薬学教育
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誌上シンポジウム:ろう者・難聴者に対する無意識的なバリアはどこから作られているのか?
高いソーシャルスキルを持つ医療従事者の養成を目指して
―高等教育機関における聴覚障がい学生支援から考える―
中野 聡子
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2021 年 5 巻 論文ID: 2020-072

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抄録

「障害者差別解消法」の施行により,高等教育機関においても,障がいを理由とする不当な差別的取扱いの禁止と合理的配慮の提供が求められるようになった.聴覚障がい学生支援においては,支援人材の不足のみならず,情報の等価性の担保の点でも課題が山積している.また,教育の本質を変えることなく合理的配慮を提供するには,テクニカル・スタンダードの策定が求められるところであるが,これが新たな欠格条項とならぬよう,具体的に専門職として要求されるパフォーマンスを場面ごとに可視化した上で建設的対話を行うことが求められる.医療従事者養成における聴覚障がい学生支援の体制整備を人権保障の義務的視点としてではなく,競争戦略,すなわちダイバーシティとして行うことで,障がいのない学生にとっても多様な患者に対応可能なソーシャルスキルを磨く経験となり,障がいという多様性に対する高いセンシティビティを身に着けることが期待できる.

Abstract

The enactment of the “Act for Eliminating Discrimination Against Persons with Disabilities” in 2016 has led to the prohibition of unfair discriminatory treatment on the grounds of disability and the requirement to provide reasonable accommodation for people with disabilities at higher education institutions. Many challenges, however, exist with providing support for deaf and hard of hearing students besides a lack of support workers, such as ensuring the same access to information as people without disabilities. Furthermore, the development of technical standards is required to provide reasonable accommodation for people with disabilities without changing the essence of education. However, to avoid these technical standards from becoming a new clause for disqualification, constructive dialogue is required based on crystallization of the performance specifically required of professionals in different situations. By establishing a system of support for deaf and hard of hearing students in the training of healthcare professionals as a competitive strategy from a diversity perspective—instead of from the perspective of the obligatory protection of human rights—students without disabilities will be able to hone their social skills for interacting with a wide variety of patients and can be expected to develop strong sensitivity to “diversity.”

はじめに

本稿では,2019年8月24日,25日に開催された第4回日本薬学教育学会大会におけるシンポジウム12「ろう者・難聴者に対する無意識的なバリアはどこから作られているのか?」で行った話題提供をもとに,聴覚障がいのある医療従事者養成教育と支援が,医療に関わる人材養成と現場により良い変化を生じさせうることについて論考する.

ダイバーシティとしての障がい者の重要性

2016年4月に「障害者の差別の解消の推進に関する法律」(障害者差別解消法)が施行された.本法律では,障がいを持つ者が,持たない者と同様に基本的人権を持つ個人として尊厳が重んぜられ,それにふさわしい生活をするための権利を保障することを目的として,「不当な差別的取扱いの禁止」と「合理的配慮の提供」を掲げている.合理的配慮とは,障がい者に生じるさまざまなバリアは社会によって作り出されているとする「社会モデル」の考え方に基づいて,社会的バリアを除去するための調整を行うというものである.高等教育機関においては,不当な差別的取扱いの禁止については国公立,私立を問わず法的義務,合理的配慮の提供については,国公立が法的義務,私立が努力義務となっている.しかし,高等教育機関にとって,障がい者が健常者と同等の教育を保障されるように合理的配慮を提供し,また事前的改善措置を進めることは,義務としての人権保障の視点ではなく,グローバル化が急速に進む社会における競争戦略,すなわちダイバーシティと捉えることもできる.ダイバーシティとは,性別,人種,国籍,宗教,文化,年齢,障がい,生活スタイル,価値観,教育歴,職歴などの多様さを活かして,市場で有利になり,多くの消費者,株主,労働者の支持を受けて経済成長をとげていくための戦略である1).ダイバーシティの本質は,均一・均質性の高い集団内では思いつかないような,多様性が生み出す異なった視点にある.近年,教育現場で推奨されるアクティブラーニングも,さまざまな背景を持つ学生が集まることで,多様な価値観の中で考え,学ぶことができてこそ意味のあるものとなる.高等教育機関においては,多様な背景や経験をもつ人々が在籍することで,これまでにない研究の発想やアイデアが生まれる.また,社会の期待に応え,社会的価値を生みだすことのできる優秀な人材が育成されることで,国際的競争力を高めることができるのである.高等教育機関で養成した医療従事者が働く現場に目をあてても,さまざまな背景や潜在的ニーズをもつ患者に合わせた対応がとれるようにするには,養成段階から多様な物の見方や他者の経験や価値観にふれていくことが必要なのである.そしてそのなかにマイノリティとしての障がい者も含まれるということである.見えない/見えにくい,聞こえない/聞こえにくい,動けない/動きにくい,難しすぎてわからない,言われたことをすぐ忘れる,見通しを持って行動することが難しい,といったような障がいをもつ人々からみえる世界,そしてその世界のなかで生き抜いていくための方策は,そうした経験を持たない人には思いもつかないものであることが多い.従来のステレオタイプな「障がい者=患者,健常者=医療従事者」という役割分担・意識から,障がいを持つ患者にとって利用しやすいと感じられる医療サービスを実現させるには限界がある.

このようにみてくると,医療に従事する障がい者を養成すること,そして障がい者とともに専門職教育課程で学ぶことの重要性は明らかである.

高等教育における聴覚障がい学生支援

障がい学生も,健常学生と同様に,所属大学・学部・学科ごとに設けられている修学の規準(アドミッション・ポリシー,カリキュラム・ポリシー,ディプロマ・ポリシー)を満たす必要がある.障がい学生支援は,障がい学生を特別扱いするのではなく,合理的配慮を行うことで,障がいを持たない学生と同等の教育と評価を受けられるようにすることを目的としている.聴覚障がい学生が健常学生と同等の教育と評価を受けられるようにするための具体的方策として,「情報保障」「テクニカル・スタンダード」をキーワードに考えたい.

1.情報保障

聴覚障がいは,手話通訳や文字通訳などの人的支援を多く必要とする点で,他の障がいに比べて支援コストが高くなる傾向にある.近年,音声認識技術の進歩はめざましいものの,話し手(例:ネイティブかどうか,発音が明瞭かどうか,滑舌がよいかどうか),話し方(例:書き言葉として読んでも意味がわかる話し方かどうか,1人ずつ順番に話しているかどうか),話す内容(例:専門用語が多い),教室内の雑音・騒音などの環境によっては,情報保障として利用困難なものになってしまう.そのため,中等度以上の聴覚障がい学生に対して音声認識を用いる場合は,誤認識の修正や,イントネーション等の非言語要素によって意味が成立する部分を補う入力などに,やはり人的支援が必要となってくる.

聴覚障がい学生支援に割り当てられる予算と情報保障支援に関わる人材養成・確保において,我が国は海外先進国に比して劣悪な状況にある.例えば,厚生労働省の意思疎通支援事業制度2) を利用して,大学の講義に手話通訳者の派遣を要請した場合,A県の謝金基準(手話通訳者1名2時間00分まで11,500円)では,1コマの講義に23,000円かかることになる.意思疎通支援事業実施要綱第19条では,この種の支援にあたる者の健康障害の予防及び健康保持の観点から,支援者人数を考慮するようにされており,90分の講義通訳では手話通訳者が2名必要と判断されるためである.聴覚障がい学生が前期と後期に週15コマずつ講義を履修するとすれば,年間1,0350,000円の手話通訳費用がかかることになる.日本の高等教育機関において,障がい学生1名に対しこれほど予算をつけている大学はほぼ皆無であると思われる.

そのため,授業の形態,内容,本人の希望やニーズによって,手話でないと難しいものにのみ手話通訳者を配置し,その他は手書き,パソコン,音声認識等による文字通訳(ノートテイク)で支援することが多い3).文字通訳の主要な担い手は,日本の場合,同じ大学に所属する学生であることが多い.障がい学生支援担当部署において,講習会等を開催し,学生にノートテイクのノウハウを指導したあと,学生自身が履修する授業以外のコマでノートテイカーとして活動してもらうやり方である.ノートテイカー学生には,その大学の謝金基準に従って謝金が支払われることが多い.

手話通訳にせよ,文字通訳にせよ,大学の情報保障として最大の課題は,通訳者が専門性の高い内容を理解し,適切に手話や文字に変換するという情報の等価性の保持である.手話に関しては,厚生労働省認定資格である手話通訳士の認定試験の受験資格として「20歳以上」という条件が付されているのみである.このことは,手話通訳技術を有しているだけでなく,事前に与えられた資料等をもとに当該専門分野について学べる基礎学力や論理的思考力を持った通訳者を確保するのがいかに難しいかを示唆している.そして,手話通訳における等価性の評価は,当該専門分野の知識と手話スキルの両方を持つ者でないと難しいことから,学習中の聴覚障がい学生にその判断を委ねることになる.文字通訳に関しては,在籍学生をノートテイカーとして利用するのであれば,聴覚障がい学生と同じ学科・専攻とまでは望めなくとも,内容を理解できる基礎学力や論理的思考力の点で一定の担保がなされるうえ,教員や周囲の学生自ら,文字通訳の内容を確認することができるというメリットはある.しかし,「通訳をつけているなら大丈夫なんだろう」と安心してしまい,文字通訳としてどの程度情報の等価性が担保されているのかに注意が払われていないことも多い.話速は,アナウンサーで通常1分あたり300~400文字4) であるのに対して,手書きの速度は70~80文字程度,パソコン入力は120~180文字,熟練者であれば200~250文字とされている5).すなわち,手書きの場合では要約割合が高く,話し言葉の25%ほどしか再現されない.熟練者がパソコンで入力する場合は,全文通訳がほぼ可能となるが,全文通訳には,ブラインドタッチの他,聞いたものを即座に文としてまとめ上げる力,書き言葉と話し言葉の違いを意識した調整力,聞きながら文字を入力するマルチタスク力,一定時間作業を続けられる集中力など,諸々の能力が必要であり6),それらの適性をすべて備えている学生は少ないのが現状である.訓練と経験の積み重ねによってこれらのスキルは伸びていくことが多いが,実際の障がい学生支援の現場では,養成に時間をかけることが難しい,支援人材不足のためスキルが足りなくても現場に出て活動をしてもらわざるをえない,学生はプロの支援者ではないことからそこまで高いスキルを要求することが難しい,といった理由で,情報保障の質を担保するに至っていないことが多い.重度の聴覚障がい学生にとって情報保障は,健常学生と同等の教育を受けるための必須条件であるにも関わらず,手話通訳も文字通訳も,それを実現しているとは言い難い状態にある.

2.テクニカル・スタンダードに基づく支援

テクニカル・スタンダードとは,「専門職が専門職として機能するために必要な,本質的に求められる能力要件を具体的に明示したもの」である.米国をはじめ諸外国では専門職養成課程ごとにテクニカル・スタンダードが示されている.障がい学生に対しては,修学上または社会移行における合理的配慮を受けたうえで達成してもさしつかえないとされており,テクニカル・スタンダードに基づいて合理的配慮の検討が行われている.我が国では,テクニカル・スタンダードが明確に示されているわけではなく,さまざまな基準が集合的にその機能の様相を示しているというのが現状である.学術基準・学術要件(Academic Standards)と技術基準・技術要件(Technical Standards)の区別も明確となっていない7).障がい学生支援の実施にあたっては,教育の本質を変えずに質的な保障を行うことが重要であり,この意味で,テクニカル・スタンダードを策定することによって,入学から教育課程,卒業に至るまで,教育の本質を変えない範囲で合理的配慮を提供することについて建設的対話により検討する際の基盤とすることができる.ただし,留意しなければいけないのはテクニカル・スタンダードが,新たな欠格条項(障がい等の理由で一律に資格や免許を与えないこと)であってはならない,ということである.

聴覚障がい学生の支援においては,実習時に,テクニカル・スタンダードを満たすための必要な合理的配慮とは何か,強く意識されることが多いと考えられる.ありがちな間違いは,既存の基準を絶対し,前例がないことを理由にしたり,旧来の慣習等を偏重することで,聴覚障がい学生が求める合理的配慮を拒否するというものである.また,すべて「自力で」行えなければ専門職としての能力を満たしていないとするのも誤りである.基本的に必要なのはコミュニケーション支援であるが,一律に通訳者を配置する/しない,他の学生の支援を受けるなどとするのではなく,実習で求められるパフォーマンス,実習機関の環境や条件を具体化,可視化して話し合うことで,どういった場面で通訳者をどこまで介在させるのか,学生が自ら行うべきこととの線引き,場面や状況に合わせたさまざまなコミュニケーション方法の選択,といった聴覚障がいとしてテクニカル・スタンダードを満たす方略を建設的に話し合い,支援を調整していくことができる.こうした話し合いを経て実習を経験することは,聴覚障がい学生にとって,卒業後に専門職としてどのように職務に従事するのか,自分の専門職としての力を発揮するにはどのような合理的配慮が必要なのか明確なイメージを持つことができるようになるメリットがある.また,大学の担当者は,学外実習機関と合理的配慮の提供に関して,緊密な連携関係を築き,役割分担や各々ができることを話し合っていく必要がある.例えば,これまで口頭で行っていた工程や作業手順の確認,安全配慮のための慣習を見直し,視覚的にわかりやすく情報の構造化を図ることで,聴覚障がい学生に対する配慮にとどまらず,ヒューマンエラーを防止するといった波及効果が得られることも考えられる.

障がいに対する高いセンシティビティを持った医療従事者の養成

他者と円滑な関係を保持するためのソーシャルスキル8,9) は,多様な背景を持つ不特定多数の人々と接する専門職にとって,高いレベルで求められるものであろう.ソーシャルスキルは,「対人関係の目標を達成するために,言語的・非言語的な対人行動を適切かつ効果的に実行する能力」と定義づけることもできる10)

高等教育において,障がい学生とともに学び,さまざまな経験を重ねることは,障がい理解といった視点を超えて,障がい者を含む多様な人々と円滑に関わるためのソーシャルスキルを磨くことにつながる.必ずしも支援者としてノートテイカーのボランティアを行うなどの活動ができなくてもよい.そもそも,コミュニケーションというものがその場で構成されるメンバー間の相互作用によって成り立つという性質を持つものである以上,聴覚障がい者へのコミュニケーション支援が,聴覚障がい者本人と手話通訳者や文字通訳者との二者間のみで完結できうるものではないのである.先述したように,我が国では,手話通訳・文字通訳ともに,聴覚障がい学生が聞こえる学生と同等の授業を受けられているとは言いがたい情報保障の品質の低さがたびたび発生している.文字通訳のログをみると,そのことを実感する教員は多い.情報保障の不備を補う方法の1つが周囲の配慮である.文字通訳を確認しながら話を進めていく,口頭による説明だけでなく,視覚的にわかりやすい資料を作成してプレゼンをするといったやり方が考えられる.また,グループワークのディスカッションでは,発言が重なると通訳ができなくなる.そして,文字通訳のログをみるとわかることであるが,話しことばをそのまま文字化したものは,主語や目的語が省略されていたり,途中から話題が変わっていたりしていて,イントネーションやポーズ,アイコンタクトなどの非言語的要素抜きでは意味がわからないことが多い.司会を設けて,発言順序を守るようにする,通訳が終わってから次の発言に移る,ホワイトボード等を使ってディスカッションの内容をまとめていく,といった配慮が必要になる.実験では,聞こえる学生の間では,音声のやりとりがなされていつのまにか役割分担が決まっており,聴覚障がい学生は,何をしたらよいかわからずに,ぼーっと立っている,ということもしばしば生じる.「聴覚障がい者は聞こえない,コミュニケーションで困難を持つ」という表面的な理解では,聴覚障がい学生がこのような状況に置かれていることに気づけず,具体的な支援のアクションをとることがなかなかできない.聞こえない他者の視点に立って状況を分析して理解するという,障がいに対する高いセンシティビティを持ち,その場で生じている障がい者のバリアに対して,なすべきアクションを起こすスキルが必要なのである.こうしたことは,話として聞いているだけで身につけられるものではなく,オフィシャル/非オフィシャルなさまざまな場面で,障がい者とともに活動しコミュニケーションをとるといった経験の積み重ねによって習得可能になるものである.

現在,新型コロナウィルス感染症防止を目的とした「新しい生活様式」におけるマスクの使用は,聴覚障がい者にとって意思疎通を困難にさせるものである.日本手話は,日本語とは異なる言語体系を持つ言語であり11),手指だけでなく,顔の表情で示される非手指要素(Non Manual: NM)にも文法的情報が含まれる.このためマスクをしたまま手話をされると,意味がつかめなくなってしまうのである.また,日本語の理解においては,補聴器や人工内耳を使用する場合も含めて,口の形や動きから発話内容を読みとろうとしているため(口話),マスクをされたまま話されると,全く意味がわからなくなるどころか,話していることにすら気づかないこともある.筆者は,重度の聴覚障がいがあり,手話や筆談,口話でコミュニケーションをとっているのだが,医療機関での医療従事者のマスク使用をめぐる対応は,障がいに対するセンシティビティの差だと感じることが多い.マスクをしたままでの話は当然わからないので,筆者の表情は意図せずとも,眉根を寄せて「え? わからない,何?」と非言語的に相手に伝える反応になる.すぐに補聴器をしていることに気づいたり,あるいは「わからない」というこちらの反応だけで聴覚障がいがあることに気づいて筆談をする人もいれば,マスクをつけたまま,もごもごと話し続ける人もいる.筆者が「耳が聞こえないのでマスクをしたままだとわかりません」と言っても,その意味がわからず,結局ずっとマスクをつけたまま話し続けているということもよくある.

また,障がいの概要や主な支援方法を知識として学ぶことは,人間の多様性を概念的に理解するうえで役に立つものの,障がい者とのコミュニケーションで知識が先に立ったステレオタイプな反応をしてしまうと,目の前にいる障がい者が発している感情や心理状態に気づかず,また行動から状況を解読できず,ぎくしゃくしてしまうことがある.筆者が医療機関を利用する際に医療従事者からよく聞かれるのが「口は読めますか?」という質問である.聴覚障がい者には口話ができる人もいる,口話だけでかなり通じる人もいる,といった知識や経験に基づいた質問であると思われるが,このように聞かれるとなんとも言いようのない不快感を覚える.「簡単な話のとき以外口話では難しいので筆談でお願いします」と返すのだが,実は,この質問をする前に,相手は,筆者が同行者と手話で話していたり,具合が悪くてしんどそうだったり,その前の相手とのやりとりで筆者が聞き返したり,何を言っているのかわからないという表情を出していたりするのを目にしていることが多いはずである.そうした状況を読み解けば,わざわざ口話ができるかどうか聞かずとも筆談のほうがより適切な配慮と判断できると思われる.そもそも口話というのは,補聴器や人工内耳をしても音声の聞きとりが明瞭でないような重度の聴覚障がい者にとって,既知の内容や文脈に基づいたやりとりをするときに,こういうことを言っているのだろうとあたりをつけて口を読むと,言っていることがなんとかわかるというたぐいのものである.例えば,「ジェネリック」とは何かを知っていなければ,当然口話は不可能であるし,知っていたとしても,膨大な心的辞書(mental lexicon)から状況や文脈に合わせて「ジェネリック」という言葉を選び出すのは,非常に認知負荷の高い困難な作業なのである.状況や文脈がよくわからない,慣れない場面において,さらには体調不良を伴うときに,この作業を行うことを要求されるのは,聴覚障がいのある患者にとって非常に負担の大きいものなのである.

しかし,すべての聴覚障がい者がそうだというわけではない.聴力障がいの程度が軽度,中等度で,補聴器を活用するとかなり聞き取ることができるので筆談はほぼ不要という人もいる.重度であっても補聴器や人工内耳を使って聞きとり,口話でコミュニケーションをしたい,筆談は面倒,という人や,手話を使うことは悪という価値観のもとで育ってきた人もいる.こうした人たちのなかには,聴覚障がい=手話でコミュニケーションをする人,という対応をされることに不快感を持つ人もいる.

聴覚障がいひとつをとっても,事程左様に一人ひとりの価値観やニーズは異なっているのである.結局のところ,知識は人々の多様性を知るための足がかりでしかなく,実際の関わりのなかで発揮される障がいに対するセンシティビティやソーシャルスキルが,さまざまな患者に対して適切な対応をとるための基盤であるといえる.ソーシャルスキルは,個人が相手に自らの意思を伝えるために行う「記号化(encoding)」,個人が相手の意思を受け取るために行う「解読(decoding)」,コミュニケーション過程において個人内に生じる感情に対処するための「感情統制」の3つの要素10) で構成されている.筆者が示したいくつかの体験エピソードは,「表情やしぐさで相手の思っていることがわかる」,「顔つきから相手の感情を読みとれる」,「話をしているとき,相手の表情のわずかな変化も感じ取れる」,「自分の言葉が相手にどのように受け取られたか察しがつく」,「相手の目を見て,自分が何か不適切なことを言ってしまったことに気がつく」,「初対面でも,少し話をすれば相手がどんな人かだいたいわかる」 10) などといった解読スキルの高さ/低さが,聴覚障がいをもつ筆者とのコミュニケーションを円滑に保持できるかどうかに大きく影響を及ぼしていると言える.もちろん,他者の気持ちを適切に読みとったうえで,どのように自分の意思を伝えるかという記号化において,その障がい者の状況に応じて相手に適切にわかりやすく伝えられるやり方を臨機応変に思いつくといったスキルも問われるであろう.また,「手間がかかる」「他の仕事もあって忙しいのに」「もっと効率的にやりたい」などといった気持ちを抑える感情統制も必要となる.このようなスキルを持っていてこそ,医療従事者と障がいをもつ患者の間で良い関係が築けるのである.このようなソーシャルスキルを磨く現場として,実習場面のみならずオンキャンパスの場が活用されることで,障がいのある学生もない学生も「多様性」に対応できる高いソーシャルスキルを身に着けることができると考えられる.

さいごに

医療に従事する障がい者を養成すべく,そのために必要な支援を講じることには,確かに少なくないコストがかかる.このこと自体は紛れもない事実であるが,それをどのような観点で捉えるのかによって,より豊かな意義を見出すことができる.すなわち,法的義務としての人権保障の視点から,ダイバーシティ対応という戦略的視点へのパラダイム転換である.障がい学生とともに学ぶことは,大学全体の多様性へのセンシティビティ向上に大きく寄与するという視点によってこそ,より積極的に,情報の等価性の保持やテクニカル・スタンダードの策定といった課題に取り組むことができるのではないだろうか.

謝辞

本研究は,令和2年度厚生労働科学研究費補助金(障害者政策総合研究事業)(20GC1014),日本学術振興会科学研究費補助金(挑戦的研究(萌芽)19K21764)(基盤研究(B)(一般)19H01702),日本財団助成事業「学術手話通訳に対応した専門支援者の養成」の助成を受けた.

発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.

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