スポーツ社会学研究
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原著論文
身体と健康をめぐる政治学の現在
―後期フーコーによる統治性論の射程―
高尾 将幸
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2010 年 18 巻 1 号 p. 71-82

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抄録

 1990年代後半以降、日本における健康増進政策は、「生活習慣」の改善による疾病の「一次予防」を重視するそれへと大きくシフトしてきた。そして、改正を向かえた介護保険制度も、「予防重視型システムの確立」を明確に打ち出し、筋力トレーニングを含む「運動器の機能向上サービス」を介護費削減の目玉の一つに掲げた。
 本稿では、こうした政策的動向に対しミシェル・フーコーによる「統治性論」の視角を援用することで、今日の私たちの身体と健康がどのような政治のただ中にあるのかを分析した。従来のスポーツ社会学領域において、身体の政治学をめぐるフーコーの「規律権力論」は大きな影響を及ぼしてきた。そこで主流をなしたのは、身体とその表象が既存の規範的な社会関係を維持するという枠組みであった。しかし、統治性論へのフーコーの展開は、集合的な身体である人口をめぐる安全性のメカニズムと、個別的身体への規律的介入との接点が、「正常性」の導出と「規範」の変化・生成に関わっているという新たな論点を含意するものであった。
 この視角を援用することで、本稿では高齢者の身体活動施策を事例に、保険制度への保健事業の組み込みを分析した。そして、保険者機能の強化の一環とされた身体活動を含む予防的保健事業が、保険者の財政的ガバナンスを維持するツールとして、さらに財の負担と配分の公平性を担保する指標として機能している点を明らかにした。
 私たちの健康をめぐるリスクと責任は、リスク・テクノロジーによる統計的数値が先行することで、個人だけではなく、健康保険組合や自治体といった組織的取り組みを介して解決されるべきものになりつつある。だが、果たして現在進んでいる保険制度下での予防的保健活動は、それに携わる専門職やサービスを受ける人びとが望む健康や福祉のあり方に資するものなのだろうか。最後に、この点について実証的に問い直していく作業を今後の課題として提示した。

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© 2010 日本スポーツ社会学会
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