える.また,オペレコを繰り返し描くことで,反復する手術イメージによって経験値が増幅され,知識が整理されてインプット精度の向上に繋がるため,若手外科医の手術手技上達を加速させる最良の手段といえる.著者は,症例ごとに変化する手術内容の「相違点」を抽出することと,実際の現場でのみ体験的習得が可能な「見聞録」を図譜に落とし込むことを意識してオペレコを描いている.今回,医師9年目に執刀した64歳男性の食道癌に対する胸腔鏡下食道切除術症例のオペレコを提示する.

はじめに

オペレコとは,外科医が描く個人情報の図譜(イラスト)であり,手術手技上達に有効な手段であると考える.「相違点」と「見聞録」を意識することで,正確で分かり易いオペレコとなり,これを繰り返し描くことで手術技術の向上に繋がると考える.医師9年目に経験した64歳男性の食道癌症例のオペレコを提示する.

症例

症例:64歳,男性

身長167.6 cm,体重45.0 kg,BMI 16.02.倦怠感と食思不振を主訴に当院を受診した.上部消化管内視鏡検査の結果,多発食道癌と多発残胃癌を認めた(Fig. 1).噴門部癌(T2N0M0,Stage IB)の既往があり9年前に噴門側胃切除術,D1+β郭清,食道残胃吻合術が施行されていた.下部内視鏡検査でS状結腸に結腸膀胱瘻を疑う所見を認め,ファイバーは非通過であった.胆囊腺筋腫症,胆囊結石症も認めた.多発食道癌(T3N1M0,Stage IIIB)に対して胸腔鏡下食道亜全摘術および腹腔鏡下残胃全摘術,3領域郭清,胸骨前経路回結腸再建,血管吻合(右内胸動静脈-回結腸動静脈),S状結腸部分切除術,胆囊摘出術,予防的虫垂切除術,空腸瘻造設術を施行した.手術は腹臥位での胸腔鏡操作から開始し,仰臥位に体位変換した後に頸腹部操作を行った.多発食道癌であり最口側病変の位置確認を目的に術中上部消化管内視鏡検査を,また再建臓器である回結腸のscreeningを目的にS状結腸部分切除後に術中下部消化管内視鏡検査を行った.形成外科医師により顕微鏡下に右内胸動静脈と回結腸動静脈の血管吻合を行った.手術時間は体位変換や術中内視鏡操作,血管吻合操作を全て含めて合計16時間29分,麻酔時間は18時間24分であった.出血量は1,180 mlであった.術後は未抜管のままICUに帰室した.

Fig. 1 

A: Upper gastrointestinal endoscopy (NBI) shows early esophageal cancer 20 cm from the incisor (arrows). B: Upper gastrointestinal endoscopy shows advanced esophageal cancer 32–38 cm from the incisor. C: Upper gastrointestinal endoscopy shows multiple early gastric cancer (arrowheads).

考察

オペレコとは,外科医が描く個人情報の図譜であり,手術手技上達のための有効な手段であると考えている.

オペレコとは,患者の皮膚の下に広がる膨大な解剖構造を,外科医がどのように解体・再構築したかを描くものであり,これは治療に当たる医療従事者が共有すべき個人情報となる.そのため,より実物に近い正確な写生(スケッチ)の要素と,より簡略化され認識しやすい略図(シェーマ)の要素を兼ね備えた図譜(イラスト)であることが望ましいと考える1).消化器外科手術は人間の複雑な解剖を解体し,これを修復して再構築する作業である.建築物の設計図や洋服のパターンと同様に,外科医が描くオペレコは組織のサイズや臓器の配置はもちろん,硬度や質感に至るまで,できるかぎり細部に至るまで正確で写実的であることが望ましい.一方で,患者の診療にあたる医療従事者が共有すべき個人情報となるため,視認性に優れたより概念的なものであることも必要である.つまり,オペレコは,スケッチが持つ正確性とシェーマが持つ単純性を併せ持ったイラストであることが望ましいと考える.

また,繰り返しオペレコを描くという反復作業は,若手外科医の手術手技を上達させる最良の手段であると考える.なぜなら手術を体験してオペレコを描くことで,イメージによる経験値の増幅,知識の整理,インプット精度の向上に繋がるからである.正確にオペレコを描くためには,1回の手術を何度も繰り返し脳内で再生して追体験する必要があり,単回の体験から得られる経験値を増幅させることになる.また,実際に紙上に手術を再現していく中で,理解できていない(描くことのできない)構造を知ることになり,知識が整理される.そして,自分に不足している解剖や知識を集中的に求めるようになり,インプットする情報選択の精度が向上する.

実際オペレコを描く際に,著者は「相違点」と「見聞録」を意識している.「相違点」とは,症例ごとに変化する手術内容の差異を意味している.食道癌手術の場合,腫瘍の局在や浸潤程度,再建臓器や経路によって操作手順は多様に変化する.例えば腫瘍浸潤部の剥離層の選択や,再建操作で意識的に行った工夫など,症例ごとの相違点が少なからず存在する.提示症例では,癌の最浸潤部位とその切除手順を,両側反回神経周囲リンパ節郭清操作の術視野で作画した(Fig. 2).

Fig. 2 

Illustration of lymph node dissection along the recurrent nerves.

「見聞録」とは,実際に自分が見たり聞いたりしたことを絵巻物のようにオペレコに落とし込んでいく作業を意味する.上級医が術中に何気なく呟いたknack & pitfallsであったり,手本とすべき所作であったり,自らで経験した初めての感触であったり,その内容は多種多様であるが,これらは手術現場でのみ体験的習得が可能な知識であり,かけがえのない財産である.提示症例では,回結腸再建時の腸間膜処理の工程と,挙上経路を胸骨後経路から胸骨前経路に変更した部分を,時間経過に沿って作画した(Fig. 3-1, 3-2, 3-3).

Fig. 3-1 

Illustration of the completion gastrectomy, cholecystectomy and ante-sternal colonic reconstruction.

Fig. 3-1 

(Continued.)

Fig. 3-2 

Illustration of the partial sigmoidectomy and presternal colonic interposition.

Fig. 3-3 

Illustration of the reconstruction.

最後に学会や手術書で学んだ膜と層の構造2)や,発生学に基づいた手術理論3)を,「見聞録」として実際の胸腔鏡下食道切除術の胸部操作のイラスト中に落とし込み,実験的な描き方をしたオペレコも合わせて提示する(Fig. 4).

Fig. 4 

Illustration of the thoracoscopic esophagectomy baced on embryology (Experimental drawing).

著者は普段,手術の経時的な進行過程を文章で記述した後に,オペレコを描き,両者を併せて診療録に保存している.描き始めた頃は,術当日の深夜や週末の時間の大半をオペレコ作成に費やし,解剖学書と記憶の間を行ったり来たりする長時間作業であった.しかし,多くの先生方からオペレコ作成は手術手技上達に繋がると教わり,それを信じて描き続け,現在は2時間程度で描き終わるようにしている.もちろん,定型化されたシェーマや作画ツールは日常業務の簡略化において非常に有益であると考える.著者の提示したオペレコは個人的な備忘録の要素も強く,作成時間もかかるうえに,雑多で見づらいと思われる方も多いと推察する.今後は経験の蓄積や作画ツールの活用により,こういった欠点を修正していきたいと考えている.

謝辞 稿を終えるにあたり,第74回日本消化器外科学会総会において,オペレコという日本独自の重要な文化に着目し,特別企画としてスポットライトを当て,著者にこのような発表の機会を与えて頂きました慈恵医科大学の諸先生方に深謝いたします.

利益相反:なし

文献
 

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