2024 年 8 巻 論文ID: 2024-037
日本医学教育学会は,2000年からICTを活用した教育に取り組んできた.その活動は,2000年からは教材開発委員会,2009年からは情報基盤開発委員会,そして2020年からはICT教育部会に引き継がれ,今日まで継続している.本稿では,ICT教育部会の活動を中心に,日本医学教育学会としてのICTへの取り組みを紹介する.
The Japan Society for Medical Education (JSME) has been developing ICT-based education since 2000. Its activities were taken over and continued by the Committee for the Development of Teaching Materials in 2000, the Committee for the Development of Information Infrastructure in 2009, and the ICT Education Subcommittee in 2020. This paper introduces the JSME’s ICT efforts and focuses on the activities of the ICT Education Subcommittee.
日本医学教育学会のICTを活用した教育に関する取り組みは,2003年の教材開発委員会(高橋優三委員長)に端を発する.当時,コンピュータを用いた医学教育教材が多く開発され普及し始めていたが,1996年に米国でHIPAA法(Health Insurance Portability and Accountability Act of 1996),日本でも2005年から個人情報の保護に関する法律が施行され,それまで医療者のものと考えられていた医療情報が患者さん個人のものであることが法制化された.このような個人情報に対する認識の変化の中で,いかにして医療情報をICT教育に活用していくかを議論し,医学教育教材の開発の基盤整備に取り組んだ1).次に,2009年に情報基盤開発委員会(大西弘高委員長)が発足した.2009年1月に開催された理事会のワークショップで医学教育に関する情報の活用がテーマの一つとなり,リソースパーソンに関する情報,先進的カリキュラムに関する情報,医学教育に関わる研究エビデンス,用語集などをICTで共有し活用する必要性が議論された.これらを実現するための制度設計やデータベースなどのインフラ整備を目的とした委員会であった2).2012年からは広報・情報基盤委員会となり,2020年までは筆者が委員長を務め,医学教育教材開発の医学教育研究の業績化(日本版MedEdPORTAL),eラーニング教材の開発環境の提供と共有(MoodleとXerteの運用)などにも取り組んだ3–5).
このような流れの中で,広報・情報基盤委員会とは異なり,ICTを医学教育の実践に役立てる,ICTを活用した教育を会員に普及させることを主な目的とし,2020年1月にICT教育部会(委員長は筆者)が発足した.折しも,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によるパンデミックが始まった年であった.「講義室に座らせて一斉に講義」からICTへの置換,オンライン学習者評価,オンライン実習,学生をサポートするという意味でのICT教育,ICT教育の標準化,ICTツールに関する情報提供,ICT教育にかかわる現状調査,学会活動のためのICT技術支援など広くICTを用いた活動を支援することを目標としている.主な活動として,学会大会のハンズオンワークショップにおける,新任教員向けフルオンラインFD,オンライン試験,オンライン指導医講習会,Zoomの活用,H5Pツールを用いた3D教材の作成などがある.また,ICT教材の開発に必須の教育素材の共有,Moodleで動作するCBT問題作成ツールの提供などの活動を行っている(図1).
ICT教育部会の活動内容
上記に示した20年ほどの活動を通じてICTを活用した教育について学んだことは,1)sustainabilityの必要性,2)概念的枠組みの必要性,3)教育プログラム評価の必要性である.
1) sustainabilityの必要性“reinventing the wheel”(すでに存在しているものを独自に再開発する例え)という言葉があり,「無駄な労力」という含みがある.ICTを活用し教材の多くは,個人または少数の教員の努力に依存して開発,維持されていることが多い.裏を返せば,その人がいなくなれば使えなくなり,使われなくなる.つまり,どんどん作るけども使われなくなり,また別の教員が似たようなものを作り,それもまた使われなくなる,を繰り返している.この循環を止め,将来にわたって継続的に活用するためには共有財産にする必要があり,そのためには何らかのインセンティブ(教育業績)を認定するような仕組みが必要となる.たとえば,AAMC(Association of American Medical Colleges)のMedEdPORTALでは,教材やカリキュラムをピアレビューした後に蓄積し,さらにこれらを投稿者の業績として認定している(現在はこの活動は行われていない).ICT教育部会では,医学教育教材の開発を医学教育研究の業績とする「日本版MedEdPORTAL」の構築に取り組んでいる.
2) 概念的枠組みの必要性ICT教材を開発する際,必要があるから作ってみた,ということでは学習者の学修成果につながらないことが多い.教育理論を背景とした概念的枠組み6) に基づいた教材設計が必要である.ひとつの例は「インストラクショナル・デザイン(ID: instructional design)」7) であろう.インストラクショナル・デザインは,教育活動の効果と効率と魅力を高めるための手法を集大成したモデルや研究分野,またはそれらを応用して学習支援環境を支援するプロセスとされている8).ICTを活用した自己主導型学習に用いる教材には大変良い道標になる考え方であろう.
3) 教育プログラム評価の必要性ICTを活用した教育プログラムを開発し,実施するにあたり,教育プログラム評価も念頭に置く必要がある.教育プログラム評価は,学習者による授業評価のみではなく,その教育プログラムで学習者がどんな資質・能力を身に付けたか,それによって社会にどのような影響を与えたのかが重要となる9).その一つの考え方にKirkpatrick’s Modelがある9).このモデルでは,教育プログラムの評価基準を,1:reaction,2:learning,3:transfer,4:resultsの4つのレベルに分けて考える.医学教育におけるICT教材に例えると,1:簡単に使えた・楽しく学べた・興味がもてた,2:知識が増えた・知識を統合できた,3:問題解決能力が向上した・技能が向上した・実践的に使えるようになった,4:患者さんや社会に貢献できた,と考えることができる.このモデルで教育プログラムを評価するためには,学習者による授業評価だけではなく,学修成果の妥当な評価,学習者が実際に働く環境からのフィードバックも必要となる.
医学教育においては,2017年から開始された日本医学教育評価機構の医学教育分野別評価10) により,何時間授業を受けたか(プロセス基盤型教育)ではなく,どんな能力を身に付けたか(学修成果基盤型教育)をもって学生を評価することが求められるようになった.これにより,各大学はディプロマ・ポリシーに加え,卒業時に身に付けておくべき資質・能力を卒業時アウトカム(あるいはコンピテンス・コンピテンシー)として定め,学年毎あるいは教育段階ごとに定めた段階的な到達基準であるマイルストーンによって,その達成を評価するようになりつつある.一方で,教員は自分が受けた教育の経験に基づいた価値観で,学生のために「教えよう」としている.しかしながら,学修成果基盤型教育において教員に求められているのは「教える」ではなく「学ばせる」ことであり,学修成果を正しく評価することである.
わが国におけるインストラクショナル・デザインの第一人者である鈴木は,第54回医学教育学会大会の講演11) で “暗記によって知識を習得する授業は撤廃してしまいます.暗記は各自が勝手にやればよいわけであって,むしろ応用している間にだんだん理解できてしまう効果をねらいます.つまり覚えなければ応用できないというわけではなく,テキストを参照しながら応用できるのであればそうすべきであり,そのうちに参照回数が減っていくという順序が効果的であることは最近の学習科学で指摘されています.” と述べている.つまり,ミラーの学習ピラミッド12) における,Knows Howを求めることによってKnowsを担保すれば良いと説明している.さらに鈴木は,“どのように教えるかと申しますと,端的に表現するとつまり,教えないということです.責任を移譲,つまりゴールはこれだと明示するだけで,やるかやらないか,どういうやり方で何回やるか,できるまでやるのは君たちの責任であって,私たち教員は君たちができるようになるまでとことん付き添います,という覚悟をしっかり表明しておくことが重要ではなかろうかと考えます.” と述べている.すなわち,教員主導のプロセス基盤型教育ではなく,学修成果基盤型教育や自己主導型学習のように学習者中心の教育が必要であることを,まず教員が認識すべきであると説明している.
学習者に変わることを求める前に,教員が変わることが重要であることを我々教員はしっかりと認識すべきであろう.
発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.