2021 年 28 巻 11 号 p. 214-217
症例は51歳男性.10年前に左下顎の疼痛を自覚し,当院耳鼻咽喉科にて三叉神経痛の診断のもと,内服加療で改善し,その後は無治療経過観察となっていた.10年経過後に同症状を再発症し,精査の結果,左前下小脳動脈が責任血管の舌咽神経痛の診断となる.内服加療では疼痛軽減が得られず,薬剤抵抗性のため当科紹介となり,左外側後頭下開頭で微小血管減圧術を施行した.左前下小脳動脈を錐体骨に固定し,舌咽神経痛との接触を解除した.術後合併症は認めず,左下顎痛は速やかに消失した.術後半年間明らかな再発なく経過している.
舌咽神経痛(glossopharyngeal neuralgia:GPN)は1910年に最初に報告され,発症率は年間10万人あたり0.2~0.7程度と推定されている1).咽頭から舌根部にかけての電撃痛を特徴とし,嚥下,会話,咳によって誘発される1).約74%が自然寛解を示すが,年間再発率は3.6%程度あり最終的に約25%の患者で手術が必要となる2).カルバマゼピンの内服が一般的な治療法だが,難治性の場合微小血管減圧術(microvascular decompression:MVD)が有効である2).
今回われわれは10年経過後に再発症した難治性GPNに対しMVDが有効であった1例を経験したので報告する.
なお,本報告は所属施設の承認を得ている.
患 者:51歳,男性.
主 訴:左下顎痛.
既往歴:特記事項なし.
現病歴:10年前に左下顎痛を主訴に当院耳鼻咽喉科を受診した.三叉神経痛(trigeminal neuralgia:TN)が疑われカルバマゼピンの内服(400 mg/day分2)を開始し,ほどなく症状は改善したため内服を終了していた.その後症状の再燃なく経過していたが10年経過後に再度左下顎の痛みが出現し,当院耳鼻咽喉科を受診した.カルバマゼピンの内服(600 mg/day分3)を再開したが,症状は改善しなかった.頭部MRIでは左下顎痛の原因となるような占拠性病変は認めず,臨床症状からGPNが疑われ,薬剤抵抗性のため,MVDが考慮されたので当科紹介となった.
現 症:Japan Coma Scale 0 Glasgow Coma Scale 15(E4V5M6),挺舌は正中で舌運動に異常はなかった.しかし,左咽頭から舌根部にかけて嚥下により増悪する疼痛があり,その疼痛は左下顎に放散していた.常態化している疼痛のため,経口摂取や発声すら困難な状態であった.その他の脳神経症候,項部硬直,四肢の運動障害,感覚障害は認めなかった.心電図は洞調律であった.血液検査では明らかな異常は認めなかった.
画像所見:頭部MRI Heavily T2強調画像(constructive interference in steady state:CISS)(図1A)にて左前下小脳動脈(anterior inferior cerebellar artery:AICA)が左舌咽神経のroot entry zone(REZ)に接しているように見えた.左三叉神経と血管との接触は認めなかった.
頭部MRI
A:MRI Heavily T2強調画像(constructive interference in steady state:CISS)にて左前下小脳動脈(anterior inferior cerebellar artery:AICA)(矢印)と左舌咽神経(矢頭)がroot entry zone(REZ)で接しているように見える.
B:MRAにて左AICA(矢印)の走行が示されている.
術前診断:左AICAによる接触が原因のGPN.
臨床経過:左AICAが責任血管であるGPNが疑われ,薬剤抵抗性であったので,当科紹介となった3日後にMVDを施行することとなった.
手 術:全身麻酔を導入後,聴性脳幹反応(auditory brainstem response:ABR),顔面神経モニタリング,声帯モニタリングをセットした状態でMVDを施行した.右下側臥位としたパークベンチポジションにて左外側後頭下開頭を設け,lateral suboccipital approachにてアプローチし,周囲のくも膜を切開し下位脳神経を同定,露出していった.左AICAが左舌咽神経の吻側から同神経を圧迫していた.左AICA周囲のくも膜も可及的に切開し可動性をもたせた.左舌咽神経のREZ近傍を確認すると左AICAが左舌咽神経に接触していた(図2).左AICAを錐体骨まで転位させることで左AICAと左舌咽神経の接触をREZから末梢側にかけて解除できることが判明したので,今後接触をもたないようにフィブリン糊付き酸化セルロースで左AICAを錐体骨に転位固定した(図3).その後左AICAと左舌咽神経の接触が再度起こらないことを確認して閉頭,閉創を行った.
術中所見(左AICAを転位する前)
左AICAと左舌咽神経がREZ近傍で接している.
術中所見(左AICAを転位した後)
フィブリン糊付き酸化セルロース(矢印)で左AICAを錐体骨に転位固定することで左AICAと左舌咽神経の接触が解除されている.
術後経過:術直後より症状は速やかに改善した.術後12日目で自宅退院(mRS:1)となり,その後は外来フォローとなった.カルバマゼピンの内服は漸減していき,術後3カ月で内服を終了した.その後も症状の再燃はなく経過している.
Jannettaが1981年にGPN用のMVDを導入して以来,MVDは特発性GPNに適した外科的治療法であることが判明している3).本症例において,難治性のGPNに対してMVDが著効したが,難治性のGPNに対する外科的治療法として,舌咽神経根切断術(glossopharyngeal nerve roots rhizotomy:GNR)という方法も存在する4).GNRは根治性こそ高いが,舌咽神経を切断することで生じる神経学的合併症(嚥下困難,嗄声など)のため,MVDと組み合わせる必要があるかどうかはまだ議論の余地がある3).
GPNに対してMVD単独で加療した群とMVDにGNRを併用して加療した群で比較し,MVD単独でも,GPNの治療においては安全で効果的な方法であり,咳や嗄声などの合併症はMVDを単独で行った群の方が少ないという報告がある5).したがって本症例のように難治性GPNに対して初めて外科的介入を行う場合,まずはMVD単独で加療を試みてそれでも再発してしまう場合にGNRを考慮するべきと考えられる.
本症例は10年前,TNとして治療されていたが,再発症した後の精査で行われた頭部MRIおよび臨床症状から,TNではなくGPNが疑われた.TNとGPNは疼痛の性状は酷似しているが,疼痛部位はやや異なっており,TNが片側の三叉神経下顎枝の支配領域に疼痛が現れるのに対して,GPNは舌の後部から咽頭にかけて疼痛が現れ,下顎から耳介へ放散するのが特徴的である4).その放散痛ゆえにGPNをTNと誤診されることがあり,TN患者の0.3~0.5%がGPNに苦しんでいるという報告もある6).
本症例において片側の咽頭から舌根部にかけての疼痛はGPNの臨床像として典型的であったが,それ以上に下顎から耳介にかけての放散痛の方が自覚症状として強かったため,TNと診断されたのではないかと考えられた.GPNの発症率は年間10万人あたり0.7例と推定されており,TNよりも100例低い6).三叉神経の神経支配領域に放散する疼痛を訴えるGPN患者の診察においてはTNとの鑑別診断が非常に重要となる.三叉神経に対する不要なMVD治療により,疼痛の改善が得られないことに加え,医原性三叉神経損傷の発生をもたらしうる.
本症例は術後に大きな合併症を起こすことなく症状が改善した.約半年間は明らかな再発はなく経過している.GPNのMVD後の再発率は7.1%という報告があり7),長期的な予後については今後も経過観察が必要である.
10年経過後に再発症した難治性GPNに対してMVDが有効であった1例を経験した.下顎の痛みを訴える患者の診察においてGPNは念頭におくべき疾患の一つであり,薬剤抵抗性のGPNの場合,まずはMVDを外科的治療法として考慮する必要がある.
本論文の要旨は,第99回日本脳神経外科学会中部支部会(2021年4月,Web開催)において発表した.