1990年代以降,経済のグローバル化と世界を取り巻く農業の環境変化のなか,いかに農業・農村の価値を再び見出すかという課題において農業の多面的機能(Multifunctional Agriculture: MFA)は多くの議論を集めてきた。特に,WTO を中心とする貿易自由化交渉において,農業・農村に対する先進諸国の多額の補助金が国際ルールの削減対象となったことで,MFA はヨーロッパを中心とする農業への保護が必要な諸国に政治的に利用されてきた。本研究は,MFA をめぐる研究が蓄積されてきた英仏語圏の議論を中心に,その登場の背景と諸概念,フィールド研究への応用の点から整理し,その政治的文脈と理論的な背景を明確にすることを目的とした。MFA 論は,1990年代に提唱されたポスト生産主義論との関連のなかで発展してきた。特に生産主義/ポスト生産主義という二項対立や,ポスト生産主義論の抱える概念的な限界性は,MFA 論の拡大へと引き継がれ,理論的・概念的な研究を中心に議論が展開されてきた。一方,ポスト生産主義への批判点ともなっていた実証研究の不足は MFA 論でも同様であり,MFA 論の実践と応用をフィールド研究にいかに位置付けるかを,地理学者 Wilson の概念を中心に論じた。MFA 論の応用においては政策との関わりからその農家への影響を精査し,広い地域的フレームで捉えることが重要といえる。また,今後は地理的スケールや国ごとの政治的文脈の差異に着目し,マクロな文脈とミクロな農家との相互関係の解明が求められる。