日本公衆衛生看護学会誌
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ISSN-L : 2187-7122
研究
吃音がある子どもに対する関わりの中で親が抱く思い
―子どもへの支援的な関わりを通して―
有田 愛莉平野 美千代
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2020 年 9 巻 2 号 p. 72-80

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Abstract

目的:吃音がある子どものために親が行う支援的関わりの中で親が抱く思いを明らかにする.

方法:吃音がある幼児期または学齢期の子どもをもつ父親および母親10名に半構成的面接を実施し,質的記述的方法によりカテゴリを生成した.

結果:9カテゴリが抽出され,親は子どもに対し【子ども自身が吃音に向き合うことを期待する】,【子どもが吃音による苦痛を抱えることが心配である】,【吃音による子どもの先行きが心配である】等の思いを抱き,親である自身に対し【子どもの吃音に責任を感じる】等の思いを有していた.そして周囲に対しては【吃音について知識のある専門家にそばにいてほしい】,【吃音の理解者がいることで安心できる】等と感じていた.

考察:子どもの最も近くで支援的に関わっている親は日常的に吃音による子どもの苦難を懸念していた.また吃音の症状は今後変化する可能性があるため,子どもの将来や吃音への向き合いに期待する思いが存在していた.

Translated Abstract

Objective: This study aimed to clarify parents’ feelings about the supportive rearing of children who stutter.

Methods: We conducted semistructured interviews with 10 parents of children who stuttered in their early childhood or school age. From the interview data, we generated categories based on the codes’ similarity in meaning and analyzed this information using inductive and qualitative methods.

Results: We extracted nine categories from the interview data, including parents’ expectation of their children to overcome stuttering, their concern for their children’s suffering caused by stuttering, their concern for their children’s future because of the disorder, their feeling of being responsible for their children’s stuttering, their need for the assistance of a stuttering expert, and their feeling of security alongside people who understand stuttering.

Discussion: Because of the parents’ close involvement in supporting their children with stuttering, they were concerned about their children’s daily hardship caused by their disability. In addition, stuttering symptoms may change in the future, so parents are also worried about their children’s future and expect them to overcome the disorder.

I. 緒言

吃音は,発達性吃音と獲得性吃音に分類される考え方がある(府川,2001).幼児期に発症しやすい発達性吃音(以下,吃音)は2~5歳に人口の5.2%に発症し,その後2年以内に71.4%は吃音がなくなる(Månsson, 2000)との報告や,発症4年で74%が自然回復する(Yairi et al., 1999)との報告があり,吃音は自然回復が期待できる障害である.吃音の原因は脳にある(Chang et al., 2015)とする考え方が主流になりつつある一方,幼児期にみられる非流暢性に対し注意や叱責等を加えることで吃音が進展するとした診断起因説(Johnson, 1942)もある.この診断起因説は,親の育て方や関わり方等の環境を原因と特定する考え方であり,現在でも根強く残っている.

また,吃音は治療的な介入により回復が見込まれる障害であり,治療法の中には親が関わる方法がある.方法例として家族の発話速度を低下させる等,環境を最適化する方法である環境調整法や,子どもの流暢な発話に対して「賞賛」,吃音症状に対して「自己修正の促し」等,保護者が応答するリッカムプログラム等がある(坂田ら,2017).親は日常生活を通してこのような関わりを行うことが可能である.親の関わりにより子どもの吃音の回復が期待できることから,親が果たす支援的役割は大きいといえる.

さらに,親の子どもに対する支援的関わり方や子どもに与える環境が,吃音の発症や進展,回復に影響すると考えられる.吃音がある子どもの親は,子どもの発話に関して非流暢性の原因や重症度,回復の可能性等を理解しようとする(Humeniuk et al., 2016)ことが報告されている.また,親は吃音の症状と原因が曖昧であることに不安を抱き,吃音の発症時に親が気づいた非流暢性が,子どもにとって心配すべき事項かあるいは様子をみるべき事項かに迷いを感じている(Plexico et al., 2012).親は子どもの吃音に関する心配や迷い等を抱きながら子どもの支援者としての役割を果たしていると考えられるが,現在,親に求められている支援的関わりに着目した研究はない.また,子育てならびに吃音に対する考え方,関わり方は,文化や保健医療福祉制度等により各国で異なると考えられ,諸外国の知見をそのまま日本の吃音をもつ子ども,親にあてはめることは難しいといえる.したがって,支援者としての立場で子どもの吃音に対して関わる親に着目し,吃音のある子どもの親であることで経験する思いやその意味について検討していく必要がある.

そこで本研究は,吃音がある子どものために親が行う支援的関わりの中で親が抱く思いを明らかにすることを目的とする.本研究により,吃音のある子どもの親の複雑な思いを示すことができ,親子に対する公衆衛生看護における支援を検討することが可能となると考える.

II. 研究方法

1. 用語の定義

支援とは「ささえ助けること,援助すること」,関わりとは「関係,つながり」(広辞苑,2018)であることから,本研究では支援的関わりを「子どもの吃音に関して直接的および間接的にささえ助けること」と定義する.

また,思いとは「思う心の働き・内容・状態」(広辞苑,2018)であることから,本研究では思いを「子どもや親自身,周囲の人々や環境に対して心を働かせることやその心の働きの内容,状態のこと」と定義する.

2. 研究デザイン

研究デザインは質的記述的研究とした.本研究は吃音がある子どもをもつ親が,子どもの吃音自体や子どもの生活環境等について支援的な関わりをしている中でどのような思いを抱いているのかという現象を扱う.そのため,対象者にとっての経験やその意味を帰納的に探究し,理解する方法である質的記述的研究が適していると考えた.

3. 調査方法

1) 研究参加者

研究参加者は吃音がある幼児期または学齢期の子どもをもつ父親および母親とし,親自身の吃音の有無は問わないこととした.研究参加者を幼児期と学齢期にした理由は,「支援的関わりの中で親が抱く思い」という現象は,子どもの年齢や発達段階に応じて異なる部分はあるものの類似性も多いと考えたためである.

研究参加者の選定は,主にA県で活動している吃音がある人のセルフヘルプグループの代表者とB市幼児ことばの教室の運営責任者に研究協力を依頼し,グループまたは教室に参加し吃音をもつ子どもに支援的関わりをしている者の紹介を依頼した.両組織より計10名の研究参加者の紹介を得た.本研究おいて研究依頼組織を2施設にした理由は,セルフヘルプグループは当事者が集まる場所であり,幼児ことばの教室は言葉に心配のある子どもが通う場所であることから,どちらの場所も親が子どもの吃音を心配し,何らかの形で支援的に関わっていると考えたためである.

2) データ収集方法

2017年7月から9月に半構成的面接法を用いたインタビュー調査を個別に30~60分程度実施した.インタビュー内容は許可を得てICレコーダにて録音した.

3) インタビュー内容

インタビュー前に,フェイスシートにて,研究参加者の情報(年齢,性別,職業,吃音の有無,同居家族),子どもの情報(年齢,性別,発吃年齢,吃音の症状・程度・特徴,現在行っている治療,吃音に関連する出来事),子どもの吃音に対する普段の関わりについて尋ねた.

インタビューでは,支援的関わりとその中での思いが語りやすくなるよう,時系列に沿って自由に語ってもらえるよう進行した.質問内容は,①子どもの吃音に気づいたきっかけ,②普段の子どもの吃音への関わり方,③子どもの今後の将来について等で構成した.

4. 分析方法

質的記述的方法を用い,まずインタビューの録音データをもとに逐語録を作成した.分析テーマを「支援的関わりの中での親の思い」とし,関連する文脈に着目しコードを抽出し,コードの意味内容を比較検討し,同様の意味を表していると判断したものをまとめ抽象度をあげ最終コードとした.なお,最終コードの生成まで事例ごとに行い,紹介を受けた組織により最終コードの相違は認められないことを確認し,両組織をあわせて子どもの年代別(幼児期/学齢期)に分析をし,学齢期はさらに父親と母親に分けて分析をした.

サブカテゴリは幼児期と学齢期ごとに最終コードの類似性をもとに作成し,さらにサブカテゴリの類似性に基づきカテゴリを生成した.さらに,全てのサブカテゴリとカテゴリの内容を確認し,潜在する意味を事例をもとに検討しながらストーリーラインを作成した.

5. 真実性の確保

分析の真実性の確保のため,メンバーチェッキングとして研究参加者2名にカテゴリとサブカテゴリを示し,データの解釈が妥当であるかを確認し,内容に関しては納得できるものであるが,助詞の使い方に不自然なものがあるとの回答を得た.そのため分析結果を一部修正した.また,分析は共同研究者間で検討を重ね,質的研究の経験のある大学教員からスーパーバイズを受けることで真実性を確保した.

6. 倫理的配慮

研究への参加は自由意志によることや匿名性の保障等,研究参加者と協力機関に文書と口頭で説明し,研究への同意は同意書の署名をもって得た.

インタビュー中の配慮として,研究者は定期的に吃音がある人のセルフヘルプグループに参加しており,これまでの吃音のある子どもをもつ親との関わりの経験から,親の思いを理解したインタビューに心がけた.

なお,本研究は,北海道大学大学院保健科学研究院倫理審査委員会の承認を受け実施した(承認番号:17-46,承認日:平成29年7月13日).

III. 研究結果

1. 研究参加者の概要(表1

学齢期の子ども(7~14歳)をもつ親は7名であり,そのうち3名が父親,4名が母親であった.幼児期の子ども(5~6歳)を持つ親は3名とも母親であった.子どもの年齢は5~14歳であり,吃音の発症年齢は2~3歳であった.子どもの年齢を詳細に記載することで個人が特定される可能性があるため,倫理的配慮の観点から表1では年齢を「5–6歳」「7–9歳」「10–14歳」の3つの区分で示した.面接時間は33~72分,平均面接時間は51分であった.

表1  研究参加者の概要
参加者 子ども
A 7–9歳
B 10–14歳
C 10–14歳
D 7–9歳
E 10–14歳
F 10–14歳
G 10–14歳
H 5–6歳
I 5–6歳
J 5–6歳

2. 吃音がある子どもに対する関わりの中で親が抱く思い(表2

吃音がある子どもに対する支援的関わりの中で親が抱く思いについて,21サブカテゴリ,9カテゴリが抽出された.幼児期の子どもをもつ親にのみ表れたカテゴリは1つ,学齢期の子どもをもつ親にのみ表れたカテゴリは1つであった.また,母親にのみ表れたサブカテゴリは2つ,父親にのみ表れたサブカテゴリは2つであった.なお,表には184の最終コードのうち一部を抜粋し記載している.以下,カテゴリは【 】,サブカテゴリは〈 〉,研究参加者の語りは「斜体」で記述する.

表2  吃音がある子どもに対する関わりの中で親が抱く思い
カテゴリ サブカテゴリ 最終コード
子ども自身が吃音に向き合うことを期待する 子どもが自分の吃音に関する問題に向き合うことができるか気がかりである 子ども自身の力で吃音による問題に向き合えるか心配である
自分の吃音に気づくときの子どもの気持ちを想像すると不安である
子どもが吃音のある自分自身をどう感じるか気がかりである
子どもには自分の吃音に対応できるようになってほしい 子どもには吃音があっても自分の言葉で伝えたいことを伝えていけるようになってほしい
就職面接の頃には子どもは吃音をもっとコントロールできるようになっていてほしい
少しでも子どもが安心できる喋り方を子ども自身が分かっていると良い
子どもには自分なりに吃音への対処法をみつけてほしい
子どもには吃音についての悲しい思いを自分から学校の先生に言えるようになってほしい
吃音があってもその子なりの成長を願う 子どもには吃音があっても自分らしさを持ち続けてほしい 吃音を個性として子どものありのままをサポートしていきたい
吃音があってもこの子らしくいることが子どもの自信につながる
吃音がどうなっても今まで通り元気なわが子でいてほしい
子どもには吃音があっても自分に自信を持ってほしいc 子どもには自分に自信を持って吃音というマイナスをカバーできるようになってほしい
子どもが吃音がある自分自身を認めて生きてほしい
吃音があっても子どもがしたいと思うことを挑戦できるようになってほしい
子どもには吃音があっても人並みに生活できるようになってほしいd つまることなくすらすら困らない程度にまで喋れるようになってくれればいい
吃音がない子と変わらず挨拶や返事ができる子にしたい
子どもは吃音があっても人並みになんとかしていける
子どもが吃音による苦痛を抱えることが心配である 吃る子どもを見て自分もつらいと感じる 吃音の症状がひどいと子どもとともに自分もつらい
吃りながら声を出そうとする子どもを見て苦しそうに感じる
子どもが吃音によって嫌な思いをし苦痛を抱えることが心配である 子どもは吃音があることで学校生活でからかわれやすいと思う
子どもが学校で嫌な思いをしていないか心配である
子どもは小学校で吃音を馬鹿にされてふさぎ込むかもしれない
人前で発表するとき子どもは吃って喋れないのではと心配である
自由に吃っている子どもを見て黙っていれば苦しくないだろうにと思う
吃音による子どもの先行きが心配である 吃音の症状が今後どうなるか先行きが不透明で見えないことに不安を持つ 吃りながら声を出そうとする子どもを見て突破口がないかもどかしさを感じる
吃りが減ってきていることでこのままなくなることを期待しつつも,今後もなくならない不安がある
吃音の状態が今後どうなるか想像がつかない
子どもに吃音があることで将来がどのようになっていくか心配である 子どもは今のような話せない状態では将来就職は難しい
先が見えない不安があるのでセルフヘルプグループで吃音についての不安を話したい
子どもの将来を想像するためにセルフヘルプグループで色々な吃音の出方を知りたい
子どもの吃音についてみえない部分がありもどかしいa 子どもの吃音について把握しきれない部分があるので全てを分かってあげられない 子どもの吃音の症状が重くなる背景には何らかの不安や目に見えない何かがあるのではと思う
子どもは吃音で落ち込んでも自分には見せないかもしれない
自分が把握できる吃音の症状は吃音の一つの側面にすぎない
吃ることに対する子どもの本心が分からない 子どもは吃っても平気な様子だが本心は分からない
子どもは話しにくさに気づいているか分からない
子どもの吃音に責任を感じるb 子どもの吃音に関して親としてできるだけ力になりたい 吃音の改善に効果がありそうなものはやっていきたい
子どもには吃音で困ったときに自分で対処できるよう,色々な経験を積ませてあげたい
吃音に関して子どもが困ったら親は一緒に考えることができる
吃らない方法を日頃から探し,子どもとの関わりに使えるのではないかと思う
普段の吃音に対する関わりに負担感はない
子どもの吃音の症状に対し自分の責任を感じる 子どもの吃音に対して自分だけでは何もできない無力感を抱く
吃音を指摘することで子どもが自分の吃音を意識してしまうことに不安を持つ
もう少し早く治療を始めれば子どもの吃音はもっと改善したかもしれない
吃音について知識のある専門家にそばにいてほしい 子どもの吃音について理解のある専門職の存在に安心できる ことばの教室は吃音を理解してくれる頼れる場所である
ことばの教室は子どもの発達で悩む自分の心のよりどころである
言葉を専門にする言語聴覚士は頼れる存在である
吃音に専門的に対応してくれる人がほしい 吃音について相談できるところが少ない
吃音について相談したくても頼れる人がいない孤独感を抱く
吃音について的確なアドバイスをしてくれる人が必要である
言語聴覚士の吃音への対応に疑問をもちながらもケアをやめる決断もできない
吃音の理解者がいることで安心できる 吃音がある子どもへの周囲の理解がほしい 子どもの吃音に関心を持ってくれる人がいることに嬉しさを感じる
周囲の人に吃音のある子どもの味方になってほしい
吃音を正しく認識している人が少ないことに気を病む
子どもには吃音があってもひとりではない安心感を持ってほしい 子どもに横のつながりが必要になったときのために,セルフヘルプグループでつながりをつくってあげたい
セルフヘルプグループでは,子どもは吃るのは自分だけじゃない安心感があるかもしれない
学校の先生が子どもの吃音を気にしてくれていることが分かるだけで安心する
セルフヘルプグループで子どもは吃音の人の存在を分かることで精神的に楽になる
吃音についての深い話ができる場は貴重であるd 最新の知見を勉強することで子どもの吃音に対し理論をもとに関われる
セルフヘルプグループに来ることで吃音に関する情報が得られて良い
吃音の相談相手がいることで安心できるc 子どもの吃音で困った時に相談できる場所があり安心感できる
吃音について相談する場所がない中でようやくセルフヘルプグループにつながれて嬉しい
専門家が自分たちの話を聞き入れてくれるだけで安心する
吃音について知識がある人とつながっていることで安心する
吃音に対する周囲の理解が気がかりである 周囲の人には吃音への理解が広まっていないことを感じる 周囲の人は自分よりももっと吃音のことが分からないと思う
吃音が知られていないことで,周囲の人は吃音がある子どもへの接し方が分からないと思う
吃音のことをもう少し世の中の人が分かってくれると子どもが生きやすくなる
吃る子どものことを周囲の人がどう思うかが気にかかる 子どもが吃っているときに周囲の人がどう思っているのか,周囲の目が気になる
吃音のある喋り方について周囲の人に何を言われるかが心配である

a:幼児期のみ,b:学齢期のみ,c:母のみ,d:父のみ

注)184の最終コードのうち一部を抜粋

1) 【子ども自身が吃音に向き合うことを期待する】

子どもの今後について〈子どもが自分の吃音に関する問題に向き合うことができるか気がかりである〉という思いを抱き,この思いは現在の吃音症状や,子ども自身が持つ吃音についての認識の程度,子どもの性格や特性と関係していた.さらに,子どもが吃音による話しにくさに対しての解決策を自分なりに見つけ,対応することを望み,〈子どもには自分の吃音に対応できるようになってほしい〉と感じていた.

「言葉というものが主役に立ったときに,彼はどう解決するのか,どう向き合うのかはまだ分からないので.(中略)不安もあるし,何か彼なりのあれ(前向きさ)で行ってくれるんじゃないかという楽しみと期待も実はあって」(I)

「こうしなさいああしなさいって言った方がたぶん本人は楽だと思うんですけど,(子どもが)自分で考えなくなると思うので,やっぱり自分(子ども自身)で考えさせた方が.急にがっと話せるようになるのかなと自分(私)は思っています」(B)

2) 【吃音があってもその子なりの成長を願う】

幼児期の子どもの親は,子どもに吃音があるとしても,〈子どもには吃音があっても自分らしさを持ち続けてほしい〉と思っていた.吃っている子どもを見守りながら子どもの喋る気持ちを尊重し,吃音があることを隠さずに自信をもち,この子なりに育ってほしいという思いであった.また,学齢期の子どもに対して母親は〈子どもには吃音があっても自分に自信を持ってほしい〉という思いを抱き,吃音について子ども自身が理解し,吃音がある自分を認識し,肯定して生きてほしいと願っていた.一方,学齢期の子どもを持つ父親は〈子どもには吃音があっても人並みに生活できるようになってほしい〉と考え,子どもが言葉を話すことに困ることなく吃音がない人と同じように生活することへの希望を有していた.

「自分には自信があって自己肯定感も高くて,のびのびと生きていく,人のことを認めて,だめなところもいいところも認めて生きてく,そうなってほしいって.〇〇(子ども)が吃なこと(吃音であること)に対しても前向きに生きて,捉えて生きてほしいなあっていう」(D)

3) 【子どもが吃音による苦痛を抱えることが心配である】

親は,吃音によって生じる子どもの不安なことや嫌なことに耳を傾けるといった支援的関わりをしていた.そのような中で親は〈吃る子どもを見て自分もつらいと感じる〉ことがあり,子どもが吃っているときの表情や吃り方等を日々見守る中で,子どもとともにつらさを感じ,子どもに対する接し方に困難感を抱えていた.また〈子どもが吃音によって嫌な思いをし苦痛を抱えることが心配である〉という思いを抱き,子どもが普段の生活の中で生じる吃音による苦痛を心配していた.

「(子どもに吃音を)気にさせない方がいいって言っても,本人はきっと辛い思いをしているかもしれないから言葉をかけてあげてその辛い気持ちを聞いてあげたいっていうか.辛い気持ちっていうのを,一人で抱えさせておくことの方が良くないんじゃないのかなと」(E)

4) 【吃音による子どもの先行きが心配である】

吃音の症状は日々変化し,悪化と改善を繰り返していく中で,親は〈吃音の症状が今後どうなるか先行きが不透明で見えないことに不安を持つ〉ことがあった.〈子どもに吃音があることで将来がどのようになっていくか心配である〉という思いも生じ,子どもの就職等,具体的な将来を心配していた.

「まだ5歳で,そこまでは想像はつけないというか.なんかよく,小学校上がるぐらいになったら治るよとか,聞いたりもしてるし,たしかに減ってきてるし…ね,でもまたいつ波がくるのかなあっていう不安はあるんですけど」(J)

「一番の心配は吃ることでの将来だから.ある程度大学まで行って,いろんな資格を持ってるにもかかわらず,就職試験で落ちた時を思うと…先のこと考えたらきりないですけど」(F)

5) 【子どもの吃音についてみえない部分がありもどかしい】

子どもが親の目の届かないところにいるときには,子どもの吃音の状態や子どもの様子等を把握することができず,〈子どもの吃音について把握しきれない部分があるので全てを分かってあげられない〉,〈吃ることに対する子どもの本心が分からない〉と感じていた.

「生活面で困っていること,トラブルになっていることは本人に聞く前に先に(幼稚園の教員に)様子を聞いたりしていますね.もし本人が苦しんでいても私に言えないこともあるかもしれないので,できるだけ把握はしてあげたいなと」(I)

「本人(子ども)は大して気にしてなくて,吃っちゃったときに笑ってたんですけど,それは本心か分かんないんですけど.ちょっと難しいなあとは思っていて」(J)

6) 【子どもの吃音に責任を感じる】

親は,通院や子どもと一緒に吃音の対処法を考えること等を通し,〈子どもの吃音に関して親としてできるだけ力になりたい〉と考えていた.子どもの吃音について何もしてあげられない時期を過ごしていたことで,より子どもの力になりたいと感じていた.また〈子どもの吃音の症状に対し自分の責任を感じる〉ことがあり,子どもの吃音症状の悪化や改善には,親として一番近くで関わっている自分に責任があると感じ,自分の関わりにより子どもの吃音が左右されることを実感していた.

「そのときどきでやっぱり色々とこの先もあるだろうから,そういうときに一緒に悩んだり話したりっていうことだけはできるといいなと思ってますね」(G)

「(以前通っていたところの言語聴覚士から)『指摘しないであげてお母さん』『怒らないであげて』『最後まで聞いてあげて』,何度も言われてたんですよね.全部私のせいだし,何をしたらいいのかも分からないし…誰か助けてって思ったけど誰も答えくれない」(D)

7) 【吃音について知識のある専門家にそばにいてほしい】

親は〈子どもの吃音について理解のある専門職の存在に安心できる〉という思いを有していた.子どもの吃音に対して専門的に診てくれる人や機関につながるまで時間がかかり,吃音の相談をする場がない経験により,単なる吃音の専門職ではなく吃音について理解を示してくれる専門職との出会いに安心するという思いであった.さらに,どのように子どもと関わるべきかという具体的な専門知識も求めており〈吃音に専門的に対応してくれる人がほしい〉という思いを抱いていた.

「保健師さんなのか,3歳児健診とか色々あるじゃないですか.でもだいたいみなさん,『様子みましょう』しか言わなかったですね.相談する場所がどこにもないっていうか」(G)

「(吃音の専門の)先生とやり取りをしてて,すごくその期間支えられた部分があって.的確なことを教えてくれるっていうのと,気持ちに寄り添ってもらえるっていうのがすごく…だからここまで来れたっていう気が正直します」(E)

8) 【吃音の理解者がいることで安心できる】

幼児期の子どもを持つ親は〈吃音がある子どもへの周囲の理解がほしい〉と日々感じており,子どもが小さいうちは子どもの味方となる人を増やしたいと思っていた.研究参加者の中には,保育園や幼稚園,学校の教員との相談体制をつくる者や,吃音のある人のセルフヘルプグループとつながることにより,子どもの支えとなる存在と関係をつくる者がいた.また,子どもが今後親の手を離れていくことを想定し〈子どもには吃音があってもひとりではない安心感を持ってほしい〉と考え,困ったときに子ども自身が相談できる場所をつくっていた.さらに,吃音の理解者の存在により親は〈吃音についての深い話ができる場は貴重である〉,〈吃音の相談相手がいることで安心できる〉という思いを有していた.

「将来的に子どもが親よりも,横のつながりっていうか友だちとのつながりが必要になったときにこういう〇〇(セルフヘルプグループ)みたいなところに参加していろんな友だちと知り合ってたら将来それが活きるかもしれない,っていう.今,親が作れるつながりはいろんなところで作っていけたらいいなと」(G)

9) 【吃音に対する周囲の理解が気がかりである】

親は,支援的関わりとして,子どもの吃音を周囲の人に理解してもらうために,子どもの吃音を隠さずオープンにすることを心がけていた.しかし,その中で親は〈周囲の人には吃音への理解が広まっていないことを感じる〉ことがあり,吃音を理解している人はまだ多くはない現状を実感していた.また,そのような現状を理解した上で,吃音のある子どもをもつ親として〈吃る子どものことを周囲の人がどう思うかが気にかかる〉ことがあった.

「吃音のことがですね,自分も分からないけれど周りはもっと分かんないですからね.一般の人も子どもも周りの子どももみんな分からないですよね」(C)

「3歳になる前に保育園の巡回相談で,お子さんの心配事についてありませんかってまわるのがあって.アドバイスが『お母さんの育て方が悪いと思います』みたいな.いつの時代よー!みたいな.あなたそれでも相談員ですかって.ああほんと知られてないんだなって」(F)

3. ストーリーライン

吃音のある子どもをもつ親は,子どもが吃音の症状や問題に対処することに対し,【子ども自身が吃音に向き合うことを期待する】思いや,吃音を含めて子どもの現状を受けとめ【吃音があってもその子なりの成長を願う】思いを抱いていた.一方,吃音による喋りにくさや恥ずかしさ等について【子どもが吃音による苦痛を抱えることが心配である】と感じ,今後の吃音の症状や子どもの将来について【吃音による子どもの先行きが心配である】と感じていた.このように親は,「子どもが吃音を受け入れることへの期待」や「子どもの吃音による苦難への懸念」を抱いていた.

また,子どもの本心や離れていて様子が把握できないことに対し,【子どもの吃音についてみえない部分がありもどかしい】と感じていた.さらに,子どもに対する関わり方や与える環境の吃音への影響を懸念し【子どもの吃音に責任を感じる】という,「親として子どもの吃音に関して力になることへの困難さ」を感じていた.

そして,親は子どもや自分に関わる周囲の人に対し理解を求めており,【吃音について知識のある専門家にそばにいてほしい】という思いを有していた.親は吃音について理解のある人と関わることで【吃音の理解者がいることで安心できる】と感じていた.吃音が理解されにくい社会を認識しながら【吃音に対する周囲の理解が気がかりである】と,「関係する周囲の人への自分や子どもに対する理解の希求」の思いも抱いていた.

IV. 考察

本研究は,親が吃音のあるわが子への支援的関わりの中で抱く思いという,これまで明らかにされてこなかった現象に着目し,質的記述的研究にて記述した.カテゴリ及びサブカテゴリは,他の障害にも類似する点も見受けられるが,それらの意味や背景を踏まえて解釈することで,吃音の特徴を読み取ることができると考える.上記を踏まえ考察では結果のストーリーラインの軸となっている「子どもが吃音を受け入れることへの期待」,「子どもの吃音による苦難への懸念」,「親として子どもの吃音に関して力になることの困難さ」,「関係する周囲の人への自分や子どもに対する理解の希求」の4つの観点から,抽出されたカテゴリをもとに親が抱いている思いについて考察する.

1. 子どもが吃音を受け入れることへの期待

親は【子ども自身が吃音に向き合うことを期待する】という思いを抱いていたが,この思いは子どもが自分の吃音の症状や吃音によって生じる様々な問題に向き合い,対処していくことを期待するものであった.吃音のある子どもが自分に吃音があることを意識し始める年齢は7歳が最も多く,平均年齢は8.1歳である(菊池ら,2015)ことが示されている.またIverachら(2016)は,吃音と社交不安障害には関連があり,吃音がある子どもは吃音がない子どもと比較して社交不安障害のリスクが6倍であることを報告している.吃音がある子どもは言葉によるコミュニケーションの難しさを実感しながら,他者との関係性を構築し社会生活を送ることになる.親は日々の生活で生じる吃音による問題も,子ども自身の力で対処することを期待していると考えられる.

また,親は子どもに対し【吃音があってもその子なりの成長を願う】という思いを抱いていた.身体障害のある学齢期の子どもの親は,子どもが他の子に追いつくように頑張っていても差が開いてしまう現状に直面することで,ありのままのわが子を捉えるようになる(濱田,2009).吃音においても吃音を含めて子どもの現状を受けとめ,今後の成長を願っていると考えられる.さらに吃音では,吃音があってもその子の成長を願う思いがあることに加え,【子ども自身が吃音に向き合うことを期待する】という子どもが自ら障害に立ち向かうことを期待する思いも抽出されているのが特徴である.吃音がある子どもは,言葉の成長以外は標準と見なされることが多いことや吃音の症状の重症度が今後も変化する可能性があるため,親は子どもの吃音以外の部分の成長を期待し,子どもが今後も変化していく吃音に対処しながら成長してほしいと願っていると考えられる.

2. 子どもの吃音による苦難への懸念

親は【子どもが吃音による苦痛を抱えることが心配である】と感じていた.吃音症状には,吃りや繰り返し等の「目に見える症状」と吃ることへの予期不安や吃りそうな言葉を回避する等の「目に見えない症状」がある(Yairi et al., 2015).子どもは吃音により,言葉がスムーズに出てこない苦痛や人とのコミュニケーションを円滑に行うことができない苦悩を抱えていると推察され,子どもの最も近くで支援的に関わっている親は,日常的にそのような子どもの苦難を慮ると考えられる.

また,親は子どもの吃音の症状や,吃音があることによる子どもの将来について【吃音による子どもの先行きが心配である】と感じていた.吃音のある成人を対象とした研究では,約7割が吃音は職業選択の幅を狭めたと回答している(飯村,2017).親は子どもが様々な経験する際に,吃音の症状が悪化することや吃音の影響で子どもの将来が狭まることを危惧していると考えられる.

3. 親として子どもの吃音に関して力になることの困難さ

子どもの吃音に対する本心や,子どもが離れた場所にいるときに子どもの吃音の様子を把握できないこと等に対し,親は【子どもの吃音についてみえない部分がありもどかしい】という思いを抱いていた.先行研究では,子どもの吃音の発症時に親が観察していた子どもの非流暢性を,幼児期に典型的なものかを親は判断できないと感じていた(Plexico et al., 2012)ことを報告している.親は,子どもに対する支援的関わりとして,子どもの吃音の状態を見守ることしかできない時期や場面があり,子どもが抱えている吃音によるつらさや親の目の届かない場所での子どもの困難について理解できないもどかしさを感じていると考えられる.

また,親は子どもに対する関わり方で子どもの吃音の症状を方向付けてしまうのではないかと【子どもの吃音に責任を感じる】という思いを抱いていた.子どもの発話を促すことや,子どもが吃音について自由に話せる環境を提供することは,親が子どもを支援する重要な方法である(Yairi et al., 2015).また,吃音の原因は未だ明らかになっておらず,診断起因説も根強く残っている現状にある.そのため,親は子どもの吃音の原因を自身の育て方や関わり方ではないかと自分を責め,さらに親として子どもの吃音を回復させなくてはならないと責任を感じていたと考えられる.

4. 関係する周囲の人への自分や子どもに対する理解の希求

親は自分の吃音についての知識が不確かだと感じて専門職に助けを求めるが,一部の研究参加者は専門職の対応に納得できない経験をすることで,単なる専門職ではなく【吃音について知識のある専門家にそばにいてほしい】と感じていた.親は子どもの吃音の原因や治療法について確かなものがないことを経験し,子どもがより流暢に話すことを望んで専門的な助けを求める(Plexico et al., 2012).しかし,Johnsonの診断起因説の根強い影響のため,親や医師は吃音を認めたり治療する必要はないと考える傾向にある(Chu et al., 2014).子どもの吃音に対する支援の現状として,ことばの教室や医療機関等では言語聴覚士によるフォローを受けることが可能であるが,実際には親が納得できる支援につながるまで時間を要する経験をしたことで,知識のある専門家を希求していたと考えられる.

また,親は子どもの吃音について理解してくれる存在と関わることで,【吃音の理解者がいることで安心できる】という思いを抱いていた.発達障害のある子どもの親は「手探りの状態で色々な支援機関を訪れる」,「親の会で発達障害児を持つ親同士の仲間を得る」等の過程をとおして前向きな感情を獲得している(松井,2016).一般的な育児においても,育児サークル等で親密な友人をつくることで精神的な支えを得る(木戸ら,2005).同様に吃音のある子どもの親も,医療的,療育的な支援を求めることに加えて,セルフヘルプグループや同じ障害のある子どもをもつ親の会等,参加者が互いに経験を語り合い,気軽に相談をし合うことができるピアサポートの場を求めていると考えられる.

また,【吃音に対する周囲の理解が気がかりである】と,子どもに関わる周囲の人に対して吃音や吃音のある子どもへの理解を求めていた.学童期の身体障害のある子どもの親は,障害のある子どもをもって初めて障害児の世界にいると感じ,一般社会を障害児・者が認知されない社会であると捉えていた(濱田,2009).吃音のある子どもをもつ親も同様に,吃音の子どもをもつことによって吃音についての理解が社会に広まっていない現状を理解していると考えられる.研究参加者の中には,子どもに関わる周囲の人に対し,吃音のことを伝える等の支援的関わりを行っている者もいた.親は吃音が理解されにくい社会の現状を認識しながら,子どもに関わる周囲の人には子どもの吃音への理解を望んでいると考えられる.

5. 実践への示唆

親は,親として子どもの吃音を回復させなくてはならないという責任感を抱いていた.保健師は早期に支援を提供できる専門職の一人であることから,その支援は親子への経過観察だけではなく,「子どもの吃音に対してできることがある」と親が感じ,その思いを果たせるような支援策を提供することが求められる.具体的には,親が現在行っている支援的関わりを確認,支持し,その際,吃音を改善する直接的な関わりに加え,吃音をもつ子どもが生活しやすい環境を整える関わり方も伝えていくことが重要である.

本研究では親が子どもの通う学校や幼稚園・保育園等の機関の関係者とつながりを持つことの重要性が示された.保健師は親と保育所等の機関の双方から子どもに関する情報を得られる立場にある.情報が得られた際には,親と機関の双方の考えや意見を聞きながら,親子に対する支援を調整していくことが求められる.そして,周囲の人の理解を求める思いは,吃音が理解されにくい社会の現状や,納得できる支援につながることができずに理解者を得られない状況が影響していた.保健師は子どもの吃音の状況や親の子どもの吃音についての認識・ニーズ等を踏まえ,吃音の専門家を含む適切な支援者に早期につなげていく役割を有していると考えられる.

6. 研究の限界

本研究の参加者は支援機関や支援者につながっていたため,そのことが関わりや思いに影響した可能性がある.また,学齢期では自然回復の可能性が低くなることや,学校生活という集団生活への適応等,課題が多様化していくことが予測される.本研究では幼児期と学齢期を研究対象とし類似性に着目して分析を行ったことから,学齢期の親が抱く思いの詳細を示すことができなかった.今後は学齢期に着目し,子どもの生活や吃音の様相を踏まえた親の支援的な関わりとその思いの詳細を明らかにしていく必要がある.

謝辞

本研究にご協力いただいた皆様,並びにご協力いただいた関係者の皆様に心より感謝申し上げます.

本研究に開示すべきCOI状態はない.

文献
 
© 2020 日本公衆衛生看護学会
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