スポーツ社会学研究
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「こわばる」ということ
「調査する身体」を反芻する手がかりとして
好井 裕明
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2002 年 10 巻 p. 16-25,132

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抄録

フィールドワークなど, 実際に対象となる現実に研究者が出かけ調査する場合, 研究者がそこで他者と出会い, さまざまな反応をすることになる。そして研究者は, 当該の現実と出会い, 現実に影響を与えることなく, 現実から影響をうけることなく, いわば客観的にデータを収集し得る装置ではない。常に, 当該の現実, そこで出会う人々との相互行為が構築されるなかで調査という営みが創造されていく。こうした見方をとるとき, 研究者が呈示する「調査する身体」はそれ自体, 貴重な考察の対象となる。
本稿では,「調査する身体」を反芻する手がかりとして,「こわばる」ということの意味を考えてみたい。わたし自身の差別問題をめぐる調査体験をふりかえることから, 場面状況に積極的に関与しようとすることから生じる。「こわばり」と場面状況から“適切な”距離を置いたり“適切な”役割を演じようとし, 結果的にはそこから撤退することになる「こわばり」という二つを例証する。いずれの場合にも, エスノメソドロジーが重要な社会学のトピックとして呈示してきた「カテゴリー化」という問題が密接に関連していることがわかる。
調査場面で他者とであうとき, 研究者の意識や身体が緊張することは, きわめて自然なことである。ただ, 研究者が対面する現実や他者との出会いに向き合うことがなく, 事前に想定した他者理解, 現実理解の「カテゴリー化」に囚われるとき, その調査実践自体は「こわばって」いく。
「調査する身体」を反芻し解読する営みは, 単に調査方法論的な次元にとどまるものではなく, 個別テーマにも関連するし, 社会学的な実践それ自体を反省的に考察しうる重要な社会学的テーマなのである。

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