2025 年 32 巻 1 号 p. 11-14
症例は11歳男児.2年前から,左前胸部痛が月1~4回の頻度で1~5分間出現し経過観察していた.初診1カ月前,左前胸部痛が約5時間持続するため近医を受診し当院に紹介となった.小児科の精査で器質的異常は否定的であり,疼痛コントロール目的で当科紹介となった.初診時,左Th5領域にnumerical rating scale(NRS)5~7の胸痛を月3~4回の頻度で認め学校や習い事を欠席することがあった.疼痛部位に圧痛や感覚鈍麻を認めなかった.心理社会的背景として2年前から入眠中に突然,大声で泣き叫ぶなど睡眠障害を認めていた.東洋医学的所見は虚証で気逆を認め,甘麦大棗湯エキス顆粒5 g/日を投与し,鍼灸を開始した.また心血管疾患など重篤な疾患は否定的であることを母親と本人に説明し不安を軽減させた.甘麦大棗湯エキス顆粒の内服と鍼灸の継続で,初診5カ月後に症状は消失し日常生活を制限なく送れるようになった.小児における原因不明の胸痛で東洋医学的治療が一助となる可能性が示唆された.
The patient was an 11-year-old boy. Two years earlier, he had experienced left anterior chest pain lasting 1–5 minutes, 1–4 times a month, and he was referred to our hospital. At the initial consultation, the patient had chest pain with a numerical rating scale 5–7 in the left Th5 region 3–4 times a month, and he sometimes missed school. Because he had sleep disorders, such as sudden loud crying while asleep and the oriental medical findings determined that he had deficiency pattern and urgency of symptoms, we administered Kanbakutaisoto extract granules (5 g twice a day) and acupuncture. As a result, the symptoms disappeared five months after the first consultation. These results suggest that oriental medical treatment is helpful when psychosocial factors are suspected to be involved in pediatric chest pain.
小児における胸痛の頻度は小児外来診療の0.3%で1),多くは非心原性で重篤でない場合が大部分を占めるが,胸痛で夜間に覚醒する・学校を欠席する患者は,それぞれ胸痛を訴える患者の3分の1であり,小児の日常生活に胸痛が及ぼす影響は大きい2).小児の胸痛は,非器質性胸痛が大部分を占めるが,特発性が21~62%と最も多く1),しばしば慢性化し治療に難渋する2).今回,小児の非器質性胸痛に甘麦大棗湯と鍼灸が奏功したので報告する.
本症例の報告にあたり,患者本人と親の承諾を書面で得ている.
11歳男性,身長139 cm,体重32 kg.
主訴は胸痛,既往歴は幼児期から片頭痛,2年前に声帯機能不全,1年前に咳喘息あり.生活歴で幼児期に夜泣きが数時間持続,学童期に睡眠中,起き上がり部屋を歩き回るなど睡眠障害を認めていた.運動歴は空手を週4回,家族歴は祖母が心疾患,父親がBrugada症候群(無症候性)である.
現病歴:2年前から,特に誘因なく左前胸部痛が月1~4回の頻度で1~5分間出現し経過観察していた.初診1カ月前,左前胸部痛が約5時間持続したため近医整形外科を受診し,超音波検査,X線検査で外傷による肋骨骨折,肋軟骨炎,Tietze症候群,肋骨すべり症候群など胸郭に由来する胸痛や整形外科的疾患は否定的で,当院小児科に紹介となった.血液検査,心電図,胸部X線,心臓超音波検査の精査で器質的異常は否定的であり,疼痛コントロール目的で当科紹介となった.
現 症:神経学的所見や血液検査で異常所見を認めなかった.Pain DETECT 11,バールソン児童抑うつ性尺度7(児童の抑うつ評価,カットオフ値16以上はうつ病を考慮する)3),Pain Catastrophizing Scale, Child(PCS-C)13(痛みの破局的思考の評価法,PCS-C≧26は破局的思考が強い)4),Fear of Pain Questionnaire for Children(FOPQ-C)27(痛みに関連する恐怖など精神面に関する評価法,FOPQ-C≧51は痛みに関する不安・恐怖が強い)5)で異常を認めなかった.
臨床経過:左Th5領域にnumerical rating scale(NRS)5~7の胸痛を月3~4回認め学校や習い事を欠席することがあった.疼痛部位に圧痛や感覚鈍麻を認めなかった.小児科の精査で心血管,呼吸器,消化器,筋骨格由来の胸痛や起立性調節障害は否定的で,原因不明であり特発性胸痛と診断した.心理社会的背景は2年前から入眠障害や睡眠中に突然,大声で泣き叫ぶなど睡眠障害を認めた.東洋医学的診察では,腹診で腹力は弱,肋骨弓角は狭く,腹直筋の攣急を認めた.脈はやや弱で数,舌診では舌質は淡白で,舌の振えを認めた.虚証で気逆を認め,甘麦大棗湯エキス顆粒(5 g中に甘草3.3 g,小麦13.3 g,大棗4 gの割合の混合生薬の乾燥エキス2.1 gを含有する)5 g分2/日の内服を開始,刺さない鍼であるてい鍼を用いて経穴を刺激する鍼灸(中脘,天枢,気海,内関,三陰交,公孫,太衝,和髎)を開始した(図1).心疾患の家族歴があり,胸痛の原因が心臓由来ではないかと母親の不安が強かったが,重篤な疾患は否定的であることを母親と本人に説明し不安を軽減させた.甘麦大棗湯エキス顆粒の内服と鍼灸の継続で初診3カ月後に疼痛の頻度や強さが軽減,初診5カ月後に症状は消失し,日常生活を制限なく送れるようになった(図2).
経穴
臨床経過
小児の胸痛は,小児循環器医に紹介される原因として心雑音に次いで2番目であり,非心原性で重篤でない場合が大部分を占めるが,学校欠席や活動の制限など日常生活に支障をきたすことが多い6).本症例は,2年間胸痛を繰り返し,学校や空手を休むなど日常生活に支障を認めた.小児の非心原性胸痛は治療が困難であり,多くは再発,慢性化することが報告されている6).治療は確立されていないが,患者を安心させることが治療の中心となる6).非心原性胸痛は,不安や抑うつとの関連性が報告されているが7),本症例は抑うつ傾向を認めなかった.本症例は,睡眠中に突然泣き叫ぶなどヒステリー様の症状,すなわち“蔵躁”を認め,甘麦大棗湯を選択した.甘麦大棗湯は小麦,甘草,大棗の3種類の生薬から構成され,比較的体力の低下した人で,著明な神経興奮や急迫症状,不安,不眠などがある場合に用いられる.原典は金匱要略で「婦人蔵躁.喜悲傷欲哭.象如神霊所作.数欠伸.甘麦大棗湯主之.(女性がヒステリー発作を起こし,しばしば深く悲しんで,声を上げて泣き叫び,物の怪や悪霊に取りつかれたようにみえ,何度もあくびを繰り返す人には,甘麦大棗湯がよい適応である)8)」とされている.また勿誤薬室方函口訣では,「小児で泣きやまない場合に使用して速効性がある.」「神経過敏で過剰におびえる場合は多くの場合はこの処方で治癒する.」とあり,女性や小児の精神不安,不眠症,夜泣きやひきつけに処方される.甘麦大棗湯には,急迫を緩め心気を養う作用があり,本症例で甘麦大棗湯が有効であった理由は,甘草のグルタミン酸抑制作用,小麦のセロトニン作用,大棗の鎮静作用による精神安定作用が症状の改善につながった可能性がある9).
東洋医学的に疼痛の治療をする際に「不通則痛(ふつうそくつう)」とう理論があり,気・血(けつ)水(すい)の滞りや不足で痛みが生じ,慢性疼痛の背景にある気血水の異常を是正することで疼痛が軽減する可能性がある.気の異常による痛み,血は微小循環障害による痛み,水は浮腫による痛みで気・血・水の異常は連動するため治療は血行を良くし,余分な浮腫をとりストレスを軽減することを目標とする.今回,気逆と虚証を認め,気血水を整え心身リラックス目的で鍼灸を併用した.経穴の中脘,天枢,気海,内関,三陰交,公孫は健脾和胃(消化・吸収・運送の機能改善),太衝は自律神経調整,和髎は片頭痛軽減目的で刺激した10,11).小児の慢性痛における鍼灸のエビデンスは不足しており,本症例における鍼灸の効果は不明である.鍼治療は副作用が少なく,小児で忍容性が高く受け入れやすい治療であるが,刺さない鍼であるてい鍼を用いるなど,小児に恐怖心を与えない配慮が必要である.また親との信頼関係も重要であり,当院は親の希望に従い鍼灸の際に親の付き添いを許可している.小児の慢性痛における鍼灸の有効性と安全性について,今後,さらなる研究が必要であると考えられる.
小児の特発性胸痛に東洋医学的治療が一助となる可能性が示唆された.
この論文の要旨は,2024年度日本東洋医学会関西支部例会(2024年10月,京都)において発表した.