2025 年 9 巻 論文ID: e09057
本稿では,臨床ビッグデータや化合物データベースを “武器” として活用し,化学構造式を起点に基礎薬学と臨床薬学を往還的に結ぶ教育・研究の可能性を探った.筆者が展開してきた “化学構造式布教活動” では,化学構造式への一時的な興味を持たせることはできたものの,臨床現場での活用意識の定着には至らなかった.この課題を踏まえ,化学構造から得られた着想の有用性を明示するために臨床研究論文や医療・化合物データベースを活用した研究を展開した.本稿では,プロテアソーム阻害薬3剤の構造差に基づく不均衡解析や,臨床研究データからの着想によるドラッグリポジショニング研究の成果を紹介する.今後は,これらの医療・化学データベースを創薬・臨床研究のみならず薬学教育にも応用し,新たな橋渡し教育の形を模索していきたい.
This paper explores the potential of developing an educational and research framework that bridges basic and clinical pharmaceutical sciences by using clinical big data and compound databases as “tools.” The author has conducted educational activities termed “Chemical Structure Formula Evangelism,” which successfully aroused temporary interest in chemical structures but did not lead to a sustained awareness of their clinical application. Based on this challenge, research was conducted using clinical research papers and medical and chemical databases to demonstrate the practical value of insights derived from chemical structures. This paper introduces the results of a disproportionality analysis of cardiotoxicity among three proteasome inhibitors with different binding mechanisms and a drug repositioning study inspired by clinical research data. These efforts illustrate the potential for developing database-driven education that integrates chemical and clinical perspectives. The author aims to further apply these medical and chemical databases not only to drug discovery and clinical research but also to pharmaceutical education as a new bridge-building model.
筆者は理学部化学科の出身であり,学生時代から有機化学研究に没頭していたため,臨床を意識する機会はほとんどなかった.兵庫医療大学薬学部(現・兵庫医科大学薬学部)で創薬化学研究に従事する中で,医薬品の化学構造式を薬理学や薬物動態学と関連づけて理解する必要性を強く感じた1,2).この創薬研究の経験が,のちの “化学構造式布教活動” の基盤となった.
薬学部の教育課程では,医薬品を薬理学・薬物動態学・製剤学など多様な視点から学ぶが,その根底には創薬化学者がひたすら考え抜き,試行錯誤の末にたどり着いた医薬品の化学構造式が存在する3).薬学部では,医薬品の3次元構造を理解するための有機構造論,医薬品の合成経路や生体内・薬理活性反応の理解に繋がる有機反応論について多くの時間をかけて学んでいる4).一方,臨床現場では化学構造式を見る機会がほとんどなく,大学で学んだ知識が十分に活かされていないという声をしばしば耳にした.化学構造をデザインする研究を行っている者として,薬剤師に医薬品の化学構造に再び関心を持ってもらいたいと考えるようになった.そこで,化学構造式を基盤として薬理活性の特徴,薬物動態の傾向,そして臨床研究のデータを統合的に理解する試みとなる “化学構造式布教活動” を構想した(図1)5).

“化学構造式布教活動” のコンセプト.化学構造式を起点として,① 構造的特徴の理解,② 薬理学・薬物動態学・製剤学の化学的解釈,③ 臨床情報(効果・副作用)との関連を多面的に学ぶ内容としている.具体的な実施事例は既報を参照されたい.
2014年に滋賀県薬剤師会で初の “化学構造式布教活動” の機会を得てから,様々な地域で教育講演やワークショップを展開した.3年ほど経過した2017年に6年制1期生に対するアンケート調査の論文が発表され,改めて臨床実習の現場では有機化学が役に立つと考える学生は10%であり,認識されていないことを突き付けられた6).
この結果を見て,以前から抱いていた「薬剤師が化学構造式や有機化学の知識が求められているのか」という疑問を検証するため,2017年の “化学構造式布教活動” に参加した薬剤師を対象としたアンケート調査を実施した.その結果,回答のあった211名のうち,「添付文書に記載された化学構造式を見る」と回答した薬剤師は45%にとどまり,代謝物の構造式を確認すると答えたのは25%に過ぎなかった(図2)5).

薬剤師を対象とした化学構造の活用状況に関するアンケート調査の結果(文献5を基に筆者が再作成)
これまでに外部講演や執筆だけでなく大学の授業でも “化学構造式布教活動” を行ってきたが7,8),“化学構造式布教活動” の場面では化学構造式への興味を持たせることはできても,臨床における行動変容や活用意識の定着には至らないと感じていた.その要因を明らかにするためのワークショップを開催し,KJ法を用いて自由記述を分析した結果,図3に示す5つの要素群(いわば “5つの島”)に分類された.具体的には,① 構造式を活用する場面や時間が乏しいという環境面の問題,② 構造式に対する苦手意識や基礎知識の不足といった個人の問題,③ 基礎と臨床の教育が乖離している教育の問題,④ 構造式を使う社会的・職能的要請が弱いという需要の問題,⑤ 構造式を臨床的に活用するための根拠が乏しいという科学的データの問題に分類された9).これらの結果から,臨床における意思決定過程では,有機化学からの観点が “決定打” にならないことが,単発的な統合授業や研修が一過性の影響しか与えない1つの要因であると考えられた.

KJ法「なぜ化学構造式を臨床で活かせないのか」の島の分類名を用いた図式化.ワークショップ参加者の自由記述をKJ法で整理した結果,構造式を臨床で活用できない要因は「環境面」「個人面」「教育面」の3側面に分類された.これらの相互作用が,構造式の臨床的活用を阻む構造的問題として抽出された(文献9を基に筆者が再作成).
臨床の現場では診療ガイドラインや臨床エビデンスを基盤に,薬物動態などを考慮して治療効果を判断するため,“化学構造式” が直接的な決め手となる場面はほとんどない.しかし一方で,「薬理活性に必須な構造はどれか」「どの受容体や酵素との結合が薬効を左右するのか」「なぜ併用禁忌や特定の剤形が設定されているのか」といった医薬品の科学的特性を意識する姿勢は,薬剤師に求められる専門性の根幹であると考えている10).これらの観点の原理を踏まえた上で臨床エビデンスと統合して検討することにより,患者個々に応じた薬剤選択や処方提案の質を高める可能性があると考えられた.
このような経験を通じて筆者は,教育の限界を補うためには,化学構造式の理解や有機化学的知識を “臨床的に有用な形” で提示する必要があると考えるようになった.そこで,“化学構造式からの着想” の有用性を研究データとして明示するしかないという結論に至った.
“化学構造式からの着想” の有用性を示す1つの方法論として着目したのが有害事象自発報告データベースである.“化学構造式布教活動” においても,添付文書で禁忌なっている根拠を化学的に説明していたが,有害事象発現の可能性について化学構造式の観点から着想し,データベースを活用することで “データに基づく仮説生成” を行いたいと考えていた.
その後,具体的な対象を見出せないでいたが,医薬品化学の授業準備の際にプロテアソーム阻害薬の3剤の阻害活性の活性発現機構が化学的に異なる点に着目した.ボルテゾミブとイキサゾミブはホウ酸部位と標的蛋白質との間で可逆的な共有結合を形成するのに対し,カルフィルゾミブはエポキシド部位が不可逆的な共有結合を形成する(図4A).
この当時,カルフィルゾミブの心毒性に関する報告が出ていたこともあり,プロテアソーム阻害薬3剤の心毒性に対する不均衡性(シグナル)の有無について評価を行った.米国食品医薬品局有害事象報告システム(FAERS)に抗がん剤として登録された231薬剤の自発報告を対象として心不全の報告オッズ比(ROR)を指標とした.検討の結果,不均衡性を示したのは,静脈投与剤であるボルテゾミブとカルフィルゾミブであり,化学構造から着想した阻害形式の違いで不均衡性に違いはなかった(図4B)11).しかし,化学構造からの着想により開始した研究により,投与経路の違いが心毒性に関連しているかもしれないという “データに基づく仮説生成” に行きついたと考えている.

プロテアソーム阻害薬3剤の共有結合阻害形式の違いとFAERSを用いた不均衡解析の結果.(A)ボルテゾミブおよびイキサゾミブはホウ酸部位を介して可逆的な共有結合を形成し,カルフィルゾミブはエポキシド部位により不可逆的な共有結合を形成する.(B)FAERSに登録された抗がん剤231薬剤を対象に心不全の報告オッズ比(ROR)を算出した結果,静脈投与剤であるボルテゾミブおよびカルフィルゾミブで不均衡性が認められた.(文献11を基に筆者が再作成).
本解析結果は,“データに基づく仮説生成” に過ぎず因果関係を結論づける困難である12,13).現在,当研究室の院生と協働しながらで院内カルテ調査や診療情報データベースを用いた解析による検証を行っている.
逆のアプローチとして “臨床研究データからの着想を創薬化学へ” の視点で展開した基礎研究を紹介する.筆者は,「臨床研究論文の評価方法」について薬学生や薬剤師に伝える活動も行っており14,15),その題材を探すために臨床研究論文に触れる機会を持っていた.その過程で,台湾国民保険データベースを用いた解析により統合失調症患者が非統合失調症患者に比べてがん発生オッズが0.64倍となる研究論文に着目した16).様々な背景因子の影響は排除できないが,統合失調症治療薬が抗がん作用に関連しているかもしれないと着想した.その中で特徴的な分子骨格を有し,化学的にも興味深いと考えたブロナンセリンに着目した.膠芽腫細胞を用いた増殖抑制活性評価により,臨床低分子薬のテモゾロミゾドに比べて5倍以上強い膠芽腫細胞の増殖抑制作用を有することを見出した17).さらに,KEGG DRUG Databaseの類似性検索(SIMCOMP)を用いて18),ブロナンセリンと化学構造が共通している医薬品候補として,片頭痛薬であるロメリジンおよびアゼラスチンを抽出し,いずれもブロナンセリンより強い増殖抑制作用を示すことを見出した(図5)19,20).これらの結果は実験室レベルのものであり,即座にドラッグリポジショニングに結び付くわけではないが,臨床研究データおよび化合物データベースの情報を着想の原点とすることで,新たな基礎研究へと展開できる可能性を示したと考えている.

臨床研究データおよび化合物データベースの類似性検索の情報を着想の原点とした基礎研究の事例
本稿で紹介した取り組みは,医療ビッグデータや化合物ビッグデータを “武器” として活用することにより,化学構造式を起点として基礎薬学と臨床薬学とを相互に結ぶ教育・研究へと繋がる可能性を示した.今後は,様々なデータベースを創薬・臨床研究のみならず薬学教育にも応用し,新たな橋渡しの形を模索していきたいと考えている.
本稿で紹介した研究・教育活動を進めるにあたり,兵庫医科大学薬学部創薬化学研究室および臨床医薬品化学研究室の大学院生および学部学生の協力を得た.ここに深く感謝申し上げる.また,これらの研究は,関係する共同研究者の多大な支援と助言によって支えられたものであり,併せて謝意を表する.
発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.