薬学教育
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総説
学生のアイデンティティ発達に大学はどこまで関われるのか
―学生支援の観点から―
内田 尚宏苫米地 憲昭渡辺 由紀吉永 真理
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2023 年 7 巻 論文ID: 2023-022

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抄録

従来,青年期の人格形成にとって,発達の観点からアイデンティティが注目されていた.それは,薬学教育においても例外ではない.高等教育機関にとって学生の人格形成支援は大きな役割の一つであり,社会からは学生に対してアイデンティティの視点から総合的な援助を行うことが求められている.本シンポジウムは「学生のアイデンティティ発達に大学はどこまで関われるのか」というタイトルで,大学が教育的な学生支援としてアイデンティティをどうとらえればいいか検討した上で,学生との向き合い方について,学生支援の現場にいる専門家に発表してもらい議論を深めた.そこでは,主体性の視点,自己受容,気づきのプロセスに寄り添う,関わり続ける,安全な空間と時間を作り上げることの重要性が指摘された.議論のなかで,支援者は主体性を育む方法を模索し,自身が安心して振り返る機会を提供し,その方法を模索し続けていく必要性が確認された.

Abstract

Conventionally, identity has been a prominent focus in the context of personality development during adolescence, and this holds true for pharmaceutical education as well. For higher education institutions, supporting students’ character formation plays a significant role, and society expects comprehensive assistance to be provided to students from an identity perspective. This symposium, titled “To what extent can universities be involved in students’ identity development?” primarily examined how universities should perceive identity in student support settings from an educational standpoint. Following presentations by experts actively engaged in student support, the symposium delved into discussions regarding the approach to engaging with students. During the discussions, the importance of adopting a perspective of agency, self-acceptance, and being attuned to the process of self-awareness, as well as the significance of continuous involvement and creating a safe space and time, were highlighted. Within the discourse, it was recognized that there is a challenge to provide assistance that helps individuals navigate both possibilities and realities, continuously explore ways to foster agency, engage in reciprocal recognition, provide opportunities for individuals to reflect with a sense of security, and the ongoing necessity for support providers to continue their exploration.

緒言(内田尚宏)

第7回日本薬学教育学会大会のテーマが「薬学人のアイデンティティを探る~自己実現を志向する薬学教育~」ということで,主に学生相談などで学生支援に関わっている立場から,「学生のアイデンティティ発達に大学はどこまで関われるのか~学生支援の観点から~」というテーマでシンポジウムを開催した.

「アイデンティティ」という言葉は,便利な言葉として,世界的に多くの人から多くの場面で用いられている.心理学以外に,哲学,社会学,文化人類学,教育学,経済学,文学や音楽などの芸術にも広がっている言葉である.筆者が行っている講義で学生にアンケートを取ると,アイデンティティという言葉を知らない・聞いたことがないと答える学生はここ数年皆無であり,いつ聞いた・知ったのかをと聞くと,以前は高校でという回答が多かったが最近は中学の時が多い.また,好きなアーティストが使っていたことを挙げる学生が相当数いるなど,かなり身近で年少から耳にしていることがわかる.

「identity」の日本語訳としては「自我同一性」や「自己同一性」が当てられることが多いが,そのまま「アイデンティティ」と表現されることが一般的になっている.おそらく意味が多義的なため,日本語訳だと内容が伝わりにくいだからと思われる.日本語訳の「同一」には,自他ともに認める一体感や統一感のようなまとまりのある「統合された」自己像がイメージされるが,「identity」の意味にはそれに加えて,生涯を通して様々なcrisis(危機)に直面し,そのたびごとにアイデンティティが問い直されていくものと考えられ時間的な広がりがある.

ところで,人が発達していく過程において重要な「アイデンティティ」という概念を提唱したエリクソンは,「IDENTITY’S ARCHITECT」とも呼ばれ,アイデンティティという言葉を用いて人のライフサイクルの重要な一面を描写した.エリクソンはライフサイクル理論の中で,青年期における発達課題としてアイデンティティの確立を挙げ,自分が何者であるかを知り,自己を見定めていく過程を取り上げているが,前述のようにその過程においては様々な危機や岐路が生じると述べている.それは,大学生の課題とも重なり,かねてより学生支援にとって重要な視座を与えていたが,現代においてもその点では変わらない面が多いと思われる.また,エリクソンは,アイデンティティについて明確な定義はしなかったものの,アイデンティティは「感覚」であり,自分自身の斉一性(sameness),時間的な連続性(continuity)を直接知覚し,そのどちらも他者が認めているという事実を自身が自覚していることと説明している.

つまり,アイデンティティは,個人のライフサイクルの過程で様々な危機や岐路が生じる中で,社会や他者との関わりがより重要であると考えられていると言える.特に青年期には職業選択という大きな岐路がある.この大きな決断の際,少なからず精神的な混乱が生じ,また社会からの影響も無視できない.現代の学生は従来と比較し,どのような背景をもち,アイデンティティに関してどのような課題を抱えていると言えるのだろうか.かつてのような葛藤はなくなっている,あるいはもっと先に生じるとする研究者もいる.教育に関わる者全てが,考えておく必要があると考えられる.

薬学部学生は,卒業後,医療に関する専門職や研究・開発職に就く学生が多い.その点で,入学時には既に卒業後の方向性が限定され,職業を意識しながら学生生活を過ごしていると言える.それが学生たちにどのような影響をもたらしているか.教育は学生ごとに個性に応じた多様な内容にすべきものとはいえ,どうしても一律で画一的な指導を行わざるをえない場面も多いのが現実がある.

ところで,学生支援について,大学においてはサービスとしてではなく,教育機関として果たすべき当然の役割である.それは,廣中レポート(1999年:文部省中央教育審議会)や苫米地レポート(2007年:日本学生支援機構)に述べられているように言を俟たない.そこで,大学が教育機関として学生にどのような支援を行うことが求められているのか,その現代的な課題とは何かを探るのが本シンポジウムの中心的テーマである.

そこで,本シンポジウムでは,いずれも臨床心理士資格を持ち現場経験や実務に深い関わりのある先生方にそれぞれの立場から講演をお願いした上で,薬学部生のアイデンティティについての理解を深めつつ,実際的にどのように支援的に関われるかを考えてみたい.

まず初めに,長年学生相談で学生からの様々な相談を受け,彼らに関する考察も数多く書かれている苫米地憲昭先生に,学生にとってのアイデンティティの意味やその視点での支援の意義について,事例を交えながら概説してもらう.

次に,現在,実際に薬学部の学生の相談を受けながら,他に病院や刑務所など他施設での相談の経験もある渡辺由紀先生に,薬学部学生の印象や相談の特徴から事例を交え薬学部生のアイデンティティについての考えを示してもらった.

3番目に学生相談の実際を知りつつ教員でもある立場から吉永真理先生に,組織的・体系的な教育と個別支援の文脈でアイデンティティをどう支えてきたのか具体例をもとに提示してもらった.なお,吉永先生には司会も務めていただいた.

それらを踏まえて,薬学部において学生支援はどう位置付けられるのか,アイデンティティ発達を支援する必要性やその方法は何かという観点について,質疑に応じていく.

アイデンティティとは何か(苫米地憲昭)

アイデンティティとは何かについて,私なりの理解をお話ししたい.また,アイデンティティの視点を持つことが,学生の相談を受けていく際に有用であることを述べてみたい.

1969年に,私が大学院に入学した頃,図書館の書架にあったE・H・エリクソン著『主体性(アイデンティティ)青年と危機』という本が目に止まった.当時大学紛争の最中であちこちの大学キャンパスで大きな渦ができていた.学生たちは,運動に参加するか否かに拘らず,いかに主体的であるかを突きつけられていたので,「主体性」という文字が目に焼きついたのだと思う.以来アイデンティティという言葉をしばしば目にするようになった.しかしなかなか実感として掴みにくい言葉であった.ある時,書家の相田みつを氏の「自分が自分にならないで誰が自分になる」という言葉がストンと自分の中に入ってくる体験をしたことがある.私自身,自分についてある気づきを得た時だったので,抵抗なく入ってきたのだと思う.その時,これはアイデンティティを示していると思った.もう一つ,ずいぶん後になってだがイギリスの精神科医R.D.レインの「自己のアイデンティティとは,自分が何者であるかを,自己に語って聞かせる物語(ストーリー)であり,人生とは,自分を組み立てている物語を一度ならず語りなおしてゆくプロセスである」という言葉を知った時,やはりそうなんだ,と思った.アイデンティティにはこれで完成ということはないのだと納得することができた.エリクソンが青年期の課題としてアイデンティティを挙げたのは,青年期の中心的課題であると言っているのであって,それはもっと早期から始まっているし,一生続くものだと言っているのだと思った.

アイデンティティは「自分が何者であるのか」「何になりたいのか」を問う.その際に,どんな職業を選んでいくかは,自分を認識するうえで大きな位置を占める.しかし職業を選んだからと言って,それだけではアイデンティティを達成したことにはならない.その職業が自分で天職と思えること,そして社会的にも承認されているという実感が必要である.大学進学の際に,多くの薬学部生がそうだと思うが,入学の際に将来の職業をすでに決定している場合もあるし,大学入学後に学びを通して決めていく場合もある.いずれにしても,自分の進むべき道は,大学を卒業するまでに決定しなければならない.

アイデンティティという言葉を今日使われている意味に広げ「アイデンティティの心理学」を作り上げたのは,E・H・エリクソンである.エリクソンは人間の発達を乳児期から老年期まで8つの段階に分けて,それぞれの段階に中心となる発達課題を挙げている.たとえば,第I段階は乳児期で世の中に対する基本的信頼を獲得することが中心的な課題である.第VIII段階は老年期である.老年期には,これまでの生涯の,良いことも悪いことも含めて,すべてを自分のものとして受け入れることが課題だという.それができないとどうなるかと言えば,年齢的に人生のやり直しがきかないために,死ぬことの恐怖が強くなるという.

青年期の中心的発達課題として提示したのが,今日のテーマである「アイデンティティの達成」である.エリクソンは,危機を経てアイデンティティが達成されると記述した.このエリクソンの知見に基づいて,その後多くの研究が行われた.

青年たちのアイデンティティの様態をとらえた代表的な研究としてJ.E.マーシャのものが有名である.J.E.マーシャは,思春期から青年期に深刻に悩んだかどうか,つまり危機を経験したか,現在自分が選んだものに積極的に取り組んでいるか否かの二つの軸から分類し,4つのパターンを見出している.すなわち,①アイデンティティの達成(心理的悩みや危機を経て,自分のアイデンティティをかなりの程度確立している),②モラトリアム(自分の生き方について模索している状態である),③早期完了(心理的悩みや危機を経験することなく,周囲の人々の期待をすんなり受け入れて,予定された道を自分の道として歩んでいる,例えば,自分の実家が薬局を経営していて,薬剤師になることを期待されて育って,本人もすんなりとそれを受け入れて薬学の勉強をしているような学生はこれにあたる)④アイデンティティ拡散(自分の責任で何かを選択しなければならないとなると,どうしていいかわからず,混乱状態に陥っている)である.

誰もがこのどこかに位置付けられる.例えば,達成にもう一歩のモラトリアムとか,モラトリアムに近い拡散とか,状態としてはそのように位置付けることが可能である.

いずれにしても,学生相談において,来談する学生たちは何らかの形でアイデンティティの課題を抱えている.カウンセラーとしても学生たちの心理的悩みや不調,混乱などを,病的とか病理的とか,異常な状態とだけ見てしまわないで,アイデンティティを模索する主体的動きによるもの,あるいはその逆に動けなくなっている状態,停滞している状態として見ていくことは有用である.

ここで事例を紹介しよう.私が学生相談をしていた時の話なので,だいぶ昔のことである.なお,いくつかの事例をわかりやすくデフォルメをしており特定の学生を指すものではないことをお断りさせていただく.

Aさん

卒業式の後,2,3日にして,思いがけずAさんから手紙をもらった.「卒業式の日に,阪神大震災のボランティアの報告を兼ねて一言お礼を申し上げようと思っていましたが,お会いできずに残念でした」という書き出しであった.そのなかに「混乱と自己否定しかできなかった昔より,年をとったけれどもありのままの自分を受け入れられるようになった現在の自分の方が好きだと自信をもって断言できるのも,先生と一緒に考え,自分を見つめた5年間のたまものだと思っています」と書かれていた.

Aさんが初めて来談したのは1年生の時であった.随分さまざまな思いが胸につまっていたようで,ひとしきり涙を流した後で,「以前から何か基本的なところで自信がない.大学に入って新しい友だちができない.高校時代から,いつかこの偏屈な自分の性格のリハビリをしなければならないと思っていた」と語った.確かに少々固くて,要領のわるい人という感じがしたが,率直に自分について語っているのが印象的だった.その後は,継続して来るというよりは,何か問題にぶつかると来談した.たとえば,「クラブ活動での人間関係がうまくいかない」とか,「臨機応変な対応ができないのでバイトをクビになりそうだ」「就職・進路のことで迷っている」等.そしてカウンセリングのなかで自分自身の体勢を立て直しては再び現実の課題に挑戦していくようにみえた.このような繰り返しのなかで徐々に成長し,自分を肯定的にとらえられるようになったのだと思う.敢えて1年留年することも,「このまま卒業してしまうのは問題を先送りすることになるから」と自分から選んだ.

B君

B君は,成績不良のために学部長に勧められて相談に来た.とてもおとなしい,シャイな学生で,自分から話すことはなく,いつも私が何か質問して,やりとりをしていた.卒業も2年ほど遅れた.以下のやりとりは,カウンセリングを2年くらい続けた後の話である.

B君:ここに来て話しているうちに,自分の考えを持つようになりました.カウンセリングについて誤解していました.成績が落ちた時,指導教授にカウンセラーを紹介すると言われたことがありました.その時は,精神的に異常な人が行くところだと考えていました.でも,自分ひとりだけでは考えは出て来ない,自分の考えを反映する相手がいると思うようになりました.

カウンセラー(以下,Co):うーん,そうだね.

B君:人はひとりでは生きられないと思うようになりました.

Co:どうしてそう思うようになったの?

B君:父が言っていました.ひとりで考えているのもいいが,ひとりで籠って考えているだけでは何もない,と,言っていました.そのようなことは以前に何回か言われていましたが,その時はわかりませんでした.

Co:そうだったの.

B君:自分は恵まれていると思います.たとえ卒業できなくても生きていけると思うようになりました.

Co:恵まれていると思って生きることは,最高の生き方だと思うよ.なかなかできないことだと思うよ.

B君:そのように考えられるようになったのは,今年に入ってからです.

Co:そのように考えることができたということが大事だと思う.いつでもそう考えて生きることは難しいことだけど,そのことを心に刻んでおけば,その境地に戻ってくることはできると思うよ.

ここで2人の例を紹介したが,Aさんはボランティアに参加したり,あれこれと模索しているのでモラトリアム,B君は一時引きこもったりしていたので,アイデンティティの拡散状態だったと考えられる.しかし,2人とも,新しい境地を自分自身で気づき,発見している.教えられて,わかるというのではなく,自分で気づいていくしかない.ここに,アイデンティティ獲得の本質とその難しさがあるのだと思う.

大分前になるが,高村光太郎が栄螺(さざえ)の彫刻に苦心した話をテレビで観たことがある.栄螺には棘があり,そのために彫刻する時になかなかバランスがとれない.光太郎は苦心の末に,栄螺の軸を見ることを発見した.もちろん栄螺の中心に軸があるわけではないが,それを心に描いたらうまくいったというような話だった.その番組を観た時,カウンセリング場面ではいろいろなことが語られ話題が広がるが,やはりその人の軸を見ていくことが重要なのではないかと思った.ではその軸とは何だろうかと考えた時,それはその人の意志の働き,主体性ということではないかと思った.つまりクライエントの意志,主体性という視点を持つことが大事ではないかと思った.そのことと今日のテーマであるアイデンティティは重なるのではないかと思う.つまり,カウンセリングとは,いつもアイデンティティをテーマにしている.そして,AさんやB君のように,自覚とか自己受容とか,自己尊重を目指して営まれるものである.カウンセリング場面のみならず,個々人の内面に分け入ると,人生とはいつもアイデンティティのテーマを抱えているのではないかと思う.

日々の相談活動の中で感じていること(渡辺由紀)

学生相談室でカウンセラーとして学生と関わる中で,薬学部学生の特徴として日々感じていることをいくつか挙げた.続いて,学生のアイデンティティ形成を考える上で学生支援の立場からどのような関わりができるかといった視点で考察を行った.

1. 学生と関わる中で感じている薬学部学生の特徴

1点目として,非常に多忙であるということである.相談室には,朝から夕方まで授業がつまっており,昼休みにようやく時間がとれ午前の授業が終わったその足で来室する学生,午後の実習後少しでも話がしたいなど忙しいスケジュールの合間をぬって来室する学生もいる.

2点目として真面目な学生が多いということである.多くの学生は,中,高校時代と勉強に励み,受験を経験して入学してくる.また入学後もカリキュラムはハードであるが授業に真面目に出席し,課題やテストに一生懸命取り組んでいる.なかには勉強をやめてしまったらついていけなくなるしと,息切れ気味になりながらもなんとかこなしている学生もいる.以前相談に来ていた学生が,春休みのことを“虚無期間”と呼んでいた.彼女の周りの子たちもそう呼んでいるらしく,学期中忙しく追われている中で突如休みとなり呆然としてしまい,どのように振る舞ったらいいかわからなくなるといった意味が込められているとのことであり,印象的であった.

3点目として専門教育の大変さという点である.高校までの一般的な科目とは異なって,手技や膨大な量の事柄の暗記なども求められる.手先が不器用であるなどしてうまくいかない,暗記が苦手であるが覚えなくてはいけないことが多く追いつかない,入学前に想像していた以上に大変などと相談に来る学生もいる.

4点目として進路変更の難しさである.筆者の勤務する大学では4年制,6年制の薬学生が併存しており,そのうち6年制の学生は薬剤師資格をとるというゴールがあるが,入学後に自分の将来について迷いや葛藤が生じ,相談に来る場合もある.薬剤師を目指す背景としては,小さい頃の経験から薬剤師に憧れを抱いて,将来のために資格がとれる仕事をという思いから,医学部志望を諦めて薬学部へ,指定校推薦枠がありなんとなく,など様々なものが挙げられる.こうして各々の背景を持ちながら入学し,学生生活を送る中で,自身の将来について葛藤や迷いが生じる場合もあり得る.しかしそのように悩んでいる間にもカリキュラムは進んでいくため,ゆっくりと悩んだり立ち止まったりするといったような状態,言ってみればモラトリアム(猶予状態)にとどまっていられないという大変さがある.

5点目として研究室の占める比重が大きいということである.学年が上がるにつれ研究室での生活が中心となり,各研究室のカラーや方針がある中でそこに自然と溶け込んでいく学生もいる一方で,雰囲気に馴染めないケースや,研究室の人間関係でのトラブルや悩みが生じ,来室するケースもある.

続いて筆者の勤務する大学の特徴である4年制と6年制の薬学部生が併存していることに関して,その両者は薬学部学生であるといった共通点もある一方,抱える大変さには特徴があると思われ,いくつかのケースを組み合わせた特定の学生ではない架空事例として取り上げる.

架空事例① 4年制薬学部の学生Aさん

大学受験の時に薬学部に興味を持ち,進学を決めた.入学してみたら,4年制薬学部では薬剤師の資格が取れないということを知って驚いた.周囲はどうやら大学院に進学する人が多いみたいだけど,自分は正直あまり興味を持てない.かといって就職するにしても学校に来る求人は研究絡みが多いし,それ以外を希望するなら自分で就職活動しないといけない.結局大学院に行くことにしたけれど,大学院に進学するのならば研究にも力を入れてほしいといった雰囲気を感じるし,結構プレッシャーを感じている.大学院に入ったら入ったで,1年の夏からは就職に向けて動き出さないといけない.インターンも行きたいし,研究もやらないといけないしで忙しい.

架空事例② 6年制薬学部の学生Bさん

小さい頃に病院で出会った薬剤師に憧れて薬学部への進学を決めた.入学してみたら授業,課題,実習などかなり忙しくて驚いた.4年生になり研究室に入ったと思ったらすぐに実習が始まり,研究は中断してしまった.自分としては研究も頑張りたいと思っていたけれどなかなか難しそう.実習に行ってみたら,これまで思い描いていた薬剤師の仕事とちょっと違う部分もあって,現実はいろいろ大変なんだなと思った.病院薬剤師になりたいと思っていたけどどうしようかな.実習から戻ってきたら研究をやって,卒論も書かないといけないし.先輩たちの話を聞くとそろそろ国試の勉強も始めないといけなさそうだし忙しい.

以上挙げたのはあくまで架空事例であるが,4年制と6年制で置かれている立場や求められてくることは異なる面もあり,葛藤や悩みもそれぞれ特徴がある.また両者が同じ研究室に同居しており,お互いの存在を意識した話題が相談の中で挙がることもある.

2. アイデンティティの確立といった視点から

続いてアイデンティティの確立という視点から考えた際に,学生支援という立場で何ができるのかを検討したい.

アイデンティティ形成は他者との関わりの中で行われていくものと考えられる.学年が上がるにつれ,研究室という集団に入っていき,良くも悪くも濃い関わりとなり悩みを抱え,相談に来る学生も多い.相談を続けていく中で,「私ってこういうところがある」「先生はこういうふうに考えたのかもしれない」など自他への新たな気づきが得られる場合もある.また悩んでいる事柄を担当教官に相談し,解決策を見いだしてもらうなどし,困った際周囲に頼ったり,誰かに支えられたりしているという経験が得られる場合もある.こうした他者との関わりの中で自己をみつめ,自分らしさは形成されていくと考えられるが,その際相談に関わる者ができることとしては,ゆっくりと自分をみつめる時間と安全な場所を提供することである.また時には「こういう考え方もできるかも」など利害関係のない中立的なひとりの大人として話をする場合もあり,ある種の補助自我のような役割もあると思われる.

また学生生活の中で様々な経験をし,現実と向き合いながら,自身の理想の薬剤師像などを固めていくことになる.なかには,薬剤師への憧れや強い思いをもって入学してくる学生もいるが,勉強を始めてみたら面白みを感じられない,実習に行き現実を目の前にし,思い描いていたのとは違うというようなリアリティショックを受けるケースもある.その中で悩んだり周囲に相談したりしながら,葛藤しつつ,折り合いをつけるなどして自分なりの考えや薬剤師像を形作っていく.以前相談に来ていた学生は病院薬剤師に興味があったが,病院実習に行った際に病院の過酷な勤務状況に衝撃を受けたと話していた.彼女の友人はそれでも病院薬剤師になりたいと強い意志を持っていたが,彼女は自分にはそういう強い志みたいなものがない,プライベートも大事にしたいと話し,別の領域で働くことを選んだ.こういった様々な経験を通して,自身の価値観や大事にしていきたいものなどが明確になってくることが多く,学生相談では学生が時には厳しい現実に直面しながらも自身のペースで考え,整理していくことを尊重し,そのプロセスに継続的に立ち会うことが可能であると思われる.

薬学部における学生相談:二足の草鞋を履く悩み(吉永真理)

私は薬学部6年制が始まった翌年の2007年に昭和薬科大学に着任し,学生相談室の運営担当を担ってきた.一方,心理学やヒューマニズム,さらに卒業研究を指導する教員としての役割もある.二つの役割を担うことの意味について考えてみたいと思う.

1. 薬学部学生のキャンパスライフ

薬学部に勤務する以前は4年制の普通の大学にいたので,着任時は薬学部の特殊性を強く感じることがあった.特に学生がとても忙しそうなことと18歳で入学し,6年間を過ごすうちに青年が大人になって,入学時に作った学生カードの写真とは似て非なる顔つきになって卒業していく姿にはっとさせられた.たった2年間多いだけだが,5年生の時の半年に及ぶ実務実習や卒業に向け勉強に集中する時間が,そうした成長をもたらしているのではないかと考えている.

6年間は実に山あり谷ありである.入学時の環境変化への不安,学期ごとの厳しい試験の試練,4年生で直面する共用試験,長期の実務実習,さらに卒業研究や就職活動など,盛り沢山である.学生ごとに過ごし方・乗り越え方は多様であるが,入学までにどのような体験・経験を積んでいるか,が適応に違いをもたらしているように感じることもある.

2. 薬学部での学生相談とコロナ禍のサポート

昭和薬科大学の学生相談室はここほっとルームと呼ばれている.「ここでほっとしてほしい」という意味で名付けられた.略すと「ここほっと」で,よりやわらかで敷居の低い場であることを伝えられているように思っている.その1年の活動を表1に示した.2007年にここほっとルームができてから,入学直後のUPI(University Personality Inventory)実施とそのチェック項目に応じた呼び出し面接に始まり,秋のフォローアップ「お元気ですか?」メールやここほっとニュースの発行などを行ってきた.年度末には年度内相談状況報告を兼ねて,教職員向けの学内カンファレンスも実施して,精神科校医も交えて,学生のメンタルヘルスへの理解促進やさらなる連携や協力を呼びかけている.年間300件ほどの相談があるが,コロナ禍の初年度であった2020年度は学校に学生が来ない時期が長かったこともあり,早くからオンラインを導入しても,やはり相談は減ってしまった.その影響はこれから出てくるのではないかと危惧している.コロナ禍のサポートとしては,2020年5月にはLMSを活用してUPIによる心身健康調査を実施し,オンライン面接マニュアルを作成したのち,面接相談を開始した.秋には,希望者への対面面接相談も開始した.学校に来る機会が少なく,友人を作りづらい1年生を対象に上級生も参加するオンラインお茶会を開催し,部活や進路の相談ができる機会を設けた.上級生にとっても人との関わりが減った時期だったので,コミュニケーションができたことを喜ぶ声があった.この時期「学びを止めない」という言葉が聞かれたが,学びを止めないなら学びの場での相談も止めてはいけないのだ.

表1 ここほっとルームの1年間の活動
時期 内容
4月 1年生に対する心身健康調査(UPI)
2年生向けのここほっとNEWS発行「人への上手な頼り方」
5月 ここほっとNEWS第1号「スタッフの自己紹介.気分一致効果とは」
6月 UPI結果返却
~8月上旬 UPI面接
8月 夏休み
9月 UPI面接(前期の続き)
2年生フォローアップ「お元気ですかメール」(前年度面接対象者)
12月 ここほっとNEWS第2号「海外の学生相談の実態」
1月~2月 1年間の振り返り,まとめ作業
3月 学内カンファレンス

以下には,深刻だったコロナ禍に特有な事例を紹介したい.事例は複数の事例をわかりやすく,ありがちな形にデフォルメしたものであり,特定の学生を指すものではない.

事例1:コロナ禍でもともとの辛さが倍増した事例.2年生女子 春子さん.

春子さんはもともと家族のことで悩んでいた.コロナ禍となりオンライン講義のため気晴らしもできず,落ち込みや憂鬱な気分がひどくなった.受診して服薬するが改善しなかった.対面授業が開始されても落ち込んだままで,次第に大学を休むようになり,試験も受けられず留年した.自傷行為も悪化したため,アドバイザー教員の勧めでここほっとルームの相談を受けるようになった.相談しながら休学を決意した.その後主治医を変更したところ,治療が順調に進み,休んだことでの心のゆとりもできて復学した.

事例2:学生相談でコミュニケーションのリハビリをした事例.1年生女子 夏江さん.

夏江さんはコロナ禍で入学した学年で,友達が作れないまま,孤独感が募りだんだん登校できなくなっていった.試験も受けられず留年となった.2年目も登校できず,このままでは除籍になることが決まった頃,アドバイザー教員の勧めで相談にやってきた.講義には出られないが,相談の日には必ず大学に来た.初めはほとんど自分から口を開くことがなかったが,退学前には地元の友達と遊んだ話をしてくれるようになった.規程通り年度末で退学となった.コロナ禍によるメンタルヘルス悪化の構図は,時期で異なっていた.2020–2021年は感染拡大や自粛の影響で新型コロナ感染症が蔓延していることの影響を訴える相談が多かった.2022年になると,新しい相談では感染症の直接の影響を訴える相談が減った一方,間接的に悪影響を受けている事例が継続して見られた.

3. 悩みを受け止め,身近な大人として関わる役割

試験の難易度や単位取得の大変さに対して,最初から(まだ経験していないうちから)大きな不安や恐れを抱いている学生は,ある程度学力が高いのに試験前になると強い不安のために受験もおぼつかなくなってしまう.それが高じると中には,教室に入れない,とか,大学に来られない,試験を受けられない,という状況になってしまう人もいる.まじめな学生ほど不安感が強く,経過としては,学生相談への相談でなんとかなる不安のレベルから,その限度を超えると治療が必要になるレベルに至ることもある.また,不合格となって単位が取れない科目数が増えるたびに意欲が下がってしまう場合もある.学費が高いこと,周囲の期待が高いこと,職業的アイデンティティが強く進路変更が難しいこと,が相俟って,意欲が低いのに辛い勉強を続けなくてはならなくなり,自己肯定感が極端に低下してしまう.

発達凸凹とも呼ばれる対人関係や行動において特徴を持っていて,そのために大学生活を送る上でさまざまな困りごとが生じているような場合もある.実習での共同作業や細かい作業,スモールグループディスカッション(SGD)のようなアクティブ・ラーニング,パソコンと手元の資料と教科書のように同時並行作業が発生する授業などでトラブルを抱え,対処法を求めて来室する.相談後に「今まで特徴を指摘するばかりで,だれもどうしたらいいかを教えてくれなかった」と話してくれたこともある.

朝日新聞と河合塾の共同調査である「ひらく 日本の大学」によると,卒業までの退学率は薬学部では11.3%とされ,どの学部よりも高くなっている(2018年度「ひらく 日本の大学」より).大学をやめる前に若者サポートステーションをはじめとする自治体や民間が展開している若者支援のサービスについて情報を集めて,きちんと紹介できると,新たな進路を探す上では助けになり,「進路未決定退学」を減らせるのではないだろうか.

現代社会では,少子化(近所に遊び仲間が少ない),多忙化(部活,塾,習い事で遊ぶ時間がない),都市化(遊ぶ場・空間がない)によって,子ども時代に十分な経験や体験を得ないまま育ってきた学生が増えている.親や先生(タテ),あるいは友達(ヨコ)以外のナナメの関係の大人との関わりが社会性の発達には不可欠であるとも言われる.学生相談に携わる心理カウンセラーには,治療的な関わりよりは成長途上の学生という視点に立った教育的な関わりが求められている.学生が迷ったり悩んだりしている中で,決断・選択するのを支えること,学生が自分の不安の原因や葛藤の意味を理解するのを助けること,解決策を示すのではなく,学生の気づきを待ったり,一緒に考えたりすることがその具体的な役割となる.さらに,学生の代わりに,その意見や気持ちを伝える,アドボケイトの役割をとる場合もある.

4. おわりに:二足の草鞋の意義

冒頭で述べたように,私は学生相談の取りまとめ役とカウンセラーでもあると同時に,心理学を教えたり,卒業研究指導をしたりする教員の役割も持っている.いわば二足の草鞋を履く身でもある.相談に来ている学生がいる教室で,うつ状態にある患者の心理の授業をしなければならない時もあり,集団に対して心理教育を行うような心持ちで講義をしている.重複する役割を切り離して,どちらにおいても誠実に対処することに神経をすり減らすこともある.似たような立場にいる方々はきっと同じ思いを持っておられるのではないだろうか.

しかし,ひとり二役にはポジティブな面も多々ある.教員でもあるカウンセラーが繋ぎ役になると,学生,家族,アドバイザーと連携がとりやすい.教員同士で話す機会も多いし,学生の状況や学生生活の情報を得やすいので,適切な時期に合わせたサポートを計画することもできる.

授業や講義等で教員として多くの学生に接する中で,心配な学生と話したり,相談をうながしたりしやすい面もある.いわばアウトリーチがしやすい立場である.学生相談室のスタッフ間で情報共有していることは,学生が最初に面接に来た時に説明済みであり,急に様子が変わって気がかりな時やなかなか連絡が取れなくて心配な時は,授業後にさりげなく声をかけて,来談を呼びかけることもできる.

二足の草鞋を活かすために役立つアプローチを最後にまとめてみたい.1)予防を大事にする.2)そのために学生相談室だけではなく,学生が多様な相談窓口や相談相手を得られるような働きかけを心がける.3)自分自身がキャンパス内で多様な関わりを持つようにする.4)周りの人と一緒に学生をサポートするようにする.5)学外の相談先についても情報を収集し,特に学生が暮らす地域や戻る場所(故郷や実家等)に関する情報を得て,適切に学生に提供するようにする.これらのアプローチを行うことがすなわち,キャンパス全体を健康的にすることにつながると考えている.

質疑応答

司会:吉永先生/コメント:苫米地先生・渡辺先生/オーガナイザー:内田

Q1.最近は学生に対応していると,親御さんとの確執が自分の進路の障壁となっているという学生が増えてきた.本人と話す上で聞くに徹する方がいいのか,適した方法があるか,アドバイスがあれば.

苫:カウンセラーと教員とでは,少しスタンスが違うと思う.いずれにしろ親子の葛藤だったら,その葛藤状況を学生にきちんと話してもらう質問をしながら,状況が明らかになっていくことがいい.そして,カウンセリングの場合も同じだが,一人で考えている時と誰かを相手に話している時は違ってくる.どこが違うかというと,一人で考えている時は「悩んでいる」が,誰かと話している時は「考えている」と言える.一人で悩んでいる時は妄想のようにその思いの中に本人が入ってしまっているけれど,先生と話している時は,問題と語っている自分との間に距離ができる.つまり,事情を話しながら,本人自身にもその状況が明らかになってくるところがある.それだけでも十分な気がするが,もう一つ先生方には,十分に話を聞いた後で,ご自分の意見とか経験とかを話していただくといいと思う.

渡:相談室で話を伺い,例えば,急に音楽の道に進みたい,絵で食べて行きたい,という感じで相談に来る学生がいる.ついつい,それで大丈夫?と言いたくなるが,そうすると多分,本人の親と一緒になってしまうと思う.多分,本人の心の中にも色々な面があり,音楽をやりたい面もある,でもやっぱりここまで大学でやってきたんだし,という気持ちもある.将来どうするのか,色々な気持ちがある中で相談に来ていると思うので,そこで潰してしまうのは良くないだろうと考え,まずはどういう思いでそこに至ったのか,これから先をどう考えているのか,丁寧に聞きたいと思っている.ただ,こっちの道に進んだ場合は,こういう可能性があるというのは伝えたいと思っている…現実的な面について.あと,もし退学しても,そのあと悩むことがあっても,こういう場がある,サポートしてくれる場は継続的にあるというのは伝えたいと思って普段接している.

吉:是非,学生の味方として,関わりの一つとして,学生本人の経験の一つになっていたらと思う.

Q2.大学教育の中で医療人としてのアイデンティティを形成するための,たくさんのカリキュラムは継続的に実施しているつもりだが(倫理や医療コミュニケーション等の科目),色々な状態の学生がいる中で,学生のアイデンティティ形成に役立つカリキュラムはあるか?

苫:…いや,ちょっと分からない.すぐにはアイデアが浮かばない.アイデンティティの形成を特別に取り出してしまうと,具体的なカリキュラムというのをすぐには思いつかないけれど.

吉:例えば今回の苫米地先生の話題提供で,主体性を確立することがアイデンティティを形成する事の一つの別の側面という内容があったが,学生が主体的に何かできることが大事だと考えるなら,学生がデザインして実行できるようなカリキュラム,多少大学にとってはチャレンジングだが,それができたら素晴らしいと思う.実際,そのような科目を行っているところもあるだろうし,反対されるかもしれないが,できたらいいと思う.また,カリキュラムだけではなく,学生の活動を色々な側面でそういうことができるチャンスはあると思う.

渡:カリキュラムに色々とあるのはいいと思うが,その中で学生自身さんがどう思ったか,そのカリキュラムを通して何を感じているのか,そこに耳を傾けることが自分らしさを作っていく機会になると思う.カリキュラムを整えると同時に,学生が感じていることに注目し,大事にできたらと思う.

苫:カリキュラムを拝見すると既に体験型のものが結構あるような気がする.体験型・参加型のものだと,そういう気づきとか,それから人とのやりとりを通して,他の人のアイデアを聞きながら,それに刺激されて,自分の中から湧いてくるものがあると思う.体験型・参加型だと,そういうチャンスが出てきやすい.要するに講義を聞くだけだと,なかなか生まれにくいが,グループでやると生まれやすいと思う.

吉:実施の仕方,あるいは渡辺先生の話のように実施後の教員側からのフィードバック,学生とのその後のやりとりとか,それらも関係してくるかもしれないと思う.

Q3.(保険薬局の薬剤師の方から)薬局新入職員の傾向として,自己肯定感が低いと感じることがある.その一端にコロナが影響している可能性があるかもしれないが,何か働きかけみたいなものがあれば教えてほしい.

苫:自己肯定感を上げることがカウンセリングの目標の一つだと思っている.自己肯定感とか自己受容とか自分を好きになるとか,同じことを言っているのだと思う.そのためには,どうしても人に受け入れられるという経験が必要な気がする.人に認められることを通して自分を認められるようになるのだと思う.そういうことを心に留めておいて,現場で対応することが必要かもしれない.できてないところを指摘されるだけだと自己肯定感が上がらないと思う.ある程度,「ここはよくできている」ということをセットにして,できていないところを指導していくことが必要な時代になっていると思う.小学校の先生をしていた友達が,「間違いを指摘するのは簡単だけど,良いところを見つけるのは努力がいる」と語るのを聞いて妙に納得したことがあった(笑).

渡:普段の臨床を振り返ってみると,客観的に見たらよくやっていると思える学生なのに自分に厳しく自己肯定感が低い学生が時々いる.私は結構「自分に厳しくない?」とか,その厳しさ自体を話にすることもある.いくら褒めてもなかなか受け取ってもらえないこともあり,「その厳しいのはどういうことなの?」かとか,「昔からそうなの?」と聞く.話をしていると,親から結構何をしてもダメだと言われてきた,100点取らないとダメと言われてきた,という話が出てくる.そうすると「ああ,そうだったんだね…」という話になり,自分自身への厳しさとか肯定感の低さについて,改めてその場で考えられる機会になったらと考えて話を聞くこともある.

吉:画面に「いいね!」マークが.ありがとうございます.是非その新人の職員の方とお話をする中で見出してもらい,自分を尊重するような方向に行けるようにという助言だと思う.

Q4.吉永先生が話した,さんまのことは実感するということで,相談に来られる体力があると良いが,相談すらできないような潜在的な相談へのニーズのある学生はどれぐらいいると思うか?

苫:それは大学間での相談室の利用率,来談率に違いがあって,例えば私がいたところだと10%ぐらいはあった.大規模大学は5%ぐらい来談していたら結構利用されている方だと思う.ある年の卒業生のリストから,在学中に一回でも来談したことがある学生をカウントしたら25%もあった.だからアクセスしやすくなるとニーズはそれぐらいあると思う.それは悩みを抱えている等だけではなく,もう少しよりよく生活したいというニーズもあると思う.それは様々な大学で実施しているUPIなどで探ることもできるかもしれない.

吉:相談室に駆け込める体力という言葉が質問の中にあるが,渡辺先生はどう思うか?

渡:体力を一緒に作ってくやり方を考えると思う.相談室では,UPIを実施したり,健康診断時,一部の学生を対象に5分程話してもらったりしている.その時点で,なんとなくうまくいかないが,相談するほどでもないので来てすぐに「もういいですか?」と言い,そそくさと帰ろうとする学生もいる.少しでもこちらと話す中で話してよかったとか,こういう場があるのかという気持ちをその場で作っていけると,間は空いたとしても,例えば半年後とかに「ちょっといいですか?」みたいに来室する学生もいる.この場は安心して話を聞いてもらえるし,どうやら怖い人がいるわけではないことをわかってもらえると,いざというときに駆け込んでもらえる体力づくりにつながっていくと思うので,そういうニーズを作っていくことを続けていけたらと思う.

吉:相談することを援助要請と言うが,援助要請力はすごく難しいスキル.その一番出発点は,自分も誰かを助ける経験,人は助けてもらったり助けたりする,そういうことが結構大事だと思う.自分の周りにサポートがあることに気づき,そのために自分も誰かを助けてみることも大事.その体力を作る活動の中にはキャンパス対象の予防的な活動として,さきほどのピアサポートのようなお互いに助け合えるということを,思想として行き渡らせていくのもありえるのではないかと思う.

Q5.親からの勉強に対する圧力が強く,モチベーションの低下や自己肯定感が低くなっているケースがある.そういう親と面談する時に,どう対応したらいいか?

内:親と話す時に意識するのは,相談室は基本的に学生の味方だが,親と敵対関係に絶対しないようにすること.親とタッグを組み学生の支援をする意識を持ち,それを言葉にする.そして最後に「一緒に取り組んでいきましょう」と言う.話の中では相談室としてできることを伝え,聞かれた時にだけ,親として取り組んでほしいことを,なるべく押し付けない形で言う.

吉:親も困っていることが多く,親にとって敵ではないことを理解してもらうことが大事ではないか.

Q6.学生を支援するカウンセラーとしての立場から,薬学部の先生についてどう思うか?(色々な意味でアイデンティティ形成に影響を与えていると思うので.)

苫:やはり先生はモデルだと思う.そういう意識を持つことは必要かもしれない.ある意味ではカウンセラーもモデルであると思う.

吉:この質問は薬局の先生から.薬局の先生たちは実務実習で学生のモデルになっている.指導薬剤師も薬学部教員もカウンセラーも,学生に対してはアイデンティティ形成に影響を与えるモデルの一人だということを自覚したいと思う.

苫:困っているような学生を見かけたら一歩踏み込んで話を聞く.ちょっとおせっかいかもしれないけど,それも大学教職員の役割である気がする.何かと悩みがちな学生は,人間関係の薄かった人が多いようなので,こちらに受ける姿勢があることを示していくことが大事だと思う.

吉:例えば,学生に「大丈夫?」と聞くと「大丈夫です」と返ってくる.そのことについて周りの教員と話した時,その学生に対して「大丈夫ではないでしょ?」と言って学生のそばに一歩踏み込める存在は大事,となった.全員がそうする必要はないが,たくさんの人がいる中でそういう人が少しでもいると,学生の援助要請力を刺激しより健康的な行動が取れ,体力がつけられる関わりをしていけると思う.

吉:最後に1人ずつ感想を.

渡:とても緊張したが,色々質問をいただき,話し合いができて,改めて普段の臨床について考えることができた.学生と関わる上でどうしていったらいいか答えが出ないまでも,ちょっと前向きになれた.色々考えながらこの先もやっていきたいと思える機会をいただけた.参加いただいた方も,どうもありがとうございました.

苫:たくさんの方が参加されていてとても嬉しい.渡辺先生,吉永先生から色々なお話を聞けて,物の見方,考え方が広がった気がしています.ありがとうございました.

吉:すごく勉強になった.なかなかこういうテーマで,薬学部の先生たちと一緒にお話し合いをすることは今までなかった.それぞれの取り組みについてお話も聞けた.また苫米地先生が話されてた本についてだが,当時,先生が読まれた時は「主体性」が「アイデンティティ」より大きな字で書かれていて,最近はそれが消えている.けれども,本当は主体性ではないかいうのが,私たちが話したかったことだったと思う.皆様ありがとうございました.

内:シンポジストの皆さん,また参加していただいた方もありがとうございました.アイデンティティは青年期にとって重要なテーマだが苫米地先生が話したように一生涯続いていくもの.それが青年期に一気にフォーカスが当たる.我々がそこでどのように関われるのかを考え続けるのが大事だと思う.何かを決めつけることなく,常に考え続ける姿勢が大事と思う.

吉:皆様,本当にありがとうございました.先生方にありがとうございました.たくさん拍手ありがとうございます.

発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.

 
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