「新歌舞伎」は現在では活字により評価されがちだが、初演当時の鮮烈な印象を観客に与え、生涯に渡り追憶させたのは、装置や照明の斬新さだった。それを皮相的というなら、日本のみならず十九世紀の演劇を語る事はできない。新時代のテクノロジイの異文化受容のなかで演劇はその性質を変え、従来の「旧劇」にも多大に影響し、今日の「古典歌舞伎」に及んでいる。それは演技や劇作法にも当然関わり、舞台全体を統括する「演出」意識も生んだ。松居松葉と岡本綺堂を中心に、当時の観客の目や耳に直接訴えたものから、今日自明化されがちな諸演劇の境界を繋ぐものを考える。