薬学教育
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誌上シンポジウム:薬学人のアイデンティティを支える研究倫理
望ましい研究のあり方
田中 智之
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2023 年 7 巻 論文ID: 2023-012

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抄録

競争的資金の申請資格となったこともあり,研究倫理講習は研究者にとって身近な存在となっている.また,生物医学研究を実施するにあたって有用な研究倫理教材も多数提供されている.一方で,研究不正の発覚は後を絶たない.人類の知を拡大したい,新たな治療法を開発したいというモチベーションをもつ研究者にとって不正行為には価値がないことを考えると,そうしたモチベーションを歪める要素が研究環境にあると考えられる.競争的な研究環境がもたらす研究評価の変質,ライフサイエンス研究に内在する問題点は研究不正を誘発する要因となることがある.社会学者のMertonにより提唱された科学者の行動規範(共有性,普遍性,無私性,懐疑主義)は,健全な研究活動に立ち返る上で有用な理念である.専門家として社会に貢献することが求められている研究者が,Merton的規範をもつことは,社会からの信頼を得る上で極めて重要である.

Abstract

Research integrity programs have become a familiar part of the research practice, as it has become a requirement for competitive funding applications. There are also many research integrity materials available that are useful in conducting biomedical research. On the other hand, we have continuous cases of research misconduct. Considering that research misconduct has no value for researchers who are motivated to expand human knowledge and develop new therapeutic approaches, a certain kind of research environment might distort such motivation. The changes in research assessment brought about by a competitive research climate and the problems inherent in life science research could induce research misconduct. The scientific norms proposed by a sociologist, Merton (communism, universalism, disinterestedness, and organized skepticism) is an important philosophy to reacknowledge good research practice. It is crucial for researchers, who are expected to contribute to society as professionals, to have Mertonian norms in order to gain the trust of society.

はじめに

文部科学省による推奨に加えて,科学技術振興機構(JST),日本学術振興会(JSPS),日本医療研究開発機構(AMED)といった資金配分機関が競争的資金の申請資格のひとつとして受講を求めていることから,e-ラーニングを中心に研究者が研究倫理について学ぶ機会は飛躍的に増大している.これらの機関が共同して運営している研究公正ポータルというwebサイト1) で確認することができるが,JSPSはeL CoREというオンライン教材2) を無償で提供しており,民間の公正研究推進協会(APRIN)ではさらに詳細で充実したオンライン教材3) を利用することができる.医学研究に特化したものについては,AMEDの研究公正高度化モデル開発支援事業において多数の教材が公開されている4).このように,研究倫理について学ぶためのリソースは近年豊かなものとなっている.一方,これらが十分に活用されるためには,個々の研究者が研究公正の重要性を認識することが重要である.

米国には研究公正を推進する公的組織のひとつとして研究公正局(Office of Research Integrity, ORI)があるが,その設立において重要な役割を担った科学史研究者のSteneckは研究倫理(Research Ethics)と研究公正(Research Integrity)を区別し,前者ではモラルに焦点があることに対して,後者では専門家としての規範が重視されることを強調している5).研究倫理講習が受講者に退屈という印象を与えることがあるのは,行動の善悪,モラルの問題が直接取り扱われるときに「そんなことは言われなくても分かっている」という反応を呼び起こしやすいからかもしれない.人類の知を拡大したい(誰も知らないことを解き明かしたい),あるいは治療法のない疾患を克服したいといった動機を最優先している研究者にとって研究不正は何の意味もない行為であるが,実際には不正行為に及ぶ研究者が少なからず存在する.このことは,もともと研究者が持っている動機やモラルを後回しにさせるような制約が研究環境には存在していることを示唆している.例えば,任期付きの研究者が次のポストを獲得するためには任期中に早めに成果をまとめていく必要があり,研究成果を丁寧に検証するよりはむしろ学術誌への投稿を急ぐという傾向がある.何が研究者の倫理的な判断を歪めているのかを具体的な事例から知ることは重要である.また,研究公正については,研究者の専門家としての責任,行動規範についての認識を深めることが大切である.理化学研究所のSTAP細胞事件6) では,若手研究者が「やってはいけないという認識がなかった」と反省の弁を述べたが,研究者として活動する上で求められる知識や態度を欠いたままで研究を始めることは危険である.2000年に発覚した旧石器捏造事件7) では,アマチュア考古学者が自ら事前に埋めた石器を掘り起こすことで教科書を書き換えるような大発見を偽装していた.長い間,そのような単純な偽装が看過されてきたのは,周辺の考古学者が,周囲からの疑問の声を無視し,専門家としての検証を怠っていたからである.疑わしい研究に対して同じ分野の研究者が疑義を呈すること,またその疑義に対して誠実に対応することは,外部からの点検が難しい学術研究の健全性を保つための主要な手段である.

医学研究における不正

医学研究,特に臨床研究では,人が対象となることから,様々な側面から倫理的配慮が求められる.ヘルシンキ宣言8) は臨床研究の指針としてもっともよく知られたものであるが,繰り返しアップデートされており,動物実験を含む医学研究の広範な活動がカバーされている.ヘルシンキ宣言の源流には,第二次世界大戦中にドイツにおいて実施された非人道的な臨床研究に対する反省があり,被験者(患者)の保護をめぐる議論の成果が結実している.一方で,戦勝国であったアメリカでは非人道的な臨床研究には関心がはらわれていなかった.1966年のBeecherによる複数の実例の報告9) が引き金となって被験者の人権問題に注目が集まり,1979年にベルモント・レポートとして臨床研究のガイドラインが策定されている10).日本においても731部隊と呼ばれた組織(関東軍防疫給水部)が中国において大規模な人体実験を実施したが,その事実を示す資料は長期間隠匿されており,近年アメリカの公文書の公開などを通じて次第にその実態が明らかにされるようになった11).ドイツとは異なり人体実験に関与した軍医らが訴追されることはなく,むしろ戦後も医学領域において活躍したことから,731部隊による人体実験という歴史をふまえた議論は今なお低調である.

2020年に発覚した国立循環器病センター,大阪大学の研究不正事件は,基礎,臨床双方で不正行為が認定され,それらに基づいて実施されていた臨床試験が中止された12).2017年12月に研究不正の申立書が提出されてから,2020年6月に臨床試験についての対応が審議されるまでに2年半が経過しており,肺がん患者である被験者の保護が適切であったとはいうことは難しい.先進医療としての支援を検討する会議では,作用機序を裏付ける基礎研究の論文が有名学術誌に採択されたことが最終的に臨床試験にゴーサインが出る上で大きな役割を果たしたが,この論文は発表の翌年の2017年にはPubPeerというwebサイトで疑わしい点が多数指摘されていた13).PubPeerは学術誌に採択された論文について議論するweb掲示板であり,疑義の投稿が認められていることから,しばしば研究不正の告発が行われる場でもある.著者らはこの指摘を受け,論文を訂正しているが,6頁の論文に対して4頁の訂正が認められたことから,Retraction Watchというwebサイトにおいて,出版社の倫理観の欠如の例として取り上げられている14).Retraction Watchは疑義が生じた論文の背景を取材するメディアであり,撤回論文のデータベースを持ち,研究公正の推進に大きな貢献をしている.こうした外部からの指摘がある段階で,このプロジェクトに関わる研究チームの活動全体が速やかに精査されていれば,より早く不正が発覚したことと思われるが,実際にはその対応は鈍いものであった.研究不正で得た結果に基づいて提唱された仮説を臨床試験として被験者の協力を募って検証するという行為には明らかに倫理的な問題があるが,残念ながら強い危機感を訴える関係者は見あたらず,被験者の不利益に言及するメディアは少なかった.

Retraction Watchは撤回論文の多い研究者のランキングを掲載しているが,Top 10の約半数が日本の医学研究者である15).日本発の論文の国際的なシェアを考慮すればその比率は明らかに高いことから,日本独自の問題があることが推察される.この中で,近年最も注目された事件は,Science誌上で「Tide of Lies(嘘の大波)」という見出しで報道されたものである16).被験者を募集することが困難な稀少疾患の臨床研究を短期間に完了しているといった点を不審に感じた海外の研究者が,疑義について告発を行った.研究機関による調査の結果,ほぼ全ての論文が架空の研究であることが明らかとなった.調査委員会は研究内容に責任をもつのは被告発者の一人のみであり,当時の弘前大学学長をはじめ共著者は全てギフトオーサーで,研究内容には責任を持たないとした.告発者らは,これらの捏造論文がひとつの論文として問題があるだけではなく,メタ解析やシステマティックレビューの信頼性を毀損していることも指摘している.日本骨粗鬆症学会は,骨粗鬆症の治療ガイドラインにこの事件で撤回された論文を複数引用しているが,治療ガイドラインの修正を行わず,事件についても沈黙を続けている.即ち,既に撤回されている捏造研究に基づいた治療が今も行われている可能性が否定できないのである.

研究評価の問題

冒頭でふれたように,研究者が本来もっているモチベーションに基づいて自由に研究を進めている場合には,研究不正の頻度は低くなることが予想される.研究環境の変化は研究者の姿勢に影響を与えるが,研究不正の数を増加させる変化とはどのようなものだろうか.近年,日本では「選択と集中」というかけ声のもと,公的研究資金の配分は基盤的研究費から競争的資金へとシフトした.研究者を競争させれば良い成果が得られるという発想は受け入れやすいものではあったが,残念ながら「選択と集中」はむしろ近年の研究力の低下の要因のひとつと考えられている17).基盤的研究費の削減と競争的資金の増加は,競争的資金への申請者数の急激な増大をもたらし,審査にかける時間が不十分という状況が慢性化するようになった.また,資金配分機関からはピア・レビュー(同じ分野の専門家による審査)における公正性を保証することが求められるようになった.その結果,論文数や引用数,メディアへの露出回数といった数値評価(メトリクス)が審査において重要視されるようになった.メトリクスの中で一番有名なものが,インパクトファクター(Journal Impact Factor, JIF)である.IFとも略されるが,過去2年の掲載論文が3年目に引用された数を過去2年の掲載論文数で割ったものを指し,学術誌に掲載された論文が直近にどの程度引用されたかを示している.ひとつの論文の評価として,その論文が掲載された学術誌のJIFを代替指標として用いることは誤りであるが,学術誌の格付けをもって研究成果を数値評価することは一般的な慣行となっている.研究不正や疑わしい研究活動(Questionable Research Practice, QRP)のほとんどは,メトリクスを大きくする効果を有している(表1)ことから,メトリクス偏重の研究評価は研究公正に大きな影響を与えると考えられる.経済学ではGoodhartの法則18) として,評価指標そのものを対象としたハッキングが生じるせいで指標の価値が失われてしまうことが指摘されているが,ライフサイエンスではJIFは種々のハッキング行為の対象となっている.「研究評価に関するサンフランシスコ宣言(DORA)」ではJIFを研究評価に用いないことを署名者に求めており19),日本でも生物科学学会連合をはじめいくつかの組織が署名している.2015年にはNature誌においてライデン声明が発表され20),研究評価におけるピア・レビューの重要性,特に定性的な評価を優先することが推奨されている.

表1 研究不正および疑わしい研究活動とメトリクスとの関係
研究不正 効果
捏造 論文数↑ JIF↑
改竄 論文数↑ JIF↑
盗用 論文数↑
疑わしい研究活動 効果
ギフトオーサー 論文数↑
多重投稿 論文数↑
サラミ投稿 論文数↑
Paper Mill注1)の利用 論文数↑
査読偽装 論文数↑ 引用数↑
粉飾(Spin)注2) メディアへの露出↑
誇大広告(Hype)注3) メディアへの露出↑

注1)有償で架空の研究論文の作成を請け負う組織.

注2)臨床研究において主要なエンドポイントにおいて差が認められなかった際に,サブグループ解析の結果や二次エンドポイントにおける差を強調すること.

注3)研究成果をプレスリリース等で公表する際に,得られた知見を拡大解釈すること,あるいは部分的に切り取ることによって印象づけること.

競争的資金制度のほとんどでは一定の研究期間が設定されているため,有期雇用の博士研究者が増加し,短期間での成果が求められるようになった.性急な成果報告は,研究コミュニティにマイナスの影響を与える.一例をあげると,ドパミン受容体遺伝子の多型とアルコール依存症との相関関係を示す研究は,JIFの大きな学術誌に掲載され注目を集めた.その後の追試はしばらくは有名な学術誌で取り上げられたものの,追試の数が増えるに従い,効果量は次第に小さなものとなり,掲載される学術誌もJIFの小さなものへと移っていった.そして,最終的には,両者の相関は極めて弱い,あるいはないということが明らかとなった21).このケースでは第一報は研究不正というわけではないが,同様の大きさの効果量は一度も再現されず,たまたま得られた偽陽性のデータを十分な吟味を行わないまま報告してしまった可能性が考えられる.こうした現象のことをDecline effectというが,検証不十分なまま魅力的な発見を報告してしまうと,後続の研究が歪められてしまう.即ち,最初の論文が注目を集めなければ,多数の追試が行われることはなく,そのためのリソースは異なる研究にあてられたと考えられる.拙速な科学研究がもたらす弊害に対して,Slow Scienceの価値を訴える活動がある.研究者は熟慮し,結果を消化するための時間をもつべきであり,また社会もその猶予を研究者に与えるべきという考え方である22)

ライフサイエンス研究の特徴

ライフサイエンス領域では研究不正事件が数多く報告されているが,一方で当該領域は研究者数も比較的多い.研究公正を推進する上で障害となりそうなライフサイエンス研究の特徴とはどのようなものだろうか.Harrisによる著作,Rigor Mortis(「生命科学クライシス」23) )では,ライフサイエンス研究の「再現性の危機」が詳述されている.バイエルやアムジェンといった製薬企業が,創薬におけるマイルストーンとされている重要基礎論文の再現性を確認したところ,成果が再現されたものは全体の10~20%であった24,25).生物学研究は物理学や化学の研究とは異なり,実験条件を精密にコントロールすることが困難であり,生物個体間の相違に由来するデータのバラツキも考慮する必要がある.そのため,他の実験科学と比較すると,ライフサイエンス研究者は実験結果間の齟齬や矛盾について厳しい姿勢を取らないことが多い.再現性がないことについて研究者が比較的寛容であるために,ライフサイエンス領域において研究不正,あるいはQRPが看過されやすいという可能性はあるだろう.

薬学研究者が医学研究に参加する際に注意すべき陥穽として,探索的研究(Exploratory research)と検証的研究(Confirmatory research)の相違をあげることができる26).従来の薬学部において実施されてきた実験科学のほとんどは探索的研究に分類されるものであり,そこでは指導者のもと,根拠が十分ではない弱い仮説を立て,これを検証するために実験を行う.得られた結果は仮説にそぐわないものもあるために,その都度仮説を修正,場合によっては完全に破棄するといった過程を経て,ある程度検証にたえる仮説に辿り着く.こうした探索的研究は,新たな知見を見いだすためには欠かせない研究活動であるが,一方で様々な実験を実施してその結果を知った上で仮説を組み立てるという「後出し」の過程があるために,その仮説がどの程度確からしいかは,後続する研究を通じて検証されなければならない.一方で,検証的研究は「この化合物は標的疾患による死亡率を低下させるか否か」といったひとつの命題を検証するものであり,成果は二択である.一般には統計学的に仮説の可否が検定できるように実験計画を立て,データの解析,検定手法なども予め決めておく.検証的研究を実施しているにもかかわらず,研究の途中で計画を変更することは研究不正に相当する.近年,臨床における検証的研究では,研究開始以前に研究計画を公開しておく事前登録制度が推奨されており,事前登録をしていない臨床研究については審査対象としない学術誌もある.

研究者の行動規範

1942年に社会学者のMertonが提唱した科学者の行動規範は以下に述べる4つの理念から構成されている27).これらは頭文字をとってCUDOSと呼ばれているが,科学研究における理想を述べたものであり,物理学者のZimanが議論したように現代の科学研究のあり方とは一定の距離がある28)図1).しかし,現代の科学研究の歪みがどこにあるかを考える上で,こうした規範に立ち返ることには意味があるといえるだろう.

図1

CUDOSと対立する現代の科学研究の課題

1. 共有性(Communism):科学研究によって得られた成果は,研究コミュニティ全体で共有する.

科学研究の黎明期では研究者の数は少なく,成果を共有することにより科学研究を前進させることの重要性が意識されていた.一方,競争的環境が強化されるに従い,重要な実験手法の公開や,実験試料の共有が行われないという傾向が強まった.また,特許制度はその制度自身が共有性を損なう性格を持っている.いわゆるネガティブデータが報告されずにお蔵入りする問題は,出版バイアス,あるいはFile Drawer問題として,特に医学研究に深刻な悪影響を与えている29).科学研究が分断されることのデメリットに対する危機感から,近年オープンサイエンス(Open science)の実践が推奨されるようになっている30)

2. 普遍性(Universalism):科学研究においては,研究者の属性とその研究の価値とは独立している.

研究不正が起こる研究室では,研究主宰者(教授やチームリーダー)が絶対的な権力をふるい,異論を封じたり,あるいは自らの仮説を構成員に押しつけたりするといったアカデミックハラスメントがしばしば認められる.「風通しが良い」という表現が用いられるが,研究に関する議論においては論者の職位や立場に影響されないフラットな姿勢をもつことが大切である.近年,ジェンダーバイアスの問題が注目を集めているが,優れた研究を実践する上では多様性のあるチームが有利であるという報告がある31)

3. 無私性(Disinterestedness):科学研究は人類の知を拡大するために行われており,経済的な利得や名声のためではない.

米国のバイ・ドール法をはじめ,先進国では政府が支援する科学研究の成果を事業化することが国策として積極的に進められるようになっており,国内でも産業技術力強化法を通じて大学や公的研究機関の成果を事業化することがひとつの目標となっている32).こうした状況において経済的な利得を度外視することは難しいが,経済的な問題の優先はしばしば不適切な研究活動が起こる要因となる.特に利益相反の管理は現代の研究活動においては極めて重要であるが,その理解は不十分であり,適切に配慮されないこともある.

近年の過度に競争的な研究環境は,研究資金や,次の任期付きポストを得るための研究活動を促す傾向がある.無私性の実現には,研究環境における「ゆとり」を削りすぎないように注意を払う必要があり,スローサイエンスの考え方が注目を集めている.

4. 懐疑主義(Organized Skepticism):報告された知見は誤りかもしれないという懐疑的な姿勢を維持する.

科学研究の発展において懐疑主義は大きな役割を果たしてきた.研究者は,仮説を立て,検証し,発表するというプロセスの全てを支配する立場にある.即ち,その過程の誤りや不正を部外者が検証することは極めて難しい.よって合理的な疑義が唱えられたときに説明責任があるのはその研究を実施した側である.研究不正の告発は,名誉毀損や威力業務妨害といった法的措置を通じて逆襲を受けることがあるが,そうした対抗手段は,疑われた研究者が研究活動の本質を理解していないことを示すものである.

Zimanの議論は,現代の科学研究にはCUDOSと対立する要素が含まれているというものであったが,Ziman自身の結論はCUDOS的な価値観を重視するものである.最近,科学技術振興機構により公開された映像教材「倫理の空白」では,大学と企業との共同研究という枠組みの中でグレーな研究活動が不正へと変わる瞬間が描かれている33) が,こうした状況では,個々の研究者にCUDOS的な規範がどの程度ビルトインされているかが試される.

2017年に米国のアカデミーが公開した「Fostering Integrity in Research」では,研究者が重視するべき価値観として,①客観性Objectivity,②誠実さHonesty,③開かれた態度Openness,④説明責任Accountability,⑤公正性Fairness,⑥管理責任Stewardshipがあげられているが,特に「誠実さ」が他の全ての価値観の根底にあるものとして強調されている34).公開されている不正事件の報告書を教材として,どの価値観が損なわれてしまったのかを共同研究者と議論するといったことも研究公正を考える上で有用である.

健全な研究活動とは

日常の研究活動において私たちはどのようなことを心がけるべきだろうか.ここではいくつか具体的な実践をあげてみたい.

1. 適切に実験記録を作成する

ライフサイエンスにおいて再現性が悪い理由として,実験条件が多く複雑であること,試薬や細胞,実験動物の一貫性を維持することが難しいことなどがあげられる.そのため,近年では使用した試薬や実験手法について詳細な記述を求める学術誌が増えている.研究室でラボノートを統一し,時系列に沿って研究活動を記録すること,ラボノートは個人ではなく研究室で管理するといったルールを徹底することが望ましい.実験記録が充実することによって,研究室内で得られるデータの再現性が向上するという効果も期待できる.また,不正の疑義が生じたときに,実験者が適切な研究活動をしていたことを証明するのは実験記録である.

2. 研究に関する議論はオープンに行う

大学では教育という側面があるために誤魔化されてしまうことがあるが,研究に関する議論ではお互いの立場は同等であるという原則を意識することが望ましい.言葉足らずの説明で押さえこむのではなく,丁寧な議論を心がけることは研究室のレベルアップにも寄与する.研究室におけるセミナーでは,ノートや生データを開示しながら議論を行う方が良い.エクセルで整理されたグラフのみで議論していたために,不正が見抜けなかった,あるいは共同研究者の間違いを見過ごしてしまったという事例もある.個別に実験報告を求めることを好む研究者もいるが,閉鎖的な環境での対話はハラスメントの温床であり,複数の共同研究者により議論が共有されるような環境が望ましい.

3. 期限付きの研究活動に内在するリスクを知る

研究活動には,学生・大学院生の卒業・修了,学位申請,大型研究プロジェクト,研究機関の中期計画,博士研究員の雇用期限,研究者自身の任期といった様々な期限付きのイベントが含まれる.産学官連携では,しばしば半期,四半期でマイルストーンが設定され,達成できないプロジェクトは打ち切られることがある.多角的な検討や,再現性の検証のために無制限に時間をかけるわけにはいかない状況において,「嬉しい」データの出現は研究者にとって危ない落とし穴になる可能性がある.意図的な不正でない場合も,結果として検証不十分なデータが表に出てしまうことの弊害は大きい.再現できないデータが一人歩きすることによって,後戻りができず,結果的に不正行為をせざるを得ないといった事例もある.

時間がないという状況は,仮説に反する結果や,予想外の発見のもつ意義を見過ごすことにもつながる.スローサイエンスのアイデアについて紹介したが,時間に追われる研究活動の増加はイノベーションを阻害する要因のひとつでもある.

社会における専門家の役割

論文や学会発表といった成果の報告は,研究コミュニティ内で情報共有を行うことが目的である.再現性の検証を目的とする場合を除けば,研究者は未解明の問題に取り組むことを優先するため,新しい成果をいち早く知ることは,重複した研究課題に取り組むことを避ける上で役に立つ.一方,近年では研究成果の共有は研究コミュニティ内部に向けたものだけではなく,社会への発信もあわせて求められるようになった.大学における研究の原資のかなりの割合は公的資金であり,研究活動には社会に対する説明責任が伴う.大学をはじめとして,公的資金により支援されている研究機関は,積極的にプレスリリースなどを通じて成果を発信するようになった.このときに注意が必要なことは,誇大広告である.よくある例としては,ある化合物が治療効果をもつことがマウスモデルで明らかになったことをプレスリリースする際に,ヒトを対象とした治療法の確立が間近であるように期待を煽るケースがある.実際には,臨床試験の段階までたどり着くものは僅かであり,さらにそこから治験をクリアして医薬品になるという確率は極めて低い.社会に向けたプレスリリースとして徒に期待感を煽るようなものは不適切である.

研究者は専門家として社会から意見が求められることがある.社会学者であるCollinsらは社会における専門知の活用について議論している35).Collinsらは社会問題の解決にあたって助言を求めるべきなのは,その問題について深く研究している専門家であって,不案内な素人ではないことを改めて確認している.狂牛病が発生したときのイギリスの対応のように,専門家が判断を間違えるということもあるものの,ほとんどの場合において専門家の意見を尊重することで大きな失敗を避けることができる.社会から信頼される専門家であるためには,自らの専門とする範囲の中で誠実な発信を行うことが大切である.専門外の問題について憶測を述べることや,個人的な希望的観測を専門的な知見に織り交ぜて発言することなどは避けなければいけない.科学的な正確性に重きをおけば,投げかけられた問いに対して断定的に回答することは難しくなるが,そのことを怖れてはいけないのである.Collinsらは専門家がCUDOS的姿勢をもつことを表明することが,専門家が社会から信頼を得る上で重要であることを指摘している.

おわりに

近年,研究環境はより競争的で厳しいものとなっているが,一方で研究が私たちを引きつける魅力は変わることはない.研究活動において原点となるモチベーションが損なわれていると感じたときには,その理由を分析し,適切に対応することが大切である.本稿の内容がそうした場面で役立つことがあれば幸いである.

発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.

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