2024 年 8 巻 論文ID: 2024-035
我々を取り巻く環境は常に変化している.緊迫度を増す国際情勢,エネルギー資源・食糧等の価格高騰,為替相場の急激な変動など,我々の生活はグローバルな環境変化に大きな影響を受けている.その一方で,科学の進歩により新しい技術が次々と開発・実用化され,世界的なdigital transformation推進によるinformation technology・デジタル技術等の活用によって社会や生活はより良いものへと変革しており,我々はこのような目まぐるしい環境変化に対して常に対応・適応し続ける必要がある.このグローバルな環境変化は,医療の現場でも例外ではない.新型コロナウイルス感染症等の新興感染症,少子化・超高齢化,世界的な医療用医薬品の供給不足等の課題に対する対応が必要とされる一方,新型コロナワクチン,抗体医薬をはじめとした核酸医薬,遺伝子治療薬,細胞治療の開発など,グローバルな創薬・育薬研究の目覚ましい進歩による革新的な医療技術の開発・実用化が進み,医療を取り巻く環境もかつてないスピードで変化・進化している.
薬学部6年制教育は,高い資質を備えた薬剤師の養成を目的として開始され,医療技術の高度化や医薬分業の進展等の変化に適応し,医療現場で即戦力として活躍できる薬剤師の養成を目指してきた.しかし,近年のグローバルな環境変化により,薬剤師が果たすべき役割はさらに多様化・複雑化し,より高度な職能が求められるようになりつつある.従って,現在及び未来のグローバルな医療環境のダイナミックな変化に的確に対応し,公衆衛生の向上・増進に寄与し,かつ質の高い薬物治療を提供することで国民の健康な生活を確保するためには,薬剤師教育のさらなる高度化とグローバルな視野・立場で活躍できる卓越した能力を有する薬剤師の養成が不可欠である.そこで,海外の薬剤師教育や薬剤師の職能に関する情報を収集し,グローバルな薬学教育に関する情報共有を推進することで,本邦の「薬学教育・薬剤師教育」のさらなる充実・発展を図るため,2023年8月19日(土)-20日(日)に熊本市で開催された第8回日本薬学教育学会大会の翌日,8月21日(月)に熊本大学薬学部において,国際シンポジウム「薬学教育および薬剤師職能の動向に関する国際シンポジウム」がハイブリッド形成で開催された.本シンポジウムは,文部科学省特別経費「高度先導的薬剤師の養成とそのグローカルな活躍を推進するアドバンスト教育研究プログラムの共同開発」・「高度先導的薬剤師養成プログラム」事業,日本薬学教育学会国際化委員会,熊本大学大学院生命科学研究部・薬学教育部・薬学部 医薬品包装学寄附講座の共同で開催された.
本シンポジウムでは,各国の薬学教育の中核を担う先生方にご講演いただき,海外の薬剤師教育や薬剤師職能に関する情報共有が行われた.Barry E. Bleske先生(ニューメキシコ大学,米国)「One Pebble to Help Move the Global Pharmacy Educational Needle」,武田三樹子先生(ニューメキシコ大学,米国)「アメリカの薬学教育と薬剤師職能」の2演題では,米国における薬学教育・カリキュラム,卒後教育プログラム,日米の薬剤師の役割と違い,さらに,International Teaching Certificate Program(日本の薬学部教員向け臨床薬学の教授法習得プログラム)についてご講演いただいた.平田寿美子先生(カトリック大学ソウル聖母病院,韓国)からは「韓国の薬剤師職能と専門薬剤師制度法制化」と題して,韓国の医療体制・医療法における薬剤師の位置づけ・職能・現況に加え,専門薬剤師制度の法制化についてご講演いただいた.楊長青先生(中国薬科大学,中国)からは,「B.S. Clinical Pharmacy Education in China and Comparison of Clinical Pharmacy Curriculum Among the China Pharmaceutical University and Three Universities in Other Countries」と題して,中国薬科大学の教育体制,中国における臨床薬学教育・学士プログラム,他国の臨床薬学カリキュラムとの違いに関してご説明いただいた.荒川直子先生(ノッティンガム大学,英国)からは,「Pharmacy education and workforce development: UK and FIP perspectives」と題して,英国における薬剤師の役割・職能と薬学教育の変革に加え,国際薬剤師・薬学連合(International Pharmaceutical Federation, FIP)における薬学教育・薬剤師開発を推進する部門 FIP education(FIPEd)の活動についてご紹介いただいた.
一方,本邦の「薬学教育・薬剤師教育」の現状に関しては,本シンポジウムの参加者(参加登録者152名)を対象とした事前アンケートにより調査を実施した.日本の薬学教育(6年制・4年制)における “優れている点” として回答数が多かった項目としては,「薬学部の教育指針がはっきりと示されている」(36名),「基礎教育の時間が確保されている」(30名),「臨床教育の時間が確保されている」(30名),「研究の時間が確保されている」(18名),「基礎実習を実施する体制(施設・教員)が充実している」(16名)などが挙げられ,薬学教育モデル・コアカリキュラム導入による本邦の薬学教育内容の充実が示されていた.一方,“課題” として回答数が多かった項目としては,「臨床教育の時間が不足している」(26名),「臨床実習を実施する体制(施設・教員)が十分でない」(15名),「薬学部の教育指針がはっきりと示されていない」(12名),「研究の時間が不足している」(11名)などが挙げられ,臨床教育・実習に対する更なる体制構築が求められている現状を示している.なお,臨床教育の時間については,“優れている点”,“課題” ともに回答数が多く,回答者の薬学教育における役割や立場によって認識に違いがある可能性が示された.本邦の薬学教育の発展には,“優れている点” を伸ばし “課題” を克服する努力が重要であるが,本シンポジウムにおける各国の薬剤師教育や薬剤師職能に関する議論が有益な情報となることを期待している.
本誌上シンポジウムでは,グローバルな薬学教育に関する情報共有の更なる推進に向け,Barry E. Bleske先生・武田三樹子先生に「薬学教育の世界的な流れが臨床薬学に向かうための布石」,平田寿美子先生に「韓国における薬剤師の職能と専門薬剤師制度法制化」と題してご執筆いただいた.本シンポジウムでの熱心な議論が,ますます高まる薬剤師への社会的要請に応え,医療人としての高度な専門性を身につけ,グローバルな視野と立場で国際的な医療活動に貢献できる薬剤師を育成するために必要な薬学教育・薬剤師教育の更なる発展に寄与することを願っている.