抄録
本論文は、日本におけるラグビーフットボール競技において、脳しんとうがいかに扱われてきたか、競技中にその症状または疑いのある選手の扱い(手当)および脳しんとうという症状(問題)を現場の選手、指導者または協会関係者がいかに認識してきたかについて、日本のラグビー専門誌である『ラグビーマガジン』の記事の中から、この問題に関係する記事を抽出し分析した。その結果、日本ラグビーフットボール協会(JRFU)が昭和28年に協会内で医学委員会を設け、競技に特有の頭部または頸部に関係する重大事故対策に本格的に取り組んでいった経緯が明らかになった。当初、この委員会メンバーにこの競技を経験した医師を中心に対策に取り組んだことと、ラグビー特有の「魔法のヤカン」を用いた脳しんとうを起こしたプレーヤーに対する代替治療というサブカルチャーが微妙な関係の中で共存してきたことがわかった。しかし、脳しんとうの症状および後遺症に関する科学的知見が明らかになるにしたがって、またスポーツの世界に医科学の適用が浸透すると共に、「魔法のヤカン」は消滅していった。この「魔法のヤカン」が消滅する過程からみえてくるのが、ラグビーの競技運営に関わる人々の競技の安全性にむけての取り組み(国際的ルール変更、また国内の独自ルール設定および競技環境改善)である。この取り組みが功を奏している反面、新たな危険性(選手の大型化やプレースピードの増加、ゲームの質の変化による選手の身体への負担、ジャージや防具の変化による接触プレーの激化)がそうした取り組みを相殺していることが、この競技の今後の運営また将来的発展にむけて危惧されている。こうした課題を解決するために、「生命工学的解決」「ゲームの進め方による解決」「文化的変容」という観点からの解決策を議論した。解決に向けては、競技を取り巻くミクロ社会の中だけではなく、より広範囲なマクロ社会の網の中で解決策を探らなければならない。