移り変わりながら現れていて(無常),不変な本質をもち合わさない(無我)ものの在り方をしているのかを示したのが縁起説である.縁起とは「およそ存在するものは皆,種々の要素(条件)が相関わり合いながら生起している状態としてある」という意味である.すべては状態としてあるととらえるのが仏教の特質であるといえる.時間的因果,空間的因果など,種々の縁起理解が展開されている.
人間(私)も縁起という在り方をしている.したがって,「人間は五蘊(条件)が相関わり合いながら生起している状態としてある」となる.種々の要素として示されたのが五蘊である.五蘊とは,色,受,想,行,識である.これらが同時に関わって現れている姿が,因縁果としての人間である.したがって「私」は五蘊仮和合とされる.そして人間に関わるすべての事象はここにおいて生じる現象である.われわれの知・情・意はすべて識に収まる.識を内観することは需要である.