2018 年 25 巻 1 号 p. 9-14
症例は23歳,男性.胸腺がんの右前頭葉への脳転移に対し,腫瘍摘出術を施行した.術前には左胸腔内再発腫瘍による疼痛に対してオキシコドン徐放錠640 mg/日,モルヒネ徐放錠240 mg/日,ケタミン水320 mg/日を定期内服していた.術当日朝に最終内服を行い,全身麻酔下に手術を施行.術直後は疼痛時にオキシコドン速放散80 mgを胃管より投与.手術24時間後よりオキシコドン速放散200 mg,ケタミン水80 mgを6時間ごとに定期投与し,48時間後より経口内服薬を再開した.オピオイド内服中の患者の周術期がん疼痛管理は注射剤へスイッチングして行うことが一般的だが,本症例のように高用量オピオイドを内服しており,術前から脳腫瘍による意識障害や嘔気を伴う脳手術症例などではスイッチングが困難である.術後絶食期間の短い手術であれば,胃管からのオキシコドン速放散とケタミン水投与による術後がん疼痛管理も可能であると思われた.
オピオイド投与中の症例に対する手術の周術期には,鎮痛剤を注射剤にスイッチしてがん疼痛管理を行うことが一般的である1,2).大量のモルヒネ2,3)やオキシコドン4)内服中の患者の周術期の鎮痛も注射剤にて行われている.
今回,オキシコドン徐放錠640 mg/日,硫酸モルヒネ徐放錠240 mg/日,ケタミン水320 mg/日を内服中の患者の,転移性脳腫瘍に対する全身麻酔手術周術期におけるがん疼痛に対する鎮痛を,オキシコドン速放散とケタミン水で行った症例を経験したので報告する.
なお論文報告に際しては患者家族の承諾を得た.
患者は23歳,男性.2008年5月に胸腺がんに対し胸腺腫瘍摘出,左肺部分切除,左胸膜播種可及的切除と術後全身化学療法,温熱療法,第4~第6胸椎および左第8肋骨への放射線治療を行ったが,2010年2月より再発腫瘍による左背部痛および左側腹部痛が増強しオピオイド内服を開始した.2013年3月中旬に大脳右前頭葉に脳転移が判明したため,手術目的に3月下旬緊急入院となった.入院時は身長184 cm,体重85 kg,軽度傾眠,performance status(ECOG)3.前頭部の頭痛と嘔気,歩行時のふらつきがあった.疼痛の所見とアセスメントを図1に示す.術前の鎮痛薬はオキシコドン徐放錠(40)8錠,硫酸モルヒネ徐放錠(120)1錠,プレガバリン(75)1錠,メキシレチン(100)1カプセルを各1日2回,ケタミン80 mg(経口),アセトアミノフェン(200)5錠,ロキソプロフェン(60)1錠を各1日4回,デュロキセチン(20)を朝1錠・夕2錠であった.硫酸モルヒネ徐放錠は,全体としてオピオイドの錠数を少しでも少なくすることを目的に併用していた.頭痛が出現するまではレスキュー投与(以下,レスキュー)としてオキシコドン速放散80 mgを5回/日内服していたが,頭痛の出現以降は痛みの訴えは減少し,レスキューは使用していなかった.頭部MRIにて右前頭部に7 cm大の嚢胞性病変と軽度の脳浮腫(図2),および右小脳に直径1 cmの転移性病変を認めた.胸部CTでは再発腫瘍の左第4,第5,第8,第9肋骨浸潤と第5胸椎レベルでの脊柱管内浸潤の増悪を認めた(図3).以上の所見より,頭痛,嘔気,軽度傾眠の原因は胸腺がんの脳転移(右前頭部,小脳)による症状,下肢脱力症状は腫瘍の脊柱管内浸潤による症状と判断し,入院後13日目に右前頭部の腫瘍摘出術を行い,術後小脳病変および胸椎に対する放射線治療を行う方針となった.
入院時の疼痛アセスメント
入院時頭部MRI
右前頭部の一部充実性で7 cm大の嚢胞性病変.軽度の脳浮腫とmidline shiftを認めた.
入院時胸部CT
上段:再発腫瘍の左第4,5肋骨浸潤と第5胸椎レベルでの脊柱管内浸潤の増悪,下段:再発腫瘍の左第8,9肋骨浸潤を認めた.
手術当日の朝6時まで内服薬を経口投与した.9時に手術室に入室し,脳腫瘍全摘術を行った.プロポフォール160 mgで麻酔を導入し,ロクロニウム臭化物60 mgを投与後,気管挿管を行い,麻酔維持はセボフルラン1~3%で行った.術中はオピオイドを使用しなかった.術中出血は960 mlで血圧,脈拍数は安定していた.手術時間は5時間51分,麻酔時間は6時間48分であった.術後の覚醒は良好で,抜管後ICUへ入室した.
術後はデクスメデトミジン塩酸塩0.7 µg/kg/hを持続投与した.酸素3 ℓ/minマスク投与し,呼吸数は15~20回/minで経過,呼吸速迫や抑制はみられなかった.手術前後の経過,鎮痛薬の投与状況と脈拍,瞳孔径を表1に示す.術直後はフルルビプロフェンアキセチル点滴を20時と翌朝6時に定期投与した.また,20時に左側腹部痛の訴えあり,21時に経鼻胃管よりレスキューとしてオキシコドン速放散80 mgを投与し,その後痛みはface scale(FS)4からFS 2に軽減し入眠した.4時および9時にも同様の疼痛に対してレスキューを投与した.8時30分にデクスメデトミジン塩酸塩を中止し,14時にICUを退室した.
ICU退室後には腸蠕動を認め,術後第1病日18時より胃管からオキシコドン速放散200 mgとケタミン水80 mgを6時間ごとに1日4回,消炎鎮痛薬やケタミン以外の鎮痛補助薬も粉砕や脱カプセルにて定期投与を再開した.その後,左背部や左側腹部の痛みや傾眠傾向もみられず,術後第2病日8時には胃管を抜去した.同日昼から経口にて内服薬を再開したが,前日から痛みの訴えが全くみられなかったため,オキシコドン徐放錠(40 mg)を術前の16錠(640 mg)/日から12錠(480 mg)/日に減量した.
以後疼痛はFS 2で経過していたが,術後第8病日から左背部・側腹部の持続痛(FS 3)と突出痛(FS 5)が出現したため鎮痛薬を漸増,放射線治療も開始とした.その後術後第16病日に,硫酸モルヒネ徐放錠(120)4錠/日,オキシコドン徐放錠を20錠(800 mg)/日,レスキューはオキシコドン速放散100 mg/回内服の状態で杖歩行にて自宅退院した.
多量のオピオイドのスイッチングにおいては,投与経路により薬剤の吸収や生物学的利用率が異なるため,オピオイドの過量や不足が起こりやすいことが知られている.同時にオピオイド使用が長期にわたっている症例ではオピオイド依存が形成され,退薬症状にも注意する必要がある.Mitraらによるオピオイド依存患者の周術期の疼痛管理についてのレビュー5)では,可能なかぎり手術直前まで経口投与を行い,術中・術後の絶食時には静注や皮下注などの投与経路にスイッチして継続投与することを勧めている.
上記をふまえ,本症例でも術前および術後に注射剤へのオピオイドスイッチングを行うかどうかを主治医・麻酔担当医・緩和ケア医で検討した.その結果,①脳転移による傾眠や嘔気,脳手術後の合併症としての意識低下や嘔気などの症状とオピオイド過量による傾眠・嘔気との鑑別が難しい,②多量の経口オピオイドからのスイッチングであり,たとえ単一の経口オピオイドにスイッチしても,適切な注射剤の量が等鎮痛用量換算表から大きく異なる可能性がある,③術後腸蠕動の低下期間は短いと予測される,④手術時間の延長時や退薬症状出現時には次善の策として等鎮痛用量よりもやや少なめの注射剤を使用することが常に可能であるなどの理由から,周術期には注射剤への変更は行わない方針とした.その結果,術直後は最小限のオピオイドを経鼻胃管からレスキューとして使用することで鎮痛を得ると同時に,意識へのオピオイドの影響を最小限に抑えることができた.
本例ではオピオイド内服開始から3年が経過していることから,術直後の急なオピオイド減量による退薬症状が懸念された.即効性モルヒネ製剤による退薬症状は,投与後6~8時間ごろから徐々に症状が出現し2~3日で最大となるといわれている.症状発現の場合はそれまで使用していたレスキューを投与することが勧められている6).本例では術後24~48時間にかけて一過性の脈拍増加と瞳孔径の増大がみられた.腸管からの薬物の吸収が遅延したことによる一過性の退薬症状をきたした可能性も考えられたが,あくび,発汗,流涙などの症状はみられなかったためそのまま経過観察としたところ,脈拍・瞳孔径もその後正常化した.手術日の朝に内服したオピオイドが徐放製剤であったことと,術後疼痛に対して3回,オキシコドン速放散を投与したことで,明らかなオピオイド不足による症状は出現しなかった.
デクスメデトミジンはアドレナリンα2受容体作動薬で,術後の鎮静および鎮痛目的に術直後から第1病日の朝8時30分まで,0.7 µg/kg/hで投与した.本剤は術後疼痛の鎮痛目的に使用されるモルヒネ製剤の必要量を減らす効果が指摘されており7),がん疼痛の軽減目的に投与されているオピオイド製剤に対しても同様の効果を有する可能性が考えられる.本症例では術当日の朝6時に定期投与量のオキシコドン徐放錠と硫酸モルヒネ徐放錠を内服し,その後は術後第1病日の18時まで,比較的少量のオピオイド(オキシコドン速放散80 mg×3回の投与)で良好な鎮痛が得られたが,デクスメデトミジンの作用によりオピオイドの術後の必要量が少なくなっていた可能性も考えられた.
ケタミンは神経障害性疼痛に対して経口投与でも有効との報告があり8),本症例でも院内倫理委員会の承認を経て2010年6月より内服を開始,その後増量し術前には320 mg・分4での投与となっていた.経口ケタミン内服患者の周術期鎮痛に関する報告はみられず,経口投与と経静脈投与間の換算比も確立していない.また,ケタミンはWHOの報告において,ヒトでは退薬症状を引き起こすとはいえない9)とされている.そのため本症例では,術直後はケタミンを中止し,ケタミンに影響されずに術後の意識レベルの評価を行えた.その後腸管運動が回復してからケタミン内服を速やかに再開し,術前と同様の鎮痛を維持することが可能であった.
また,ケタミンは頭蓋内圧亢進リスクのある患者には経験的に避けられることが多いが,頭蓋内圧亢進効果は認められず,脳外科手術への使用に関して禁忌と考える必要はないとの報告も認められる10).本症例ではがん疼痛への明らかな効果が認められていたため有益性が高いと判断し投与を継続したが,術中,術後を通して頭蓋内圧亢進に伴う症状はみられなかった.
全身麻酔手術直後からの経口摂取に関しては,Vlugらが結腸・直腸の手術2時間後から安全に経口水分摂取が可能であったと報告11)しており,また,2007年のCochrane Database Syst Revでは,産婦人科術後24時間以内での経口摂取再開が安全に行える12)とされている.術後飲水の開始時期については,手術時間や麻酔時間が症例により異なるため,明確な基準は定められていない.本症例は非消化管手術であり,全身麻酔からの覚醒後であれば,少量の白湯で溶解した薬物の投与は安全に行うことが可能であると考え,粉砕した薬剤を白湯20 mlで溶解後経鼻胃管から投与し,その後20 mlの白湯を押水として使用した.また,投与30分に胃管を吸引し,胃内容が空虚になっていたことで吸収されていることを確認した.
多量のオピオイドとケタミン水を内服中の転移性脳腫瘍の手術症例を経験した.術直後よりオキシコドン速放散を胃管から投与し,その後可及的早期にオピオイド速放散とケタミン水の定期投与を再開することで,オピオイドを注射剤にスイッチすることなくがん疼痛に対する鎮痛が得られたので報告した.
この論文の要旨は,第21回日本緩和医療学会学術大会(2016年6月,京都)において発表した.